画面設計、プロジェクトマネージメント、技術責任者、ROE
アニメ作品制作は、一見、大人数の多行程で進行するがゆえに、工場の生産管理を想像しがちです。しかし、工場で生産される製品の1つ1つは大きく仕様がことなる「ワンオフ」品ではなく、たとえBTOでも、既存のパーツを組み合わせたバリエーション展開に過ぎません。アニメの1カットと工業製品の1個体は、全く性質の異なるものです。
ですから、生産業のプロジェクトマネージメントの方法論を、アニメ制作現場に導入するには、よ〜く噛み砕いてアニメの事情に適応させる必要があります。そのままでは使えないのです。
私は以前、生産業のプロジェクトマネージメントに大いなる刺激を受けたことがあり、少なからず導入できる要素を感じておりますが、アニメ作品とその制作行程、そしてスタッフの特性を鑑みて、「アニメ作品制作ならではのプロジェクトマネージメント」として成立することが必須だと認識しております。
生産業において、実際の設備や工員の技術を度外視して、机上の技術論を展開しても、プロジェクトマネージメントが成り立たないように、アニメのプロジェクトマネージメントも作画や美術やペイントや撮影などの各スタッフの技術的なよりどころや価値観、そして各工程の機材の特性を無視して、理想論だけのプロジェクトマネージメントを展開しようとしても、空振りの連続どころか、現場からプロジェクトマネージメント自体が疎まれるようになります。
表現と技術の結びつきを理解していてこそ、現場に必要なプロジェクトマネージメントも実行可能です。
絵だけ作れてもダメ。
機材やソフトウェアの知識だけでもダメ。
つまり、プロジェクトマネージメントはそれこそ総合的・包括的な経験と知識が必要なだけでなく、映像の表現者としての恰幅も往々にして必要とされるわけです。
プロジェクトマネージメントを実践するには、「なぜ、その技術がこの作品に必要なのか」を理解し、実践することが必要です。その実践の中には、監督・演出からのオーダーに盲目的に応えるだけでなく、「代替案を示して、障壁を突破する」ミッションも含まれます。
アニメ作品の技術は何に用いられるか? ‥‥当然のことですが、作品作りですよネ。特にウェイトが重いのは「絵作り」です。
すなわち、プロジェクトマネージャーを引き受ける人間は、アニメ行程に関する全ての知識と技術と絵と動きの技量をたっぷり蓄えていなければ、全うできない役職です。
んな、アホな。
そんな人材、どこにいる?
非現実的です。
私は画面設計もやり、ラボとの技術的な話もたくさんしてきましたが、専門は作画と撮影(コンポジット・VFX)です。
美術の制作現場、色彩・ペイントの作業現場のことは、間接的にしか知りません。実際に美術専門のプロとして担当したことはないですし、ペイント作業で稼いだこともないです。やりとりのなかで知っているだけです。
プロジェクトマネージメントの肩書きを持つために、全ての行程に精通しなければならない‥‥なんて、とても実現できることではないですし、もしそれが出来るというのなら、それはとても「傲慢」なことですらあります。各工程の各専門分野をナメている証しとすら思えます。
現在の私の見解としては、プロジェクトマネージメントは、主要な工程の監督責任者らと共同で取り仕切るのが、現実的な路線だと思います。
専任でピン(独りで成立する)のプロジェクトマネージャーなんて有りえません。
ですが、プロジェクトマネージメントを束ねるには、誰かが取りまとめ役をおこなわなければ、エネルギーが分散して立ち往生します。要は、プロジェクトマネージメントのチーフが必要なわけですが、その人間は、相応の技量を示さなければなりません。
プロジェクトマネージメントを共同でおこない、もしチーフなどの先導役・仕切り役として立つならば、画面設計の技術は必須です。「この作品の映像を、こんな完成像を目指して、こんな感じに技術を使うんだ」という意思表示ができなければ、周りが理解もしなければ納得もしません。ゆえに、イメージボード、コンセプトボードを描く(もしくは作る)技量はどうしても必要です。狼の群れを統率するにはアルファクラスの狼が必要です。
じゃあ、絵描きしかプロジェクトマネージメントのチーフにはなれないのか?‥‥というと、そんなことはないです。強い意思を持つコンセプトボードが制作できれば、直に絵を描く必要はありません。実際にアニメーターではなく、コンポジターからキャリアをスタートしたスタッフが、イメージコンセプトを担っている事例はまさに身近にあります。
一眼レフで撮影した写真や軽めの3DCGを用い、時にはiPadでニュアンスや小部分を描き足して、PhotoshopやAfter Effectsで画像や映像に仕上げて具現化できれば、十分、作品の映像コンセプトを提示できるでしょう。
一番まずいのは、現場に「デジタル」の知識が足りないからと言って、付け焼き刃的に技術責任者を配置することです。これは何度も失敗例を目撃しています。
技術の様々な要素はアニメの作品表現のために必要となるのです。技術のために作品があるのではなく、作品のために技術があります。
そんな当たり前こと‥‥ですが、作品無き技術論を展開して、作品無き制作技術の管理・統制をおこなうようになると、主従が逆転し始めます。
ソフトウェアやハードウェアの「ジャッジ」だけできてもしょうがないのです。下されるジャッジが作品制作の根本から発するものでなければ、ただの作業環境の整頓係にしかなりません。整理整頓が一人歩きして、作業環境の維持のためにアニメを作るようになったら、本末転倒も甚だしく、技術責任者が作品作りの厄介者になってしまうことすらあるのです。
「作業段取りはこうしよう」「ファイル名はこんな風に決めよう」という1つ1つの決め事に対し、皆が「たしかに作品を確実に完成へと導くには、必要な取り組みだ」と自覚できる、必然的なプロジェクトマネージメントが必要です。そして、現場に制作管理技術が必要だと認識させる、エバンジェリストとしての役割も‥‥です。
「面倒な決め事ばかりで、負担を倍増させやがって」と思われてしまうのは、ごくごく単純に言えば、プロジェクトマネージメントの力量不足が気取られているからです。経験の浅さ、見識の低さ、表現力の狭さが、日々の振る舞いで、経験豊かなスタッフたちにバレちゃうような人間が、責任職を振りかざす形になると、そりゃあもう、現場は反発します。形骸化した年功序列や組織の上下関係に従うほど、現場の人間は飼いならされておりません。
力量不足ゆえに信頼されない人間が、技術の責任者だ‥‥なんて、現場は到底、納得できないでしょう。「なんで、あんな奴の言うことに従わなければならないんだ」と。
プロジェクト、フローの設計、映像表現、各方面の専門技術。
プロジェクトマネージメントは、特にアニメにおいては、かなり難易度の高い取り組みです。
「みんなが頼れる」技術の責任者なんて簡単に現場に現れないし、プロジェクトマネージメントをひとりで何から何まで仕切れる人間なんて夢の人材です。そんな得難い人材を各作品に各話ごとに何人探し出せば良いのでしょうか。
ではなぜ、いままでのアニメ制作では、プロジェクトマネージメントや統括技術責任者がいなくても、作品制作が機能していたのでしょうか。
要は、各セクションの監督職が、セクション固有の技術責任を理解し、実践していたからです。言わば、作業セクションごとの「ROE=Rules of Engagement」を確立していたわけです。
しかし、「デジタル」という要素が新たに入ってきた時に、「デジタル」を自分らの管轄外にしたまま、現在まで引きずり続けて、ある種、「デジタル運用周辺が無法地帯」になることも、まだまだ多いんじゃないでしょうか。ファイル名の付け方すら、全く統一できない現場。
「デジタル」は後付けで、自分らの従来の作業責任とは別枠だ‥‥と考え続けていては、いつまでたっても今まで通りの顛末を繰り返すばかりです。
映像制作「軍集団」と考えた場合、各「師団」ごと、各「大隊」ごと、自分らの「部隊行動基準」の中にあらかじめ「デジタル」の要素も取り入れるのが、まずは最初の一歩。
まずはそこから‥‥だと思います。
とはいうものの。
う〜〜ん。できるかな‥‥。現状として、中々実現できる取り組みではないのは承知しております。紙が主流な作業行程では、どうしても「蚊帳の外」の要素なんですよネ、デジタルは。
現場が欲するのは、実際に肌身で感じられる合理性や効率性です。しかし、紙の現場の合理性や効率性は、「デジタル」のそれとはなかなか一致しません。
私自身は、オブジェクト指向型小規模ワークフローも、プロジェクトマネージメントも不可能ではないと考えています。実際、チャンスがあれば、短尺作品で実践もしています。
でも、今の現場に無理強いをするつもりはないです。
まだ、パズルのピースが揃ってないのです。残念ですが、その足りないピースが見つかるのは、もうちょっと先の話です。どんなに地団駄を踏んでも、時間は早送りできません。時を待つことも、必要です。
足りないピースで今、何ができるのか?‥‥と言えば、「とび石作戦」です。要は、ピースが足りないからと言って、パズルを全く組み立てないでボケ〜と待っている必要はないですよネ。組み立てられるものは組み立てておけばいいです。
待っている時間は、他の準備に使う。‥‥なんだ、簡単なことじゃないか。