配列、オブジェクト指向

私は昔、「レイヤー」という考えに馴染めず、Photoshopを仕事で使い始めて半年くらいはレイヤーを使っていませんでした。プレステのゲーム攻殻のOPで、素子の周辺に火花が飛び散るカットがありますが、あれはAnimoから出力した連番画像ファイルに直描き(レイヤーとか使わずに)でエフェクトを描き足しました。

 

まあ、後になって考えれば、レイヤーを使わない分、効率的だったとも言えますが、頭が固かったとも思います。現在、レイヤーを使わずにPhotoshopを使うなんて、普通に考えてありえません。

 

‥‥そもそもアニメ制作ではAセルBセルと素材を重ねて絵を作るのですから、なぜ自分が馴染めなかったのか、考えてみると「レイヤーという用語に呑まれていた」とさえ思えます。我ながら。

 

1996年当時の私はコンピュータのコの時も知らない人間で、Photoshopが起動している画面の前に座れば「自分の扱える機能」だけは使えてましたが、Quadra650の電源の入れかた・落とし方すら知らず、当時同じ作業部屋にいたねこまたやさん(原画でもあり演出でもありデザイナーでもありプログラマでもある)に毎朝電源をいれてもらっていたほどの未開人でした。そんな人間なので、「レイヤー」という前世紀のアニメ現場では聞き慣れない言葉に恐れおののいたのも無理からぬことでしょう。

 

 

‥‥で、「配列」。

 

プログラムを覚え始めて、一番最初に「なんだか難しげ」に思えたのが、配列です。特に「連想配列」なんて言葉を聞くと、いかにも難しそうで、妙に怖気付いたものです。

 

現在、なぜ「配列」が難しそうに思えたのか、自分自身、実はあまりよくわかっていないのですが、「配列という考え方を、改めて、自分の思考の中で明確化する」のが「難しいと錯覚した原因」かなと思います。

 

配列って、日常、そこらじゅうにゴロゴロ転がっている、ありきたりなものです。

 

冷蔵庫の中身=[卵、鶏肉、豚肉、キャベツ、にんじん、牛乳]

6話のカット番号一覧=[1,2,3,4,5,6,7a,7b,8,9,10,11...]

自分の趣向=[音楽:ロック、絵画:象徴派、飲料:カルピスソーダ、酒:氷結]

 

‥‥と、現実世界にありふれています。要は、0個以上の何らかの要素の集合体を、「配列」と「もったいぶって」呼ぶのです。手の中に握りしめたコインも配列になりますし、「から=空」という0個だって配列たり得ます。冷蔵庫は中身が空っぽでも冷蔵庫ですもんネ。

 

ちなみに「自分の趣向」という配列は「連想配列」で、配列の各要素にラベル・見出しがついたものです。連想配列なんて言葉は難しげですが、ぶっちゃけ大したことはなく、ごく日常で考えているようなことです。

 

アニメ制作現場は、それこそ隅から隅まで配列の塊のようなものです。

 

制作会社が制作中の作品群=作品の配列があり、作品の中に話数やシーンという配列があり、話数の中にはカット番号という配列があり、カット番号〜カットの中には作業工程という配列があり、作画という作業工程の中には作業担当者という配列、AセルBセルという素材の配列、枚数の配列など、挙げればきりがないほど配列だらけです。

 

日頃、私らが理解して取り扱っているものを、わざわざコンピュータ用語にすると、配列とか連想配列とかアレイとかハッシュとかになるだけです。言葉の聞き慣れなさに呑まれがちですが、意味していることは難しくはなく、むしろ誰でも合点がいくことです。

 

前回書いた「カット番号」も、配列という考えで捉えれば、「作品名、話数、カット番号」という要素によって構成されていることは、アニメ業界のスタッフならば誰でも理解できるでしょう。作品「アニメの日常」作品略号「an」、話数「6」、カット「20」なら以下のように配列が構成されます。

 

カット名の配列要素
作品略号 シーン・パート・話数 カット番号
an 06 020

 

何も難しいことはないです。「配列」という使い慣れない言葉以外は。

 

 

そして、「オブジェクト指向」。プログラムを習得する初歩段階から次へ進む際のハードルとも言えます。まず、なにより、言葉が一層、難しげ‥‥ですよネ。

 

でも実は全然難しいことではないです。やはり「言葉の魔力」に呑まれているだけです。

 

特にアニメ制作現場でアニメを作っているスタッフなら、誰でもオブジェクト指向を実践しています。

 

それは「カット袋」です。

 

制作現場で1カット単位で制作を開始する際に、いちいち1カットについて、まっさらな状態から定義を始めるでしょうか? ‥‥そんな非効率なことはしていませんよネ。カット袋が示す通り、

 

カットの構成

作品名

話数

カット番号

レイアウト

レイアウトチェック

原画

原画チェック

動画

動画チェック

動画枚数

美術

美術チェック

兼用素材の有無

仕上げ

仕上げ枚数

指定

仕上げ検査

撮影

etc...

 

‥‥のように、あらかじめ定義した「決め型」を作っておいて、そこから各カットの作業を開始しますよネ。それこそがクラスベースのオブジェクト指向です。

 

作業の1カットごと、カットの構成要素はなんぞや、カットの作業工程とはいかなるものか、‥‥なんて定義していたらきりがないです。ゆえに、カットの定型をあらかじめ作っておいて、その型から新しいカットをどんどん生成していきます。

 

アニメ制作現場で作業をしている人は、たとえ無自覚であっても、配列にもオブジェクト指向にも関係した作業をしているわけです。

 

これはカットだけでなく、作品全体にも言えて、テレビシリーズを作る際の「型」はある程度決まっていますから、例えば「テレビシリーズの定義」に基づいてオブジェクト指向で制作している‥‥とも言えるわけです。

 

 

実は私は20年前、オブジェクト指向というものがどうにもわからなくて、プログラム独特の難しげな言い回しに惑わされて、理解が進まない時期がありました。オブジェクトで思考する利点が見えなかったのです。そもそも「オブジェクト」という概念がわかりませんでした。

 

しかし、ふと、アニメ制作現場のレイアウト用紙、タイムシート、そしてカット袋を見ると、すべて違うカット内容なのに、使う物品はすべて共通していることに「今更ながらに」気づきました。

 

決して、「Cut20専用のレイアウト用紙やタイムシート」ではなく、Cut1だろうが20だろうが145だろうが、すべて同じ用紙や袋を使って制作されます。

 

JavaScript風に表現すれば、

 

var theCut = new CutFolder("an_06_020");//新しくカットを生成する(=インスタンス)

theCut.addTimeSheet(24,3);//24fpsで3秒の尺のタイムシートを追加する(=メソッド)

theCut.users.genga="ezura";//カットの原画担当者を"ezura"に設定(=プロパティ)

//原画作業者をカット袋のプロパティとするか、カットに内包される「原画」クラスでインスタンスとするかは、実装の内容によります。

//1原2原が通常仕様となった現在は、インスタンスで扱ったほうが「融通」が利きますネ。

 

‥‥みたいに。

 

つまり、作品中のカットそれぞれは、「カット」という型を受け継いだ上で新規に作成されたものだと、明示的に気がつきました。全くの新規の作業形態を毎回作っているわけではないのです。

 

「身の回りのものは結構多くがオブジェクト指向の産物や行為なんだな‥‥。なぜ、気づかなかったのか‥‥」と思いました。

 

それを理解してからは、プログラムでのオブジェクト指向の使い方も加速しました。現実世界での効率的な取り回し方を、プログラムの内部で実践すれば良いんだ‥‥と。

 

 

 

コンピュータを扱って自分の役職として生きる人の中には、さもプログラムを難しいものであるかのように振舞って、門前払いするような人もいましょう。まあ、実際、簡単に説明できるものではないのは確かですし、話が噛み合わなくて面倒ということもありましょう。

 

ただ、そこで途切れたままでは、現場のコンピュータ活用は、いつまで経っても借り物のままです。

 

ちょっとコンピュータの深い話題になると、その人=現場の「デジタル相談役」を経由しないと話が一向に進まず、自由に現場の効率化を実践できないままで、本当に良いのでしょうか。相談役、ワルなイメージで言えば用心棒の助けがないと、ちょっとした弱みでも解決できない体質は、言い換えれば、用心棒に急所を握られている‥‥ということでもあります。

 

しかし、何よりも、まずは自分のコンピュータに対する知識の低さが原因なのです。キンタマ(失敬)を握られるのは、握られるままに放置している当人も悪いのです。

 

制作現場に「デジタル相談役」「デジタル用心棒」がいる時点で、その現場はコンピュータ活用のスキルが低く、「デジタル」は「非正規」のままの扱いです。‥‥だってさ、正規軍に用心棒なんていないでしょ? 正規軍に存在するのは例えば「戦闘工兵」ですヨ。

 

他人事ではなく自分たちで状況を解決するために、色々と試行錯誤し研究し実践するようになれば、いつしか「デジタル」なんて言葉は使わなくなります。

 

全員が全員詳しい‥‥と言うのは無理でしょうが、だからと言って、フロアのほぼ全員がプログラムに疎いのも、マズいです。コンピュータに無知な集団で本当に良いのか?‥‥ということです。

 

 

 

私の望むアニメ制作共同体の未来は、プランテーションと農奴たちではありません。

 

作業集団が独自のシステムを持ち、独自の作業形態で創作し、結果物で流通するエコシステムです。

 

Retasの次は何が主流のソフトになるか?‥‥なんて考えるのではなく、作業結果物の流通における標準仕様を決めて、各自・各集団が自らの特性を最大限活かせる自由な作業形態をいかに選択できるかを考えるべきです。

 

新しいソフトウェアの束縛に、また今度も、業界全体で自らハマりにいくのでしょうか。

 

どんなソフトウェアを使っていようが、受け渡しの規則を決めて条件を満たしていればいいじゃん。

 

必要なのはソフトウェアの確定ではなく、特定のソフトウェアに依存しない、MIDIのような標準規格の制定です。

 

どんなソフトを使うかを議論する‥‥なんて、島国根性丸出しで冴えないオっさんの集まりなのか?‥‥と言っても言い過ぎじゃないですヨ。どうせシンポジウムを開くのなら、もっと根本的な内容=標準流通仕様について話せば良いのにネ。

 

 

 


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