村を出て世界へ出る

私はアニメーターとして最初の10数年を過ごし、その次はコンポジット〜いわゆる「アニメの撮影」としてまた10数年を過ごし、その次はアニメや実写の枠を超えてさらに10年過ごしてきました。‥‥で、今はまたアニメの作画を中心にしていますが、旧来ではなく新しい技術に基づく作画で日々を過ごしています。

 

自分自身のこうした経緯は、「視点が凝り固まらない」という点で、有利だと感じています。いわゆる「作画村」「撮影村」「アニメ村」に束縛されず、異なる視点でものごとを思考したり判断することができるようになったからです。作画だけに従事していた昔の自分の思考の狭さを、つくづく思い出します。

 

特に、作画と撮影に従事したのは、アニメ作りの中で大きな収穫でした。1カットごとの、絵が生まれる一番最初と、絵を作り上げる一番最後を、作業上でまさにリアル〜現実の日々として作業して生きてきたからです。

 

どんなにグローバルな視点を心がけても、村から一歩も外に出たことがなければ、村全体の景観、村を包み込む世界全体の様子は、肉眼で見ることはできないでしょう。村を一歩も出ない人にとって、外部の全ては伝聞で人聞きの情報であり、実際に自分が体験できるのは、村の中での出来事だけです。

 

とても危ういことだと思います。視野、視界、視座が狭く低すぎます。

 

例えば、「紙はどんな部分が有利だと思うか」の問いに対して、

 

 

とある村の村人「紙と鉛筆は、使いこなす技量が高ければ、素晴らしい絵を描く事ができる」

 

とある村の村人「紙と鉛筆による今までの制作技術を踏襲する事で、既知の生産速度・生産量で作れる」

 

とある村の村人「運用コストを低く抑えられる」

 

とある村の村人「現物がそこにある‥‥という安心感」

 

 

‥‥のような様々な答えが返ってくるでしょう。村人それぞれがどの村出身かは、答えた内容を読めば、だいたい見当はつきますネ。

 

では次に、最初の村人が語った「紙と鉛筆は、使いこなす技量が高ければ、素晴らしい絵を描く事ができる」ということに対して、実際のアニメ作品の完成物において、どれだけその素晴らしさが反映されているかを聞き直すと、

 

 

とある村の村人「頑張って作業したのだから、ちゃんと反映されているはず」

 

とある村の村人「二値化しているから、紙と鉛筆である品質の差というよりは、紙の現場の速度のほうが大事」

 

とある村の村人「素晴らしい絵はペンタブでも描けるけど、紙ならではの低コストは確実に貢献している」

 

とある村の村人「確実なデータさえ揃っていれば、オリジナルが紙でもペンタブでも大差ない」

 

 

‥‥と、「村ならではの立場」が一層明確になるでしょう。

 

これを聞いて、作画村の人間は、外部の村人が以下のように思っていることに少なからずショックを受けるかも知れません。

 

 

紙の素晴らしさより速度のほうが大事なんだ

 

紙の素晴らしさより環境コストのほうが大事なんだ

 

紙の素晴らしさよりも画像データのほうが大事なんだ

 

 

しかし、これは一歩外に出て、世界を歩いてみれば、やがて察してわかることでもあります。自分の打ち込んでいる物事に対して、周りがどれだけ冷めて見ているか、世の残酷さを、村から出ることで叩きつけられ打ちのめされるのです。

 

打ちのめされて立ち上がれなくなるような場面から、次の「自分」がスタートします。村から外にでることで、かつて住んでいた村の様々な問題点も見えてきます。他の村の価値観や方法論も吸収します。

 

そして「村の特産物」の何が有効で、何が無効なのかを、改めて冷静に判断できるようになるでしょう。守り抜く点、改善して変えていくべき点など、村から外に出なかった当時は見えなかった事が、面白いほどに見通せるようになります。

 

 

 

まあ、村から一歩も出たくない人を、無理に引き摺り出す必要はないでしょう。

 

村に通じる道を閉鎖して「新しいこと、お断り。昔のままでいきます」と立て看板を立てるのも、村人全員がそう思うのなら、無理にブルドーザーで看板をなぎ倒す必要もないです。

 

 

ふるさとは遠きにありて思ふもの

 

そして悲しくうたふもの

 

よしや

 

うらぶれて異土の乞食となるとても

 

帰るところにあるまじや

 

 

村を出て、新しい世界を渡り歩いたのちに、もう村には戻れなくなっていたとしても、それはそれで受け入れるべきことです。だって、もう昔の感覚や価値観で済まない自分が、いまここにいるのですから、自分で自分を閉じ込める必要はないですよネ。

 

村から一歩も出ず、村の価値観だけで生きて行こうとする人に、どんな言葉をかけられるでしょうか。

 

村を出るのも自由だし、留まって最後まで生きるのも自由。

 

 

 

それに作画の村は1つではないです。作画を含めた全体の視野でアニメを作る、新しい村だって作れるんじゃないですかネ。「作画」そのものは、古き村だけが占有する特産物じゃないですからネ。

 

最近リバイバル上映した「999」のゴダイゴの主題歌でも「古い夢は置いていくがいい。再び始まるドラマのために。」ともありましたよネ。

 

 


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