PF80とP3と

デジタルピアノで思い出して、どんどん過去の記憶が蘇りますが、私が毎日にようにピアノを弾いていたのは、18歳になって初めて手にした88鍵フルスケールのPF80、そしてMIDIで繋いで音を出していたピアノ音源モジュールのP3を使っていた頃でした。それまでは、友達から借りた49鍵のカシオトーン(一応フルサイズの鍵盤でした。もちろん、ウェイトなし・ベロシティなしの鍵盤です。)でバッハを中心に練習していました。‥‥まあ、要するに、アカデミックなピアノ教育は受けていないわけです。

 

PF80は、ヤマハのページを見ると後継機種の機能が書いてあって紛らわしいですが、サンプリング音源がまだまだ普及する前の機種で、FM音源でした。とはいえ、ウェイト付きの鍵盤(ピアノのメカニズムを模したものではなく、重さを加味した感じの鍵盤)でベロシティ(音の強弱)が表現できる、定価19万8千円に見合うだけの内容を持っていました。‥‥当時としては、です。

 

*「エレピ」と俗称で呼ばれる電気または電子ピアノですが、電気はエレクトリック「Electric」、電子はエレクトロニック「Electronic」で、ビミョーに言葉も違うんですよネ。う〜ん、そんな違い、普通に解れ‥‥と言う方がキビしいですネ。

 

PF80のピアノプリセット音はお世辞にもピアノの音には聴こえず、エレピそのものでしたので、後でコルグのP3を買い足して、MIDIで接続、鍵盤の操作はPF80でおこない、音はP3‥‥という構成で弾いておりました。思えば、私がコンピュータのデジタルデータ送受の仕組みになんとなくでも慣れていたのは、MIDIを必要に応じて使っていたからだと思います。初めてMacをいじった1995年の頃に、恐れおののきながらも、何となくコンピュータに馴染めたのは、MIDIのおかげです。

 

P3のアーカイブがコルグにないので、以下。

 

https://www.noisebridge.net/wiki/Korg_P3

 

‥‥自社製品のアーカイブはどんな製品であれ、たとえ1ページでもメーカーのWebで公開してほしいですね。作り逃げみたいになっちゃうからネ。

 

P3はスタンウェイとベーゼンドルファー、そして追加のメモリカードでベヒシュタインのピアノ音色を装備できたはず‥‥です。チェンバロの音も入ってましたが、その頃では一番それらしい音を出していました。ローランドが本格的にチェンバロのデジタル音源化のプロジェクトに動き出すまでは、サンプリング音源でそれっぽい音を出す手頃な音源は、P3くらいだったのです。

 

ちなみに、実家に残っている当時の音楽雑誌には、今や「ヴィンテージ」と呼ばれる楽器が現役で広告にウヨウヨ掲載されてます。

 

 

1979年。ロッキンFの広告。MS-20が現役です。

 

 

 

さらに、1985年。ハードロック、ヘヴィメタル、LAメタルあたりが定着した頃です。「ロックするヤング」っていうのは、この頃でも可笑しいフレーズでしたがネ。

 

 

 

POLY-800は高校時代の友達が所有してて、よく弾かせてもらったものです。

 

 

ウチはシンセなど買ってもらえる家ではなかったですし、バイトで稼ぐにもかなりの大金ですから、シンセを所有する同級生は極めて稀でした。この頃は私は、高校生でアニメの作画スタジオに出入りしていましたが、学校に行きながらの動画作業などでお金なんて稼げるわけもなく、「学生のうちに研修期間を終わらす」目的でしたから、なおさら高価なシンセなんて買えるはずもなかったです。

 

次はどーんと、Macintosh Plus‥‥‥‥‥でしょうか、あまり詳しくないので、細かい型は判別できませんが、いわゆるハッピーマックのデザインですネ。

 

 

ちなみに、1998年頃に、箱入りのPlusの中古を19,800円で買ったことがあり、今でも倉庫に保管してあります。いつか、家に飾ってHyperCardあたりで遊べたら良いなと思っております。

 

知ってる人はもちろん知っているMSX。この頃は現役まっただなかでした。

 

 

 

次のブロックは中々な値段です。平然と398万円と書いてありますもんネ。

 

 

何だ、64万だ、250万だ、180万だ‥‥と広告に掲載して、ほとんどのロッキンFの読者は対象外だったことでしょう。欧米のシンセサイザーは、大型バイクや車を買うようなものでしたネ。

 

そうなんすよ‥‥。お金の余裕のない家の子は、ピアノやキーボードやシンセなんて夢のまた夢、高嶺の花だったことを思い出します。いや‥‥、貧乏というほどでもなくても、普通はシンセやピアノなんてなかったよな。今では、iPhoneやiPadで使おうと思えば誰でもシンセが使える時代ですけどネ。

 

今は貧困の意味が変わってきているので、昔の基準でお金の有無を語っても、的外れになりやすいです。

 

ただまあ、「友達から借りてばかりいる境遇から抜け出したい」とは当時の私は思っていて、ゆえに反動が大人になってから‥‥なあ。「自分のやりたいことは、自分で切り開くしかない」というある種の強迫観念が強くなったようには思います。

 

 

そして、三鷹楽器。今はもうない。

 

 

数年後の1987〜88年、フリーアニメーターとして大泉学園の3万円のアパートを借りてキャリアをスタートした頃、三鷹にある「アトリエぎが」(正式な漢字の名称が思い出せません。そしてこの会社も、今はもうない。)に作打ちに行った帰りに、三鷹楽器に寄ってギターを一本買った事がありました。かなり長い期間、私のメインギターになったイバニーズの試作・改造モデル(=カタログには存在しない)でした。フレットがすり減り過ぎて、今はもう、まともな音が出なくなっています。

 

月14〜20万くらいを稼いで、家賃と光熱費が5〜6万で済む時代でしたから(=私の場合)、相当お金の自由は効いたのです。現代は、生活を維持するコストがものすごくて比較の対象にならないので、あくまで昔話‥‥です。

 

やがて、サンプリング音源が低価格に移行してきて、数万円でピアノ音源モジュールも買えるようになってきて、それがコルグのP3です。5万円前後だったと記憶しますが、原画のギャラで買いました。

 

今の耳で聴けば、相当ショボいですが、当時はFM音源の似ても似つかないピアノの音から大躍進して満足してました。

 

当時の私は、肉、野菜、肉、肉、野菜…みたいに、作画、音楽、作画、作画、音楽…のような日々で、作打ちに向かうバスの中とか、会議室で打ち合わせ開始を待っている時間まで、運指の練習をしていたくらい熱中していました。作画と音楽の境が無かったのです。「昨日は弾けたけど、今日は弾けなくなっているんじゃないか」と強迫観念すらあったように思います。

 

20代のバイタリティって、今思うと、アホのように快活で豪快です。疲れ知らず…と言いますか。今の私にはとてもできません。

 

思うに、10〜20代の頃って、その後の人生の「根っこ」の部分を決めてしまうと思います。20代の頃に「撒いて」おけば、30代以降ににょきにょき発育して発展していく可能性を、自分の中に宿す事ができます。

 

20代の頃に打算的に生きたり、カジュアルで容易な物事で自分を紛らわせてしまうと、その後、草木も生えない荒涼とした自分がまっている‥‥かも知れません。ゆえに、そうした人は、30代以降も「自分を紛らわす何か」を体を動かさずに手の届く範囲だけで追い求めて、小金をどんどん吸い取られていく‥‥のかも知れないと、色々な人々を見てきて思います。

 

まあ、本人の幸せは本人次第なので、どうでも良いことではあるのですが、アニメのようにゼロからものを作り出す「バイタリティ」が必要な職業においては、スタッフの人選などに大きく影響してくることです。

 

私は、20代の頃に自分の惹きつけられるものに、アホのようにどんどん突進していったわけですが、それによって失ったもの、手に入れられなかったものも沢山あるので、まあ、人生はEVENといえばEVEN‥‥なんでしょうネ。夏の砂浜で女の子とウフフキャッキャと水を掛け合う‥‥なんて、びた1ccもなかったもんなー。

 

でも、全然後悔はしてないんですよネ。良いも悪いも、凄く濃密な20代であったことは確かですからネ。

 

 

 


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