本を読んでた頃

リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」が発刊40周年だとか。‥‥懐かしいですネ。

 

 

 

若い時分、漠然と命やココロの有りようを捉えていた私にとって、1980年代終わりから1990年代前半にかけて、シュレーディンガーライアル・ワトソンなどの多くの著作に触れたのは、大いなる刺激でした。

 

まあ、101匹目のサルは「構造の例え」の読み物として読めば良いし、書いてあることを自分の新たな信仰にしようとでも思いつめなければ、日本社会で漫然と生き続ける惰性的な自分にとって良い刺激になりましょう。

 

 

私は小さい頃から、「いきもの」について、どうにもよくわからなくなることがあって、床屋で切り落とされた夥しい量の毛髪を見て、奇妙‥‥というか不気味なキモチを抱いていました。髪だけでなく、爪切りで切った爪や、誤ってスライサーで切ってしまった自分の皮膚とか、「いつからソレはイキモノからモノへ変わったのか」が釈然としなかったのです。

 

一事が万事そうした「自分にくっついていた時はイキモノで、切り離された途端にモノに変わる」要素で全て構成されている自分自身‥‥が、正直、不思議でした。

 

で、そうした不思議や疑問は、日常生活では全く取り上げられることはなく(よほど変わった親でもない限り、子供にそうした話題をもちかけませんもんネ)、プロのアニメーターになってフリー作業者溜まりのフロアに出入りして、演出さんや先輩の原画さんの机においてあった上述の類いの本に遭遇するまでは、ぼんやりとしたままだったのです。

 

 

生命ってなんだろう、存在ってなんだろう、意識ってなんだろう、ココロってなんだろう‥‥と、ぼんやりながらも、他の人より強く興味を惹かれたのは、やっぱり、絵を描いていたからだとも思います。

 

原画ってさ、何もない白紙に、線で「イキモノ」を描くじゃないですか。

 

そして、その描かれた「イキモノ」は、喜怒哀楽を振りまくかのごとく、時間軸の中で「動いてみせる」わけじゃないですか。

 

ちょっでもモノゴトを掘り下げる習慣があれば、およそ絵を描こうとする人間が、イノチとかココロのメカニズムに興味を抱いても、それは必然と言えます。

 

 

でもまあ、本を読んだからモヤモヤは全て解決した‥‥なんてことはなく、一生死ぬまで、思索は続くのだとは思います。

 

新しい「コスモス」シリーズで「我々は星屑から生まれた」との一節がありますが、人間が何を悩み、何に幸せや不幸を感じ、何を愛するのか‥‥なんて、やがて皆すべて、星屑に帰すのでしょう。あまりにも長い時間の中の、ほんの些細な時間の狭間に、あまりにも小さな存在でしかない人間が生まれて死ぬだけ‥‥なのかも知れません。

 

でも、生きてるうちは、そのちっぽけなことが大事‥‥なんですよネ。

 

 

 


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