未来の不一致

「未来」とひとくちに言っても、アラウンド50の未来と、アラウンド30の未来では、その差20年も開きがあります。

 

未来に向けて、現場の状況を改善しよう!‥‥と声を上げても、残り10〜20年「逃げ切れば良い」未来と、これから40〜50年を「生き続ける」未来とでは、あまりにも内容が異なります。

 

本当に、ベテランアニメーターと若手アニメーターで、未来を変えようとする志、窮状に対する利害は、一致しているんでしょうかね?

 

私は、実は根本的にズレていると感じています。

 

技術面における、未来のビジョンが一致していません。

 

技術は旧式化すれど、あと10数年「保ってくれれば良い」という目論見と、自分たちの「未来を支える技術であってほしい」という目論見では、あまりにも実践すべき行動が異なります。

 

ぶっちゃけ、多くのベテランアニメーターは、紙と鉛筆のままでも良い‥‥と思っているはずです。何せ、今までそれで稼ぎ続けて確固たる技術的な自信があります。たとえ、未来がどのように変わろうと、自分たちが活動している間だけでも、紙と鉛筆が「保ってくれれば」なんとか生きていける‥‥という計算は、口には出さずとも、心の中に秘めているのではないでしょうか。

 

しかし、若い人間はどうでしょうか?

 

4K60pHDR、8K120pHDRの映像世界で、紙と鉛筆で、もしくは紙と鉛筆をタブレットに移し替えただけの「デジタル作画」で、40〜50年もこの先、本当に生きていけると思っているのでしょうか。

 

要するに、ベテランアニメーターは「今までのやりかたが変わらない程度に、少しでも改善できれば御の字」的な視座ですが、若手のアニメーターは「50年スパンの未来世界で生き残っていける、未来型のアニメーション技術」の視座が必要です。

 

技術的観点で見れば、老いと若きの利害は、全くと言って良いほど、一致していません。「マイナスとプラス」と言ってもオーバーではないほど、正反対です。

 

ベテランは「今までのハコが壊れるのはマズイ」のですが、若手は「今までのハコががっちりと固まってしまって、未来を変えられないのはマズイ」わけです。

 

今までのハコがね‥‥、労働条件的に恵まれているのなら、今のままが良いと思う人も多いでしょう。しかし現実は、ちまたの情報の通り=ブラック業界と言われるありさま‥‥です。しかも、世間の映像技術は、アニメのスタンダードからどんどん離れて高度化していきます。技術と労働の両面で、未来は行き詰まっていきます。ゆえに若手は、今のままの技術に乗っかり続けるだけでは、40〜50年間の長きに渡り窮状を我慢し続ける「耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ」未来が待っています。

 

 

こうした利害の不一致は、新しい変化に対応できない老いた世代と、新しい技術でもどんどん吸収できる若い世代の、「肉体的な都合」にも大きく関係します。

 

実は、ベテランアニメーターで一定数の人々は、「技術の転換」を非常に恐れているようにも思えます。「もう、自分の年齢からだと、新しい技術の習得は無理だ」と。

 

例えば、私がどんどん技術基盤の構築を推し進めている新しい技術は、絵コンテすら今までのようには描けません。新技術の得手不得手を反映した絵コンテを描けなければ、新現場の不必要な負担になるからです。「今までの感じで絵コンテを描かれても迷惑」なのです。

 

つまり、ベテランからすれば、新しい技術にシフトしていくと、自分たちは無用の長物と化していく‥‥という不安を、潜在的・暗黙のうちに感じているのではないでしょうか。ゆえに、単価や予算に関することは「改善していこう」と言うわりに、「技術をどんどん未来に向けて変えていこう」とは一切言い出さないのです。‥‥両方必要なのにネ。

 

自分たちが不要になる未来なんて、普通の感情として、受け入れ難いし、拒否したいですよネ。

 

でも若い人々はどうでしょうか。20代の吸収力の高い年代に、どんどん新しい技術を習得していけば、今までとは違う未来を切り開くチャンスを得られます。

 

旧来技術と新技術分け隔てなく、吸収できるものはどんどん吸収してこそ、技術的な選択肢が豊富で、報酬面でも有益な未来を手にできるでしょう。

 

若い人は、少年少女時代から家庭にパソコンやネットが普通にあり、中には、中学高校時代からタブレットで絵を描いていた人までいるでしょう。お父さんのペンタブで絵を描いているお子さんを、実際にお父さん本人から聞いたことがあります。

 

私も80年代当時は「新人類」「ニュータイプ」と言われた世代ではありますが、1990年代生まれ、そして2000年代生まれの人間は、まさに映像制作の「ニュータイプ」と言えます。コンピュータが普通に「身体感覚の内側にある」世代が、どんな風に技術を変えていくのか、予想しきれません。

 

実際、私が今、新しいアニメーション技術において欲している人材は、そうした柔軟性に富んだ人材です。そして、その人材が長きにわたって現場で力を振るうためにも、「辞めたくなるような低い賃金」から脱出できる新たな「お金の勘定」が必要にもなりましょう。

 

私らの新技術グループは、旧来技術には依存しない技術体系ゆえに、たとえ私が50代間近であっても、いわゆるベテランアニメーターの利害とは一致せず、むしろ、新技術で未来の仕事とお金の問題を切り開いていかねばならない「新世代の利害と一致」します。私にはもはや旧来現場には帰る場所はなく、新しい技術世界の現場にこそ、自分の半生があると覚悟しています。帰ったところで、過労死で死ぬだけだとも思いますしネ。

 

 

こと、作画の労働条件にしても、老いと若きは「一枚岩ではない」のです。それぞれの「未来の思惑」「未来の都合」があります。

 

「今をなんとかしよう」というのは解らないでもないです。しかし、「今」は必ず、「未来」へのきっかけとなり、「今と未来」は繋がっていきます。

 

「今を生き抜くために、今何をするのか」は、「守りの退歩」と「攻めの前進」で大きく変わります。

 

「過去のまま続いて欲しい」と思うのと、「未来を新しく変えていかねばならない」と思うのでは、その行動指針はまるで違ってきましょう。

 

現場を見ていて、例え20代の若手でも、「未来を感じられない」と思うのなら、そう思ったなりに行動すべきです。多分、その直感は外れてはいないです。

 

 

 

守りの現場にはそれ相応の雰囲気が漂いますし、未来へと進んでいく現場には相応の「勢い」があるものです。

 

何をどう誤魔化しても、「過去に生きようとする人間」と「未来に生きようとする人間」の思惑は一致しないもの‥‥なのです。

 

 


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