オマエとオレ

業界関係者のツイートで、罪の重さのシーソーゲームを演じているのを見ると、まずはそのシーソーの上から降りることが必要なのかもな‥‥と思います。

 

若い人間は、

 

ベテランが教えてくれないから、自分たちはできない

年長者が今の低賃金の元凶を作った

 

‥‥という一方で、年長者は、

 

若い人間は待っているだけで自分から学ぼうとしない

自分が若い時も同じで元凶は年上の責任だと思っていた

 

‥‥と、「自分は悪くない合戦」を見ていると、「ああ‥‥。この考えに囚われているうちはどうにもならんな‥‥」と妙に観念します。

 

「罪の重さのシーソーゲーム」「自分は悪くない合戦」は、アニメ業界というよりは、人間の業なのかも知れませんネ。

 

罪をなすりつけ合うのも、これまた共依存の1つのカタチでしょう。

 

共依存が成立するのは、当然ですが、依存する対象があるからです。それが憎しみの対象であろうと、憎む対象がいる時点で依存しています。そもそもアニメ業界のシステムにどっぷり浸かって、原画の仕事をしている時点で、かなり強い依存性が生じます。ストックホルム症候群と言っても良いくらいです。

 

では、もし業界のシステムなどない、新しいシステムでアニメを作る場合はどうでしょうか。未開の荒野に鍬を下ろすとこから始める場合、どこの誰に依存できましょうか。

 

新しいシステム作り、新しい技術の構築、新しいプロジェクト‥‥は、自分たちだけが頼りです。誰のせいにも出来ません。自分ががんばらなきゃ!‥‥のそれだけです。

 

共依存状態が本当に嫌で抜け出したいのなら、シーソーから降りてみてはどうでしょうか。合戦から抜けてはどうでしょうか。原動仕の枠組みから抜け出てはどうでしょうか。

 

 

 

 

未来の映像技術、映像の品質基準は、上がることはあっても、下がることはありません。

 

現場の今の作りかたを続けると、破綻するのは目に見えています。

 

馬の時代に、2頭立て、4頭立ての馬車だ‥‥と言ってたのが、これからは100馬力必要です‥‥と言って100頭立ての馬車にはしませんよネ。「動かす力」について概念から変えなければ、時代の変遷に取り残されます。

 

「4頭立ての馬車」の中で、「罪の重さのシーソーゲーム」「自分は悪くない合戦」を繰り返しているうちに、世界はどんどん変わっていって、馬車に乗り込んでいたメンバー全員が馬車の外に出てみたら、すっかり世界は変わっていた‥‥なんてことだって、普通に予想できます。「いまどき、馬車に乗ってるなんて、珍しいですね。さぞ馬の維持費などお金がかかるでしょう。ひょっとして凄いお金持ちの方々ですか?」とか言われて呆然するかも‥‥知れませんヨ。

 

狭い馬車の中で、「お前が悪い。自分は悪くない。」合戦を続けて、‥‥さて、その馬車はどこに向かうのでしょうか。

 

馬車から降りてアスファルトの地面に立った時、「やべェ。自分たちは長いこと、罵り合うことに時間を費やしてしまった。もっと違うことに時間を使うべきだった‥‥」と後悔しても時間は戻りません。

 

 

 

年長者、ベテランは、自分たちが獲得した技術だけに凝りかたまるのではなく、様々な技術の可能性や発展性を考慮し、技術に対して常に謙虚であり続けること。

 

若い人間は、教えてくれるのを待つだけでなく、自分からアクションを起こして、新しい方法論を日々模索し実践すること。

 

年長者が若い人間から聞かれた際は、自分の経験と技術の全てを動員して答えるべき。

 

若い人間は待ってばかりいないで物怖じせずに、年長者に積極的に質問しにいくべき。

 

年長者は答えることに対してめんどくさがらないこと。若い人間は聞くことに対してめんどくさがらないこと。

 

‥‥ただ、これだけで良いんだけどネ。

 

でも、双方が双方、何だか腰が重いし、面倒くさがり屋だよネ。

 

 

 

若い人間は、自分でトライして考え抜いて、どうしても解らないことを、年長者に聞けば良いのです。「検索エンジン」みたいに安易に他者を扱うような態度の人間に対して、誰だって誠意をもって応える気にはならないものです。当人の考え抜いて頑張りぬいた痕跡が読み取れるからこそ、教える側は自分の過去がフラッシュバックして、「ここで自分が教えなきゃ誰が教えるのか」というキモチになるのです。年長者を「知りたいことへのショートカット代わり」にしていると、年長者は当人の傲慢さを見抜くものです。

 

年長者は、若い人間を糞味噌一緒で捉えず、個人個々の要素と向き合うことです。味噌を糞として扱うような年長者は要りません。若い人間の描いた絵を見れば、何に注意深くて、何に浅はかかは、年長者なら見抜けるでしょう。自分が浅はかな若者だった時、年長の先輩は、自分の何を褒めてくれて、何に対してさらに観察せよと教えてくれたのか、自分が年長になった今、よくよく思い出して若い人に接するべきです。

 

人との出会いは、人生を変えていきます。

 

私は20代の頃にいくつもの制作会社に詰めましたが(フリーランスが会社に席を借りて作業することを「詰める」と呼びます)、内容は様々でした。単に作業が終わるまでの期間だったこともありますが、自分に深く影響を及ぼす濃厚な学びの期間だったこともあります。全く馴染めないこともありましたし、馴染みすぎるくらいに馴染んだこともあります。

 

社員で終身雇用で‥‥みたいな働き方だと、アニメーターの視界は社内に限定され見識を広められないようにも思いますが、一方で、全ての人にフリーランスの報酬形態が適しているとも思えません。

*社会の大人の多くは、色々な手続きを所属組織まかせ(給料天引き)にしているので大人ぶっていられるだけで、皆がフリーランスになったら申告漏れ・納付漏れの続出でしょうネ。

 

なので、留学生ならぬ留学スタッフのような仕組みってできないものかと、最近考えるようになりました。まあ、会社間の取り決めが必要なので簡単にはできそうもないですが、アニメ会社は自力で全てを作れるほど、社員数が大規模ではないですし、例え大規模であったとしても技術指向に偏りが生じやすいですから、技術提携的なしっかりとしたスキームで、会社間を超えた連携協力体制もアリかと思います。

 

昭和はゴールデンタイムの子供向けアニメ、平成はオリジナルビデオアニメーション(OVA)と深夜枠のアニメ。‥‥であるならば、新しい元号には、新しいアニメの形が現れるでしょうし、その片鱗はすでに見え始めていますよネ。

 

新しい未来の状況を前に、誰しも未知のフィールドに進むのなら、年長者だからとか、若い人間だからとか、「罪はオマエにあり、正しいのはオレ」とか、足元を突きあってツベコベ言ってる場合ではないです。

 

皆が知らない未来へと、皆が進むのですから。

 

 

 


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