どうやったらよくなるか‥‥とか

「アニメ業界がどうやったらよくなるか」という話題を見かけたのですが、アニメ業界は言わば、色んな「宗教」「利害」を内包した「小さな世界」みたいなものですから、「アニメ業界がどうやったらよくなるか」は「世界はどうやったら平和になるか」と同じような「とりとめのない話題」です。‥‥と私個人は思います。

 

小さい頃、「なぜ戦争はなくならないのか」が不思議でした。単純に、疑問でした。皆がこれほど忌み嫌っている行為が、それこそ何度も幾度も繰り返されるのは「なぜ」なのかがシンプルに解りませんでした。

 

例えば、シリア内戦がどのような歴史的経緯を経て発生し現在に至るか‥‥を、日本の街行く大人たちに聞いて、どれだけ答えられるでしょうか。これが原因で、こうすれば解決する‥‥なんて、そうそう簡単に言いあらわせるものではありません。

 

でもまあ、シリア情勢はともかく、世界を平和にすることがどれだけ難しいかは、さすがに30〜50年も生きれば、よっぽど花畑で暮らしてきた人でもなければなんとなくわかるでしょう。多くの要素が絡み合い、到底解きほぐせない状態を引きずった上で、些細なほつれがいくつか重なったことがきっかけで、紛争は発生します。何かの思いつきの号令で始まるわけではなく、遠因を引きづりつつ近因が火種となって、始まるべくして始まるのが紛争・戦争です。たとえばグダニスク〜ダンツィヒの件(第二次世界大戦の火ぶたとなったポーランド侵攻に至る前段階)は、1930年代の限定期間の問題ではなく、ちょっと遡っただけでも1400〜1700年代に至ります。地政学の典型とも言えます。

 

アニメ業界の問題は、日本社会の縮図を見るようだ‥‥と、いくつもツイッターで見かけました。そうですよね‥‥、もっと言えば、「戦争がなくならない世界の構造」の1/144ミニスケールにも思えます。

 

アニメ業界‥‥というか、アニメを好きな人々には、それぞれ「自分のアニメ体験に基づく信仰」のようなものがあって、それすなわち、宗教・宗派と呼んでも大袈裟ではないような「当人にとっては根深い」思考形態・原点があります。特に「演出」「作画」のスタッフに色濃い要素です。「技術信仰」と言うべきか。

 

そのベースの上に、ビジネスが乗っかると、さらに状況や構造は複雑化します。アニメ制作におけるワークフロー=現場視点に限定しても、「技術と商売の方法」が各人で入り乱れて、いわば「宗教+経済」の泥沼の様相を引き起こします。

 

「紙」の是非ひとつとっても、「宗教戦争」に発展しかねませんし、ビジネス上の「直接的な単価」にも直結します。

 

私は紙だけでなく、今はほぼ100% iPad Proによる作画スタイルに切り替えて、CO/KF=カットアウト・キーフレームアニメーションを主体にしようと取り組みを続けていますが、たまに紙の仕事を引き受けると、その総合コストの大きさに改めて息をのみます。どう考えても、CO/KFでやったほうがクオリティもコストも高いカット内容を、紙を基盤にした現場は安い作業単価と膨大な時間をかけて紙で作り続けます。

 

場面に適した技術を用いるべき‥‥という、ごくごく自然で普通な考えは、旧来の慣習を継承した一般的なアニメの制作現場では、机上の空論なのです。現場を支配しているのは、合理性や生産性ではなく、作業の慣習やテンプレート=伝統なのです。まあ、日本人らしいスタンスと言えば、それまでですが。

 

「技術を切り替えればいいじゃん」と言って簡単に切り替わるほど、アニメの現場はフレキシブルでも合理的でもないです。

 

そして残念ながら、頭の柔らかさ・硬さは年齢に比例するとは言えず、若い人間でも古漬けの思考に染まっている人間もいるし、ベテランでも思考をスパっと変えられる人もいます。若いから思考が柔軟だ‥‥というのは実はなんとない願望であって、頭の古さは年にあまり関係がないです。ゆえに、時代から技術が置いてきぼりになって効率が低下しても、老いも若きも同様に気づけないのです。

 

‥‥で、こうした話は現場の氷山の一角です。戦後のアニメーション技術とビジネスから派生した色々な問題で溢れかえって、さらに世代論や各人の心情(信仰)も重なり合って、まるで、色々な宗教とビジネスが混沌と混じり合う「世界の縮図」のようです。

 

 

 

じゃあ、あきらめるのか?‥‥と言えば、そうではないです。

 

そもそも「業界」云々の論調が、飛躍しすぎている‥‥と思うのです。自分や自分たちの幸せを、世界平和に結線する短絡思考が‥‥です。

 

「現場の改善」の考え方を「業界の問題の解決」に寄せるからこそ、話がファンタジーに終始するのです。

 

「我が家は苦しい。貧乏だ。ここはひとつ、ジュネーブの国連に行って、国際紛争を解決し世界平和を実現してくれるうよう、かけあってくる」と言うようなものです。ファンタジー過ぎます。

 

貧乏で苦しいんだったら、国連に出向くよりも、身の丈で実践できることがいくらでもあるでしょう。自分の貧乏と国連の決議は、あまりにも遠すぎるのに、「自分の不幸は世界が平和じゃないからだ」と考えてしまうのは、結局のところ、「当人の思考の破綻」の現れだと思います。

 

どんなに現場の改善を望んでいても、紙から一向に離れられない、送り描きの動かし方でしかアニメを作れない、サーバとのやりとりは全て手作業(人間の操作)だ、制作進捗管理をエクセルで表に書き込んでいる、サブスクリプションの仕組みが受け入れられない‥‥なんて続けるばかりでは、新しい時代の新しい体質は獲得できません。

 

現場の改善に「わかりやすい特効薬などない」です。地道で細かい改善の積み重ねを果たした集団が、旧来の構造から徐々に抜け出すことができる、‥‥ただそれだけだと私は思います。

 

業界ではなく、現場を見ましょう。そこにはフィルムカメラもセル用紙も絵具もなく、代わりにネットワークで繋がったコンピュータがあります。現代の状況と特徴を無視して、現場の改善を語るなんて、ありえません。

 

業界を改善しよう‥‥なんて思うのではなく、自分たちの現場を改善すれば良いのです。そのために、新しい時代の新しい技術をどんどん導入すれば良いのです。1.5Kを4Kにアップコンして誤魔化す方法を考えるのではなく、最初から4K時代の新技術に取り組めば良いのです。過去の慣習や思考の殻から脱皮すれば良いのです。

 

 

 

「アニメ制作現場」は、これから先、世界市場の映像技術変化に対応して、時代性と共に歩んでいきます。アニメの映像品質だけ2010年代のままで良いと社会から容認されるわけではなく、周囲の進化する映像産業との厳しい比較の目に晒されるでしょう。

 

「アニメ制作現場」とは言わず、百歩譲って「アニメ業界」が、「どうやったらよくなるか」を語るとしても、過去からの問題点と等しく、未来に起こり得る問題も重大な要素です。どこかのツイートで「制作上のファイル容量計算」を見ましたが、2KでSDRの試算であって、未来の映像フォーマットでは試算されていませんでした。中間ファイルの試算も抜けているようでしたしネ。

 

なぜ、未来予測がすっぽ抜けるのか‥‥、いつでもよくある「典型的な見落とし」です。

 

でもまあ、そんなこんなも全部ひっくるめて、溶けて混沌とした上で、次のカタチが出来上がっていくんじゃないかな‥‥と最近はよく考えるのです。

 

かっこよい脱出方法などなく、進歩派も穏健派も旧体制派も、皆、ぬかるみに足を取られて泥だらけになりつつ、思わぬところで思わぬ協力体制ができあがったりもして、「なんとか生き残れて、未来行きの列車に乗り込めたみたいだ」と後になって気づく‥‥ような感じかも知れません。もちろん、相当な数の脱落もあるでしょう。

 

 

 

考えてみれば、2010年代も今年が最後の1年。

 

最近では、アニメは数兆円規模の市場と言われますが、思うに2010年代の制作現場の価格破壊が、相当「貢献」したことでしょう。

 

皮肉な話ですが、現場サイドからみれば、発展というよりは破壊に至った10年と言えるのかも知れません。

 

しかし、破壊は創生の前段階とも思えますから、2020年代を死滅の年代にするも誕生の年代にするも、自分と自分たちの現場次第です。

 

「業界」なんて全くアテになりません。ぶっちゃけ、業界って誰?‥‥って話です。実体がないです。「影」に話しかけたところで、何も答えてくれません。問題を延々とたらい回しにして、時間を無駄にするだけです。「影」から得られる情報は、「影」がどんな形をしているか、それだけです。

 

まあ、影の形で光が差す方向を推測することもできましょう。しかし、その光は日没前の太陽かも知れませんし、フィルムの亡霊の幻光‥‥平家落ち武者の怨霊(耳なし芳一〜昼だと思って戸をあけたら夜中だった)かも知れません。

 

皆の影が寄り集まった「業界」ではなく、あくまで、自分たちの実体で形成する「現場」こそが、未来のよりどころだと思います。

 

業界の光と陰に過剰な信頼や思い入れをするのではなく、あくまでも「計測の基準点の1つ」として捉えるだけで十分です。

 

「どうやったらよくなるか」については、わたし的には、「淘汰を経て、新しい現場の新しい共生のカタチが出来上がる」だけだと思っています。画期的な延命策などありません。新しい技術をどんどん実用する一方で、全体的な淘汰を受け入れ、生き残りをかけるのです。今までの構造のまま、どこかの誰かがうなるようなお金をバラ撒いてくれて皆ハッピー‥‥なんてあり得ません。

 

滅ぶものは滅び、生き残るものは生き残り、新しい何かを取り入れて、混沌としたのちに、新しいアニメ制作の体質が出来上がっていくのでしょう。少なくとも私は、そう思えるのです。

 

 

 

 


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