古いだの新しいだの

ちまたでは、「XXは古い。これからはOOだ。」なんていうフレーズが繰り返されます。ネットの記事を見ると、そんな文言をそこら中で目にします。人の関心を惹きつけるための鉄板フレーズなんでしょうネ。

 

製品のレビューとかでよく目にする「XXは古い。これからはOOが新しい。」などの論調でまくしたてる記事は、数年経過して読み直すと、ひどく滑稽だったりします。「新しい物事に踊らされて、浮き足立って、うつつをぬかす」のは、かっこ悪いし、みっともないですもんネ。新しい何かに対する対応の如何で、当人の性質すら透けて見えてしまいます。

 

新しい古いという形容詞は、時系列が存在する以上、どんなものにもつきまとうでしょう。新しいか古いかなんて、実はどうでもよくて、肝心なのは、新旧それぞれの、是非、可否、当否、です。

 

例えば、電子楽器は、古いものでも支持される事が、数千円の物品でもよくあります。BOSSのDS-1は今年2017年に何と「発売40周年」で、記念モデルが発売されています。電気回路で構成されるエフェクターが、40年のロングセラーだなんて、わたし的には、なかなか「いい話」だと思います。私が高校時代に愛用していたRATは、今でも製造され発売されていますし、MXRのダイナコンプなんて、発売から何十年経つのかも解りません。

 

どんなに古くても、良いものは残り続ければ良い。

 

新しいものが良いものならば、それを活用する。

 

私のキモチは昔から同じです。

 

では、ここでよく書いている「旧来のアニメ制作技法と、新しいアニメ制作技法」を対比させているのは、なぜか?‥‥というと、上述した通り、「是非」「可否」について考えるからです。

 

旧来のアニメ制作システムはどのように存続させていくかということに対して、様々な技術の可能性とともに、かれこれ10年以上考えてきました。しかし、何度も何度も、見方や角度を変えて、「未来に生き残る可能性」「今後も現場が成立する可能性」を考えてみたものの、どの方位から見ても「旧来現場には、明るく合理的な未来が見えない」ことに結論しました。

 

新しいか、古いか‥‥ではなく、未来の展望において可か否か‥‥が要点です。

 

2020年代以降には、2つの理由で、昔の方法が通用しにくくなる。ゆえに、昔からのアニメ制作スタイルは続けることが困難‥‥なのです。

 

1つは映像技術の問題。そして、もう1つは「労基」です。

 

4K60pHDRをはじめとした現代&未来の映像技術に対し、旧来のアニメ制作技法はあまりにも旧式化しています。とはいえ、「アニメとは秒間8〜12枚で絵を動かす技術が基盤だ」と言い張り続けることで、苦しいながらも作り続けることは可能かも知れません。

 

しかし、作り方に関しては、「アニメは旧来、このような労働時間と作業報酬で作り続けてきた」と言い続けて、労基を無視し続けることは、果たして今後の社会環境の中で可能でしょうか。‥‥まあ、無理ですよネ。

 

実は、映像技術以上に、旧来アニメ現場に痛烈なダメージを与えるのは、「労基への対応」なのかも知れません。最近、そのことについて耳にした現場の人も多いんじゃないでしょうかネ。あまりにも無視して違反し続けると、逮捕者だってでかねない雰囲気ですよネ。個人の作品への思い入れで連勤徹夜を何日も‥‥なんて、もはや美談ではなく、それを容認した責任者の逮捕に繋がる可能性だって否定できません。

 

* * *

 

思うに、テレビアニメ制作の制作費は、「作業者持ち出し」で大幅に補助されています。「持ち出し」とはつまりは、「アニメが作りたい」という作業者の情熱に起因する超過労働だったり、なし崩し的に大変な作業を請け負う現場の慣習だったりです。その「持ち出し」分、「自腹提供」分を、全て時間とお金に還元するなら、あっというまに予算をオーバーして、テレビアニメなんて制作そのものが全く成り立たない‥‥ですよネ。そのあたりは、現場である程度経験を積めば、暗黙の認識でしょう。

 

技術に応じた作業報酬、原画背景撮影300カット前後と動画仕上げ数千枚に及ぶ作業物量、常識的な労働時間から算出される制作期間、これらを「ごまかし」なしで全て計上した場合、1500万円前後で30分枠のアニメなんて「作れるわけない」じゃん‥‥です。

 

私はふと、アニメ業界に「痛烈な粛清」が沸き起こり、その粛清がもとで立ち直れないほどの弱体化が生じるとすれば、それは「労基」なのかな‥‥とも思っているのです。

 

未来社会の映像技術進化は無視できます。俺節で映像を作れば良いのですから。

 

しかし、労働に対する社会的基準を無視して、社会の中でどうやって存在していけるのか。俺節で、労基を無視できますかね?

 

アニメが産業として認知されるということは、アニメが正常な労働としても認知されなければならない未来が待っている‥‥と言えます。「2兆円産業」とやら‥‥なら、その2兆円に値する労基が「アニメ業界外側からの圧力」として求められていくわけですネ。

 

とは言え、労基を無視してきたからこそ、成り立っていたテレビアニメの制作事情。その構造事情を変えてしまったら、アニメ自体が制作不可能になるのは明白ですよネ。

 

私とて、30年間、アニメ制作に関わってきた人間ですから、その辺の事情は様々な経験で知っております。でも、事情を優先し続けて、今後の社会環境において、生き続けていけるのでしょうか?

 

昔と同じことは、未来にはもう、続けられないんだと、潔く覚悟しましょう。

 

旧来の悪癖を継承し続ける制作現場に、今後、どれだけ「一生の仕事」として若い人間が入ってくるでしょうか。「アニメ制作は20代の良き思い出。親から金を借りても家賃もままならず貧乏のどん底だったけど、自分の憧れを一時的にでも叶えたから満足だ。30代からはちゃんと稼げるまっとうな仕事につく。」なんていうアニメ現場の性質を、2020年代に入っても維持し続けるつもり?

 

 

労働力に対する対価、技術力に対する対価を誤魔化さずに、制作費として成立させるのは、産業の実情からして不可能。

 

しかし今後、アニメ制作がブラック体質から抜け出すには、常識的な労働基準はクリアすべきであって、誤魔化し続けるのは限界がある。

 

とは言え、現実的には、金はないけど、労働力は必要

 

 

‥‥ジレンマですよね。何世代にも渡って、誤魔化し続けた、アニメ業界のジレンマ。

 

 

2020年代以降のアニメ制作現場は、そのジレンマに向き合わなければならない、社会的な「潮時」なのです。

 

つまり、アニメ会社は、2020年代の基準に準じた労働力によってアニメ映像制作を存続させたい場合は、アニメの作り方を根本的に変える必要があるということです。

 

概念は極めて常識的で簡素です。労働力の総量を制作費に反映すれば良いだけです。

 

そして、新しい技術体系を確立することで、「労働の質」を変えることができます。ひどく効率の悪かった労働力から、効率を飛躍的に向上させた労働力へと。

 

旧来現場は、2000万では全然足りない〜っっなんて叫んでいるのに、新しい現場では時間もお金も余裕があって、作業者にも報酬が行き渡り、しかも4K60pのコンテンツをネイティブ(=2K24pアップコンではなく)で制作している‥‥なんてことも起こり得ましょう。

 

* * *

 

未来の世界にいきたい? ‥‥で、なぜ、徒歩なのよ。自動車を使えばいいじゃん。

 

徒歩で移動しておいて、「時間もかかるし、体力も消耗する」って、おかしな話ですよネ。そこで出てくる発想が「ハイテクシューズ」だもんな。

 

 

技術と労基。

 

アニメ業界の未来は如何に。

 

でもまあ、業界なんて得体の知れない無人格の集合体に憂うよりも、自分の未来をしかと見つめて、自分の関わる自分の現場を変えていくよう、お互い頑張りましょう。

 

 


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