おじいちゃんの思い出

夏休みの作文みたいな表題ですまんす。今回は思い出話です。

 

私の父方の祖父母は、戦死および終戦まもなくの病死で、私は一度もあったことがありません。私が生まれるはるか昔に死んでしまったからです。祖父が亡くなったのは1945年、祖母は1947年か48年です。

 

一方、母方の祖父母は健在でした。天寿を全うして今は存在しませんが、私が小さい頃は、夏休みと冬休みには必ず母方の実家=祖父母の家に帰っていました。

 

祖父は非常に厳しい人で、私と兄の、ある意味、「恐怖のまと」でした。孫を甘やかすタイプとは真逆で、口数が少なく、怒ることも少ないですが、厳しさが滲み出るタイプの人でした。浅草生まれで、大空襲を避けて疎開するまでは高円寺に住んでいましたから、今にして思うと、喋り言葉が「江戸弁」の語尾だったのを思い出します。

 

私の家系はなぜか教員が多く、祖父も教員で小学校(もしかしたら中学校かも)で教えていた‥‥と記憶します。「曲がった道理には融通しない」性格から、学校の教員仲間からは「偏屈」と呼ばれていた‥‥と母が言っていました。私と兄は「現代っ子」でしたから、「曲がった道理」はともかくとして、夏だとアイスは食べたいし、歩くのはイヤでバスに乗りたいしと、隙あらば甘えん坊を発揮しようとしていましたが祖父は全く動じず、私ら兄弟にとっては、むしろ夏休みに田舎に帰るほうが「厳しい毎日」のような感じでした。

 

そんな祖父の性格でしたから、人にへつらったりご機嫌をとるようなことはなく、「遊び仲間」みたいな人を目撃したこともありませんでした。「友達が少ないのかな‥‥」とか思っていましたが、正月になるとかつての教え子のおじさんたちが年始の挨拶に来て、普段はほとんど笑わない祖父も、教え子たちに囲まれて、自分からベラベラ喋りはしないものの終始笑顔だったのを思い出します。

 

そんな祖父の死後、遺品を整理していたら、数多くの小学校教員時代の自筆による指導用ノートが出て来ました。

 

書道が得意な人だったので、特に習字の書き順や注意点など、指導の実践のような内容が細かく書かれていました。同じノートの中に、クラスの名簿のような名前の羅列があって、何人かの名前に「牛乳」「新聞」‥‥という書き添えを見つけました。

 

おそらく、戦後の苦しい時代、小・中学生でも家計を助けるために早朝に働いている子供も多かったのでしょう。「牛乳」「新聞」のメモは、どの子が登校前に働いているか、事前に把握しておくためだったのだと思います。

 

普通に考えれば容易に想像できますが、早朝にひと仕事を終えて登校した子供と、普通に起きて登校した子供では、すでに朝の1時限目からコンディションが違いますよね。祖父の性格から考えて、むやみに甘やかすことは無いにしても、子供の状況を踏まえた上で、学習指導をしていたのだと思われます。

 

別の話ですが、私のいとこの三姉妹が祖父母の家に遊びに行った時、お昼時に孫たちにインスタントラーメンを作ってくれたそうですが、その際に、3姉妹のラーメンの分量が全て同じになるように計りで計って3つのドンブリに分配していたとか。‥‥普通、そこまでやる? 軽量してグラムを同じにする‥‥なんていうインスタントラーメンの分配。

 

祖父は料理が得意でしたから(浅草で料理人をやっていたこともあるらしい)、目分量でちゃちゃっと分配しても良さそうなのに、3人の孫たちには公平であるべき‥‥との考えだったのでしょうネ。同じく、「牛乳」「新聞」配達の教え子たちにも、「労働の差分を差し引いた上で」公平であろうと心がけたのかも知れません。

 

祖父の死後に見た学習指導ノート、そして私が子供の頃に正月に垣間見た、(かつての)教え子のおじさんたちと祖父の笑顔。三姉妹の孫たちに作ったラーメンの計量。‥‥何だか、全てが繋がったように思えました。

 

実際、私や兄は、祖父の厳しさを恐れていたものの、不信感を抱きようもありませんでした。「じいちゃんだって、ズルしてんじゃん」みたいにツッコめる隙が全くなかったのです。厳しさを自ら体現していた祖父だからこそ、説得力があったのです。

 

 

そんな祖父も最晩年に入院するようになって意識がボヤけてくると、皆が驚くようなワガママを言うようになった‥‥と母から聞きました。

 

私はそれを聞いて、失望するどころか、余計に心を打たれました。祖父は何も天然で=素の状態で、偏屈で厳しかったわけではなく、自分で意識して厳しく行動を律していたのが、改めて解ったからです。意識がボケてきて、律していたものが外れたのでしょう。

 

同じく最晩年の入院中に、兄が病院に見舞いに表れると、たいそう喜んだそうです。確かに、私の子供の頃の記憶をたどると、夏や冬休みが終わりに近づいて田舎から家に帰る時に、駅まで見送りに来てくれていた祖母も祖父も、笑顔で送ってくれていたのを思いだします。

 

厳しいフリして、実は愛情たっぷりの人だったのかも知れません。もう本人に確かめる術はないですが。

 

 

夏が来ると、背筋の伸びた姿勢で立つ、ワイシャツとズボンと帽子の、祖父の姿を思い出します。

 

祖父のような厳しい人間にはなれないけど、確実に影響を受けているのを、今の歳になると実感できます。

 

「あれをやれ、これをやれ」などと細かく言わず、声を荒げた姿など思い出せない、言葉の少ない祖父でした。そう思うと、言葉の多い少ないって、実はあまり関係ないんだな‥‥と思います。‥‥私はこうしてブログでベラベラ喋り(=書き)ますけど。

 

祖父の「その存在自体」がね‥‥。孫たちに色んなことを「言葉ではない方法で」伝えていたのだと、今だと解るのです。

 

 

 

 


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