インストラクター

新たに技術を導入する際に、インストラクター的な立場の技術者や経験者の存在は、非常に重要だと思っています。インストラクターの質が、まるでその技術本体の質のように受け取られるからです。

 

インストラクターとはWikipediaによると、

 

インストラクター(instructor)とは、工業技術、スポーツなどの分野に於いて様々な指導を行う立場の者をさす。

 

‥‥だそうです。とても重要な役職‥‥ですよネ。特に技術の導入期においては。

 

アニメの技術、特に描画に関するソフトウェアの場合、単にソフトウェアの使い方だけを知っているだけでは、有能で指導的なインストラクターにはなり得ません。インストラクター本人の画力と経験は、ソフトウェアの有用性を実証する上でも、とりわけ不可欠です。

 

どんなにスペックを暗記しても、マニュアルやヘルプを暗記しても、描画系ソフトウェアの場合は、「実際に何を描けるか」に対して人々は注目するので、インストラクターが描いてみせる絵は、そのままそのソフトウェアの印象として受け取られます。これはもう、20年も前から同じ傾向なので、今後も同じでしょう。

 

描画ソフトウェアではないですが、After Effectsがアニメ業界で台頭して、コアレタスが事実上死滅したのは、「映像表現の印象」が決定的にユーザに作用したからだと感じます。After Effectsのメーカー(=Adobe)での宣伝映像や画像は、「こんなことができるようになる」とそれまでのアニメ撮影とは一線を画した表現にあふれていましたが、コアレタスは「再現できます」「今までと同じことができます」スタンスに終始して、しかもサイトで掲載していたサンプルはお世辞にも「未来を感じさせる内容」ではありませんでした。2000年前後の話、です。

 

同じことが、2020年前後に、作画セクションで起こるように思います。作画に用いるソフトウェアが、実際にどんな表現をアピールするか、そして、その未来の可能性を印象付けるか‥‥です。

 

現在、幅広くクリスタが支持されているのは、やはり、サイトのデモ画像が美麗であることと無縁ではないでしょう。クリスタを使えば、こんなことができるようになるんだ、と思えるサンプル画像の数々は、これから何を導入しようか迷っている人にとっては大きな印象を与え、強い指針となり得ます。そして、あの月額(今でも500円?)が決定的に人を動かします。

 

TVPaintに関して言えば、その昔「Aura」の名で呼ばれていた頃から、恐るべき画力で様々な画風で使いこなしていたアニメーターさんがいますが、そういう手練れの人たちが他人が羨むような絵を描いてデモするようになると、流れは大きく変わるかも知れません。Cacaniも内容の良さそうなソフトウェアですが、アピールの印象はあくまで機能説明に終始しているように感じられます。

 

物事を動かすのは、細かい機能解説の数々ではなく、圧倒的と言えるほどの大きな印象です。

 

もう散々、いろいろな「フォーマット戦争」で経験して来たこと‥‥ですよネ。細かい機能のアピールが勝敗を決したか? 否!‥‥です。

 

じゃあ、大きな印象って、結局、何?‥‥って、それは当事者たちでその「印象の実体」を作るしかないです。それがまさに、「ものつくりの戦い」なのですから。

 

 

 

思うに、ソフトウェアのインストールベースや普及の趨勢だけでなく、アニメ制作会社の未来も、インストラクションで変わってきます。インストラクターの質が低いと、その会社の「技術の質」も停滞するのです。

 

通り一遍の機能をレクチャーするだけの「人間マニュアル」のような人材が、ソフトウェアの使用法の基準になってしまうと、「基礎の先にある応用技術」に到達するまでに多くの時間がかかってしまい、発展のチャンスを逃し続けます。基礎が出来上がってくると、応用がとんとん拍子で面白いように発展するのが、まさに技術の醍醐味ですが、そうしたことがインストラクターの質が低いことによって阻害されるのです。

 

とはいえ、ソフトウェアの使い方や機能を知っているだけでインストラクターが務まるのは、技術移行期の極初期だけです。現場の人間は、やがて基本的な使い方や機能をマスターしていくわけですから、そうなれば、質の低いインストラクターは存在意義を喪失します。

 

ですから、インストラクターはある種、エヴァンジェリストのような役割も担って、どんどん更新される技術内容、どんどん台頭してくる新しい技術を、現場に広めることが主として必要になりましょう。アニメ制作現場の場合、その普及の実践段階において、描画ソフト系インストラクターは画力を宿命的に求められます。

 

では、アニメ制作現場のインストラクターが成立するのは、どのような状況でしょうか。

 

実際、「そのソフトでどこまでできちゃうのか?」を掘り下げるのは、その当人の表現力に依存します。つまり、絵が描けない、映像のイメージが希薄、映像が頭の中で動いていない人は、ソフトのポテンシャルを「チュートリアル程度」にしか引き出せないので、リアルな現場のインストラクターとしては役不足です。

 

ソフトウェア開発者自身すら驚く「そんな使いかたまで出来たのか」というレベルまでソフトを使いこなすのは、第一線の表現者・作業者です。基礎を終えて応用まで到達するのは、実際に作品制作で凌ぎを削って生き残った、キャリアを積んだ当事者です。

 

ということは、アニメの現場に有用なのは、インストラクターかつエヴァンジェリストで、最前線の作業者として活躍している人間‥‥となりましょう。要は、現場の技量の高い人間が、若年の人間を指導する‥‥ということです。現実的な経験を積んだ一定以上の技量を持つ現場の人間が、インストラクターを兼任する‥‥ということに落ち着くでしょう。

 

‥‥あれ? それって、「善き現場」の復興‥‥ですよネ。

 

 

 

思うに、現場が幼くて不安を抱えている時こそ、曖昧なインストラクター的ヘルプを必要とします。しかし、それは「自分たち自身で、必要な技術を体得するんだ」という覚悟を先延ばしにする温床にしかなりません。なんだかコンピュータは難しいっぽいから、誰か知ってる人、助けて‥‥なんていう弱腰が、いつまでたっても「乳離れ」できない幼い現場に留め続けるのです。

 

特にアニメーターにありがちな「コンピュータ苦手意識」は、アニメーターがコンピューターネットワーク時代に「ひとりだちできない」大きな原因です。

 

以前、コンピュータの知識がない‥‥というだけで、いかにも不利益で不毛な現場の未成熟状態を、私は経験しました。画力の高いプロフェッショナルな人間たちが、コンピュータの知識が乏しいというだけで、低い発達状態のまま停滞していました。

 

コンピュータを用いた制作現場において、それらコンピュータ関連機器を取り使う人間の意向に、作品表現が従属しなければならない状況は、あからさまに、構造悪だと思いました。

 

しかし一方で、コンピュータの知識がなければ、映像デジタルデータ時代の作品作りにおいて、作家性や絵画表現力を発揮することは難しいです。

 

構造悪は、自分の「コンピュータって難しいからわからないや」という甘えも、大きな原因だったのです。新しい時代の作品作りには、作家性、絵画表現力、そしてコンピュータの知識を、全て兼ね備えることが必要です。

 

コンピュータ音痴を自嘲的に自分のステータスとして気取っているのは、未来の映像制作からの脱落と逃避を意味します。

 

コンピュータをどんどん知って、コンピュータのシャーシが軋むまで使い倒して、今までとは別次元の作品表現を成し遂げる、まさに「コンピュータ時代の映像表現の体現者」として、制作現場の人間は成立すべきです。そのくらいの気迫を胸に秘めても、バチはあたるまい。

 

 

ちなみに‥‥、私の作業場の傍には、「フランケン」と呼んでいる、ボロボロのiMac(Late2012)が現役ですが、iMac Proを導入した今でも、最後の最後まで使う所存です。

 

まあ、私にとって頼りになるのは、中途半端な技量のインストラクターではなく、リアルな現場の仲間、そしてコンピュータそれ本体‥‥ですからネ。

 

そして、別立てでインストラクターを用意するまでもなく、頼りになるリアルな現場の仲間が、良質な「専門分野個々のインストラクター」足り得るとも思っています。

 

 



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