上手下手の思い出

絵が上手くなくてもアニメーターになれる権利はあるはずだ!‥‥というのは変な話ですが、誰でも上手くなれる可能性はあるはずだ!‥‥というのなら、それはそうだ‥‥とは言えます。

 

まあ、上手い上手くないという基準の境界線は曖昧です。ただ、暗黙の境界線というか、ある程度明確な基準は「あるにはある」のは誰しも何となく感じているものです。

 

まず何よりも基本は、

 

左右対称の物を、ちゃんと左右対称に描ける

 

模写を正確におこなう(要素の対比と位置関係)

 

‥‥というのはありましょう。初心の段階から抜け出せない人は、この極めて基本的な事を認識せずに、すぐにキャラクターのバストショットばかり描きたがります。

 

小学生の頃の私がそうでした。メーテルとかハーロックとか、当時好きだったキャラを見よう見まねで描いて、何となくでも、似た絵が描けた!‥‥と我ながらご満悦です。しかし、どこかで聞いた「紙を裏返して絵を透かして逆に見ると、絵の崩れが判る」というのを実践してみると、そりゃあ、自分の絵の酷さに言葉を失ったものです。

 

絵が下手なままの人は、実は正円や正方形をまともに描けないし、斜め上から立方体を描けば、歪んだ立方体にしかなりません。

 

そうした基本のダメさの端々が、キャラのバストショットの絵に全部出てしまって、完成度というか説得力というか、絵の良し悪しを悪しき方向に引き摺り込むのです。

 

もっと絵が上手くなりたい

 

‥‥と小学生の私は思ったものです。少なくとも、友達から「本物そっくりじゃん!」と言われるようなハーロックやメーテルを描きたいと思いました。自分のオリジナルの絵なんてまだまだ考えるに至らず、まずはその当時流行っていた松本零士キャラをそっくりにいつでも描けるようになりたいと思ったのです。

 

小学生でも「図書館」という強い味方があります。幸い私の住んでいたところは工業で栄えた人口の多い町だったので、中央図書館には美術書がいっぱいありました。

 

私が足繁く通って、何度も入れ替わりで読んだ美術書シリーズは「新技法シリーズ」です。

 

 

 

 

上の2冊は、基本ができてから読み進めるべきものですが、絵画やパースの基礎を教える新技法シリーズもあって、夢中になって読んでいました。

 

夏休みになると学校にいかないので、こうした美術書をハイペースで入れ替わりで読む事ができました。なので、夏の暑い日差しを見ると、小学生の頃に図書館に通った日の思い出もふと蘇るのです。

 

要素の対比、一点透視図法。‥‥絵の基礎を小学生なりに理解しようとして(当時の私が理解しきれたとは思えませんが)、不器用ながらに自分の絵に取り入れましたが、効果はかなり大きかったです。

 

今まで顔面崩壊して、アンバランスにもほどがある自分の「漫画の模写」が、かなりオリジナルの漫画に似るようになりました。俄然、ハーロックがかっこよく描けるようになりました。‥‥とても嬉しかったものです。

 

 

 

曲解しないでおきたいのは、技法書を読めば上手くなるわけではない‥‥ことです。

 

絵画教室に通ったり、技法書をたくさん読んでも、無条件に上手くなるわけではないです。

 

自分の中に妙なプライドや自尊心があって、他から欠点を指摘されるのが嫌な人は上手くはなれないです。表面は強がっていても、ココロの中は謙虚であるべきです。

 

「他」とは、友達のような「他の人」だったり、技法書のような「本」だったりしますが、どちらにせよ、他からのアドバイスを謙虚に受け入れる柔軟さが必要です。なので、大人になればなるほど、その辺が「めんどくさい人間」になってしまって、10年経っても基本的な絵の上手さが進展しないようなこともあります。

 

 

 

私はアラウンド50になった今でも、色々な人の「実物の手」を見ると、自分の傲慢さ=手を絵で描くときにルーチンで処理していた自分を思い知ることがあります。

 

アニメで描く「手」って、ある程度「流行り」があって、ある種の「描写スタイルのナショナリズム」が蔓延りますが、そんなのに「前ならえ」していた自分に気づいて(=絵の描き方もいつしか習慣化しますので)、知らずのうちに視野が狭くなっていた事を不甲斐なく感じます。実物のいろんな人の手って、こんなにもバリエーションが豊かだったんだと改めて気づのです。

 

「耳」に至っては、一番明確に、描いている当人の状況を映し出しますよね。耳をちゃんと描こうとアプローチして、その上で作品に合わせた省略のデザインをしている人って、内面は相当謙虚な人だと思います。耳って結構多くの人が惰性で描いたりゴチャゴチャっと描いたりして誤魔化しがちですもんネ。

 

 

 

絵を描く事を職業にしなければ、別にどんな絵を描いても構わないのです。下手だろうが、周りから文句を言われる筋合いはないでしょう。自画自賛で絵を描いても、自分の部屋に飾るのなら、誰の迷惑になるわけでもなし。

 

しかし、オーダーがあって、そのオーダーに準じた絵を描いて、しかも報酬を得るプロならば、絵の上手さは必須条件です。なので、アニメならアニメーターに限らず、ソフトウェアのレクチャーをする人間にも技量は必須です。アニメ作画のソフトウェアのインストラクターをするのなら、アニメ作画の経験はどうしても必要になります。TBHの手ほどきしてくださった人(カナダの方です)も作画出身で、手を結んで開いてぐるぐる回転させるリグを一晩で作って翌日のトレーニングの素材にするほどの技量の持ち主でした。

 

絵に関わって報酬を得るのなら、あまりにも当たり前の論理ですが、絵の技量は必要です。絵の流行スタイルにあやかっても、そのスタイルが廃れた後は、当人の絵の技量で生きていかねばなりません。

 

基礎は、人それぞれ時期的な差はあれど、必ずどこかで身につけることが重要です。

 

できれば、乾いたスポンジが水をいっぱい吸収するがごとくの、小・中学生でマスターしておきたいです。

 

もし出遅れたなら、オトナの自分のステータスなど地べたに引き摺り下ろして、「描けない自分」から再スタートすれば良いです。

 

「時間がなかったから上手く描けなかった」なんて負け犬の遠吠えなど一切吐かず、「短時間であっても見極めが不十分な自分の技量の低さが問題だ」と受け止め、ではどのようにすれば絵を描く初段階から的確に描画を進められるかを考えるようにします。

 

 

 

夏休みは、絵が上手くなる絶好の機会でした。

 

夏は日本の敗戦を想起しますが、一方で、のびしろのプラスイメージも思い出します。

 

なので、私は夏が好きです。

 

もし今、学生ならば、夏だからこそ、いっぱい絵を描いて、図書館にも通って技法書を読みふけりましょう。

 

絵を一生の仕事にしたいならば。

 

 

 

 

 


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