マスター

SD時代、あんなに苦労して作ったテレビシリーズが、720x486(D1)の寸法でしかオリジナル映像が残っていないのは、今にして思えば、「もったいない」です。しかもプルダウンした画像で、簡単にはプログレッシブな画像に戻せないというオマケ付きで。

*WSSWWの各カットの映像を、編集で切って繋いでいるので、簡単には戻せないのです。

 

フィルムなら、スキャンし直して‥‥という手段もありましょう。16mmは結構キツいとは思いますけど、それでもグレインをスキャンする技術進化に打って出ることはできましょう。しかしビットマップ画像はどんなに叩いてもひっくり返しても1ピクセルは1ピクセルでしかありません。Googleの超解像技術でも使う?

 

でも、そもそも、以前のD1サイズの「デジタルアニメ」は、720pxが解像度の全てではありませんでした。

 

制作現場ごとで違いますが、D1サイズの映像を作るのに、作業サイズまでD1サイズであることは稀でした。最低でも960pxで作業しており、私が関与していた作品は4:3の昔の動画用紙の150dpiだったので、千数百ピクセルでした。細かい数値は忘れましたが、アップコン次第で2Kにも通用するピクセル寸法だったのは確かです。

 

1Kオーバーのオリジナルサイズで、24pの映像ファイルにしておけば、様々に活用できたのにな‥‥と思います。

 

720x486では、限界が低すぎますもんネ。編集工程を中心とした、当時の「運用上」の限界だったので、しょうがないと言えばしょうがないですが、素材サイズもコンポジットも、もとは1Kオーバーだったのに‥‥と惜しまれます。

 

ちなみに、私がメインで担当した2004年のテレビ作品のOPは、マスターは1280か1440px(どっちだったかパッと思い出せない)で、24pで残っています。当時はProResなんてなかったので、映像のマスターはPSDの16bit(各色)連番で可逆圧縮=事実上の非圧縮で保管してあります。‥‥まあ、技術仕様はいかにも、前の年まで作業していた劇場映画の影響を色濃く反映していますね。

 

当然ですが、テレビで放映したりDVDで発売した0.7K映像より、1.3Kのオリジナルのほうが遥かに鮮明で繊細です。

 

なぜそんな「当時としてはオーバースペック」なことが、テレビにおける「デジタルアニメーション」の黎明期である2004年にできたかというと、OPワンパッケージで取り仕切れたからです。どんな制作的な内部構造でも、納品するものに問題がなければOKで、自由に作業フローも規約も制定できたのです。

 

一方、テレビ本編は、編集上の縛りから、D1でプルダウン映像(24 to 30)でした。当時は、高品質で軽量で取り回しの容易なQuickTimeのコーデックも存在しなかったがゆえに、D1サイズのアニメでは「当時としても昔ながらの」アニメーション圧縮のロスレスが定番でした。2017年の今でも、アニメーション圧縮のロスレスが定番だと思っている人にたまに遭遇することがあって、D1時代の名残を感じます。2Kが標準の現在、アニメーション圧縮なんて使ったら、そもそも色深度が足りなくてトーンジャンプの元凶になりますし、低画質高容量の代名詞になってしまいます。Macを使っているのならProRes、WinならDNxHDやDNxHR、共通ならCineFormあたりが選択肢ですが、………当時はそんなもんないので、アニメーション圧縮のロスレスは中間コーデックの定番でした。

 

 

歴史は繰り返す。

 

現在、高詳細で繊細な絵でアニメを作ろうと思うのなら、1.5Kではなかなか難しいです。ペンタブで描いてて、ヒシヒシと感じますよネ。iPadで1.5〜2Kのキャンバスで絵を描くと、その解像度の荒さがペン先で実感できます。

 

都合、ビデオ解像度を上げることになりますが、せっかく作った高詳細の絵を、当座の編集や納品サイズが2Kだからといって、2Kをマスターにする必要はないよネ。

 

特に、短尺の場合は、内部的な融通も効きますから、様々な技術的な運用も兼ねて、高解像度でマスターまで作ってしまって、当座の納品サイズにダウンコンすれば良いです。グレーディングの技術を応用すれば、ダウンコンの際に生じる僅かな不整合(フォーカスのエッジ感やグレインサイズなどの特性の差)も吸収できますしネ。

 

まあ、テレビ本編では通用しない考え方ですが(現在のテレビ本編の作業費で、4Kとか作っちゃマズいですもんね)、お金的にも余裕のある短尺では、未来に向けて様々な取り組みを徐々に実践しておくのが肝要と心得ます。

 

 

今も昔も共通しているのは、アニメ制作現場には「マスターを作る」という概念自体が乏しいことです。あくまで「納品仕様に合わせる」のであって、「マスターを作っているわけではない」意識が色濃いです。

 

まあ、完全に請負の仕事ならば、「発注に応じた納品」に意識が集中するのは致し方なし‥‥ですが、自社で権利を保有しているにも関わらず、作り方が「納品合わせ」なのは、ちょっと‥‥いや、かなり、「もったいない」です。10〜20年後に再レンダリングなんてマシン環境の変化によって不可能なことが多いのですから(データを残しておけばいつでも再レンダリングできると思う人がいて困ります)、作業時オンタイムでマスターを作っておいて、納品にはコンバートで対応するのが「未来を考えるのなら」有用です。

 

でもこういうことは、制作現場全体の意識とも言えるので、やっぱり行き着くのは、「制作現場のリストラクチャー」なのでしょう。メーカーの宣伝として機能していた昔のテレビアニメの制作構造をずっと引きずったまま、品質だけは作品内容重視の2017年仕様‥‥という不整合は、もうそろそろ終息させても良いころだ‥‥だと思います。

 

作品の内容が重視される時代に移り変わったのであれば、完成映像=マスターに対する意識や概念も移り変わって然るべき‥‥だと思っています。

 

 


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