「文化的で最低限度の生活」

‥‥とは、いかなる生活か。

 

ツイッターで見かけたこの文言。おそらく、発信者は「非文化的」な体験も、「最低限度」の生活も、体験したことがない人ではないかと思われます。一見具体的に思えて共感を呼びやすい言葉ですが、実感が言葉から感じられません。

 

特に有能でなくても頑張らなくても、文化的で最低限度の生活さえできれば、それでも良いじゃないか‥‥との趣旨らしいですが、20代の頃にあまりにもアニメの作画で稼げなくて電気ガス水道電話などの生活インフラが停止して「非文化的で最低の生活」を体験した私からいえば、「ありえない仮定」です。

 

「頑張らない人」が「文化的で最低限度の生活」ができる社会が良い‥‥ということも語られており、私には「その社会」がどうもリアルにイメージできません。どういう社会構造なのか、どんな人たちが支えるとそうした社会システムが成立するか‥‥が。

 

自分の得意分野を活かして、自分に能力が有能に作用する状況を形成し、日々の作業でできる限りのベストを尽くすことで、ようやく「文化的でほどほどの生活」が得られると実感します。

 

ガツガツ生きるディテールではなく、まったり柔らかい物腰であることと、有能か無能か、文化的か否かは、実はカテゴリーミステイクで混同しないほうがよろしいです。真に受けて、本当に無能で頑張らない自分を目指すと、文化的で最低限度を下回る未来へ続く放物線を描きますヨ。

 

文化的で最低限度の生活‥‥の基準て何よ。最低限度の境界線はどこ?

 

ピッキング防止のドアに自動制御の湯沸かし風呂と冷暖房完備、空き巣防止の窓、スマホでゲーム課金もできて、サブスクリプションで音楽や映像を楽しんで、食事は美味しいのが良くて、たまにはショッピングを楽しんで、交通機関は切符ではなくスマホでパスして、パソコンかタブレットPCでネットを閲覧して‥‥という生活が、2019年における文化的で最低限度あたり?

 

車は所有しなくていい、旅行や外食も控えめ、部屋の間取りも3LDKなんて必要ない‥‥と言いながら、上記の条件を満たすのならば、それって最低限度なのかな‥‥。私にはソコソコの生活に思えるし、実際にコストもかなりかかるでしょう。

 

 

 

自分の生活の無駄を一定期間で見直すことは良いと思います。

 

文化的な生活を目指すのも良いと思います。

 

しかし、最低限度を目指すと、十中八九、最低限度を下回ります。

 

自分では人より半分の「0.5」くらいの質素な生活で良いと思っていても、仕事も能力も生活も娯楽も「0.5」に設定してしまうと、例えば、4つの要素を掛け合わせると、

 

0.5x0.5x0.5x0.5=0.0625

 

‥‥になります。0.1以下です。0.1以下‥‥なんて、いわゆる「セルフネグレクト」な状態と言ってよいです。ゴミ屋敷です。

 

では、0.5くらいを目指すのなら、各要素はどのくらいの「頑張り度」が必要かと言うと、

 

0.85x0.85x0.85x0.85=0.52200625

 

‥‥で、「自分としては85点の頑張り度」じゃないと、「50点=半分」の状況にはなりません。

 

100%フルの自分を、ちょっとアクセルを緩めるくらいで、ようやく「100%な人」より半分の質素な生き方が可能です。つまり、そこそこ頑張ってこそ、「最低限度」の生活が維持できます。

 

ちなみに、「平均点」ではなく「掛け合わせ」なのは、要素は単体で機能するものではなく、絡み合って結びついて機能し、現実となるからです。ルッサーの法則ってご存知でしょうか。

 

 

 

思うに、毎月月給で安全地帯にいて、不満を抱えつつも生活できるくらいのお金を毎月必ずもらっていて、「本当の最低限度」なんて実感も体験もない人は、「質素な生活でも良いじゃない」とか口にしやすいのです。

 

フリーランスゆえに自分で仕事をもってこなければ、すぐに2ヶ月後3ヶ月後の生活費が危うくて‥‥なんて体験したことがない「月給」の人が、安易に「最低限度」とか設定しやすいですよネ。一度、フリーになってみれば? ‥‥そうすれば、稼げる時にどんどん稼いで、自分で自分の存在価値をアピールする必要性にも目覚めますヨ。

 

最低限度なんて目指しちゃアカンよ。結果的に最低限度を維持するのならともかく、目指すのはアカン。ホントにアカン。ヤバい。

 

 

 

私の母方の祖父は、めっちゃ質素で倹約家でしたが、弩級にストイックでした。物や道具は大切に使って安易に買い物をしないし、自分の足で行ける範囲なら交通機関は使わないし、テレビや娯楽をダラダラと垂れ流して時間を過ごさなかったし、孫を甘やかさないだけの隙のない厳しさを体現していました。

 

そんな祖父が質素を旨とする一方で、無能で頑張らない生き方をしていたかというと、全然そうではないです。手抜きや誤魔化しは一切しない人だったよなあ‥‥‥。孫にも厳しかったけど、自分にはもっと厳しい人だったと思います。

 

質素ながら、整然とした佇まいで生きるということは、祖父のような生活だと思っています。自堕落に、無能でいいや頑張らなくていいやなどと、甘やかしとは正反対です。

 

 

 

過度に頑張るのは自分を壊すでしょう。同じく、過度に自分を甘やかすのも自分を壊すでしょう。

 

人間は自分の限界を探りつつ頑張って生きて、自分の無能な部分ではなく有能な部分をブーストして生きて、ようやく最低限度をクリアして普通くらいになるのだと思ってます。

 

 


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