昔と未来の長話

アニメーターの低賃金の話題は事欠きません。最近も「アニメ業界を辞め時」云々のツイートや取材記事がありました。

 

そうした記事は、私が20年以上‥‥いや、30年前にハッキリと認識した状況を、代弁しているかのような内容です。ネットのインタビュー記事で書かれている「制作構造に問題がある」との指摘も、全く異論なく同意です。30年前の当時、フリーアニメーターだった私は、作品の要求内容に応えようとすればするほど、まさに、どんどん貧乏になっていく生活を体験しました。‥‥体験とか言うとライトな感じですが、インフラまで止まるような生活は今思えば破綻そのもの‥‥でした。

 

特に私はメカ・エフェクト系の作画を得意として引き受けていたので、カット内容は大変なのが普通ですし、いざとなればクオリティは二の次にされる(=スケジュールがない場合、キャラのカットの品質を優先する)‥‥と、日々、ココロに闇が出来ない人のほうが異常と言っても言い過ぎではないです。

 

じゃあ、なぜ、私が潰れずに生き残ったのか‥‥は、私がダメになりそうな場面で、作品制作で起用してくれた監督さんやプロデューサーさんの存在、そしてMacintoshとPhotoshopの出現でした。

 

ここで「コネで生き残れたのか」と咄嗟に思う人は、実は何もわかっていない人です。おそらく、会社勤めだけでフリーランスの経験などないのでしょうネ。「コネ」なんて単なる「出番待ちの繰り上げ」くらいのことで、潜在能力や実力がなかったらコネがいくらあっても先には繋がりません。監督さんやプロデューサーさんが、この人に仕事を頼もう‥‥と思うきっかけは、その人に「何かある」「何かできる」と直感するからです。年功序列や会社組織の都合ではないです。

 

そして、自分の能力を飛躍的に拡張する道具との出会いは、セレンディピティと言っても言い過ぎではない‥‥とも思います。

 

 

私はフィルム時代から「自分の作ってみたい映像」のイメージボードを仕事絡みでも自費でも描いていましたが、その時は一眼レフカメラ(=もちろん自前)をコピースタンド(これも自前)に装着し、水彩で描いたイメージボードをフィルム撮影して現像してプリント(これも自前)して、仕事仲間や監督・演出さんに見せていました。

 

普通に考えて、そのカメラ代、現像代を、全部生活費に回せば、多少は生活を持ち直せたかも知れませんが、正直、「焼け石に水」だと思っていました。なんとか切り詰めて捻出した水を、焼け石に振りかけたところで、冷えるわけがなく、どうせなけなしの水を使うのなら、未来に繋がるようなこと、夢を実現できそうなことに使おうと思っていました。

 

焼け石にわずかな水を垂らすよりも、自分の見つけた1つぶの種を土に埋めて、そこに水を垂らすほうを、選択したのです。

 

でも、どんどん追い詰められていきました。極端な時は、電気水道ガス電話、全てが未払いで止まったことすらありました。

 

そんな中、貧乏を共に歩んできたような間柄の監督さんが、制作会社のMac(7100くらいだったと思う)でPhotoshopをいじらせてくれました。私の写真ボード(=イメージボードをフィルム撮影してプリントしたもの)をスキャンしてくれていて、「江面くんのボードをPhotoshopで見ると、こんな感じだよ」とMacとPhotoshopで触らせてくれたのです。

 

イジってすぐに、「トーンカーブだけでも色々な仕事ができる」と思いました。私がゼラチンフィルタ(カラーフィルタ)や軟焦点フィルタでEOS100で撮影していた内容がいとも簡単にPhotoshopで実現できるばかりか、それ以上のことが山ほど可能になるであろうことに、「これならいける」と未来を確信しました。1994〜95年くらいのことです。

 

MacOS(当時は漢字Talk)のことは全くわかりませんでしたが、Photoshopの操作内容は、絵具やカメラでやっていたことを移し替えれば良いだけでしたから、すぐに馴染みました。

 

おそらく、私が原画だけを描くタイプのアニメーターだったら、Photoshopをイジらせてもらうような事もなかったでしょう。原画の作業が終わって帰宅した後に、日本画水彩(という絵具がお気に入りでした)で着彩したボードを描き、「生のPhotoshop」みたいなことをして撮影&現像プリントし‥‥ということを、諦めずに続けていたことが、セレンディピティ的な出会いを生み出したと実感します。

 

もしかしたら、Mac&Photoshopとの出会いが1年遅かったら、手遅れだったかも知れない‥‥とすら思える、ギリギリの状態でした。

 

 

 

では、すべての人にセレンディピティは起こり得るのか?

 

多分、起こり得ません。与えられた仕事をこなし続けるだけでは、可能性の範囲も広がらず、「偶然のような必然」が範囲に入ってこない=網にかからないからです。

 

じゃあ、突飛な行動すれば良いのか? 多分、それも不正解です。あくまで、自分の能力をエクスパンド(拡張)する新機軸を実践することが求められます。

 

なぜかというと、突飛なことをしても、その出来栄えがよくなければ、周囲の人々の琴線が共振しないからです。自分の得意分野や、過去に手応えがあったことを、アニメの作画作業とは「別枠」「別手段」で実行し、周りの同意や共感を呼ぶことが重要です。独りよがりじゃダメなんです。

 

人の繋がりは重要ですが、コネだけで生きていけるほど、技術系・技能系の仕事は甘くありません。「コネ」の役割は、自分の能力を周囲に知ってもらうだけの一時優先機能に過ぎません。能力の低い人がコネで繋がっても、その繋がりはあっけなく切れます。

 

捉えどころがない話‥‥だとは思いますが、要は計算し過ぎてもダメで、計算しなさ過ぎてもダメなのです。他の言い方をすれば、必然性を高める行動と、偶然性を高める行動の、2つが同時に必要‥‥とも言えます。

 

で、多くの人は、必然性と偶然性のどちらも高めようとはしない=日々の仕事を終わらせればそれで良いと思っているので、状況を変える幸運な何かには出会えず、業界の趨勢に呑み込まれていくばかりです。

 

 

 

では作画作業の未来、アニメーターの未来はどうか?

 

私は今までの「作画の仕事」だけでは無理だと考えています。どう考えても、効率が悪いです。

 

あくまで私の考えやビジョン‥‥ですが、アニメ作品のアニメーターの定義は、いったん、ゼロにバラして、「絵を描いて、動かす人」という原理に戻って、再構築すべきです。昔の流儀を継承したら、おそらくお金の流儀も継承して、貧乏も継承するでしょう。

 

「デジタル作画」は、すなわち、今までの作画作業を、ペンタブに置き換えた内容ですが、単に道具やシステムの移行であって、作画作業における根本的な構造悪をなんら解決していません。ゆえに、「デジタル作画」に移行しても、労働的な明るい未来は訪れないと、私は考えます。

 

「そんなことはない。デジタル作画に移行することで、作業効率もアップし、報酬の問題を解決できる。」と考える人も多いでしょう。全員を社員として雇用するか拘束制にして、単価制を廃止すれば、カット毎の内容の格差も払拭できる‥‥と。

 

でも、その運用の試算って、あくまで2K8fpsSDRの話‥‥ですよネ。未来の高品質映像フォーマットに対応することは、ほとんど何も計算に入れてないでしょ。今のアニメが「それでも何とかなっている」のは、2K(実質は1.2〜1.5K)で3コマうち=8fpsだからです。

 

アニメの現場が、たとえ「デジタル作画」で多少効率化できても、新しい映像フォーマットに対応しようとした途端に破綻します。社員雇用、もしくは拘束料金で作画作業を依頼しても、新しい高品質対応にしたら、カットUP数/時は確実に下がります。一方で、その下がった効率を相殺できるほど、制作費は上がらないでしょう。

 

確実に未来の映像フォーマットは高品質化します。過去の技術進化の歴史を振り返れば、永久停止したことも、先祖返りしたこともないのですから。

 

つまり、アニメの2K24p基準(実質は1.5K 8fps)が世間的に時代遅れになるのは確定している‥‥と言っても過言ではないでしょう。

 

ですから、アニメーターいち個人としては、旧来意識の「デジタル作画」にも当座は対応しつつ、「絵を動かす」という本質に戻って、その本質から派生する「新しい」作業で仕事を得ていく必要があるでしょう。原画と動画の作業段取りだけがアニメの全てではないことを、思い出すべきです。これだけ酷い目にあってきた旧来の原動画システムに、まだ忠誠を誓う必要、あるんでしょうかネ?

 

 

 

私らの進める新しいアニメーション技術は、4K60pHDRが基本です。「何コマうち」なんていう旧来の枚数稼ぎの手法は根本的に必要ありません。「何コマ止め」という意図したポスタリゼーションは作画技術として使うことがあっても、エコノミー目的の2コマ3コマ作画は無用です。

 

未来に必要なのは、原画&動画の枚数節約テクニックでもなければ、フィルム時代の美学でもないです。あくまで、4K以上の高密度画素のキャンバスで、24コマフルモーション以上の動きを駆使し、HDRの美麗な色彩で彩る、新しく美しい世界の価値観と認識です。

 

4K60pHDRで何を作ったら良いかわからないのなら、未来に進むのは諦めて、過去の世界で生きる術を探しましょう。文字に踊らされる事ほど、愚かなことはないです。

 

アニメだって、映画やテレビ放送など近代技術を味方にして出現した時に、それまで存在した子供向けの娯楽を散々駆逐して台頭したわけでしょ? ‥‥で、今度は新しい技術ムーブメントに同じことをされる番‥‥というわけです。

 

何の意識変化もなく、キャンバスサイズを3840に設定したところで、未来のアニメーション像は見えはしません。

 

「そうか。アニメーターって、絵を動かす職業だったよな」と原点に戻って、そこから仕事を創出していく意識があってこそ、未来のアニメーション像も浮かび上がって来ます。

 

 

 

今までの方式や慣習を継承する以上、アニメ制作は逆風ばかりで、未来はもっと強風となるでしょう。でも、私は逆風を文字通り「逆手」にとって、一方では新しい技術を新しい味方につけて、一層、アニメの可能性を広げていこうと思います。

 

セレンディピティ‥‥なんて言葉、実はあまりホイホイ使いたくはないのですが、実感として、これから先の数年は、10年前の「レッドオーシャン化」とはケタが違う、20〜30年規模の大転換期ですから、セレンディピティ的な何かと遭遇しなければ乗り越えられないように思うのです。

 

 

私が昔から好きなワッツの絵画があります。両目は光を失い、竪琴はいまや弦1本だけ切れずに残っています。これは死の寸前の「絶望」でしょうか。それとも、全てを失う中でみつけた「希望」?

 

絵画で描かれる女性の、耳を弦にあてて、微かな響きを聴き取ろうとする姿は、私を勇気づけてきました。女性の表情は、悲しげというよりは、「何か」を感じ取った表情‥‥にすら思えます。

 

ありきたりな美談でまとめられるはずもないです。ただ、福音は、音を聴こうとする者だけにしか聴こえない‥‥のは、経験上からも確かなことだと思っています。

 


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