あてをあてにしない

ごく当然のこと‥‥ですが、他人をあてにしていると、その他人が動き出さない限り、あては外れます。他人に依存していると、自分の状況は他人任せになります。

 

他者や組織、もっと広げて考えれば世代や社会に対して、「周りの誰かが改善してくれないから、自分も改善されない」なんて言いだしたら、それこそ、2年3年どころではなく、5年10年、もしかしたら20年30年も、「あてにして待ち続ける一生」に甘んじるかも知れません。

 

自分ひとりで何でも可能になるなんて傲慢なことは言いませんが、他者をあてにしているだけでは、可能を不可能へと自ら悪い方向に誘導しているものだ‥‥とも思います。

 

私は新人類とかバブル世代とか言われた世代ですが、バブルが膨らもうがは弾けようが、アニメーターをやってて何の変化も感じなかったです。六本木のきらびやかなシャンデリアの下で腰振って踊ったことなんて一度もないですし、アッシー君でも財布君でも無かったです。原画料金もバブル膨張期だからって、別に何も特別なことはなかったです。相変わらず、昔から安かったです。

 

いわゆる団塊ジュニアで就職氷河期と呼ばれる世代の人(私のちょっと下の世代)を何人か知っていますが、やはり、世代特有の何か特別で強烈な逆境に遭遇したなんてことは言ってませんし、「ロスジェネなんてひとくくりにされるのは迷惑」とすら言います。「就職難だろうが、自分のやりたい目標は決まっていたから、難易など関係なかった」とも言います。

 

思うに、世代論は全員に当てはまるものではないです。

 

他者に何かを依存して、「他者の責任」に転嫁している時点で、その人はずっと好転の機会を失い続けるし、自らロストしているように感じます。

 

世代を呪うと、当人が自己呪縛に陥って、世代に呪われる‥‥とも言えそうです。「呪い返し」、つまり、何かを強く呪うことで、自身が呪われた人生を歩む‥‥とも言えます。

 

まあ、たしかにエスカレーター式の人生を夢見ていたのなら、そのエスカレーターに不調が発生すれば、「ぜんぜん上に運んでもらえないじゃないか!」と不満を抱えるでしょう。エスカレーターが故障して停止すれば、いつまで経っても上には「運んでもらえない」ですもんネ。

 

でも、エスカレーターが故障していくら待っても動き出さないようなら、普通の感覚で考えて、エレベーターの手すりを乗り越えて出て、階段なりで自分で上を目指して昇り始めるんじゃないですかネ。そりゃあ、エスカレーターみたいに自分は突っ立っていさえすれば上まで運んでくれるようなことはないでしょうが、自分には「歩ける足」があるのですから、「何だよ‥‥故障かよ」と舌打ちしつつも歩き始めないと、延々と時間をロストするばかりです。

 

今まで10年、20年とロストしてきた人は、同じ思考や行動のまま、この先10年、20年とロストし続けるのかも知れません。

 

 

怨念感情は根深いものがあって、例えば、私の父は、戦争によって両親をまさに「ロスト」した‥‥というよりは「ロストさせられた」のですが(父親は戦死、母親は終戦後間もなく病死)、ずっとロストした怨念感情を抱えたまま年老いているのを感じます。以前、父は何か太平洋戦争のテレビ番組を見るたびに「靖国のA級戦犯についてどう思うか?」と何度も何度も話してきたのを思い出します。戦争当時に子供だった父は、当時の政権に対し投票によって是非を行使することもできませんでしたから、国家を導いた指導者に対する怨念は一層強いのかも知れません。

 

父は喪失感を抱いたまま、足を地につける感覚が希薄なまま生き続けて、そしてそのまま死ぬのかも知れません。父は昔から、刹那的・衝動的・反射的に「自分の損得」のために場当たり的に行動するようなことがある‥‥のを、私は小さい頃から感じていました。何かを取り戻そうとする脅迫的な観念が根っこにあったのか、それとも、今あるものは今のうちに獲得しないと永遠に失うという自己防衛的な感覚が無意識下に植え付けられているのか、刹那的で衝動的な行動をし続けて、度々、家庭を危機的状況に引きずり込んでいました。

 

自分は戦争によって人生をメチャメチャにされた。どうしてくれるんだ。‥‥そうしたどうにも解決できない怨念を心のどこかに思い続けて、父は今も生きて、そして生涯を終えるのかも知れません。

 

父の境遇に同情する感情は子供の私にも当然ありますが、では戦争孤児はみな父のような人間性なのか?‥‥というと、そうではないですよネ。ロストした状況をそのまま怨念感情に結び続ける人が100%なわけではないです。ロストしたからこそ、何かを見つけ出そう、ロストしたからこそ、しっかりと強い絆を形成しようとする人もいるでしょう。

 

 

父は国家公務員で、自営とか全く経験がないまま、定年退職しました。つまり、どんな時でも、「お給料」は貰えていたわけです。そうした「お給料感覚」しか体験しないまま人生を生きると、集団や組織に対する不満が募り、世代論で自分の境遇を占ったりするのかな‥‥とも思います。給料で働く人は、月々の自分の作業1つ1つに対して請求書を書くことがないので、内訳の感覚が希薄ゆえに、自分は何を獲得して何を喪失したかがかなり曖昧なまま、人生を送るようなこともあるでしょう。

 

一方フリーランス・自営の人間は、「自分の売りは何か」「自分の値段はいくらか」「自分は何用の人間か」をリアルに毎月毎年考えることになります。世代論にぶつくさ不満をぶちまける暇があったら、自分の売り要素を増やして価値・価格を「世代を超えて」引き上げていく必要性に迫られるからです。

 

どちらにせよ、他人をあてにして、自分の現状を覆いかぶせることは、あまり良い結果を招き寄せないと、私は思ってます。会社勤めであれフリーランスであれ、アニメーターはアニメ業界に依存し続ける体質から離脱すべきと思いますし、自分の能力を手広く展開する方法は2019年の現在はやまほどあります。iMac 5KとiPad Proがあるだけでも、1980年、1990年とは大違いです。

 

 

まあ、残酷な構造論で考えれば、他者に依存するがゆえに喪失し続ける人間も、自発的にアクションして獲得し続ける人間も、そのどちらでもなくぬぼーっと生きていられる人間も、全ては必要な構成要素なのでしょう。

 

ただし、過去の流れに甘んじるか否かまでは、運命ではないと思います。「No Fate」です。

 

世代論、社会論に染まるか否かは、自分次第です。

 

 

 

 



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