スキル獲得

最近、ツイートで「スキル獲得には体力も時間もお金もかかる。給料低く休みも少ないと、転職もスキル獲得も難しくなる。」という内容の文言を読んで、「基本的にはそうだろう」と思いました。よほど恵まれた環境でもない限り、体力も時間もお金も余裕がある人なんて、居ませんよネ。

 

どこかの御曹司かご令嬢でもない限り‥‥と書きかけましたが、私は御曹司の経験がないので、勝手な想像で書くのはヤメました。それに、大企業のお金持ちの息子や娘が全員、芸術的才能が高いわけではないところを見ると、お金持ちの子供は子供で、色々やることがあるんだと思います。

 

スキル獲得って、社会人になってからの話じゃないです。もう子供の頃から、「スキル獲得の上手下手」は表れ始めていると思います。

 

ツイートで見かけた、

 

「スキル獲得には体力も時間もお金もかかる。給料低く休みも少ないと、転職もスキル獲得も難しくなる。」

 

‥‥という文言は、逆に、

 

「体力も時間もお金もあれば、スキル獲得は成し遂げられるのか。給料が高く休みも多ければ、転職もスキル獲得も易しくなるのか。」

 

‥‥と言えるのかは、私は必ずしもYESとは言えないと実感します。

 

どんなにお金と時間があっても、遊びや酒に使ってしまう人間は結構多いと思うからです。

 

スキルを獲得するのが「得意」な人間は、限られた時間とコストと体力の使い方が違います。「手に入れたいスキルのために、時間と金を捻出している」人々を色々と見てきて思うのです。

 

何か、ストイックな精神論みたいな話に転びそうですが、全然そうではなくて、

 

自分の能力向上・スキル獲得に、お金と時間と体力を使わずにいられない「性格」

 

‥‥というのが、根底に作用しているように思います。

 

スキルの獲得、能力の拡張って、誰にでも向いている事柄ではないですよ。個人差がかなりあります。

 

本当は遊んだり酒を飲んでいたいのに、それらを我慢して犠牲にして、スキル獲得する‥‥なんて、そもそも本人の性格が向いてないのです。そしてその根本的な性格は、幼少の体験と環境に大きく影響されていると思います。

 

スキルを獲得するのって楽しい! もっと色んなことができるようになりたい! ‥‥と、本人の欲望がウズウズ渦巻くようでなければ、スキル獲得は辛いだけです。「生活のため」「年収アップのため」になって、それは「本人から湧き出るスキル」ではなく「資格獲得」程度のレベルに収まってしまうでしょう。

 

 

 

スキルを獲得する人って、どんなに疲れていても金も時間もなくても、必ず捻出して実現しちゃうんですよ。それはなぜかと言うと、

 

やらずにいられないから

 

‥‥です。欲しいスキルがあると、欲しくて欲しくてしょうがなくなるのです。これは、「遊びたい。酒飲みたい。異性とイチャイチャしたい。」という欲と同列で、何かを犠牲にするのではなく、単に「欲望のチョイス」なのです。

 

「体力も時間もお金もないから、スキルが獲得できない」と言っている人に、時間とお金を「どうぞ存分お使いください」と与えても、水を得た魚のようにスキルをどんどん獲得できるか?‥‥というと、結構難しい気はします。だって、「義務感」「焦燥感」だけじゃどうにも体は動かないもんネ。

 

「上手になるのって楽しい!!!」と子供の頃からの実体験が伴っていないと、単に打算に打算を重ねた「スキル獲得の皮算用」にしかならないもん。上手になることが好きで嬉しいからこそ、打ち込めるし、自分のコストも割けるのです。

 

絵が上手くなるコツ、ギターが上達するコツって、知ってるでしょうか?

 

他人が絵を描いてない時、他人がギターを弾いてない時に、練習すれば他人より上手くなりますよ。

 

人より練習すれば、人より上手くなる‥‥という、あまりにも単純で明快な理屈です。

 

手軽にそこそこ満足感を得られる遊びに逃げちゃう人って、ちょっと練習して上達しないと飽きて止めちゃう人なのよネ。「練習すれば」‥‥の先に進む前に、辛くなって飽きちゃうのです。「練習すれば、できるようになる」という喜びまで到達できないのです。

 

練習すれば上手くなる、さらに練習を重ねれば、無理だと思っていたことまでできるようになる‥‥という喜びを知ったら、それはいわゆる「欲望と快感」となって、遊びや酒につぎ込むのと同じように、自分の興味のある何かにどんどんつぎ込むようになります。

 

 

 

映画好きで将来映像産業に関わりたいと思っていた学生時代に、年間500本とか、信じられない本数を見た人は、映像業界には結構います。あの人も、あの人も、あの人も‥‥‥。1日1本以上観た計算ですよネ。

 

なにかの学校の課題や義務感で行動していたのではなく、「観ずにはいられなかった」と当人は言います。資格とか役職とか打算に基づく行動ではなく、好きだから観たい、もっと知りたい、もっと色んな作品の色んな表現を‥‥と止め処ない欲求・欲望が当人を動かすんでしょうね。

 

その時の行動は、打算なんて計算している隙間などなく、「もっと知りたい」「もっと観たい」という欲求です。「年収アップ」をあてこんで、映画を年間数百本観ていたとは思えません。

 

そうしたアクションがあって、結果的に自分の「能力拡張」の種まきのようなことをして、後になってどんどん芽を出して育って、自分の仕事の幅と内容を広げてくれるのでしょう。自分の従事する仕事の、通り一遍の技術しか習得していなかったら、それ以外の広がりなんて生まれるわけもないです。

 

私は年間数百本なんて観てはいませんが、それなりに映画の本数は若い頃に観ていました。米国の「コーラとポップコーンが似合う」娯楽系映画も好きでしたが、日本やヨーロッパのじっくりと観た後に余韻が残る映画も好きで、映像の文法を解き明かそうと、同じ映画を何度も見返して自分なりに分析したものです。映画そのものだけでなく、絵作りと音作りに興味が向いて、フィルム一眼レフを買った後は、月に30〜40本のフィルム〜フィルム代1万・現像代3〜4万=5万円の出費をするほどのめり込んで、CDもサントラやクラシックを買い漁って輸入のオーケストラスコアを研究しました。‥‥金もない20代の真っ盛りの頃に。

 

 

 

時間がない、金がない、体力がない‥‥という条件は、実は皆、そんなに変わらないと思います。

 

学生時代だって、イベントや誘いはいっぱいありましょう。働くようになってからは、もっと時間がなくなります。

 

「新しいことを覚える隙などない」と言いつつ、酒飲んだりゲームで遊んだりする隙はあるんだもん。そんな人は、隙を半分でも自分の能力拡張に回せば良いとは思う一方で、そもそも「新しいことを覚える喜び」を知らないのだから、時間と金がいくらあっても、「スキル獲得」には使わないのです。‥‥「スキル獲得」って思っている時点で打算が先にたっていますしネ。

 

酒やゲームも楽しいです。でも、自分の隙を全てそれで消費しちゃうこともないでしょう。「技術が上達」するのだって楽しいヨ。新しいことができるようになるのって、愉快ですヨ。

 

‥‥まあ、そこ‥‥ですよネ。「楽しい!」と、素で感じられるか否か

 

このあたりの実感は、先にも述べたように、幼少の体験が基礎を形成してしまっているので、何とも非情で残酷な「宿命」としかいいようがないです。

 

無理に自己啓発しても、無理が祟るだけだし。

 

 

 

何よりもまず、自分の性質を分析して、自分にあった発展方法を模索するのが肝要でしょう。「誰でも、時間と金と体力があれば、スキルが獲得できる」などと架空の前提条件を設定して信じ込んじゃうと、真に自分の向いている流れを見つけられずに一般論らしきものに苛まれたまま、何も手に入れられずに5年10年20年と経過して、気づけば40代になっている‥‥なんてこともありましょう。

 

令和は、ベビーブームの世代がどんどん高齢化する時代です。そのベビーブーム世代の中には、エスカレーター式で人生が上手くいくと思いこんだまま、実はあまり上手くいかなくて、令和にとんでもない貧困が襲ってくることも容易に想像できます。

 

そんな未来は避けたいですよネ。「収入増加のためのスキル獲得」なんて打算を打つよりも、今まで自分のしてきたことを冷静に決算して、未来の自分に何ができるのかを見つめ直す時期が、昭和生まれの人間に問われていると思います。

 

最近、ミシンを買ったんですよ。未来に少々必要になるように予測して、今からミシンのプロなんて無理ですが、過去から続く色々なベクトルが接する未来においては、ミシンの基礎くらいは覚えておこうと思いましてネ‥‥。もちろん、自分の服を縫うとかの目的ではなく、創作活動の一環です。収入増加に繋がるかなんて考えておらず、必要だから覚えるのです。

 

他人にどう思われようが、突拍子もないことだろうが、自分の過去のスキルが活きることを組み合わせて、行動するのがよろしいと思います。行動しなければ、少なくとも損失はないとか考えがちですが、状況分析が甘いです。行動しなくてもどんどん年老いて負のリスクが増えていくものです。どうせリスクはつきまとうのならば、行動しちゃえばいいじゃん。

 

時間と金と体力があれば‥‥なんていつまでも考えていると、10年経って50代、20年後には60代になっても、相変わらず「時間と金と体力があれば」と言い続けていると思います。今までそうだったのなら、未来に「奇跡的に時間と体力とお金に恵まれた」なんて状況が天から降ってくることはないです。

 

必ず、どこかに隙はあります。当人がその隙を見逃して捨てさえしなければ。

 

 

 


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