肯定的に否定的に

作業場に4K HDR 500nitsテレビ、4K HDR 1000nitsリファレンスモニタ、4K HDR 300nits作業モニタが設置され、しかも、4K HDR 500nitsで120fps補完のテレビに至っては部屋の中央にドカンと高い位置に設置したことにより、日頃から4K HDR 24〜120fpsの映像を「皆で普通に」目にするようになりました。

 

特定の個人だけでなく、在籍スタッフ皆が、どんどん次世代の映像標準技術に慣れていきます。理屈やスペックの文字情報でなく、目でみて感覚的に、身の丈の実感として、未来の映像産業の「発展と苦難の両方」を垣間見ています。

 

旧作のフィルムやビデオ作品も4K HDR関連機器で見て、時代性(=時代特有の技術性とでもいうか)の差異を痛感するとともに、不動の魅力を感じることも多いです。さらには、最近のBS高画質番組が4K HDRの倍速技術(120fps)によって補完されることで、4K8K HDR 60〜120p時代の絵作りはどのようなものであるかも、実写とアニメの差はあれど、未来の映像美を予感してしみじみと感じ入ることも多いです。NHKの「ネコメンタリー」は4K HDRで50インチ前後の大画面テレビで、しかもヌケの良い色彩と120fps補完で見ると、ふんわりと柔らかくリラックスした映像に病みつきになりますヨ。

 

中でも、「映画」の「映画感」の変化には驚きます。新しいテレビ(受像機・映像データ上映装置)の技術によって、「映画だったものが映画ではなくなって、技術だけでなく表現意識の古さまで浮き彫りになる」ようなマイナスイメージから、「たしかに映画のディテールは剥がれ落ちたけど、作品の面白さは不滅だ」と再認識するプラスイメージのものまで、‥‥つまり、否定と肯定が錯綜します。

 

思うに、映像技術のフォーマットだけで「表現足り得ていた」作品は、新時代の映像技術によって化けの皮があっさり剥ぎ取られ、無残な姿を晒します。しかし、化けの皮が剥がれても、「あれ? 実はスッピンも美人さんだったのね」と余計に愛着が増す作品だってあるのです。

 

そうした色々なマイナスとプラス、否定と肯定の中で、自分たちの未来の映像表現はどうあるのが良いのか、どのような美しさの可能性が存在し得るか、新しい時代の映像技術を身近におくことで、観念してじっとりと「未来に思い馳せる」ことができます。同時に、24コマの醸し出す「映画っぽいニュアンス」「映画感」に頼るだけでは、未来は相応にブザマでミジメな醜態を晒すことになろうことも悟ります。

 

展示会場にNTSCブラウン管テレビとVHSデッキを持ち込んで3倍録画を再生して、「この荒れて溶けた質感がたまらない」とばかりに自作の作品を限定的な局所で展示するのなら、どんなに時代性・現代性を無視しても良いでしょう。しかし、商業作品における映像制作者は皆、未来世界(=と言っても数年後ですが)の映像技術を概ね肯定し受け入れる必然性に迫られます。

 

そのためには、過去から現在に続く映像表現の潮流を、肯定的にも否定的にも捉えて、「新しきものから新しきを知る」ことと「古きものから新しきを知る」ことを同列に扱う自覚が必要だと考えます。

 

新しいものだけを肯定してもダメ。今までのものだけを肯定してもダメ。

 

新旧両方を、肯定も否定もできるニュートラルなスタンスが必要です。色眼鏡越しに眺めるのではなく、現在と未来を裸眼でしっかりとマジマジと「ガン見」することが重要です。もし、裸眼だと視力が足りずにボヤけるのなら、近くに寄って見れば良いですし、老眼なら一時的に老眼鏡をかければ良いのです。

 

 

 

一方、アニメ業界の総意としてヒシヒシ感じるのは、新しい映像技術に対する否定的な見解と未来技術へのマイナス感情ばかりです。4Kも60pもHDRも「自分たちとは無縁で、むしろ敵だ」とすら考える人もいるようです。

 

もし本当に無縁と決め込む否定的なスタンスを採って「過去の殻の中」に閉じこもり続けるのなら、アニメ業界の技術発展は2K24pSDRが最終点となり、ポスプロの方々に面倒を見てもらう〜アップコンで対応して、「次世代=数年後には現世代」から脱落しないようにするばかり‥‥になりましょう。

 

新時代映像技術の「介護」に頼るアニメ業界の未来の姿は、本望でしょうか。

 

「現」アニメ業界が新世代の映像技術を視界に入れたくない感情はわかります。今だってかなり厳しいのに、これ以上の負荷は背負いこみたくないでしょう。どこぞの現場取材記事で「クオリティを一定以上に維持するには、社内の動画スタッフを多く雇わなければならない」的な内容を読みましたが、さらなるレベルアップ・クオリティアップを課した時に、どのような多大な負荷がかかり、どのような結末が待ち構えているかは、少なくとも現在の作画従事者なら事前に解りますもんネ。

 

だからと言って、「このままで済む話じゃない」のは、他の商業ジャンルの過去を思い出せば判るでしょう。アニメ業界を中心にして世界は回っているわけじゃないですもんネ。世界規模の新しい技術の波を停止できるほど、日本のアニメ業界の影響力は大きくないです。

 

ぶっちゃけ、アニメ業界の総意をのんびり待っていたら、「another one bites the dust」=死体の山が積み重なっていくだけです。アニメ制作現場の未来はいくらでも当人たちで変えていけるのに、過去の慣習や感情、旧来の枠組みや権益に囚われて、戦中の日本人と同じ行動を繰り返そうとしています。首脳陣だけが悪いわけでなく、業界の過去の技術にしがみついている全員が、‥‥です。

 

作画する内容が細かくなって、枚数もどんどん増えて、塗るのも複雑で大変で、撮影処理も盛り込みが過度になるばかり。‥‥わかりきっていますよね。もう「今までの制作技術をエスカレートさせる思考では、確実に破綻する」ということは。

 

旧来技術の延長線上の中で、不確定要素があるとすれば、何がきっかけで破綻するか‥‥という、「破綻の選択肢」だけです。

 

2年後の未来は、1970年代でも1990年代でもなく、2020年代です。しかし、2020年代になっても、おそらく‥‥というよりは確実に、アニメ業界は、作画作業者の雇用の基本問題を改革できないままでしょう。

 

なぜって、アニメ業界旧来の技術内容が「どうやってもお金と人をどんどん大量消費する」宿命だからです。手作業で細かい絵を丁寧に描いて何千何万枚‥‥なんて、お金と時間がかかり過ぎて、個人への分配額が少なくなるのを、なぜ、真正面から見ようとしないんでしょうネ。

 

「自分たちの技術」に関する「根拠の明白な問題」は見ようとせず、根拠のまるでない「制作費をまずは2倍がいい」なんていう「願望」を持ち続けたって、何も解決しないばかりか、どんどん挽回の機運と勝機を逸するばかりです。

 

「これだけ耐えて頑張ってるんだもん。やがて勝つ日が来る」という思いは、「合理的な根拠」をベースにした時には有効でしょう。しかし、「当て所ない願望」をベースにした時には‥‥、まあ、明日は8月15日ですから、日本の70数年前の事実に思いを馳せましょう。

 

 

国家全体の戦争と、アニメ制作の運用は違います。自分たちの取り組みで未来の運命を変えられます。

 

とはいえ、業界の烏合の衆に呼びかけても、未来の運命は変えられません。

 

個人、および、個人が集まって形成されるグループ単位であれば、未来の運命を自分たちで変えることができます。

 

 

業界など、アニメ制作に従事する人々の影が寄り集まってできた幻影のようなものです。

 

幻影に何を期待する? 期待するほうが愚かなのです。

 

あなた個人、そしてあなたたちだけでも、そろそろ「新しい時代」の「新しい技術」を肯定し始めても良い頃‥‥だと思いますヨ。今は目に見えないだけで、同じような志をもった「同志」は「時代が同時多発的に生み出して」いるのですから。

 

 

 


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