尺、デュレーション

アニメ制作現場の人間はカット番号の先頭に「C」を付けたがる。開発の人間は「C」はCパートのCと紛らわしいから外したい。これはもう、それこそ20年前の話題ですが、今でもc001とかc250とかファイル名に付けている現場はそれなりに見かけます。

 

「キャプテンクックのCパートのカット168c」なんて、今までの#とcで表記したら、

 

cc#cc168c

 

‥‥となります。#とcを使いたいがばかりに、それはもうCだらけのカット番号になりますネ。

 

カット番号の決め事という些細なことではありますが、そんな小さなことでも、現場の慣習に対して、「変えよう!」と強く言えるのは、現場の人間なのです。決して、門外の人間ではないです。

 

つまり、現場の人間が変わろうとしなければ、どんなソリューションを導入しようが、現場は変わりません。もし、現場の人間が「今までこれでやってきたんだから」なんて言いだしたら、新しい元号になっても昭和の技術からステップアップすることは難しいです。

 

現場が自らの過去の慣習や技術を自己批判して、昭和・平成のやり方を変えていくことで、2020年代の未来をリアルに生きていけましょう。

 

 

 

現場で日々耳にする「尺」。フィルムの「尺=長さ」に由来し、今でも使われ続ける慣習上の用語。

 

私は以前、atDBというアニメ撮影に関わるデータベースを実働させるにあたり、様々な要素や用語を規定していました。その中で、現場で「尺」と呼びあらわす要素は、色々と考えを巡らしました。

 

総尺。カット尺。

 

尺とは、言い換えれば何? タイムシートには「Time」欄がありますが、あれはカット尺?

 

では、絵コンテ上では6秒で、前カットと1秒のOL(クロスディゾルブのこと…これもアニメ現場ならではの慣習・方言ですネ)があった場合は、尺は6秒?、それとも正味の6.5秒?

 

「尺」って、具体的なようで、実は結構曖昧です。

 

なので、色々と考えた末に、以下のように定めました。

 

 

 

アニメ制作現場で使われてきた「TIME=タイム」、一方、映像ソフトウェアではおなじみの「DURATION=デュレーション」を、あえて使い分ける‥‥という、いわば「苦肉」の方法です。

 

TIMEは時間、一方DURATIONは継続時間とも訳されます。まあぶっちゃけ、同じと考えても良いものですが、アニメ制作現場にはデュレーションという言葉が普及していないことを利用して、

 

TIME=映像作品全体の中における、カットの時間の長さ

DURATION=ムービークリップ(カット個々)の継続時間

 

‥‥ということに決めて運用しました。

 

DURATIONは必須、TIMEは任意の値にして、

 

DURATIONの値しか存在しない場合は、TIMEは同一

TIMEの値しか存在しない場合は、DURATIONは同一(atDBアプリが自動でTIMEからDURATIONに値をコピー)

DURATIONとTIMEの値が両方あって、同一の場合はトランジションなし

DURATIONとTIMEの値が両方あって、不一致の場合はトランジションあり

 

‥‥のような判断基準のルーチンを実装しました。実はもっと細かいですが、基本はこんな感じでした。

 

ちなみに、トランジション(カットが変わる際の映像効果)はキーとバリューの連想配列になっていて、

 

OLI=1+0, OLO=1+0

 

‥‥となっていたら、カット頭OL 1+0、カット尻OL 1+0 という内容です。TIMEとDURATIONの「つじつま」があっているかを演算するルーチンも実装していました。もし不正な値の場合は、作業者と撮影監督に警告する仕組みもアプリ(ヘルパーソフトや集計ソフト)に仕込んでありました。

 

 

こうした取り組みをしていたのは、もう10年以上も前のことです。その頃から現在まで、アニメの制作現場全体としては相変わらず、自動化や作業のデータベース化、ネットワーク活用は、果たせぬままです。

 

旧来の現場に変革の見込みが感じられないと悟った私は、もはや「撮影」という作業から離れ、「撮影」の存在しない新しい枠組みで、新しい制作システムを準備しています。

*カメラレンズを覗いて撮影監督をしている実写の方々と一緒に仕事して話すようになると、アニメの「撮影監督」の肩書き、しかもご丁寧に「Cameraman」「Director of photography」なんて英名までついていると、なかなかに気まずいものがありました。今のアニメは、カメラ・フォトグラフ‥‥ではないもんなあ‥‥。たしかにフィルム時代までは「撮影監督たり得た」でしょうが、今は‥‥。

*「セル」はまずもうセルロイドでセルを作っていた時代は遥か昔だし(素材はセルロイドではなくアセテートですよネ)、素材そのものも現役ではないですから、「ログ」(丸太)と同じ感じで使っても問題はなさそうです。しかし「撮影」「撮影監督」は、実際にカメラを使う実写の「リアルな撮影監督さん」が多く存在するので、未来のアニメ制作現場は、もっと他の言葉を使うべきと私は考えます。現場が「撮影」という言葉をやめて、もっと現実味のある言い方に変わった時が、現場自らが転換期・変革期を主導する兆候の1つ‥‥だと思います。

 

 

アニメ制作現場で実際に作業する人々が、過去の慣習とどう向き合うか。

 

存続する慣習、変えていくべき慣習、廃止する慣習を、まさに当事者として、率先して取り組んでいかないと、‥‥まあ、新しい元号になっても昭和時代の作り方とお金と待遇はさして改善できないでしょうね。昭和時代の基本構造を引き継ぐ以上は、昭和の問題点も引き継ぐことになりましょう。

 

日本大手の「製作」元は、旧来のアニメ制作に対しては「現状」を維持する一方で、3DCGには積極的に投資をおこなっている‥‥とも聞き及びました。まあ、情報はあくまで情報として冷静に分析しますが、「いつまでも変わらない人々」に対して、見切りをつけ始めている‥‥としても、想像に難くありません。

 

アニメ制作は、大自然の農耕とは真逆の、人工的で100年前後の浅い歴史しか持ち得ません。数十年後には他の技術の娯楽に取って替わられて、消滅していることさえあり得ましょう。

 

人間は飯を食わなければ死ぬし、飯のために戦争もしますが、アニメを見なくなっても人々は死にません。もしアニメ制作諸問題の結果、下火になったとしても、人々からは「最近、見なくなったね」で放置して忘れ去られるだけです。かつてアニメが提供していた内容を、他の何かが代わって提供するようになるでしょう。自分自身を振り返って考えても、「そういえば、昔熱中したアレ、最近見かけないな」なんていくらでもありますよネ。

 

‥‥であるならば、何をもって、アニメの存在意義を示すのか。

 

私自身は、アニメの存在意義も独自性もハッキリ認識しています。国内、国外、アニメも実写も3DCGにも関わってきて、内側からも外側からも見た上で、日本のアニメの有利な点・Uniqueな性質を明確に認識していますが、アニメ業界の制作現場の人たちは、明確に自覚できているでしょうか。

 

盲信したり過小評価せずに、何が優位で何が劣っていて、ゆえに何を伸ばせば良いかを、冷静に分析できているでしょうか。漠然と日本のアニメ業界が作るから、日本のアニメだ‥‥なんて思っていませんか。

 

窮状を外部に訴えることも必要でしょうが、昭和の終わりから30年経過した2019年の現在、自分たち自身に「作り方の根本」を問うて訴える必要がある‥‥と、少なくとも私は思っております。

 

 


関連する記事

calendar

S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
<< August 2019 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM