消化試合からの脱出

前回書いた「絵を自分の手の中に取り戻す」ことは、絵を描くこと、アニメーションを作ることを、「消化試合」にしてしまうことへの反発・反動です。

 

えーと、今度のキャラは目の中に何個ハイライトが入ってて‥‥ 虹彩の中心は実線じゃなくて色トレで‥‥

 

本来楽しくて、その楽しさが視聴者を巻き込むはずの、絵作り・アニメ作りが、完全に消化試合と化して、報酬は見合ってない感がすごくて‥‥と、作画を長く続けた人間の「お定まりの失速パターン」は誰しも経験がありましょう。経験が浅いのなら、今後訪れるでしょう。

 

自分のやりたいことを自分の仕事にできたはずなのに。‥‥あれれ? 今の自分のテンションは、自分のやりたいことを仕事にできたと言えるテンションではないな。‥‥‥いつから、そんな自分になった?

 

それが前回書いた、絵を毎日描いていながら「絵を手放した」状態です。

 

もし、そういう消化試合のテンションで毎日が満たされているのなら、やっぱりやることはただ1つ。

 

自分の絵を描いてみる。色も塗ってみる。背景も描く。そして、1枚の絵を完成させる。

 

‥‥です。

 

 

 

アニメ業界の作画は、確かに絵をいっぱい描きます。山のように描くと言っても過言ではないです。

 

しかし、完成した絵は何ひとつ描きません。「線画で終了」です。

 

しかも他人様のデザインした絵ばかり。キャラデザイナーだって、多くは、他人様の絵を元に描くでしょ。

 

綺麗事は無し‥‥で構いません。原作付きでキャラデザインありきの、絵コンテのオーダーを元に、原画を描く。動画を描く。

 

しかし、それ以外、何もないまま、10年近く生きたら、そりゃあ、絵を描く行為だって意識だって、擦り切れますよ。

 

アニメーターだって、ひとりの絵描きなんですから。

 

アニメ産業の兵隊としてだけ‥‥の自分の存在意義に、いつしか強い疑念を抱くようになっても、誰も責める権利はないのです。むしろ、その疑念、危機感は、当然の「絵描きとしての自我」です。

 

 

 

仕事でアニメを作るプロ意識の下に、マグマのように「やりたいこと」がふつふつと煮えたぎっていないと、いつか冷めて休火山や死火山に成り果てます。「かつて在ったやりがいの亡骸」で「消化試合」を埋めて、どれだけの人が心を動かされるか。‥‥まあ、「好きな原作がアニメ化した」と喜ぶだけのファンしかいないわな。

 

プロの地盤の地下深くに、アマチュアリズムの原動力は必要です。それをマグマのように表現しようと、水脈のように表現しようと。

 

アニメの作画の仕事は、俺(私)の絵を描く人生とシンクロする。‥‥と、また再び確信できるように、自分自身で「休火山を活火山へ」変えるのに、「iPad ProとApple Pencil」的なものはとても有効です。

 

 

 

でもまあ、作画の仕事は、作画の仕事。‥‥で、ひとまずはいいじゃないですか。

 

休日に、麦茶とお煎餅をつまみながら、ちゃぶ台にiPad Proをおいて、Apple Pencilで好きな絵を描けば、自分の絵を「作画」から連れ戻せます。いつの間にか遠くに離れて会えなくなっていた「幼馴染み」と再会するかのように。

 

「再会」を果たした後は、いつしか、自分の本業たるアニメーション制作においても、「消化試合」の意識が薄れていきます。再び、自分のやりたいこととアニメーション制作が重なり合うようになります。

 

もしかしたら、すぐには「幼馴染の顔を思い出せない」かも知れませんが、気負うことなく、自分の描きたいようにiPadで絵を描いているうちに、やがて懐かしい顔を思い出してくるもの‥‥ですヨ。

 

 

 


関連する記事

calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< August 2018 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM