掛け値無し

最初から一攫千金を目論んで、アニメーターになる人なんているのかな。

 

小さい頃からアニメが好きだ。アニメが描きだす空想の世界、アニメの世界に近づきたい、同化したい。キャラが動くのを自分で描いてみたい。

 

アニメーターになりたいと思う心は、掛け値無しです。

 

 

 

前回書いた、「封筒に50円玉1枚」のプロ報酬だって、当時の私は嬉しかったのです。

 

だって、アニメを作り出す一員に初めてなれたのですから。

 

美談にするつもりは全くないですし、むしろその後の強い「くさび」となるような「50円」でしたが、偽らざる当時の気持ちは「嬉しい」という感情のほうが優っていました。

 

掛け値無しだったのです。

 

 

 

私が中高生の頃は「うる星やつら」が全盛で、私も「ラムちゃん」を描いてみたいと思ったものです。‥‥私が描かせてもらえたのは動画時代に描いた「温泉マーク」だけで、私が原画として仕事を受注できるようになる頃は、うる星やつらのブームは終わってしまい、今日の今日までラムちゃんは仕事では描いたことがないです。

 

*iPad Pro(とApple PencilとConcepts.app)でラムちゃんを描いたお。本当はもっと「当時っぽく」寄せて綺麗に描きたいですが、とりあえずマーカーっぽいペンにて。

*現在、ガチガチに硬派でリアル系の絵を描くベテランも、ラムちゃんを描いてみた昔は‥‥あるでしょ?

 

 

ラムちゃんはともかく。

 

アニメへの憧れから入った人間も、いつしか技量の向上とともに描く絵が変わってきます。

 

つまり、人は成長し、描く絵も変わってきます。

 

皆が憧れだけで仕事を続けるわけではなく、技術と経験の蓄積とともに描ける絵、描きたい絵が変わってきて、アニメの表現はどんどん広がっていきます。

 

生きていればこそ、自分も全体も、発展の可能性が生まれ、豊かになります。

 

 

 

商業作品のアニメーターは、掛け値を無くすと、どんな気持ちが残るのでしょうか。

 

僕の、俺の、私の、描いた絵が動くのを、見て!

 

お金が稼げなければ生きてはいきません。綺麗事では済まない現実があります。

 

でも、何もかも削ぎ落とせば、残るのは「自分の描いた絵が動くのを見て!」です。

 

 

 

夢もあり、希望もあり、ときには野心もありましょう。

 

しかし、ある日突然、命が途絶えてしまったとしたら。

 

未来への夢が、打ち切られてしまったのだとしたら。

 

 

 

もし、「残留思念」(幻魔大戦みたいだけど)が残るとすれば。

 

 

 

たとえ、その人間、その人々の存在は消えても、その人たちが作った作品は存在し続け、観続けられて、愛され続けるのなら。

 

描いた人間は嬉しく思うでしょう。

 

掛け値無しに。

 

 

 

 

 


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