雑感。

私はこのブログで、色々と悲観的なことも楽観的なことも書きますが、自分ながら、極めて楽観的だなと感じるのは「人の描く絵は必要とされ続ける」と何の疑いもなしに考える思考です。未来には様々な映像技術が発達して、ゆえにアニメは3DCGに取って代わられる、実写でもアニメと同じことができる、‥‥とは全く考えないところは、妙に、楽観的なんですよネ。

 

人が絵を描き、その絵が人の共感を呼び覚ます限りは、絵だけが表現し得るフィールドは限りなく存在する‥‥と感じます。

 

もちろん、3DCGは今後もどんどんと表現領域が発展していくと考えていますし、実写の魅力も十分承知していますが、一方で、描いた絵を動かすアニメにも「伸びしろは、いくらでもあるじゃん」と感じるのです。アニメを「原動画を描いてペイントして、背景と合わせて、撮影するもの」と限定しちゃうと、技術的にも経済的にも行き詰まりを感じずにはいられないですが、ふと、iPad ProやiMac 5Kなどの現用の機材を起点にアニメの作り方を仕切り直して考えてみれば、「いくらでもやりようなんてあるじゃないか」とぐんと前向きな気持ちになれます。

 

これは言い換えれば、「原画を描いて、動画を描いて」‥‥という「スタイルに固執するのをやめる」‥‥ということなのでしょう。

 

旧来の作業スタイルにしがみつくのをやめて、旧来の定番の技法を手放して、新たに「現在未来の道具で」絵を描いて動かすことを決心できるか否か‥‥ですネ。

 

「昔の方法は、現在においては、どうやら、うまくいかないことも多くなっている」‥‥なんて、当然なんですよネ。だって、今から50年くらい前に、50年前の道具と社会と経済ありきで作り出された方法なのですから。

*注)世界全般のアニメの歴史ではなく、日本のテレビアニメの制作体制が築かれた頃=1960年代後半〜1970年代から計算して‥‥です。

 

でも、現在は2020年代目前。現在の道具と社会と経済ありきで、アニメの作り方を考えるならば、最初から破綻している方法なんて選択するわけはなく、現在の様々な状況の中でどうやって「具合良く、アニメを作るか」をごく自然に考えます。

 

今までアニメを作ってきた数十年間をどうしても意識してしまうから、未来像にバイアスがかかって変質してしまうのです。

 

今までのことはすべてなかったことにして、まっさらに白紙から、「2020年代にどうやってアニメを作るか」を技術的にも経済的にも考えた場合、数千数万枚の大量の作業による多大な人件費を基盤とした制作方法を考える人などいないでしょう。現在未来の社会経済で通用するやりかたを、現在の道具を用いて考えるはずです。

 

わざわざ、最新の道具を有効に活かせず、お金が足りずに運用も厳しい方法を、ゼロから考えるとは思いません。「現実的に有利な方法を考える」でしょう。

 

要は、「過去のしがらみから脱すれば、現在有利な方法を選択しやすい」が、「過去のしがらみに囚われていると、現在不利な方法でも選択せざる得ない」とも言えます。

 

 

 

例えば、東京から大阪まで500キロ。

 

徒歩を時速5kmとして、8時間歩いて40Km。12日かかることになります。日曜は休んだとして、「徒歩で14日=2週間」。

 

その道中での1日3食の食事と宿泊場所のコストを計算して、「うわあ、随分と金と時間がかかるなあ」なんて、2017年現在に考えるでしょうか。

 

江戸時代ならともかく、今は平成です。鉄道網もモータリゼーションも、空を飛ぶ飛行機もあります。「徒歩で500Km」を計画する人など、特別な目的が無い限り、皆無でしょう。

 

新幹線ありき、ジェット旅客機ありき、高速道路と自動車ありき‥‥で考えれば、プロジェクトそのものが大きく様変わりします。「14日の徒歩」で縛られていたプロジェクトの限界を払拭することができ、新幹線などを用いた移動の段取りに1日かけたとしても、残りの13日間を他のリソース(プロジェクトの資源)として活用できるでしょう。

 

「時間と金」が変わる‥‥ということは、人も仕事も、そしてビジネスも変わる‥‥ということです。

 

 

 

「徒歩をやめたら、人間が関わらないものになる」と考える人もいるかも知れません。‥‥しかし、同じ例えで言うなら、飛行機も新幹線も自動車も、それを使ったからと言って、人間は相変わらず関わり続けていますよネ。

 

徒歩も新幹線も、人が移動することには変わりありません。同じく、数千数万枚の動画を描く地道な作業から、コンピュータを活用して動かす作業にシフトしても、相変わらず、人間が絵を描いてアニメーションを作ることに変わりはないのです。

 

私は実際に新しい技術で何度も作業しているので、リアルな感覚で喋れ(書け)ますが、人間はむしろ旧来よりも「関わりまくり」です。より一層ダイレクトに、映像にそのまま自分の「絵作りの挙動」が反映されるので、旧来のアニメ技術よりもデリケートで繊細な要素を人の手で制御しなければなりません。

 

紙を使おうが、コンピュータを使おうが、人間の脳内のイメージを具現化する以上は、人間はイメージ作りの中核なのです。

 

「コンピュータ=人が関わらない」‥‥なんていうイメージ、いつの時代のイメージのままなの? ‥‥という感じです。ミスターゴードンじゃあるまいに。

 

 

 

 

 

旧来のアニメーション技術から新しい技術へと移行することで、表面上は、多くの積み上げた技術を放棄することにもなりましょう。あくまで「表面上」はネ。

 

技術がうわべの段取りだけで成り立っているのではないことは、「技術を真に身につけた人」ならお判りでしょう。「段取りの暗記」ではなく、「技術の核心」を身につければ、いくらでも応用が可能です。

 

A1、セリフはB-(1,2,3かB-(X,1,2のどちらが良いか‥‥なんて瑣末な要素です。未来を考えるのなら、セリフを喋るアニメーション表現をどう処理してどう描くか‥‥の表現技術のほうがよほど重要です。

 

 

2020年代以降の映像技術の中で、「今までのアニメの段取りがないと、喰っていけない」人間になるのは、少々危険かなぁ‥‥‥と思います。「絵と映像を具現化できる」人間ならば、未来のどんな技術スタイルの中でも生きていけるんじゃないでしょうかね。

 

でもまあ、技術スタイルを変えて道具を持ち替えるということは「改宗」レベル・「宗教改革」レベルの物事だとも思いますから、わざわざ「宗教戦争」にこじらせても面倒ですし、各人各グループの思うところで行動して、欲する状況を順次的・累積的に獲得していけば良いのだと思います。

 

 



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