老化

子供の頃、何が嬉しかったかというと、「昨日できなかったことが、今日できるようになった」という実感、そして、その実感ゆえに、「今日できなかったことが、明日できると思える」ことです。

 

一方、歳喰って、何が悲しいかというと、「昨日できていたことが、今日できなくなっている」こと、そして、「今日できていたことが、明日できなくなるかも知れない」という不安と恐怖に日々晒されることです。

 

これは個人の問題だけではなく、技術や産業にも当てはまります。

 

アニメ業界のアニメ制作現場は、成長を続けているのか、老化へと進んでいるのか。

 

もし、以前可能だった技術や段取りが不可能になって、違う手段〜パッチあての作業で取り繕っているのだとすれば、確実にアニメ業界の老化は進行していると思われます。

 

まあ、色々と個人の実感や見解、感想はありましょうが、私自身の実感としては、アニメ業界の従来技術は確実に老化へと向かっていると感じます。過去可能だった色々な技術が現在不可能になっていたり、様々な新しいことへの柔軟性を著しく欠いていたり、いつだかに身につけたプライドにすがっていたりと、老化を示す要素はいっぱいあります。

 

自分が若い頃、爺さん世代のどんな面に呆れていたかと思い起こせば、「新しいことなんて必要ない。今までのやりかたで十分だ。新しいものは、胡散臭くてインチキだ」‥‥みたいな論調に凝り固まっていたことでした。「なんか、不自由ですね。新しい何かを取り入れてみて、良い部分は吸収し、悪い部分は直したり抑制すれば良いだけですよね?」と思っていました。

 

私に限らずとも、現在40〜50代の人が若かった頃、爺さん世代の「思考の凝り固まり」に対して、辟易していたんじゃないですか。‥‥そして、「若かった自分が歳をとった今」、似たような「凝り固まった老人」へとどんどん突き進んでいる‥‥のではないですか。

 

歳をとること、技術が成熟したことが、「新しいことを拒絶し、学ぼうとする謙虚さを忘れる」ことと同義なら、なんと絶望的なことなのでしょうか。

 

 

でも、希望なのは、肉体の老いと、ココロと技術の状態は、必ずしもシンクロしないことです。

 

歳をとることが、色々な視点から分析する慎重さを獲得することと同義なら、そんなに悪いことでもないです。

 

まあ、慎重さは、経験に頼りすぎて極性化(「こうあるべきだ」という強い思い込み)へと変質する危険性も持ち合わせているので、慎重さをさらに俯瞰で吟味する慎重さ(トンチみたいな話ですが)にも、年の功を活かしたいですネ。

 

 

新しい何かを盲信するのはよくないです。

 

新しい何かを頑なに拒絶するのもよくないです。

 

新しい何かを、ジャンクで稚拙で胡散臭いものだと捉えるのも、いかにも老いた証拠です。

 

例えば、AIを「完全に人と同じことが出来て、無人化を達成できる」なんて盲信するのは愚かだと思う一方で、AIの「何から何まで気に食わない」と拒絶するのも愚かです。AIの有用・有効な部分は取り入れ、人間じゃないと出来ない部分は人間の能力を用い続ければ良いだけのこと‥‥でしょ。

 

アニメ作品制作の初期、例えばテレビアニメの1960年代、アニメは今のような技術と品質を獲得していたでしょうか? 思い出しましょうよ。相当な、技術不足で、品質も危うかったですよネ。

 

過去の至らなかった自分(自分たち)を顧みずフタをして、謙虚さを忘れ、傲慢になって、新しい何かをあざ笑うのは、いかにも老いた証しです。

 

 

アニメ業界の老化なんてイヤですか?

 

だったら、まずは「古い習慣」から抜けて、ココロと技術の「錆びついた」状態から脱出しないと。

 

 

 

 


関連する記事

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2019 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM