原動画と、新しい「手描き」と

現在、私はアニメの作画の毎日ですが、いわゆる「原画」は一切描いておりません。頼りになる旧知の方々に作業(〜タブレット作画)をお願いした場合は、「原画上がり」として上げて頂いて、ニュアンスの修正において「昔ながらの作監修正」はしますが、自らは原画は描かずに、新しい作画方法で作画する日々です。

 

タブレットでの原画作業をお願いした方々も、旧来の作画方法だけで今後の作画を支えるのは難しいし、もっと他の方法も取り入れるべきとの考えをお持ちです。今は、システムの未発達ゆえに「原画」という作業スタイルを踏襲しているけれど、新しい作画技術への意欲があることを、お会いした時に雑談がてらよく話します。

 

さらには、従来の「原画」作業から、「動画」作業を経た作業上がりのクオリティも、既に次世代の品質の基盤となる内容をもっています。旧来の「動画」と呼ばれる作業のクオリティは、未来の新しい作画技術へと繋がる基礎を既に獲得しているのを実感しています。

 

しかし、その新しい作画技術は、現時点ではインハウス、インサイドに留まります。なぜならば、「アウトソーシング」の基盤ができていないからです。

 

「アウトソーシング」、‥‥ものすごく、ぶっちゃけて言えば、「単価」が決まっていないからです。

 

単価の制定方法は、既にもう何年も前からアイデアがあります。アイデアと言っても、思いつきではなく、長年温め続けた、すぐにでも取り組み可能な具体的なアイデアです。

 

単価には「正当性」が必要だと考えます。

 

口パク1枚と、顔全体の1枚が、同じ単価なんて、あまりにもどんぶり勘定過ぎます。

 

初級作業者と、中堅作業者と、ベテラン作業者のそれぞれの技量による「結果物のクオリティ」が単価に考慮されないのも、大雑把過ぎます。

 

旧来のアニメ作画は、めまいがするほど大雑把でズボラな単価計算で成り立っており、新しい作画技術は、決してその悪習を踏襲してはなりません。

 

内容の重さ・軽さ

作業品質の高さ・低さ


‥‥なぜ、そうした当たり前過ぎる「価値の違い=お金の違い」を、単価に反映できないのか。

 

旧来現場だって、実はコンピュータの力をもってすれば、かなり「いい線」まで「変動単価のシステム」を実現できると思います。

 

でもねえ‥‥、従来現場の古い作業習慣を仕切りなおすのに、新しい技術を志向する私が関与しても変でしょ? 従来作業習慣の中で生きる当事者が決めれば良いことです。私がちょっかい出すのは、いかにもお節介ですわな。

 

 

一方、新しい作画技術における、新しい作業基盤は、全くのゼロから仕切ることができます。であるならば、「大問題を抱えた単価制度を踏襲する必要など、全くない」です。

 

新しい技術には、新しいお金の基準。‥‥私の「お金」に対する関心ごとの本命はソコです。

 

上手くなればお金がもっと稼げんるんだ。頑張ろう!

 

大変な作業は、ちゃんとお金がいっぱい出るんだ。自分の技を活かして頑張らなくっちゃ!

 

‥‥こんな当たり前なことすら実現できない単価制度のままで、どんな明るい未来が期待できますか? 今の制度のまま単価を上げても、「楽なカット」と「大変なカット」の落差がさらに極端化し、大変なカットを作業する人間はもっと報われなくなりますヨ。

 

致命的で破壊的な単価制度を抱えたまま、新しい作画技術を広めていくつもりはないので、今はインハウスにとどめているのです。

 

新技術の成長戦略としては、「次のステップ」になりましょう。ちゃんと開発(=画像と作業条件から単価を「動的」に割り出すシステム)にもお金を注いで、未来の希望が持てる現場、仕事を出す側も受ける側も「ちゃんと納得できる」基盤を作るのが、次のフェイズです。

 

 

 

 

ここ数日、アニメ関係者のツイートで話題になったお金の話は、あくまで「今までの作画技術が不動無比」の意識で話されていて、ちょっと何だか、ガッカリ。

 

新しい技術でアニメ作りの基盤から変えていくんだ!‥‥という意識を持つ人はほとんど存在せず、かたくなに単価の話に終始していれば、そりゃあ、水掛け論にもなりましょう。

 

1話につき何千枚も動仕をする技術体質を変えずに、単価を10倍近く、6〜8倍にしたら、どうなるでしょうかネ。誰が考えたって、猛烈に制作費は膨張することは予測できますよネ。

 

1カット3万円x350カット=1050万円

動画1枚1200円x8000枚=960万円

 

単純にカット数+動画枚数で2010万円。2000万円オーバーに恐れをなし、カットを300カットに抑え、動画枚数を4000枚に抑えても、900+480=1380万円です。単純な原画と動画の合計だけで、です。

 

これに加えて、作画監督や動画チェック、さらにはメカやエフェクトの作監や、総作監の費用まで追加されますが、そのセクション監督費も相応に値上げが必要です。テレビではなく、劇場だったら、もっとすごいことになるでしょうネ。

 

「いや、そんな、テレビで、3万円とか1200円とか、ふっかけ過ぎでしょ。もう少し、現実的な‥‥」とか言う人は、じゃあ、いくらなの?‥‥です。

 

200〜300円の動画単価が400〜500円になって、問題解決する? 4〜5千円の原画カット単価が、5〜6千円になって、改善はどれだけ見込める?

 

「おためごかし」の「ちょっとお金をアップしました」なんて、改善効果や問題解決にほとんど貢献していないのは、もうわかりきっていますよネ。

 

さらに深刻なのは、大変なシーンばかりブッ込まれるアニメーターは、芝居シーンばかりを作業するアニメーターに比べて、極端な収入の落差が「かえって生じる」ことです。‥‥なぜ、そこを問わずに、ちまたでは単価だけの話にご執心なのか。

 

私が動画の新人だったころ、「メカやエフェクトが好きです!」とか「言わなきゃいいことを言っちゃった」ために、メカの動画ばかり来るようになって、全く枚数が稼げなくて、そんな様子を上の人が不憫に思ってくれたのか、ロングサイズのキャラ芝居の動画を回してくれたんですが、驚くように枚数が上がりました。

 

巨大ロボ1枚も、ロングのちっこいキャラ1枚も、皆同じ単価の業界システム。

 

「なにこれ? この理不尽さは何なの?」

 

たとえ上がる枚数は少なくても、大変な内容に応じた単価が設定されていたら、その当時の「圧倒的な不信感と猛烈なわだかまり」は生まれなかったでしょうネ。‥‥どうなの、その辺? 変えていく気、ある? 単価だけ上がればそれでオーライなの?

 

これは発注側だけの問題ではなく、お金の話になれば、一律単価制であることをすっかり忘れて、単価だけの話で盛り上がってしまう受注側の問題も大きいです。「単価そのもの」と「一律単価」の問題は、セットで考えないと、ダメでしょう?

 

 

 

 

私は今では、主軸を新しい作画技術、CO/KFアニメーションに移しているので、そちらの「正常な発展」が重要な主題です。

 

新技術、すなわち、原画動画ではない、新しいタイプの手描きのアニメです。

 

前述の単純計算の通り、旧来現場の単価を「社会一般のレベル」(=バイトやパートの時給に、特殊な専門職の報酬が劣らない金額)にまで引き上げるのは、アニメ業界のツイッターでのやりとりをみるに、相応の困難が予想されます。いつまでも、ツイッターで愚痴りながら待ち続けるのは得策でしょうか? 誰かが変えてくれるのを待っているだけ‥‥が本当に最善の解決策ですかネ?

 

新しい技術に移行して、新しい秩序と基準を作れば良いのです。お金の問題も仕切り直しです。

 

新しいがゆえに、技術の成長は順次必要です。ですので、四つん這いで歩いていた乳児が、二足歩行できる幼児へと成長、やがて駆けずりまわって、言葉も覚え‥‥と、可愛い我が子のように育てるがごとく、「栄養にも気を使って」、技術を育てています。

 

旧来の作画工程は、

 

genga

douga

 

‥‥というジョブ名ですが、新しい作画工程は、

 

md

fd

cd

 

‥‥という全く違う略語です。略語なのでもちろん「略する前の正式名」はありますが、この辺りの話題はまだ詳しく書けなくて、申し訳ないス。現時点でベラベラ喋るわけにもいかんのですが、要は、もはや「原画」でも「動画」でもなく、新しい「手描き」の作画ジャンルが工程として定まりつつある‥‥ということです。

 

原画をKey、動画をInbetweenなんて、無理に本家の言い回しに戻さなくても、もう旧来の日本のアニメ技術は「GENGA」「DOUGA」で良いと思います。「KAWAII」みたいに。

 

新しい作画技術の工程と、旧来の工程とを混同しないように、明確に「ジョブ名=仕事の呼称」も変えています。

 

新しい技術は、名前を与えられた時、覚醒するのです。‥‥何だか、巨神兵みたいネ。

 

ちなみに、レイアウト、美術、彩色はそのまま健在です。手描きでアニメを作る以上、美術と彩色がなくなるわけがないです。また、「撮影」という工程は消滅し、新たな作業工程に分割されますが、コンポジット作業はもちろん存在し続けます。

 

 

*知る人ぞ知る「4人のライダー」。こんなことにならずに、新しい技術へと優しく転換できると良いんですけどネ。

 

新しい時代の技術には、新しいアニメの技術。そして、新しいお金の基準。

 

車両の動力源が、馬匹だった頃、新しい時代の交通に対応するために、1〜2馬力だったのを10馬力にするために、10頭だての馬車にするのは、愚かしいことです。馬を5〜10倍に増やしたら、道の周辺はどんなことになるか、考えてみれば解りますよネ。

 

新しい時代の動力源を活用しましょう。馬を増やす発想から逃れて、ピストンエンジンや電動機を導入しましょう。

 

紙と鉛筆、A4〜B4用紙、何千何万の作画枚数にも及ぶ「作画エンジン」を、新しい時代の「作画エンジン」に変えていってこそ、新しい社会に順応できると確信します。

 

新しいエンジンを搭載した新しい車両を運転して、新しい映像表現のフィールドへと走り出すのは、あくまで人間です。無人にはなりません。

 

人間はいつでも健在。‥‥変わっていくのは時代、そして表現技術のエンジン部分です。

 

 

 


関連する記事

calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< May 2019 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM