撒く。転がす。否。

令和になって、まるで昭和平成と続く流れを変えるような出来事がいくつも続きますね。

 

芸人ファースト‥‥というのも、今一度、原点に立ち返ることを思い起こさせる言葉です。

 

アニメでいうならば、クリエイティブファースト。

 

アニメの制作会社は、昭和平成とアニメを作り続けたがゆえに、自分の会社がアニメを作って成立していることを忘れかけているようにも感じます。

 

作業は「撒く」ものでしょうかね?

 

作品は「転がす」ものでしょうかね?

 

私もついつい「撒き先」などと口走ってしまいますが、「発注先」や「依頼先」であって決して「バラ撒く」イメージのものではないはず‥‥だと言うのは、「いい歳して甘っちょろい事、言ってやがる。現実を直視しろ」と言われるのでしょうかね。でも、その現実を変えてこなかったからこそ、窮状の変わらぬ「過去から今」があるのではないですかね。

 

作品は「運用」する、つまり手で持って「運ぶ」のだと思っています。決して、「転がす」ものではないと思います。転がすんなら、蹴っても転りますよネ。

 

しかし、「運ぶ」のであれば、よほど悪いヤツでも無い限り、蹴ることはないでしょう。

 

いまどきの現場にはどこか、アニメ制作慣れし過ぎて、アニメを作っているのにアニメをクリエイトしていないような雰囲気を感じます。「クリエティブ不在」「クリエイティブスレーブ(Slave)」で、アニメ作りがMaster(主)でない状況。

 

バラ撒いて蹴って転がして作った作品に、人の心を動かすパッションは宿るのでしょうか。

 

 

 

「パッションとか、青くせえこと、言ってんじゃねえよ。商売なんだよ。」とか嘯く人もおりましょう。

 

たしかに、パッションを必要としなくても、段取り作業を組み合わせれば、アニメの商業映像コンテンツは完成するでしょう。

 

そもそも‥‥、ぶっちゃけ、アニメなんて見なくても生命維持活動には支障ないですし、楽しみが欲しければ他の娯楽に移行すれば良いだけです。消化試合で作った作品など金を貰っても見る気がしません。時間の無駄だから。

 

でも、その「なんて」を、本気になって一生懸命作るのが、アニメを生業として選択した人間です。

 

制作者たる我々は、未来もアニメを作りたいんでしょ? 多くの人にアニメを見てほしいんでしょ?

 

だったら、アニメを転がすんじゃなくて、作りましょうよ。商業として、作りましょうよ。

 

 

 

お笑い芸人さんと興行会社のやりとりを見ていると、何か、すごい既視感を感じます。

 

アニメ制作現場にも似たようなことが昔からあって、最近はそのクリエイティブとプロデュースの溝がどんどん深まっているようにも感じます。昭和、平成‥‥と「ツケがたまりきった」感じで。

 

 

 

私も長年の業界生活で、つい習慣で「撒く」とか言っちゃいます。「撒く」という言葉は現場では一般化し過ぎているので、何も、言葉尻を捕まえて排除し、「言葉狩り」をしようというのではありません。

 

ただ、4KHDRの新しい技術を扱ううちに、やっぱり人こそがクリエイティブの中心だと再認識しました。慣れや惰性では作れない新しい取り組みだからこそ、「人間という存在のリアル」を感じます。創作・制作における全ての物事は人が関与するがゆえに成立していることを、4KHDRは技術が新しく未知な部分が多いがゆえに、改めて心に刻み込みました。

 

いや、ホントに、令和は激動の時代かも知れません。

 

昭和で育って、平成で実がなって、令和で枯れ腐って落ちて、やがて新しい春が来て、地面から新芽が出る‥‥のかも知れませんネ。

 

 

 

 


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