雑感。

私はここで色々な自分の考えを書き綴りますが、それはあくまで、私の目指す未来のビジョンによるものであって、違う未来のビジョンを目指す人は、異なる考えをお持ちでしょう。要は各々が「うまくいくと思う方法で未来に進んでいく」だけのことです。

 

私は、私の経験による分析と予測から、「デジタル作画」には「現制作現場の問題を克服し、未来の映像技術の進化に順応していく要素が乏しい」と判断するわけですが、もちろん、私は全てを経験したわけでもないし、全てを見通す能力などないのですから、「デジタル作画」には私の知りえない、未来を大きく変える要素が内包されているのかも知れません。

 

しかし、前回書いたように、私にはそれが感じられないし、見えもしないのです。ですから、ここでは「デジタル作画」に対して、私の感じるまま、書くほかないです。どこかの企業の後ろ盾を得て記事を書いているわけではないので、自分の考えと裏腹に宣伝目的で「良いことだけ」を書くわけにもいかんのです。私が率直に、実際に旧来原画作業をiPad Proで2年近く作業して感じ得たこと、周囲の「デジタル作画」の状況や作業の品質、友人を通して伝え聞く状況など、自分の身の丈で書くだけです。

 

* * *

 

作画作業の状況は、何をどう美化しようと、やっぱり厳しい現実には変わりがないです。ゆえに、「少しでも収入がアップする手立てがあるのなら」「少しでも作業内容を楽にすることが可能なら」と考えがちです。思うに、「デジタル作画」に思考が流れる人の一定数は、そういう「少しでも状況が改善されるなら」という思考に基づいているのでしょう。

 

しかし、「少しでも良いのなら」と流される前に、よくよく、認識しておくポイントがあります。

 

道具を変えることで、今まで習得した技術を活かして移行できる‥‥というのは、今まで抱えてきた問題もそのまま移行してしまうことになります。良いことだけが移行できるのではなく、悪いことも流れ込んで移行してしまうのです。その最たる現状が単価の問題でしょう。

 

「デジタル作画」は映像技術的な限界もさることながら、もっと深刻な問題は、旧来現場の貧窮や悪癖も全て踏襲してしまうことです。

 

作画作業の道具がコンピュータへと移行する機会は、またとない現場改善の好機なのに、全くそれが活かされず、むしろ「都合の悪い部分は濁したまま、うやむやのうちに、移行してしまおう」とする無言の強い意志すら感じるのです。

 

当のアニメーターが、なぜ、それに気づかない?

 

散々、ブラック、ブラックと言われているのにも関わらず。‥‥です。

 

制作現場外部側の一般向けに喧伝するのは、「ディテールの細かい絵で、こんなにかっこよく動いて、アニメができるようになりました」でも構わないでしょう。しかし内部では「ディテールの細かい絵で、こんなにかっこよく動いて、アニメができるようになったけど、そのコスト=時間とお金は?」ということを真正面から問わなければなりません。「こんなことができる」のは技術発展として良きことでしょうが、同じ重要度をもって「作業者の生活のリアル」を考えるべきでしょう。

 

うやむやのうちに「デジタル作画」に移行し、全行程が「デジタル化」した旧来現場の未来像は明白です。より一層、大変な作業を請け負うことになる各セクションの作業者の姿です。

 

「細かく描けてしまうので、細かいキャラ設定をそのまま描けてしまい、原画も動画も仕上げどんどん大変になる」とか、「細密の限りを尽くした美設に基づく、極めてディテールの細かい背景美術」とか、「貼り込み数カ所はあたりまえで、数日で全部撮り切りの撮影工程」とか、採算度外視な内容に歯止めが効かなくなる未来が容易に想像できます。

 

「デジタルには移行しないで、紙に描ける細かさを上限にしておけば、こんな事にはならなかった」‥‥と後悔する日が来るかも知れません。

 

* * *

 

現在、テレビシリーズの原画単価は4000円前後です。私がキャリアを開始した30年前は2200〜2500円くらいでしたから、「時代に合わせて、倍近くにはなったんだ」と思いがちです。

 

でも、その考えは全く的を外しています。

 

現在のテレビシリーズは、放映して完了‥‥ではなく、製作当初から「円盤などのパッケージ販売」「配信ビジネス」が決定しています。

 

昔で言えば「OVA=オリジナルビデオアニメーション」の性質を多分に有するのが、今のテレビシリーズの姿です。「テレビアニメとは言いながら、最初からOVAとして販売することが決定している」のです。ゆえに、昔のテレビより、キャラ設定は細かくてデリケートだし、品質に気を使うし、パッケージRも放映後に作業します。

 

‥‥さて、30年前のOVAの原画単価は3500〜4500円くらいでした。

 

あれれ? つまり、どういうこと?

 

テレビシリーズは実はパッケージ販売前提のOVAである‥‥という「テレビ作品という肩書きに誤魔化されたトリック」があるのです。‥‥だとすれば、単価は実はそんなに変わってないのです。

 

これも「うやむやのうちに、そういうことになってしまった」事例ですよネ。

 

「デジタル作画」も結局、時代の流れに合わせて大変な絵を描いて作業時間は猛烈に伸びても、「うやむやのうちに、慣習を引き継いで」、アニメーターの生活はもっと厳しいものへと移行していくでしょう。これは過去の歴史からいくらでも学べる教訓です。

 

* * *

 

‥‥とは言っても、やっぱり、自分の頭と体で実感してみないことには、納得できないことも多いでしょう。

 

なので、虎穴に入らずんば虎児を得ず。「未来の現実」を獲得したいのなら、ツイッターばかり気にしてても先には進みません。実際に、自分の身でのりこんで、体感して「いけるか、いけないか」「喰えるか、喰えないか」を自分なりにジャッジすることが必要です。

 

実感したことで、未来のプラスイメージが想像できれば、そのイメージが具現化するように行動すれば良いです。逆にマイナスイメージのビジョンが見えてしまった場合は、それ以上は先に進まずに、自分の経験と照らし合わせて、もう少し時間をとって考えることが必要になると思います。

 

結局はなんだかんだ言っても、自分自身で自分の未来の舵取りをするほかないのです。そしてその各個人の舵取りの総合結果が、業界の動向になります。

 

1960年代から始まって発展し、今まで生き長らえてきた旧来制作システムは、構造寿命に達しています。ヒシヒシ‥‥と感じます。「根性根性ど根性。泣いて笑って作画して」なんていうのは、老いた世代の過去の思い出です。2020年代には、2020年代にふさわしい闘争本能が求められるでしょう。

 

労基の問題にも対処しなければならないでしょう。労基の水準をクリアして、コンピュータも手足のように扱い、コスト効率も最大限に高めつつ、そこでどんなアニメを作るか‥‥が、2020年代以降のアニメの作り方なのです。「昔話の武勇伝」は語り草程度でちょうどよく、未来の現場に「昔話の武勇伝」は要らないのです。

 

* * *

 

私の経た映像制作30年で獲得したことは、「細部を想像できるものは実現できる。細部が濁って曖昧なものは実現できない。」という単純明解な経験則です。

 

絵もプログラムも電気回路もそうですよネ。曖昧な部分があったら、その部分に関しては、絵を描けないし、制御文を書けないし、回路図を設計できない‥‥ですよネ。つまり、完成しない、動作しない‥‥のです。

 

「なんかよくわからないけど、良いかも知れない。うまくいくかも。」なんて、素人の言い草なのです。「あれとあれとあれを組み合わせれば可能となる。良いものになる。完成する。」と具体的に想像できることだけが、実際に実現できるのです。

 

もし、未知の新要素、思いも寄らない発見を得られる「セレンディピティ」があったとしても、それは漠然とした日和見から生じるのではなく、確信的に掴みたいものを掴みにいく経過によって生じるのです。

 

* * *

 

滅んでいった産業、忘れ去られた娯楽はいくつもありましょう。消えていったいくつもの中に、アニメを含めるか否か。

 

「自分の墓穴にもっていく」なんていう考えの人もおりましょう。そういう人は、殉死希望者を募って、先祖の墓前で自決すれば良いです。私は、そういう人がいるのを否定しませんし、むしろ、その人なりの意志を貫いた潔い選択だとも思います。

 

しかし私は、時代に順応し、世代を超えて技術が受け継がれる、アニメ制作技術の構造を求めていきたいと思います。死ぬことよりも、生きることを考えたいのです。

 

 



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