動画枚数制限の基点

新しいアニメーション技術には、原画枚数は存在しますが、動画枚数という概念は存在しません。60pをフルモーションで動かす技術においては、動画枚数なんていうカウント方法自体が存在しないのです。

 

一方、旧来のアニメ制作現場は、「作画枚数」そして「仕上げ枚数」によって、成り立っていた‥‥とも、強烈な制限が課せられていた‥‥とも言えます。動画1枚いくら、仕上げ1枚いくら‥‥という計算方法で制作費が左右されているからです。

 

ゆえに、枚数のかかる処理・手数の大変な処理は事前に回避しました。その多くは、キャラデザインにおいて、です。

 

 

しかし現在は、そうした枚数制限など全く無視したキャラデザインが横行しています。例えば「多重組み」ですが、これは原画マンがすぐに槍玉に上がりますが、そもそも「多重組み」を頻発するキャラデザインが災難の発生源であるとの論調を、ツイッターでは中々目にしません。作監や原画マンの責任だ!‥‥という論調が支配的です。

 

何故、原画マンばかり責めるかね? 原画担当者はキャラ表と影付け設定に合わせて描いているだけなのにな。

 

多重組みの場合は、こう処理しましょう‥‥的な記述を、キャラ表にも併記すればいいじゃん。キャラデザイナーがさ。

 

デザイナーが現場技術を度外視したら、現場の運用はメチャクチャだよ‥‥と普通は思いますよネ。でも現代は、それが普通じゃなくて、余計なお世話で口やかましい厄介者の戯言とみなされるんだよな‥‥。

 

 

例えば、髪が風でなびいてリピートの場合、髪の中に目と眉が透けて、かつ、肌に髪の影が落ちるデザインで、「表情変化」があった場合は、それはもう、面倒極まりないことになります。

 

こういう類いネ。

 

 

悩ましい。描いててイヤです。でも、「これがこの作品のキャラだ」と言われればしょうがない。

 

こうした複雑に入り組んだ線と塗りと、枚数制限の狭間で、キャラ表と影付け設定の通りに原画マンは描くわけですが‥‥

 

 

髪の毛が透ける処理の場合、マスクワークを原画マンが指定する? ‥‥そんな決め事、今までどこに存在した? マスクワークで多重組みを回避するためのどんな指定方法が確立している? 旧来作画技術の延長線上で作業する原画マン相手に、無茶を言ってはイケません。

 

髪の毛の影が肌に落ちる場合、肌と目と髪を別セルで分けて別々に動かしていいの? ‥‥「動画枚数が2倍になる」と即座に削減の対象になるでしょ? 原画マンがいくら後続の工程が混乱しないように配慮してもさ、「同タイミングなのに、なんでこんな枚数のかかるセルワークにしてるんだ」と工夫は全て帳消しどころか、演出に怨まれるよネ。

 

二値化だから1本線レベルで組みができる? 原画マンが表情変化のタイミングに合わせてセルワークを工夫してタイムシートを細かく記述しても、演出チェック時にタイミング変更があったら、総崩れだよ? 原画作業時点で多重組みありきでシートをつけちゃったら、かえって、シートは解りにくく複雑なものとなり、のちのチェック工程(作監や演出)で編集しにくくなります。

 

 

「多重組み」を原画マンの責任にするのなら、キャラクターデザイナー、演出、監督、そしてプロデューサーの責任も問われるべきでしょ。

 

「原画マンのうっかりミス」じゃ、ないって。‥‥そう思っているうちは、何も変わらないでしょうネ。原因はちゃんとあるのに、「うっかり」という「なあなあ」の理由で済ますのは、いかにも日本人の土着的な習慣ですネ。

 

私は、作画もコンポジットも兼任するので、もちろん、「多重組み」の問題は身にしみてわかっております。仕上げさんの申し送りをもとにタイムシートをコンポジット作業(撮影)で付け直すのは、まるでパズルみたいで時間が余計にかかります。タイムシートを撮影スタッフが書き直すのが常態化しているのは、旧来の規則でいえば「反則」で「異常」なことです。でもね‥‥原画作業時点ではぶっちゃけ、手詰まりなんですよ。上記の理由で、です。

 

絵コンテとキャラ設定に羽交い締めにされた原画マンだけのせいにするのは、近視眼も甚だしい。旧来の制作技法の上に現代流行りのキャラデザインを覆い被せたことによる災厄、もはや旧来制作基盤の構造上の欠陥、限界そのものなんだからさ。

 

 

最近、空のビールケースをひっくり返す動画が「こんな複雑な動画を描くなんてスゴい!」‥‥と持ち上げられていましたが、おいおい‥‥‥、そうじゃなくて、「こんな複雑で手のかかる作画を野放しで通す演出はどんな神経してるんだ。ひっくり返す段取りやカメラアングルなんて、いくらでも逃げれるだろ?」とか、「ビールケースのデザインを省略せずにそのまま動画に描かせる現場自体が思考停止・機能停止している」とは思わないのかな。‥‥でさ、その動画って、1枚いくらで作業したんでしょうネ。

 

昔から根本的な技術改革なんてしていないのに、「1枚絵で描けるものは全てアニメにできる」と考える現場総体の傲慢さが、過ちの発生源‥‥だと感じます。

 

原画マンが各自ぞれぞれの判断で、キャラ表の処理を勝手に変えられるわけじゃなし。

 

多重組みに関しては、もし、動仕撮がクレームを入れるとするなら、まずはキャラデザイナーでしょう。「設計段階で多重組みを抑制する工夫をしていないから、どんどん事故が発生する。デザインするときに、現場の運用リスクを考えてくれているのか?」と。

 

キャラデザインでも多重組み抑制の工夫がなされていて、単に原画マンのルーズで雑な仕事が原因で事故が発生した場合は、原画マンを責めれば良いのです。

 

 

 

でもまあ、そういう騒ぎや内輪揉めとは、新技術はもはや無縁。

 

‥‥なので、首は突っ込まない。原画マンが多重組みの諸悪の根源だ‥‥と思っているのなら、まあ、その当事者たちが喧々囂々すればいいだけです。

 

 

 

新技術においては、「組線」の面倒な処理は発想そのものが存在しません。レイヤー構成かマスクワークで対処します。

 

枚数制限に縛られることなく、デザインに応じた処理をすれば良いだけです。キャラクターデザイナーは、新技術の特性を理解し、レイヤー構造とマスクワークの運用コストを踏まえた上で、はじめてデザイン作業が可能になります。

 

「原画」を描いた人間は「アニメーション工程」(動画に相当)も兼任するので、破綻した原画を描くとモロに自分が苦労します。レイヤー構成を考え抜いた作業が必要になります。

 

その代わり、新技法の特質をうまく使いこなせば、「今までのアニメ現場では絶対に無理」な新しいデザインやアニメーション技法が可能になります。‥‥あまり声高には申しませんが、全く異なるコスト構造も‥‥です。

 

もちろん、新技術で難しい表現や処理は、演出時点で回避します。

 

新技術では、今までできなかったことも数多く可能となりますが、その技術基盤の幼さゆえに、「身の程」は周到にわきまえるようにしています。幼子を徐々に大事に育てていくように‥‥です。

 

根拠のない乱暴な采配やジャッジをする人間は、そもそも新技術グループには参加できません。

 

 

 

「技術上や制作費上の限界を鑑みた、身の程をわきまえたスタンス」は、昔のアニメ現場だったら、当然のこと‥‥だったんですけどネ。

 

現用の技術をふんだんに取り入れた新技術が「身の程をわきまえて謙虚」で、昔から根本的に更新されていない旧技術が「身の程に対し無神経で傲慢」というのは、なんとも皮肉としか言いようがないです。

 

動画枚数、仕上げ枚数という「制作コスト」上の弱点があるからこそ、キャラデザインを工夫したり、演出技法を編み出したりしたのを、今のアニメの現場はすっかり忘れ去ってしまったようです。

 

 

 

一方で、現代は、昔のようなおしなべて線の少ないアニメだけを許容しているわけでもありません。時代には、その時代なりのニーズというものが存在します。

 

そうした現代の荒波に為す術もなく翻弄される現場に、変わることなく希望を託す‥‥というのなら、それはそれで本人の自由です。

 

 

 

しかし、どの希望を選択するにしても、「自分が選択してしまった未来」を他者のせいにしてはいけません。

 

選択肢は色々あるにも関わらず、あえて、ソレを選んだのですから、自分なりの覚悟とオトシマエは必要です。

 

 


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