ソープオペラ

「ソープオペラ」という言葉は、日本ではあまりにも馴染みがない聞き慣れない言葉ですが、調べてみると、

 

Wikipedia「昼ドラ」

アメリカでは、石鹸メーカーがスポンサーになることが多かったため、昼に放送された「通俗的な連続メロドラマ」をソープオペラ (soap opera) と呼ぶ。

 

‥‥とのことです。おそらく、制作費を抑えるために、フィルムではなくビデオで収録したので、絵のルックが「映画的」ではなく「低予算のビデオ的」な内容なのでしょう。

 

ゆえに、テレビのフレーム補完技術によって、実写映画の持つ24コマフィルムの質感が「ビデオ風」になると、ハリウッドの映画人の、特に技術畑の人々は、違和感と嫌悪感を禁じ得ないのでしょう。フィルムの質感に深い愛着を持ち、光学レンズの特性を愛してやまない人々の感情は、想像に難くありません。

 

私はムービーフィルムカメラを覗いたことはないですが、フィルム一眼レフカメラと共に色々な情景と巡り合ってきました。記憶に残る映像が、フィルムの銘柄越しの質感ですらあるほどです。私が好きだったのは低感度系で、ネオパンF(ISO32)、パンサー50は特に好きでした。若い頃‥‥なんて書くと、ジジイになったなあ‥‥と思いますが、がむしゃらにバイクにのって写真を撮って、作画に明け暮れた20代の日々を思い出します。

 

 

ハリウッドやヨーロッパのフィルム映画人が、フィルムにまつわる要素を愛してやまない感情は、果たして、アニメ業界人の24コマシート依存感情と等価と言えるでしょうか?

 

私は全く、そうは思えません。アニメ業界の多くの人々は、使い慣れた24コマシートにおける技法上の慣習が全てであり、決してフィルムそのものを大事にして愛しているわけではないです。「そんなことはない」と言うのなら、フィルムにどれだけ愛着を感じてるか、フィルムそのものについて色々とお話を聞きたいです。「写るんです」でたまに撮ってました〜‥‥という人が、どれだけフィルムを愛していたかを語るなんて、無理でしょ。

 

アニメ制作現場の24コマ(で3コマ打ち)依存を、実写畑の「フィルム愛」に便乗して正当化するのは、少々見苦しい気がします。「自分は24コマさえ守られ続けばOKだけど、この際、「フィルムが大好きでした」ということにしちゃえ」なんて、あまりにも小狡い行動です。

 

私は、フィルムが現役だったころから、コンピュータのデジタルデータの世界に自分の足場をシフトする決心をしました。フィルムそのものと、フィルム撮影台と現像プロセスによって完成形を成した多くの愛すべき作品群と、自分の中で明確に別れを告げた上で、「デジタルアニメーション」を選択したのです。前世紀末のことです。

 

一方、アニメ業界の多くの人はどうだったか。フィルム撮影スタッフはもちろん、学生時代に写真部・映画部だった作画その他スタッフは、フィルムへの愛着は相応のものがあったでしょう。しかし、多くの制作や演出、作画にとっては、フィルムそのものは「厄介者」のようにすら扱っていたのを、私は忘れません。クロス引きの制限、現像所への行き来、タップ穴のやりくり、ラッシュチェック時の16mmフィルムの扱いの手間が、「デジタル」によって払拭された時、「フィルムとオサラバできた。万歳!」とばかりに、愛着もへったくれもなく、多くの人があっけなくフィルムを捨てましたよネ。

 

3コマ打ち作画だって、すべての作画スタッフが「3コマのタイミング感覚」を研ぎ澄まして作画しているわけではありません。むしろ、「3コマの低コスト性」「作画上の慣習・定型」が3コマを支持する理由のほとんどでしょう。タイムシートをみれば、その3コマ打ちが、タイミング感覚ではなく「惰性」「習慣」によって記入されたのは、一目瞭然です。

 

確かに、タイミング感覚によって3コマを使いこなす上級者は、日本のアニメーターの層は厚いので、相応にいます。それもやはり、タイムシートをみれば、惰性ではなく明確なコントロールのもとに、3コマを使いこなしているのがわかります。巧くて有名な人の担当カットで、「究極、こうなるものか」と、ものすごい3コマのタイムシートを見たこともあります。

 

しかし、現場での多くの場合、24コマ、3コマ作画は、エコノミー=経済的理由、そして、今までの定型パターンを踏襲し続けたい運用上の理由です。ぶっちゃけ、24コマじゃなくなったら、「食えなくなる」と思っている人がほとんどだと思います。そこを誤魔化して、日頃惰性で作業している人間まで「タイミングセンス」にすり替えるのは、何とも姑息なことです。そうした姑息さが、余計、自分たちの状況を危うくしていることに気づくべきです。

 

 

 

実写映画人の心情。

 

テレビが、とにかく何でも色を鮮やかにして、詩情もへったくれもない画面に変えていたのは、まだ何とか我慢できた。しかし、時間軸にも介入して何でもかんでも60〜120fpsに変えてしまうに至り、もう我慢の限界を超えた。自分たちの作っている「映画」は、「ソープオペラ」ではない!‥‥と。

 

ゆえに、ハリウッドの映画人が抗議する準備を開始した‥‥というのは、心情的には思い遣れます。実際に実写畑でムービーカメラに関わっている人間ではないので、「理解できる」などと傲慢なことは言いませんが。

 

でも、アニメの場合は、ハリウッド映画人のソレとは違うでしょう。フィルム愛はないでしょう? 言うとしても「24コマ愛」であって、かつてのフィルム要素の限定的な部分だけでしょう。しかもアニメは濫作乱造が激しくて、24コマの現在ですらソープオペラのような様相であって、映画とは別物です。

 

というか、おかしいよね。‥‥映画ではまったくなく、テレビ放映オンリーなのに、今でも24コマベースなのって。‥‥つまり、昔を引きずり続けているだけなのが、よくわかります。

 

 

ちなみに、ブラビアには「オート(24p)」というモードがあって、24pのコンテンツの場合は、自動でフレーム補完をOFFにする機能が、結構浅い階層にあります。ただ、工場出荷時だと24p優先モードにはなっていないので、その辺りが争点になるのかもしれません。

 

また、今の若い層は、ゲームのモーションに目が慣れていて、120fpsの補完に違和感を感じない‥‥なんていう話も耳にしました。実は私も、どんどん120fpsのテレビ補完に目が慣れてきて、24コマは随分とモーションがカクカクとして見えるようになってきました。

 

 

 

ハリウッドのいう「ソープオペラ」化の「怒り」は、せっかくかっこよく作った「映画」が「昼ドラ」のように質感が激変してしまうことに対してです。

 

一方、日本のアニメは、そもそもほとんどが映画ではなくテレビアニメであって、「24コマのソープオペラ」とも言える状況です。

 

そのあたりを混同せずに、自分たちにとって「24コマ」を、ある意味「哲学」的=「論理的明晰化」によって、是非を問うべきと思います。制作現場の人間と言っても色々な役割の人間が存在しますし、アニメは現場だけでなりたっているわけでなく、社会的な立場もあります。現場の人間の価値観だけでアニメが成立しているわけではないことを、しっかりと認識した上で、あらゆる角度から思考すべきです。

 

「じゃあ、おまえはどうなんだ」と言われれば、ハッキリと明快に簡潔に答えられます。「24コマでも、60コマでも、120コマでも、アニメはアニメだ」ということです。もう少し付け加えれば、「単一のフレームレートに表現を支配されるなんて、まっぴらごめんだ」‥‥です。

 

24コマなら24コマでのベストを、60コマなら60コマでのベストを、アニメの映像表現で尽くせば良いのです。24コマを絶対神のように崇めることは、少なくとも私はしません。極めて根本的で重要な「絵を描く行為」が侵害されるのなら、断固立ち向かうべきと思いますが、フレームレートが時代によって変わっていくのなら、いくらでも対応しますヨ。

 

 

ライトな話題でしばらく行こうと思ってましたが、やっぱり移行期の常、色々な問題が聞こえてきて反応してしまいます。

 

でもまあ、このあたりの話題がアニメ業界人にとってリアルになるのは、来年、再来年くらいなので、今は抑えめにして、エアファイターとかiPad ProやMac miniの新型とか、ライトな話題にしていきたいな‥‥と思ってます。

 

 


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