雑感

前回のブログでちょこっとだけ触れた著作隣接権・録音権(録画権)は、実演家(=演奏家)が「完成品」を演奏している点が、アニメーターの原画・動画と大きく異なります。実演家とアニメーターが同じカテゴリに括れないのは、アニメーター視点での完成物は、全行程から見れば中間素材でしかないからです。色も塗らず背景も描かない線画に対して、録音権に相当する権利が認められるのならば、世の中の多くの中間素材制作者が録音権相当の権利を主張できる事になります。

 

そんなこんな、今から20年以上も前の20代の頃に思いを巡らせて、「アニメーターの作業形態の限界と宿命」に思い至ると同時に、自分の境遇に悩み続けてうじうじ足踏みするよりも、違うフィールドに目を向けて開拓したほうが良いんじゃないか‥‥と考えが次第に変わっていきました。

 

そもそも‥‥です。アニメ作品は、作品なのか、製品なのか、商品なのか。

 

これもまた20代の中頃に「白黒はっきり」したいと思っていましたが、やはり若気の至りでした。商業アニメ作品は、「作品でもあり製品でもあり商品でもある」のです。何か1つで言い切れるほど単純な立場ではないです。

 

作品でもあり、製品でもあり、商品でもあるアニメーション作品を、どのようにうまく展開していくか、そちらの方に自分の思索を広げていったほうが「建設的」「発展的」「現実的」です。形骸化した理念に囚われ続けて20〜30〜40代と悶々と過ごし、気がついたらジジババだった‥‥なんて、当人が愚かなのです。

 

2017年現在そして未来は、映像制作にとって、とても有利な時代でもあります。つまり、作品も、作品作りも、制作者も、今までとは違う形態を模索し、実現できる可能性があります。

 

一方、アニメ業界は「ブラック」だなんて揶揄されますが、業界内部の人々は、アニメ業界の因習と技術限界に付き従っているから、その「ブラック」の牢獄の中に束縛されているのです。個人視点、団体視点の両方、いくらでも発展のバリエーションは存在しますし、牢獄からの脱出路は見出せます。

 

2020年代を間近に控え、様々な映像技術が周囲に存在するにも関わらず、アニメ業界のスタッフの技術が、アニメ業界の不幸せな部分に、遺憾無く発揮されている‥‥‥のは、何とも皮肉ではあります。


今、手が届きそうな未来の幸せよりも、過去から引きずり続けた不幸せのほうに好んで手を出していながら、当の本人は「こんなのやってられない」と嘆く‥‥だなんて、悲劇を通り越して喜劇そのものです。だったら、新しいことに挑戦して獲得すれば良いのに‥‥です。

 

アニメ業界の各スタッフは、何も兵役で現場に連れてこられているわけじゃないでしょう。自分の自由意志ですよね。だったら、今の現場の仕事の枠だけでなく、2017年以降の未来の「幸運な要素」にもどんどん手を伸ばして獲得していくべき‥‥だと思うんですよね。

 

アニメーターという古い概念、アニメ制作現場という古い形態。そこに固執し、依存しているうちは、権利も作品も古い枠の中のままです。つまり、お金も昔のまま、変わらないのです。

 

お金に不満があり、変えていきたいのなら、自分たちの技術や立ち振る舞いも変えていく必要がありましょう。今までのように和気藹々に‥‥なんて考えるのなら、今までのようにお金もね‥‥ということです。

 

昔を継承することばかり考えてないで、潔く、昔の幸せも不幸も、一切断ち切って、新たに仕切り直す覚悟はどうしても必要です。

 

昔の意識のまま、4K時代なんて迎えられんからな。

 

 

 

 


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