ヒコーキ、雑感。

仕事ではなく、趣味方面でプラモを作る時は、普通に色を塗ります。仕事ですと、「立体の把握」がしやすいように、サーフェイサーのグレー塗装で墨入れしてフィニッシュしますが、趣味目的だと好きなようにペイントできますし機種のチョイスも自由なので楽しいです。‥‥まあ、最近はあまり時間が割けなくて、放置しっぱなしですが。

 

ふと、作りかけの零戦を眺めていて、

 

既に零戦の頃から、目的遂行のために人命を軽視しがちな思想って、日本人の奥底に根付いてたんだな

 

‥‥と、他の同時代の戦闘機〜スピットファイアやBf109、F4Fワイルドキャットと比べて、しみじみ思いました。

 

*左が零戦21型の1/72、右がスピットファイア・マーク1の1/72。どちらもタミヤ製の繊細なディテールで、かつ部品点数が少ないので、作りやすいキットです。ちなみに、下塗りの状態なので、わざとムラ塗りしています。‥‥つまり、テクスチャの下地塗りです。

 

零戦に象徴される、日本人の特質って、どこが起点なんだろう、何が原点なんだろう‥‥と、考え込んでしまいます。

 

どんな時代でも、おそらく、自分の命を簡単に終わりにできる日本人などいないでしょう。簡単に死ねるのは、映画やアニメやコミックだけの架空の世界だけで、実際に現実世界で自分が‥‥となると、相当「のっぴきならない前段階」が必要になることと思います。

 

「とりあえず死んで、自分の人生をQuitしておくから、後でまた、ロードし直してネ」なんて有り得るわけもなく、死んだら全てがお終いです。死んだら自分はどうなるんだろう、残された人はどうなるんだろう‥‥なんてことを考える自分自身が消滅するわけですし、どんなに財産を残そうが名声を築こうが、死んだらその富を実感することはできなくなります。

 

「死んだらおしまい」なんて誰でも解っていること‥‥ですが、じゃあ、なぜ、そうした「取り返しのつかない死」へと導く思想を、日本人は今に至る現代でも持ち続けてるんでしょうかネ。

 

零戦は軍部の過大な性能要求をクリアするために、防弾板などの命を守る装備を省き、格闘性能や航続距離を向上した‥‥のは、いまさらここで繰り返すこともないほど、有名な逸話です。

 

その零戦の性能は、要求する側の人間がいて、要求に応えた側の人間もいて、そして「零戦の性能ありき」で作戦も戦術も立案され、その作戦命令に付き従った人間もいて、1つの成功例にしがみついて全てを楽観的に捉えるようになって、やがて人命軽視の無謀な作戦を連発して‥‥と、‥‥あれれ? 何か、既視感のある光景。

 

アニメ業界関係者なら特に。

 

 

何故か、私は小さい頃から零戦には惹かれませんでした。零戦の時代背景や誕生秘話みたいなものを知り得る前から、零戦には魅力をほとんど感じませんでした。ゆえに、小学1年生だった私が初めて買った飛行機のプラモデルは、ドイツの「Me262」ジェット戦闘機(¥100)で、零戦には目もくれませんでした。

 

今でも、「飛行機好き」と自称する人が、「零戦が好き」と語っていると、「‥‥‥。なぜ?」と不思議になります。

 

零戦を「美しい」という感覚も理解できません。それこそ、小学生の頃から一貫して、です。

 

零戦を美しいというのなら、他の日本機にも、飛燕や五式戦や疾風や流星改、Ki-102など、いくらでも美しい機体はある‥‥と思います。

 

「零戦には歴史的なサイドストーリーがあるから」というのなら、それはもはや、機体の美しさではないですよネ。「歴史」という「ブランド志向」で、美しいと思い込んでいるだけかも知れません。

 

 

では逆に、なぜ私は、子供の頃から零戦を大して好きになれなかったのか?‥‥と、それもよく解らないのです。‥‥正直なところ。

 

今にして思えば、零戦のフォルムの向こう側に、人命軽視ニッポンの危うさが匂っていて、零戦の設計思想の発露として、機体のデザインやフォルムに表れていたのかな‥‥とも思い起こします。もちろん、そんな理屈を小学1年の私が言葉で思い浮かぶはずもなく、無意識に「匂い立つ危うさ」を感じ取っていたのかな‥‥と、今では推測するばかりです。

 

勝つために死ぬ」と、「生きるために勝つ」との、根本的な思想の違いは、こうして絵や映像に携わる仕事をしていると、多かれ少なかれデザインに表れるものだと、今なら判りますがネ。

 

ドイツの「ナッター」とか日本の「桜花」とか、見るからに末期的だもんネ。「勝つために死ね」という気、満々です。

 

 

私が小学低学年で好きだったのは、先述のMe262をはじめとして、Fw190、P-51D、飛燕、疾風‥‥あたりの大戦機、そしてF-100やF-105などの米センチュリーシリーズ、F-4、F-14、F-15、F-16‥‥と、コテコテの「当時の現代っ子」的なチョイスでした。

 

 

私は、アニメ制作の未来において、零戦と同じ轍は踏みたくないです。

 

零戦が破壊されたら、増産すれば同じ性能の機体を補充できます。しかし、経験と技術を身につけたパイロットは死んだら二度と帰ってきません。爆弾と一緒に突っ込むなよ(突っ込まさせるなよ)‥‥という話です。

 

私は日本人ですが、そんなこんなで、零戦を美化したい気持ちにはなれんのです。

 

まあ、軍用機は結局、人を殺傷する兵器ではあるのですが、せめて「勝って生還せよ」という設計思想を根底に持っていて欲しいと思います。

 

*ハセガワのF-14F-15です。これもアクリル筆塗りの下地テクスチャ状態です。

 

 

 



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