自分という境界線

自分の境界線の中にとどまって、外に踏み出さないばかりに、人生の時間を無為に過ごす人はそこそこ存在する‥‥と感じます。「非モテ」とか言う人は、自分の境界線の内側に立ち止まったまま、誰かが腕を掴んで引っ張っていってくれるのを待つだけなので、非モテな男のまま‥‥だということもあると思います。

 

女性の場合はどうかは男性の私が知ったクチを叩くのは傲慢なので言及しませんが、男に関しては、自分の境界線の中、精神的な安全地帯から外に踏み出さないからこそ、非モテだし、絵が下手だし(絵を描く場合ネ)、人のキモチもわからずにコミュ障害に陥るケースが多いんじゃないですかネ。

 

自分の境界線の外側。

 

自分のキモチは境界線の内側です。しかし、他人のキモチは、境界線の外側なので、どんなことになっているのかは解らないです。

 

状況が解らない未知のエリアには踏み出すのが怖い。‥‥なので、いつまでも自分の境界線の内側に留まり続けます。

 

たまに境界線の外側に一歩踏み出すと、なまじ外側を避け続けたばかりに、歩きかたも立ちかたも解らず、数歩でよろけて転んで傷を負います。

 

そんなブザマな自分を慰めるために、境界線の外側を茶化して「どうせそんなもの」と知ったような態度をとります。そればかりではなく、自嘲して自分自身すら茶化して、かすり傷を一生懸命舐めて、キモチを落ち着かせようとします。

 

そうして、いつまでたっても、自分の境界線の外に出れないまま、時間が過ぎ去ります。悪循環です。自分の境界線が、どんどん、どんどん、越えられないもののように思えてきます。

 

 

 

好意を寄せている人に「あなたが好きです」と言って、相手がどう反応するか‥‥なんて、いくら自分の境界線の内側で考え続けても予想できません。

 

「いや。わかっていたよ。自分がフラれるなんてことは。」‥‥と、また知った風なクチを叩いて、自分のキモチを自分で茶化して、自分を慰めるのです。プラスを夢見るとダメだった時にギャップが酷いので、最初からマイナスで考えて、状況を下方予測したり、早々に下方修正するんですよネ。

 

まあ、つまり、自分の境界線の内側に閉じこもって、ひとり遊びを続けているのです。

 

そんな状態で、他人から「あなたが好き」と告白されるのを夢見てるのだとすれば、「恐ろしく破綻した構造」なのです。非合理にもほどがあります。

 

外に出ずに姿を現さないのに、外側から自分の存在を認識してほしい、承認してほしい‥‥なんて、合理的な構造とは言えまい?

 

 

 

自分の境界線の外側に踏み出す‥‥というのは、恋愛に限らず、自分の能力の発展にも大きく作用する、極めて重要な行為です。

 

例えば絵。

 

色んな人の、色んな絵の、色んな描きかたに、ナマで接することで、「ネットで検索」よりも遥かに情報量の多い体験が可能です。どんなにネットで多くの絵が検索できても、どんな速度で描いているのか、どんな表情で向き合っているのか‥‥なんて、メイキング映像の僅かな断片でしか垣間見れないでしょう?

 

自分が「下手くそ」認定されるのは、そりゃあ、ヘコんで傷つきます。恋愛だと、フレらるのと同じです。

 

自分より明らかに絵が上手い人と接して、自分の下手さを痛感するのは、辛いことです。

 

でも、下手な自分、フラれた自分を、自分で再認識して分析するからこそ、上手くなれる自分、フラれないかも知れない自分へと、徐々に変わっていけるのです。

 

外界へ踏み出すからこそ、外界の風土に接し、世界の歩きかたも身についてきます。

 

 

 

これは「デジタル」も同じで、紙の世界ばかりに閉じこもっていると、進化し続ける世界の映像技術にはいつまで経っても踏み出せません。コンピュータによるペーパーレスの世界に踏み込むからこそ、新しい時代のアニメ制作のビジョンも見えてきます。

 

紙の世界に留まり続けて、いつか誰かが、手を引っ張って新しい世界に連れていってくれる‥‥と思っているのなら、それは残念ながら「ない」です。「行くつもりがないのなら、どうぞご自由にそのままで」と放置されるだけです。

 

 

 

自分の境界線を越えることは、誰しも不安で怖いものだと思います。「何があるか、解らない」という状態は、ワクワク以上にガクガクブルブルの恐怖が上回るかも知れません。

 

境界線の内側に留まっても、生きていけるでしょう。ですから、全員参加ではないです。非モテなら非モテのまま人生を送るのも、個人の自由です。

 

しかし、今の自分に限界を感じるのなら、境界線の外側に踏み出しましょう。

 

自分の限界とは、自分の今の境界線そのものです。境界線の外に踏み出して慣らして、境界線を拡張すれば良いのです。

 

一生死ぬまで、自分自身を定義し続ける「境界線」からは逃れられないと思います。しかし、境界線は一切変動のない静的なものではなく、自分のアクション次第でいくらでも動的に拡張できると実感します。‥‥私が20歳のままの自分だったら、今の自分の境界線の遥か狭いエリアに限定されていることでしょう。

 

境界線の外側はツラいことも多いけど、案外、包容力も許容も大きいもの‥‥ですヨ。

 

 

 

考えてみれば、アニメ制作会社、そしてアニメの産業すらも、まさに「過去の境界線」の中でもがき苦しんでいるのかも知れませんネ。

 

今までのエリアから外界へと踏み出し、境界線を拡張すべき時は、刻一刻と迫ってきているように思います。

 

 



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