ハイリスク・ローリターン

ちまたでは、「出資者は、利益が生じれば、出資したお金以上のリターンを手にできるが、損失が出れば、出資した額が戻らずお金を失うリスクを背負っている。ゆえに、ハイリスク・ハイリターンである。」と言う一般論を耳にします。そして、「一方、作業者は、どんなに完成品の売り上げが伸びても作業費の増額はないが、同時に、完成品が全く売れなくても正規の作業費を手にすることができる。ゆえにローリスク・ローリターンである」という事も語られます。

 

アニメの商業作品も似たような構造ですよネ。

 

例えば、原画料金は、作品が売れようが売れなかろうが、値段が変動することはなく固定です。全然売れなかったから、原画料金は1/10の500円にします。‥‥なんて聞いたことがありません。そもそも完成作品が世間で発売される頃には、原画料金の支払いは終了しているでしょうしネ。

 

 

‥‥‥‥しかし、非常に強い違和感が残ります。

 

ローリスク???

 

アニメ制作の、例えば作画の作業者は、ローリスクなのか?

 

私は作画を作業してきましたが、アニメーターを職業に選ぶこと自体がハイリスクだと思いました。それはもう、高校に在学している頃(30年くらい前‥‥です)から、強く認識していました。

 

つまり、作画の料金は、そもそもの作業費の設定が低いので、ローリスクだなんて到底思えないのです。

 

 

人生全体の観点で言えば、アニメ制作に関わることは、ハイリスク・ローリターンと言えるのかも知れません。全ての工程が‥‥とは言いませんが、私が経験してきた作画作業に関しては、ハイリスクだからハイリターンとか、ローリスクだからローリターンだったことは、ほとんど思い出せないほどです。

 

極めて少ない例で、線が少ない作品で原画が何カットもこなせた‥‥ということはありましたが、関わってきた作画作業の多くは如何にも線が多くて時間がかかるのを情熱と根性だけで突き進んで、演出さんや監督さんに名前を覚えてもらって、次はもっとギャラの高い仕事を‥‥という積み重ねでした。

 

私が、アニメの新技術だ、次世代の映像フォーマットだ、新しいワークグループとワークフローだ、新しい作業費のシステムモデルだ、云々‥‥と声高にここで書き綴るのは、私が通過してきたハイリスクローリターンのアニメ作画作業実情への悔しさ、怨念感情の表れだとも思うのです。自らを省みて‥‥です。

 

 

私の論調は、ある人から見れば、「強者の論理だ」と言われます。「色々と経験と技術を蓄積して立場を確立した人の『上から目線』だ」とも。

 

確かに、私は「食い殺されないように」「使い古されたボロ雑巾にようにゴミ箱に捨てられないように」、色々な技術を習得して、経験を武器にしようと、意識的に取り組んできました。なぶり殺される弱者のままではダメ、強者の位置に立たなければ、報酬の交渉すらまともに取り合ってくれない‥‥と、20代のフリーランスアニメーターの頃は特に思いつめたものです。‥‥その頃の感情は、今でも消えることはなく、こうしたブログの文章の端々に現れることも多い‥‥とは自覚しています。

 

ハイリスクでローリターン‥‥なんて、悔しすぎるじゃないですか。

 

弱い立場と境遇に甘んじて、どうやって自分の未来が見えるというのでしょうか。

 

だったら、強者になるよう自分を仕向けて、実際に、強い「何か」を手にするしかないでしょう?

 

 

「色んな立場の人がいて、色んな想いで仕事してるんだから、やんわり、誰も傷つかないように、あらゆる角度に気配りして腰を低く、見たことも見なかったことに、酷い事も酷くなかったことにして、皆と歩調を合わせて乱さずに」‥‥なんて続けて、何か新しい活路が見出せたのか?‥‥と言えば、ハッキリと「Noだった」と言えます。

 

ハイリスクをローリスクに変える、ローリターンをハイリターンへと流れを変えるきっかけは、残念ながらアニメ業界では自分の行動の如何だけです。作業工程の中でどんなに「和を乱さず、突出することを控えて、作業オーダーをこなし続けて」も、全体の作業の流れの中で消耗して擦り切れて、体を壊して使えないと判断されたら仕事が来なくなるだけです。

 

学校を卒業したての18歳の私など、吹けば飛ぶような「歩」の駒のような存在でしたが、そうした境遇から抜け出るには、一にも二にも三にも「技術、技術、技術」だったのです。「技術で突出することを良しとして、特別な作業オーダーで特別な報酬の作業を請け負う」ということを20代の目標にしました。だから私は技術を大切にしますし、「技術を取り扱うことは、お金を取り扱うことと同義だ」と強く認識しております。

 

 

特定の誰かが、特定の誰かを憎んで、ハイリスクでローリターンの状況が故意に形成されているのなら、解決の糸口を探すのは比較的容易です。

 

しかし、作業構造そのもの、産業モデルそのものが抱える原因で「慢性偶発的」(変な言い方ですが)にハイリスクでローリターンの状況が生じ続けるのなら、答えは2つだけです。

 

従来の作業構造そのもの、産業モデルそのものを修正するか

 

‥‥か、

 

従来の作業構造や産業モデルから抜け出すか

 

‥‥しかないです。

 

どちらも個人の行動だけでは手に余るからこそ、簡単には実現できない‥‥のですけどネ。

 

 

なので、個人の観点や行動範囲で言えば、ハイリスクでローリターンな状況に立たされた時、もしくは立たされようとする時、どのように行動するか‥‥ということになります。

 

要は、自分の人生における様々な局面で、ハイリスキーな場面が避けられないのだとしたら、その「自分のハイリスク対応力」をどの部分に注力するか‥‥がキモになってくると思います。

 

「同じことの繰り返しだ」と解りきっているのに、延々とハイリスク・ローリターンの状況に甘んじることは、果たして自分の人生の中でどれだけ有効・有益な行動でしょうか。

 

ハイリスクに対応するためのカロリーを、あいも変わらずの状況に注ぎ込むだけでなく、自分の未来を変えるきっかけを見出して、その新たな「賭け=リスク」に注ぎ込むことも重要な取り組みだと私は確信します。

 

 

 

「好きでも続けられない職業」などと言われるアニメの仕事ですが、むしろ「好きだと言うだけで続けられる職業」なんて、どれだけあるのか、知りたいです。「好きだ」という感情「だけ」あれば、仕事が成立する状況なんて、ほとんど無いように思います。「好き」より「現実」が上回った時に、「好き」を諦めて離職することになります。

 

「好き」だとか「夢」などといった要素は、持ってて当たり前です。自分の「心の核」にはなりましょうが、自分を他者にアピールする要素にはなりません。「私には夢があります」と言ったところで、「そりゃあ、誰にでも夢はあるでしょうよ」と言われてお終いです。

 

「好き」だとか「夢」とか「やりがい」という耳障りの良い甘い言葉で、自分自身を誤魔化してはいけません。

 

「好き」「夢」を「報酬」「武器」に変えていく、したたかで力強い「強者(つわもの)」になる必要があります。

 

絵や映像という「好きなもの」を「職業」にしたからには‥‥です。

 

 

 

 


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