芸と工場と

もしペーパーレスの作画環境が、「考えてみれば、自分は、制作会社のパソコンの前に座らないと、絵が描けないのかぁ‥‥。」と何か限界を感じるようなら、それは長期的にみれば、絵を描く当人にとって非常にマズい状況です。

 

これは何も、当座の仕事以外のプライベートな時間まで、絵を描きまくる必要があると説いているのではなく、絵を描く手段や機会が、「会社のパソコン」に限定され過ぎる危うさを説いているのです。絵を描いて一生生きるなんて、どう考えても生易しいことではないと思います。「作画工場にとって都合の良い絵ばかり」描き続けて、それで自分の生涯が成立するのかは、たまには考えてみることが必要と思います。

 

自分の芸は、自分で磨く。

 

芸で仕事をする。

 

私の両親はかつて共働きで、ふたりとも国家公務員だったので、このへんのニュアンスは伝わることがなく、会話をしても平行線のままです。おそらく、私は国家公務員の良し悪しを真に理解することができないように、私の両親も「絵を描いて映像を作って、自分の存在価値で仕事をする」という「芸」で生きる職業の良し悪しを真に理解はできないと感じてます。

 

絵に直接関わる人間は、たとえ会社員であっても、「芸能プロ所属のタレント」のような面を持つと思います。

 

「いや、そんなことはない」と言う人も中にはいるでしょうが、ではなぜ、「あの人に作監をお願いしたい」とか「あの人に美監を」「あの方に色彩設計を」という名指しの依頼がまかり通るんでしょうかね。明らかに、当人の「技量」「個性」「表現力」「経験」などを重要視して、作品作りのスタッフ人選をおこないますよネ。

 

受付の窓口、会計のレジ打ちなどの場合、「絶対にあの人じゃないとイヤだ!」だなんて、よほど変な客でもない限り、ありえないじゃないですか。

 

でも、アニメのスタッフ人選は、まるで芸能プロの「芸風に応じた仕事の依頼」を彷彿とさせます。

 

アニメ制作って、そうした視点からみれば、「工場」と呼ぶのは相当無理がある一方で、「工場的な側面」も多分に持ち合わせます。

 

悩ましいですよねえ‥‥。

 

 

あまり内部を知らない人は、動画工程以降はクリエイティブではない、工場型だ、‥‥とか言い出すのですが、よくもまあ、門外漢が知った風なクチで偉そうに‥‥と、本当の原動仕美撮の作業を知っている人は憤慨します。まあ、当然の怒りですよネ。

 

前にもこのブログで書きましたが、どこの工場に、一つ一つの製品の設計内容が全部違って、1つずつカスタムで対応しなければならない生産ラインがあるんだよ!‥‥と、考えればすぐにわかる事です。そんな状態は工場の生産ラインとは呼べんでしょう?

 

アニメ制作現場を工場と呼ぶのは無理があります。‥‥で、もしかしたら、その無理を無自覚に強行しているからこそ、昔から延々と続く報酬の問題が未解決のまま続くのかもしれませんネ。

 

では、そもそも前述の「工場的な側面」はどういうことか。

 

動仕枚数5千〜1万枚近く、本編の正味22分なら「24fpsx60secx22min=31680フレーム」の大量の映像1コマ1コマを、テクニカルエラーなしに完成させるという「大量の物量を処理する能力」においてのみ「工場っぽい」というだけです。

 

作画の場合、作監や原画マンばかりがスター扱いされますが(まあ、井の中の‥‥ではありますが)、動画はとても重要で、現在、4KHDRの毎日の作業でも、動画が美しいとどれだけ画面がハイクオリティになるかを、ひしひしと実感しています。「OOさんに動画か、動画検査をお願いしたい」と、ここでも「芸能プロ」のような名指しの指名が発生します。外面は「工場風」に見えても、内面は個人の技量がモノを言う「芸能」の世界です。

 

仕上げさんも全く同じで、臨機応変の判断力・処理能力は、経験と知識の賜物です。AIのプレゼンで「彩色はクリエイティブではないので、AIに向いている」的な報道記事を以前見かけましたが、報道上の意訳も作用しているとはいえ、無知にもほどがありますよネ。仕上げさんが、AIを「忠犬」のように慣らして、自分の作業の手助けに使うのはアリですが、決して無人の自動処理にはならんすよ。色彩設計さんだけでなく、色指定・仕上げ検査さんも、作品を意図通りに完成させるためには、名指しの指定になりましょう。

 

外部からフラリとやってきた人間の中には、浅知恵を遺憾無く発揮して「工場としての生産効率」とか言い出す人もいましょう。そして、必ず挫折する。‥‥まあ、当然ですわな。現場の中身は、決して工場と呼べる状態では無いのだから。

 

 

最近私は、「作画工場」という言葉をわざと使い始めましたが、それは「作画」に従事する人間に「違和感」が伝わることを意図しているからです。

 

作画の現場は、工場と呼べるのか?

 

工場の労働者という認識で、本当に良いのか?

 

‥‥まあ、他のジャンルでは、芸能工場とは言わんですもんネ。

 

労働や報酬の問題を語るにしても、まずは工場ではなく「工房」くらいの意識の幅をもたないと、話が最初からズレて噛み合わないようにも思います。

 

アニメの制作現場は、「誰に依頼しても良い」という仕事とは違って「作業者個人独自の性質」で判断されることが多いので、未来に必要なのは「能力のマネージメント」です。今までの慣習は過去のこととしてセパレーションして、新しいマネージメント方法が必要になりましょう。

 

私が以前から方法を模索しているのは、「ジョブオブジェクト」と「能力オブジェクト」をバインドする、プロジェクトマネージメントです。現時点では「ジョブオブジェクト」の自由な組み合わせによるダイナミックなワークフローを目下の目標としていますが、次世代は「能力オブジェクト」を合わせて、フィジカルコスト、ジョブ、能力の「3D要素」でマネージメントする方法をイメージしています。(まあ、かなり大変と思いますけどネ)

 

日本はさ‥‥、人海戦術では到底、海外とは渡り合えんですよネ。日本は、狭い国土と人口の限られた状況を、逆手にとった戦略と戦術が必要だと思います。中国の真似なんて出来ないでしょ。

 

日本は日本であって、小さなアメリカでも、小さな中国でも、小さなヨーロッパでもないです。

 

アニメを作る時も、実はソコが、一番のアドバンテージだと確信しています。

 

 

 

 

 



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