集団思考

現在はWikipediaなどのインターネットの辞書・百科事典のようなコンテンツが豊富で、内容の信頼性の問題はつきまといますが、概要を即座に検索できる、恵まれた時代です。まあ、印刷媒体であっても必ず信憑性の高い情報とも限らないですから、複数の情報を総合的にジャッジする習慣があれば、今は便利さが際立つ時代とも言えます。‥‥そのインフラ充実のために、間接的に相応の対価を支払っていますしネ。

 

「集団思考」というコトバも、調べればその意味を色々と知ることができます。

 

集団思考とは、Wikipediaによれば、

 

集団で合議を行う場合に不合理あるいは危険な意思決定が容認されること、あるいはそれにつながる意思決定パターン

 

‥‥とのことです。会社などの組織に限らず、業界全体にもあてはまる事柄です。

 

アニメ業界は、実はとても団結力が強いです。国民的某アニメ会社が解散することになった時も、世間一般に対して情報公開される少なくとも半年以上前から業界では噂になっていましたが、業界外の人には全く漏れませんでしたよネ。ツイッターとか気軽な手段があるにも関わらず漏れませんでしたし、業界の人々の「口が固い」ことに改めて驚きました。

 

思うに、集団思考的な観点では、アニメ業界は2020年代の転換期において、「集団思考の罠」にハマりやすい状態と言えます。

 

  1. 団結力のある集団が、
  2. 構造的な組織上の欠陥を抱え、
  3. 刺激の多い状況に置かれる

 

まさに2020年代のアニメ業界。

 

Wikipediaではさらに、以下の「集団思考の兆候」を挙げています。これもアニメ業界にピッタリはまります。

 

自分たちの集団に対する過大評価

>集団固有の倫理に対する信仰

 

閉ざされた意識

>集団による自己弁護、集団外部に対する偏見

 

均一性への圧力

>意見が集団内の合意から外れていないかを自ら検閲する行為、全会一致の幻想

 

  1. 目標を充分に精査しない
  2. 採用しようとしている選択肢の危険性を検討しない
  3. いったん否定された代替案は再検討しない
  4. 情報をよく探さない
  5. 手元にある情報の取捨選択に偏向がある
  6. 非常事態に対応する計画を策定できない

 

 

本来、様々な人間の、様々な思考が集まることによって、合理的な決断を見出せるはずが、集団思考の典型に陥って、結果的に大敗北・大崩壊を喫する‥‥なんてことは、70年前にもありましたよネ。「みんなで意見を出し合えば、きっと、みんなにとって良い方法が見つけ出せる」‥‥なんていう小学校の学級会ノリを、イイ歳した大人が討論番組のまとめで言っちゃうのが、日本の国民性の良いところでもあり悪いところでもあります。

 

 

 

知識の乏しい集団が、まるごと誤ったジャッジをして、丸まんま皆で誤った方向に進む‥‥なんてことだってありえましょう。

 

例えば、小学校のクラスで「この楽譜はおかしいです。フラット記号が2つもついています。シを2回半音下げるのなら、ラと書けば良いと思います。」と誰かが言い出して、担任の先生も音楽には詳しくないので、「たしかにおかしいね。シではなくラと最初から書こう。」なんて言い出して、ほぼ全会一致となった‥‥とします。

 

ピアノと学理を学んでいる、たった一人の子が「おかしくありません。音階における臨時記号としては正しい記譜法です。」と言っても、「実際に鳴っている音はラでしょ? だったら、最初からラと書くべきだ」と子供たちも担任も聞く耳をもたず、その場では「ダブルフラットは誤りだ」で決着しました。

 

後日、音楽の先生に聞いたところ、「ダブルフラットで正しいです。たしかに即物的に鳴っている音はラですが、作曲者の意図と音階上の理屈ではシのダブルフラットになります。」と言われて、一人を除く全員の子供たちはおろか、担任の先生まで間違っていたことが判明しました。

 

*例えばEフラットマイナースケールの上記の「シのダブルフラット」で言えば、実際に鳴っている音の問題ではなく、II7 > V7 > I という2段のドミナントモーションの過程での第4音(Vへの導音)と見るか、気だるく上がりきらない第5音と見るかで、作曲上の意図やスケール上の解釈が異なります。ラの音か?…ではなく、4のシャープか、5のフラットか…が重要なのですネ。

*初心の頃は、ダブルシャープもダブルフラットも、いわゆる異名同音・エンハーモニックの理屈がわからないものですが、和声進行やスケールを学ぶようになると自ずと理解できるようになります。

 

 

集団思考の危ういところはまだ先があって‥‥

 

「音楽の先生まで巻き込んで正当化を謀るとは、なんという恥知らずめ。皆だけでなく担任の先生にまで大恥をかかせやがって。」

 

‥‥と全くメチャクチャで合理もクソも見境いのない「感情論」へと推移し、皆と異なる意見を述べた子供一人が悪者に仕立て上げられます。

 

 

 

いやだね。うんざりするね。‥‥でも、ありがちだよねぇ〜〜〜。

 

分析や理屈よりも思い込みや感情を優先する、さらには、合理性よりも習慣性を優先する、外界と途絶し閉鎖された集団の「悪い部分」の見本みたいなもんです。

 

多数決や全会一致が有効なのは、あくまで、各個人独自の「色々な価値観や知識や経験」のバリエーションが集まった場合です。皆が似たような意識を持ち、経験も知識も共通した状態では、集団そのものに偏向が生じて、多数決は単に「総意の確認」にしかなりません。

 

何を選ぼうが他愛のない案件ならともかく、正否をジャッジする案件、または、未来の運命を決する案件において、「多数決」はあまりにも危ういです。多数決は万能ではなく「時と場所を選ぶ」のです。

 

 

 

まあ、だから、集団の全会一致はそもそも危うきと意識して、「採用しようとしている選択肢の危険性を検討」して、「いったん否定された代替案は再検討」して、「情報をよく探」して、大多数の意見が果たして合理的な選択足り得るかを自己批判する「戒め」が必要です。

 

そして、指導者も「全知全能を気取らないこと」が重要です。何でも知っているフリをしたら、引っ込みがつかなくなるでしょ。‥‥かっこ悪いのを取り繕おうとして、さらにかっこ悪い勘違いや見識不足を上塗りする必要はないです。年長者だからって、何でも知ってるフリをする必要はないです。

 

自分、そして自分たちは、「何を解っていないのか」をまず認識することが大切でしょうネ。

 

年長者の重要な役割は、「解ってないことを自覚できる謙虚さ」を若い人間に継承することでしょう。現場慣れすると、とかく何でも知ったような気分に陥りがちですが、それがとても浅はかで視野の狭い事だと意識できるようになれば、新しく押し寄せる状況にも柔軟に対応できましょう。

 

知ったかぶってると、未知の新しい物事を前に、素っ頓狂な醜態を演じ、さらには、自分らの未来を潰すきっかけともなります。

 

成功体験に酔いしれるままでは、未来は拓けません。従来のパターンでは通用しないことも多いです。

 

 

 

この世には「集団思考」というものがある‥‥と、自らを意識することができれば、集団思考の落とし穴へと呑気に落ちにいくようなことは、最低限防げる‥‥‥と、思いたいですが、一方で、あまりにも大きな集団は意識を浸透させる事自体が難しいのも事実ですよネ。

 

 

 

 


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