練習量

技術は練習量だけで推し量れるものではありません。能率や効率が悪い練習は時間の無駄に他なりませんし、肉体を使った練習は、頭脳を使った構造把握と同調して進めるべきものです。

 

一方で、苦しい練習から逃げるために、ことさらに理論に偏向するのも、技術が上達しない大きな理由でもあります。十分な練習量はどうしても必要です。頭で技術構造の概要を知り得たところで、リアルにその構造を体現する「実演技術」を駆使できなければ、単なる「耳年増」に終始します。

 

1日に10分しか練習しないで、楽器が上手くなるわけがないです。

 

1週間に2〜3枚しか絵を描かないで、絵が巧くなるわけがないです。

 

どんなに頭の中に理論を構築しようと、必要十分な練習量は必要です。ネットが日常生活に普及して、どんなに情報の量だけ身の回りに増えようと、現実に自分の体を用いて練習しなければ、絵や音楽の類いは、技術を習得できません。

 

練習を軽視して理論だけで技術をモノにできるかは、バッハのインベンションの第1番だけも良いから、実際に弾いてみれば判ることです。人体のクロッキーを一体描いてみれば、自分の観察画力の程度はすぐに判ります。

 

 

練習は辛いことも多いので、脱落者も相応に多いのは、昔からです。

 

「今はそんな時代じゃないから」と逃げても、逃げ切れるものではありません。‥‥だってさ、自分の技術の結果に、ありありとその本人の歩んできた経緯が映し出されるもんネ。結果物は、雄弁に、その人間の性質を語ります。

 

 

やみくもに練習すれば良いってものじゃないのは事実。スモークオンザウォーターの4小節のリフを毎日6時間弾いててもギターは上手くなりませんし、萌えキャラのバストショットだけ延々描いててもキャラ好きのファン感情に終始するだけです。

 

一方で、技術とは何なのか、どのような構造をもち、どのようなバリエーションや具体例があるのか‥‥を、いくらリサーチして理論構築しても、現実の自分が練習をほとんどしないのでは、描けない弾けない自分の現実からは抜け出せません。

 

 

やっぱりさ、普通の人たちよりも、格段に描いたり弾いたりしないとさ‥‥‥、一定のレベルを超えた技術習得なんて無理だって。

 

一般レベル以上の努力を積むから、一般レベルを超えた技量が身につくのです。「努力=根性論=旧時代の悪しき精神論」という安易な認識で、自分を誤魔化して逃げるか否かは当人次第ではありますが、自分の肉体から音なり絵なりを生み出す「実演技術」を獲得しなければ、どんなに理論で武装しようと「空論」です。その理論を宣う本人が、その理論を実際に実演できないのでは‥‥ネ。

 

絵や音楽の実演技術は、実演するがゆえに自分の肉体と共にあるわけで、どんなに綺麗事を言おうが、十分な練習量は不可欠です。練習なんてしなくても理論だけで上手くなれる‥‥なんてことは一切ないです。素晴らしい教則本もあるでしょうし、教え方の上手な先輩もいるでしょうが、結局は自己の修練の度合いに帰結するのです。

 

上手くなりたいのなら、練習は猛烈に必要で、理論も深く掘り下げる必要があります。

 

まあ要するに、両方必要なわけで、ゆえに、一生、修練と思索の日々が続くのです。

 

お互い、めげずに、頑張りましょう。

 

 

 


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