「業界」という幻の人格

「これから先の未来を、業界は考えていかないと」‥‥みたいな文言は、ついつい、口をついて出てしまいますが、これは非常に危うい言い回しだと思っています。

 

なぜか。「業界」をさも「人格」のように捉えて扱っていることです。


「業界」は考えないでしょ。人間じゃないんだから。

 

「業界」が「考える」って、結局、どういう実質なのか。

 

 

「いや、それは、業界のみんなで考えていこうという意味を、省略しただけで‥‥」と言うとすれば、では、「業界=業界のみんな」と定義しちゃって良いのかな?

 

であるならば、「業界が悪い」ということは、「業界の皆が悪い」ということになり、他者への糾弾とともに、当然ながら、強い自己批判も必要になりましょう。

 

 

要するに、「業界」という言葉は「都合が良い言葉」なんですよネ。なので、安易に用いてしまいがちです。私も「業界」という言葉を、つい「人格的」に扱ってしまいがちです。

 

「業界」という幻の人格で問題を捉えようとしても‥‥

 

 

「業界に物申す」‥‥って、実質的な対象は誰なんでしょうか。

 

「業界の悪いところを改善する」‥‥って、とっかかり、どこの誰に働きかければ良いのでしょうか。

 

 

‥‥という感じで、「どこの誰」かを特定できないので、ボヤけちゃうのです。そして、ボヤけたまま、何も進展しない。

 

 

特定個人の姿が全く見えてきませんよネ。「業界」なんて言っちゃうと。

 

 

それに、「業界」と言い表すと、何か、「業界全体でうまくやってよ。自分は傍観して待ってるから」みたいな「どこかの誰か」依存のニュアンスになりませんか? 自分も「業界」に含まれているにも関わらず‥‥です。

 

‥‥そして、ここでも架空人格的な言い回しで逃げていますよネ。「業界全体」がうまく「やれる」わけがないです。人間じゃないんだから。

 

「業界」が「行動する」って、具体的には、実質的には、どういうことなのか。どこにいる、どの人々(=特定の人間)が、行動すれば良いのか、全くビジョンが見えません。

 

 

 

「業界という単語を、「自分」「自分たち」へとに置き換えるだけでも、ビジョンは見えてきます。

 

 

「業界が進む道は」ではなく、「自分が進む道は」。

 

「業界の未来」ではなく、「自分たちの未来」。

 

「業界は変わっていかないとダメだ」ではなく、「自分は変わっていかないとダメだ」。

 

「業界は考えるべき」ではなく、「私、そしてあなたは、考えるべき」。

 

 

 

 

例えば、新しい技術による、新しいアニメーション制作基盤を作ろうとする時、「業界」という言葉は全く必要ないです。

 

必要なのは、各技術を有した個人です。業界ではなく、個人=私・あなた。

 

あくまで「顔の見える」個人の関係性で成り立つものです。

 

話を考える人、絵を描く人、色彩を操る人、映像を編んでいく人‥‥など、個人の技能を、現場に集結させれば良いことで、業界なんていう概念は必要性を全く感じません。

 

「でも、困った時は横のつながりで‥‥」と思う人はいましょうが、その繋がりだって「人と人の繋がり」として捉えれば充分です。顔の見えない「業界」なんていう架空人格など全く必要ないです。‥‥少なくとも、少人数で制作可能な新しい現場のテクノロジーにおいては。

 

 

 

旧来技術ベースのアニメ制作は、それはもう夥しい作業量と人足が必要なので、集団としての呼称として「業界」と呼ぶのは、自然な成り行きかと思います。会ったこともない人の「作業結果物」だけが取引される状況であれば、なおさらです。

 

でも、そこには人格などなく、あるのは「集団の性質」だけです。

 

ゆえに、「業界」は未来を自ら考えることはないのです。

 

‥‥ということは、未来を考えるべき、特定の人格は、私であり、あなたなのです。

 

 

私は、「業界化」したアニメーション制作を、身の丈の個人単位、少数人数の制作規模として、再開発したいと思っています。そこにこそ、様々な問題を解決できるきっかけがある‥‥と考えています。

 

 

 



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