描きたい絵

アニメーターとして毎日絵を描いているのに、自分の描きたい絵、自分の好きな絵が、自分自身でわからない‥‥という人は結構存在するように思います。逆にいえば、オーダーがなければ絵を描けない(=キャラ設定がなければ)、他人の原作の絵しか描けない‥‥ということです。

 

「プロのアニメーターだから、発注ありきで絵を描くのは当たり前だ」というカテゴリーミステイクな話で逸らす人もいるでしょうが、発注を元に絵を描くことと、自分の生涯の中で自分が描いてみたい絵を持つことは、別物ですので何の弁明にもなりません。発注された絵を描いてお金を稼いでいても、同時に、自分の描きたい絵を描くことだってできますので、二者択一では全くありません。

 

仕事は仕事。でも一方で、自分の描きたい絵を描く。‥‥そういうことに、あまりにもアニメーターは日頃から絵を描き過ぎていて、疎いのかも知れません。

 

私は2000年初頭から10年くらい、作画の方は寡作状態で、しばらく作画から離れていたこともあり、「絵を描く仕事」に対して物理的にクールダウンできました。同時に「アニメの様式」にも醒めた視点で関われるようにもなりました。アニメ独特の「内輪受けの場の雰囲気」に呑まれずに済むようにもなりました。

 

だからこそ、請け負いの仕事は仕事として、一方で、成し遂げたいアニメーション作画(=線画だけでなく色や効果も含む)表現も明確に意識できるようにもなりました。

 

自分が求めている絵とは何か‥‥を明確に自覚できるようになったわけです。

 

 

 

結局さあ‥‥。

 

アニメで何がやりたいわけ?

 

‥‥に尽きます。それに即答できずに、「やることは他者が与えてくれる」と思っているのなら、現場に呑まれている証拠です。

 

「どうせできない」と結果を先読みして打算し始めたら、その果てに「どうせ人間は死んじゃうんだし」と何もやる気がなくなりますよネ。むしろ「どうせ人間は生きてるうちにしか行動できないんだし」と考えるべきですよね、打算するにしても。

 

今は、iPad Proだってあるし、iMacや、今度出ると噂のMac miniの新型も控えていますし、いくらでも「自分の絵を育てる」ことは可能です。フィルム時代の「線画以外に手も足も出なかった頃」ではないのです。

 

作業をこなす歯車やネジ、使い捨ての人材に、自ら進んで堕ちてどうするのか。

 

今流行りの絵を、皆で一斉に描いて、皆が「自分はイケてる」と錯覚しても、その流行りが廃れた時に残るのは何でしょう。自分の絵を持たずに、他人の流行り絵ばかりに気を遣って怖気て生きて、自分の核を形成するに努めなかったとすれば、それほど残酷なものはないです。

 

絵を趣味止まりにできず、どうしても仕事にしたくて作画の作業者になったのです。仕事の絵だけではなく、自分の絵も描き続けて何らかの商売に結びつけるくらいの野心を秘めていても、誰も咎めないですヨ。「カネにもならないことを、よくもまあ」と笑いたい奴には笑わせとけば良いのです。自分の一生ですからネ。

 

アニメの日々の仕事ばかりに体力を使って、自分の絵など描く気力もない‥‥というのはありましょう。でも、そんな中での自分の頑張りは、未来、じわじわと効いてきます。

 

まあ、絵を描くのが好きじゃないんなら、しょうがないけどネ。

 

好きなのだったら、公私分け隔てなく、絵を描きゃあ、良いんです。描きたい絵をネ。

 

 

 

 


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