どうせなら

日々、アニメの制作業務を粛々とこなし続け、どこかの誰かが作業環境や待遇を向上してくれるのを待つのは、それはそれで人生の選択肢の1つでしょう。

 

「いつか、お金が上がる」のを期待しつつ、年月を積み重ねる。

 

「いつ」「どのくらい」作業環境や報酬が向上するのかは全くの未知なので、ただひたすら、待つ、待つ、待つ‥‥。

 

でも、ごく普通に考えて、待っている時間をもっと他のことにも使ってみても良いと思います。「待ち時間」の使いかたの工夫です。

 

「雨乞い」している時間を他の何かに使って、別の選択肢を増やそうと考えるのは、自然な流れです。

 

しかしながら、雨乞いの日々で不満を抱え続けていても、「次の仕事の話が来る」と多くの人は「自分はまだ必要とされているし、生きていける」とばかりに「不満が一時的にマスク」され、「別の選択肢」「新しい可能性」を見つける「大変なこと」からは遠のいてしまいます。

 

多くの人が、現状に強い不満を感じながらも、現実的にはその不満の多い作業を受注し延々と作業する日々に甘んじます。

 

そして、日々の作業の中で、「何か別の方法を見出さなければ」と危機感が再燃し‥‥という、同じ繰り返しです。まるでビューティフル・ドリーマーのごとく。

 

当座の安心感と、当座の危機感の、無限ループ。

 

 

いっそのこと、干されるくらいのことがあったほうが、新しい可能性や選択肢を得るきっかけが生まれます。

 

「現在の自分の世界をブッ壊す」のはキツいことですが、自分の経験からも、そう思います。

 

干された屈辱感と挫折と忍耐、干された際の不安、干された状況を打開するための知恵、干された時に生まれる別路線の人脈、干された状態から起死回生への実質的な段取り‥‥など、日々の業務に塩漬けされながら生きるだけでは得られない経験と知的人的財産を獲得できます。

 

 

でもまあ、それも人それぞれです。「干されるのはイヤだ」という感情の中で、どのように行動するかは、その人間の根本が作用するでしょう。

 

干された時、ある人は「これからは、どんなに理不尽なことでも言うことを聞くようにしよう」と過度に従順になるかも知れませんし、ある人は「こんな仕事、辞めてやる!」と感情的にもなるかも知れません。

 

「仕事があるだけ有難い」と物乞いのような気分に自分を貶めて卑屈になることもあれば、「下衆な仕事などこちらからお断りだ」とどんなにイキがっても実際に全く仕事がなければ日々の諸経費を払えずに電気水道ガスも止まることもあるでしょう。

 

じゃあ、どうするんだ。‥‥ということです。

 

あまりにもあっけらかんとした答えで恐縮ですが、「極端な行動に出ずに、表向きは中庸でいく」ことでしょう。全ての可能性を留保し、時と場合によって、使い分けることです。

 

新しい可能性を探って準備することは、今までのことを一切拒絶することとは同義ではありません。同時進行が可能です。

 

「自分を干した状況と人間が憎い」‥‥だなんて、アホ丸出しです。感情に支配されているようでは、新しい可能性をモノにすることなど到底不可能。

 

キモチだけじゃダメなのです。キモチは原動力ですが、エンジン単体だけで車は走るまい?

 

それに、干されたら干されたなりに、新しい人間関係も新しい信頼関係も生まれるものです。捨てる神あれば、拾う神あり。

 

でもまあ、最後は自分が頼りなのは正直なところ‥‥ですけどネ。拾う神も、なんでもかんでも拾ってくれるわけじゃないですから。

 

 

 

冒頭に戻って。

 

待つだけの人生か。色々と動きまわる人生か。

 

人それぞれとしか言いようがないですが、どちらも、その当人の行動に相応の人生が展開されます。

 

消極的な人には、消極的な人生。積極的には人には、積極的な人生。

 

まあ、私はどうせ生まれ出てやがて死ぬのなら、自分の美しいと思うビジョンを、できるだけ美しく表現して映像に結実したいと思いますから、待つだけの人生ではなく、「ソレを可能にすべく」動き回る人生を選択しますネ。

 

 


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