煽る

私がブログを書く理由や拠り所は色々ありますが、「煽りたい」というのは確実にあります。

 

え?煽ってんの? ‥‥と思う人もおられましょうが、少なくとも穏便にはしていないつもりです。

 

穏便にし続けた結果が今の業界のありさま‥‥ですから、私は穏便に体良くまとめるより、煽りたいわけです。

 

 

 

同じ業務ばかり繰り返す限定された閉鎖空間にいると、その状況が世界の全てのように思えることもありましょう。特に経験の少ない若い人ほど。

 

でもね。そんなわけ、ないじゃん。作画のフロアは単なる作画のフロア。撮影のフロアも単なる撮影のフロア。自宅の作業場所はただの自宅。‥‥それは、世界の全てじゃないよ。‥‥というのが、今回の「煽り」です。

 

 

 

アニメに限らず、色々な映像制作に関わり、様々な現場の気風を体験すると、いかにアニメ制作現場が「いち作業現場」でしかないかを痛感します。映像制作に関わる人間が、すべてアニメ現場の人々と同じ思考や気風をもっているわけではないのです。

 

私は前々から、アニメ関係者のツイッターのプロフィールにおける、「底辺」「三流」「へたれ」「へっぽこ」のような語句を自ら用いる文面に、アニメ業界人独特の共通点を感じています。

 

もちろん、そうでない人も多いですが、一方で、自虐的な語句を自己紹介に並べる人も多いようです。

*でもまあ、ツイッターは全員参加ではないので、全体の割合と見るべきではないとは思います。

 

まあ、普通に考えて、「底辺」「三流」を自称する人に、(少なくとも知り合いでなければ)仕事は出しにくいですよネ。良い条件の仕事も依頼しにくくなります。

 

私があまり目にしないだけで、日本の謙遜の文化、照れ隠しの文化なのか。それとも、アニメ業界特有なのか。

 

でも、アニメ業界以外〜実写や3DCGで、そうした自虐語句をしたためる作業者・クリエーターは、会った記憶がないです。人となりの差はあれど、技術と経験による自信が伝わってくるような雰囲気をもっています。

 

 

これはなにも、自分を必要以上に、何倍も盛って、喧伝するのが良いと言っているわけではないです。自分の技術と経験を素直に文字として表現すれば良いだけです。

 

一番怖いのは、事前に「底辺」とか「三流」などの自虐語句を並べることで、「うまくいかなかった時の保険」を自分自身にかけるような構造ができることです。

 

やっぱりさ‥‥映像制作における表現技術って、自分の能力を発揮すること、そのものじゃん? そこで逃げ癖をつけてしまったら、品質の対価としての報酬は低いまま‥‥なんですよ。

 

逃げ癖ではなく、単に照れ隠しだとしても、それはそれで、自分の経歴紹介の一文としては非常に紛らわしいし、初見で損をするように思います。

 

謙遜は日本人の美徳だとは思います。しかし、いき過ぎた謙遜=自虐は、プロの現場においては思わぬ誤解や低評価を受けるように思います。アニメ制作工程1セクションの閉鎖空間なら自虐ネタも仲間同士で通用するかも知れませんが、映像制作ジャンル全般で言えば、自らディスカウントして低評価を呼び寄せるような行為とも言えます。

 

 

以前、アニメや実写や3DCGなど色々な仕事に関わる人が、「アニメの作画の人たちって少々卑屈にみえる」と言ってて、作画出身の私は心の奥でショックを受けたことがありました。

 

卑屈‥‥かあ‥‥う〜ん‥‥‥。楽しい人も多いけどなあ‥‥。なぜ、そう見えたんだろう‥‥。現在のアニメ業界の単価からくる低賃金ゆえの、何か日常生活的な鬱屈が、全体像の雰囲気として表に出てるんかなぁ‥‥と、色々思い悩んでしまいました。

 

確かに、金の無さ、貧乏は、人を変えます。悪い方に。‥‥私もフリーアニメーター100%だった20代の頃に破滅寸前まで追い込まれたから解ります。アパートのインフラが全て止まるような極貧に陥れば、卑屈を通り越してヤバい精神状態にもなろうと言うものです。

 

でもだからといって、自分自身で「底辺」「三流」と口に出してしまったら、どうにもやるせない‥‥と私は思うんですけどネ。

 

 

 

で、最初に戻って、私としては「今の状態を、自分の世界の全て」にして良いのか、「煽り」たいわけです。

 

他人に口無し‥‥になりやすい業界だからこそ。です。

 

アニメの、特に作画の閉鎖空間にいると、外部の気風も価値観も心意気も、全く触れる事なく、ある種の自己洗脳状態に陥っていきます。

 

でも、アニメは、映像作品ジャンルの1つであり、もっと他の映像作品ジャンルから色々な刺激を受けても良いはずです。アニメーターは萌えキャラの線画だけA4用紙や2Kで描いてれば良いのか?‥‥ということです。もっと他に描いてみたいもの、動かしてみたいもの、そしてそれを作品・商品として売り出したいとは思いませんか。

 

誰かが率先してくれなければ、自分は行動できない。‥‥なんて言ってると、何も変わらんです。

 

 

私がコンピュータによる映像制作にどんどんのめり込んだ時期の、Appleの「Think different」広告キャンペーンで、私の好きな一節がありますので、Wikipediaから引用しておきます。

 

 

Here’s to the crazy ones. The misfits. The rebels. The troublemakers. The round pegs in the square holes.

The ones who see things differently. They’re not fond of rules. And they have no respect for the status quo. You can quote them, disagree with them, glorify or vilify them.

About the only thing you can’t do is ignore them. Because they change things. They invent. They imagine. They heal. They explore. They create. They inspire. They push the human race forward.

Maybe they have to be crazy.

How else can you stare at an empty canvas and see a work of art? Or sit in silence and hear a song that’s never been written? Or gaze at a red planet and see a laboratory on wheels?

We make tools for these kinds of people.

While some see them as the crazy ones, we see genius. Because the people who are crazy enough to think they can change the world, are the ones who do.

 

(大意)クレイジーと呼ばれる人達がいる。不適応者、反抗者、トラブルメーカーと呼ばれる人達たち。四角い穴に丸い杭を刺すような物事をまるで違う目で見る人達たち。

違った見方で物事を見る連中。彼らは規則を好まない。現状維持なんて毛頭も考えていない。彼らの言葉を引用することも、同意しないこともできるし、奴らを持ち上げることも、こき下ろすこともできる。

おそらく唯一君ができないことは、連中を無視することだ。奴らは物事を変えるのだから。連中は発明し、想像し、癒し、探究し、創造し、ひらめきを与える。奴らは人類を前進させるのだ。

きっと奴らは、いかれずにはいられなかったのだろう。

そうするほかに、真っ白なカンバスに芸術作品を見いだす術はあるのか? 沈黙の中に誰も書いたことがない歌を聴く術はあるのか? 赤い惑星を見つめて車輪付きの研究室を考え出す術はあるのか?

私たちは、そういう種類の人間のための道具を作っている。

彼らをいかれた連中と見る人もいるが、私たちはそこに天才を見ている。世界を変えられると考えるくらいいかれた人々は、世界を変えていく人たちなのだから。

 

 

 

そうすネ。

 

2018年の今だからこそ、Think differentでいきましょう。

 

 

 

 


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