トーキー

私は、無声映画時代の作品は正直苦手で、ストーリーとか演技とか云々の前に、フォーカスが甘くレンジの狭い黒白の画像、動きの分解能の低さが、見てて生理的に辛いのです。ドキュメンタリー番組で歴史的素材として使用されナレーションがかぶるようなシチュエーションなら全然大丈夫なのですが、戦前の無声映画をそのまま丸ごと見ることは、自分からはあえてしません。

 

チャップリンはトーキー(Talkie〜声付き=音声付き)映画が出現した時、サイレントこそ映画であって、音声があると観客が演者の演技に集中できなくなる‥‥と考えたようです。つまり、演者の演技が最大限発揮されて観客に訴えかけるのは、音声がなく無声だからこそだ‥‥というわけです。


現代の感覚で言えば「うそ。」と言いたくなるような主張です。音声があっても、俳優さんの演技がないがしろになっているとは思いませんし、音も映像も品質が高ければ、余計な「邪魔」「障害物」がなくなり、作品そのものをストレスなく楽しめます。娯楽作品から芸術的な作品まで、音声付きでカラーで高画質でも、十分に映画たり得ます。

 

古い品質基準で、古いフォーマットだから、芸術的だ‥‥ということはなく、その時々の産業技術をどのように活用し、作品表現を高いレベルで成立させるか‥‥だと私は考えます。

 

 

実際、チャップリンの主張とは裏腹に、トーキーは大衆に歓迎され、現在に至ります。無声の黒白映画は、再び主流になることはありませんでした。

 

チャップリンの言いたいことはなんとなくわかります。音がないからこそ、演者の仕草1つ1つに観客は注視して反応し、演者の「芸術」が成立するのだ‥‥と。

 

しかし、「音がない」というのは、映画の本質ではなく、当時の技術の限界によるものでした。パントマイムを応用しつつ、「音を出せない映画」を逆手にとった芸風だった‥‥とも言えます。つまり、無声映画の芸は、映像技術の発展とともに、やがて下火となる運命だったと、歴史が証明しています。

 

チャップリンなき今、もし、現代にパントマイムと映画を融合させたいのなら、低画質で無声の白黒ではなく、4KHDR立体音響ありきの新しい切り口で作品をイメージするのが良いのだと思います。

 

 

アニメはどうでしょうか。

 

アニメ業界のチャップリンがいて、新しい技術なんて無用だ、アニメは24コマベースで2コマ3コマで動きを作るからこそ、アニメなんだ!‥‥と新しい技術ムーブメントを否定し、技術更新を阻んでいないでしょうか。

 

旧来の技術を大切にする意識は良いと思います。しかしそれが、世界の映像技術が移り変わろうとしている事実から目を背けて、発展しようとする未来を拒絶することに繋がるのでは、時代を読めなかったチャップリンの二の舞とも思います。

 

 

 

「技術の状況的限界」は、確かに、独特の風合い・質感を作り出し、結果物に大きな影響を与えます。ジャンルは違いますが、容器を木の樽からステンレス槽に変えたら、味が変わって不評になった‥‥なんていう老舗の味もありましょう。ステンレスの加工技術など存在しない時代に、選択肢の幅もなく、木材を原料として容器を作って使用していたことが、実は様々な効能をもたらしていた‥‥というのは、映像制作に置き換えてもいくらでもあり得ることです。フィルム時代の質感がまさにソレです。

 

フィルムには独特の風合いがあり、私も随分と熱中したものです。私が好きだったのは、IOS25〜32の低感度リバーサルや黒白フィルム(=アニメには通常使われないフィルム)でした。相対的にグレインが細かくなる高画質な中判カメラ(私が使っていたのは6:9判です)も、フィルムの各銘柄の発色特性がそれぞれ魅力でした。

 

フィルムの話を書いていると、今でもブローニーのネオパンFを6:9中判カメラに装填して、三脚と露出計を携えて、情景を撮影しに飛び出したくなります。‥‥まあ、現在はネオパンF自体が入手困難なので(もしかしたら押入れの奥からデッドストックが出てくるかもしれませんが20年の期限切れでしょう)、今となっては思い出だけです。

 

考えてみれば、こうしたフィルムの銘柄や現像プロセスが、各国の映画作りにおいて、グレーディングの技術に継承されているのかも知れません。多くの人々(特に日本のアニメ業界人)はフィルムの味など全く意識もしないまま、sRGB/Rec.709に染まりすぎちゃいましたが、フィルムを愛する映画人の多いハリウッドでグレーディングが進化したのは頷けます。

 

フィルムは良いです。そんなのは判り切っています。

 

‥‥しかし、フィルムの限界も大きいのです。

 

例えば、アニメのフィルム撮影台では、個別の拡大縮小は無理ですし、同時のあらゆる方向への引き(スライド)=クロス引きも難しかったです。キャラのみに撮影効果を加味するなんて、できないことはないけどあまりにも手間が大変でした。何重露光になるのやら。

 

アニメに限らず、フィルムがデジタルデータに取って代わられるのは、やはり、産業の技術発展ゆえの、宿命だったとも思います。

 

 

 

ただ、アニメ制作現場の場合、もっと違う理由で、新旧の交代に足踏みしているように思います。

 

昔からの作業慣習が通用しなくなるのが嫌だ。

 

これが理由の大半ではないでしょうか。映像技術の本質ではなく、例えば「中三枚」のシートが通用しなくなるのが単に「面倒」なんじゃないですかネ。

 

 

 

今、新しい映像作品の品質へ移行すべく、映像技術はどんどんスタンバイしています。

 

実はアニメは、ここ数年、実写や3DCGよりも、4Kに対して非常に有利な位置にいました。実写は、まずカメラが4K規格に対応した製品に買い換えるのが難しそうでしたし(お金と運用の両面で)、3DCGはレンダリングの高負荷ゆえに、ガチで4Kでレンダリングすることが困難みたい‥‥でした。

 

手描きのアニメは、CO/KF技術のアニメーションを導入すれば、iMacですら、4Kのアニメを作れるポジションにありました。しかし、その優位をアニメ業界はむざむざ見逃して、未だに1.2〜2Kのまま拡大作画で当座やりくりして、作画作業をコンピュータに移行する各所の段階でつまずいています。‥‥もったいなかったよねえ‥‥‥この5年間。

 

この調子でいくと、一番有利だったはずの手描きのアニメが、一番最後に4Kに対応するような流れすら感じます。レンダリングで高負荷を抱える3DCGと、どちらが先に次世代に移行できるか‥‥のビリ抜けの競争になりそうです。

 

アニメ制作現場や業界は、現在や過去の技術を大切に思うのと同じく、未来の技術も大切に思うべきです。

 

新しいことにもっと積極的にならないと、過去の慣習に固執して、時代から置き去りになって衰退して消え去った他の産業と同じ運命を辿る‥‥のではないでしょうか。

 

 

新しい時代の新しい映画を見抜けなかった「大御所」チャップリン。

 

チャップリンの映画を愛好する人は今でも多いでしょうが、それは「古き良き映画の思い出」とも言えましょう。

 

アニメを古き良き思い出にして、過去のものにすべきでしょうか。時代についていけなくなって新作するのをやめて、過去作品のアーカイブだけでアニメを楽しむ未来が来るのでしょうか。

 

歴史に学べば、新しい時代を生き続けるために、新しいアニメのカタチを見抜こうとするのは、ごく自然な行動だと思います。

 

 

 


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