世代

ちまたでよく耳にする「XXの世代は云々」「OO世代だから」のような「世代性に関連付けた論調」を耳にすると、少なからず違和感を若い頃から感じてきました。

 

「ロスジェネ世代は不幸」なんていう論調も最近は頻繁に見聞きしますが、まさにロスジェネ世代の人が「私はロスジェネなんて括られたくない。ロスジェネだからと卑屈になっている人間と同一視されたくない。」と言い切っているのをリアルに聞いたことがあります。

 

そうなのよ。私の世代も「バブル世代」とか「新人類」とか言われましたが、同世代の人間がまるで同じ性質を持っているかのように括られるのは、強い違和感を感じていました。

 

 

全てのオジサン・オバサンが、事なかれ主義で穏便に事を済まそうとしているわけではないですよ。

 

全ての若い男女が、革新的な物事の捉え方で斬新な思考を獲得できているわけではないですよ。

 

慣習に依存し、日和って荒波立てずに物事を流そうとする人間は、それこそ、老若男女、全ての年齢層に存在します。

 

その逆に、全ての世代において、「今のままじゃダメだ」「もっと方法があるはずだ」と考える人間も、相応に含まれています。

 

 

まあ、たしかに、「世代別に分類して、対決する構造」でものを考えた方が「やりやすい」とは思いますが、仮想敵をファンタジックにでっち上げることは、果たして、行動の良き指針となりえますかね?

 

怒りは原動力になりますから、「若い人間はなっとらん」とか「オッサンが俺たちの邪魔をする」と考えたほうが、テンションも上がるでしょうが、それは「当人が闘争本能を盛り上げるための気分」でしかないと思います。

 

オッサンオバハン層も、若者層も、全然、一枚岩ではないのです。

 

現在の鬱屈した状況を打破するには、若者たちで結束して、未来を変えるぞー!‥‥と意気揚々と盛り上がるすぐ脇で、状況が悪くなったらいつでも日寄れる準備を整えている若者も多いのです。保守的で因習的なものの考え方をする若い人間が多いのは、まさにSNSが示す通りです。‥‥でな、それは何世代にも渡って繰り返されているので、私の若い頃にもあった話です。

 

世代論で物事を図ろう(謀ろう?)とする限り、同じ回廊をぐるぐるとさまよい続けるだけです。

 

 

例えば、危機意識に目覚めた若い20代のひとりの男(女)が、拳を振り上げて「未来を変えるぞ!」と行動して、どれだけ、同世代の他の人間が合力してくれますか? し〜〜〜ん‥‥となって、ひとり虚しく立つばかりではないですか? たとえ賛同してくれたとしても、それは口だけ(今だとSNSですね)で、実際に力を合わせて行動してくれる人がどれだけ現れるでしょうか。

 

‥‥要は、同じ意志を持つ人間たちこそが重要で、世代が「意志の条件」を満たしているわけじゃないですよネ。

 

私は、そうした意味で、自分の世代を含めた、どの世代にも絶望しています。しかし、どの世代にも希望は捨てていません。そもそも人間を世代でくくろうなどとは思いませんので、同じ意志を分かち合える人間と「出会う運命」に、絶望も希望ももっているわけです。

 

 

私は、各世代に点在する、革新を求める人間たちをネットワークしたいと思っています。重要なのは世代・年齢別ではなく、各世代に分散する「異なった考え方ができる」人間たちです。懐かしい言葉ですが「Think Different」な資質を素で持ち合わせている人‥‥ですネ。

 

突出した考えを持つ人間たちが、現代の社会の状況の中で、どのようにネットワークし、どのように姿をあらわすか‥‥が肝です。ゆえに、現代日本の社会の状況は重要な要素です。一方、OO世代だからXXだ‥‥など、さして重要なことではありません。

 

 

全世界で8,000万人(!!!)の死者を数えた未曾有のカタストロフ「第二次世界大戦」が終わった後の、戦後の復興期・高度成長期を、今の時代と比べて何になりましょう。戦後の高度経済成長期と現在が同じであるわけがないのです。

 

地球だってさ‥‥、46億年と言われる時間の経過の中、色々な気候変動を経て、現人類が台頭したわけじゃん? 地球の話を持ち出すと風呂敷を広げ過ぎとも思いますが、「時代の変化に合わせて新しい何かが台頭する」という基本構造は同じです。

 


時代・社会は、ハンデや足枷にするのではなく、ブースターや踏み台にしてこそです。

 

どんな世代の中にも、時代をうまく使える人と使えない人がいて、その国の経済は「うまく使える人」の数で決まるのかも知れません。

 

まあ、確かに、今の日本はそうした観点では「劣勢」かも知れませんね。こと、アニメ制作にしても、です。過去の技術を「デジタル」でトレースしただけでは、決してThink Differentではないです。

 

結局は、今、何を進めているのか、未来のために何に取り組んでいるのか、準備しているのか。その内容が重要です。そして、その水面下の動きのなかで、世代などに拘らず、人間をネットワークすることを徐々に図っていくだけです。

 

 

 

ただ、ぼけ〜っと「俺は50代だ」「僕は20代だ」「私は30代だ」なんて生きてるだけだと、世代論の打算的な甘い誘惑に呑み込まれるように思います。

 

結局は自分、そして人間たちのネットワーク。

 

その自分、そのネットワークは、クレイジーで良いと思いますけどね。

 

‥‥ああでも、そうか。クレイジーの「実践方法」も今の時代に合わせて思案しなきゃ‥‥ですね。色々あるもんね。

 

でも、時代がどうであれ、クレイジーであることは何も変えなくて良いのです。

 

 


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