中庸

ネガティブな話題ばかりが駆け巡りがちなアニメ業界ですが、全ての現場やグループが防御戦や後退戦に四苦八苦しているわけではなく、様々な「野心的な」プロジェクトも動き出していて、未来は決して暗いものでもないと思えます。さすがに、発表前のプロジェクトのあれこれをインサイダーがリークするわけにもいきませんが、ネットで取り上げられる作画崩壊だの放送延期だのがアニメ制作現場の全ての姿ではない‥‥とだけは言えます。

 

ただ、そうした中、「中くらいの生産力と、中くらいの技術力」を併せ持つような中庸な性質のグループは、新しい流れに対して関与することが難しくなっていくとは思います。

 

「今までのアニメ現場の技術を組み合わせた、皆のよく知っている絵柄と動きのアニメなら、普通に作れます」‥‥というのは、先鋭的なプロジェクトにも積極的に参加できないし、技術の粋を集めたプロジェクトにも積極的に参加できないし‥‥で、「どっちつかずの弱点」が露呈しやすいのです。要するに、小規模な野心的な作品も、大規模で様々な技術リソースを集結させる作品も、どちらも主体的には引き受けられない「中庸である弱み」です。

 

その「中庸さ」が、この10年弱の「短期のアニメテレビシリーズ」の原動力になったのは、中規模アニメ関連会社が乱立したことからも伺い知れます。特に技術的ブランドを有していなくても、「アニメが作れる」ということが何よりも「売り」にできた時代‥‥といいますか。今後も「中庸に、原作をアニメ化する」流れは、ある種の定番として存続するとは思いますが、そうした旧来からの流れを尻目に、技術的特性を得た人間やグループは新しい流れにのって、どんどん稼げる方向へとシフトしていくでしょう。

 

技術的に言えば、中庸な作品を手堅く作るのは、実はとても広範で高い技術力が必要なのですが、中庸な制作力のフィールドは競争も激しく、皆似たような技術で背比べするので、必要な技術力の高さのわりに対価は低い現実があります。

 

中庸な制作力を旨とするグループは、近視眼的な技術の繰り返しと小変更に明け暮れやすい傾向があり、それがさらに新しい流れにのれない性質を作り出します。目立って欠落しているところもないけど、目立って突出しているところもないがゆえに、外部から見れば技術的特徴が希薄で、良くも悪くも「原作をアニメ化してくれるところ」としか認識されないのです。当然、技術の価格も激しい競争に晒されやすくなります。

 

中庸な性質に限界を感じ、「何か、売りになる特徴を自分たちも有するべきだ」と感じても、2年や3年の取り組みでは技術的特徴なんて周りにアピールできるほどに確立できるものではありません。4〜5年出費を重ね続けて、ようやく表に認知され始めるくらいの、地道な積み上げが必要です。‥‥ゆえに、現実的に難しいと考え、中庸な状態から抜け出せない‥‥という図式ができあがるのです。

 

「じゃあ、どうやって中庸状態から抜け出すんだ?」と思うわけですが、実は考え方1つです。「現実的に難しい」とさっさと諦める、その性根を叩き直せば良いだけです。

 

「現実的に難しい」なんてセリフを常用して物事を片付けてるから、結局、何も変わらないわけです。自分たちのアニメを作る技術を狭義に押し込め、アニメはこうあるものなどとレッテルを貼り付け、「原画マンたるもの」「アニメの撮影とは」なんて何の根拠かも定かではないプライドを持ち続け、財布の紐はいつだかに思い込んだ思想の延長線上でしか緩まない‥‥という、近視眼的マーケティングの典型を実践し続けるから、1万円の使い方一つ、新しいベクトルに作用していかないのです。

 

中庸に慣れきってしまうと、お金の使い方すら中庸で凡庸になります。

 

「今は現実的に難しいけど、どこからか、徐々にでも切り崩していって、制覇できないものかな」‥‥と考えたいですよネ。また、そういう思考をもつリーダーや仲間と一緒に未来を切り開いていきたいですよネ。

 

中庸さは大なり小なり不可欠な要素ですが、「中庸さしか取り柄がない」というのは、長期的なスパンでみれば、中々に厳しい現実と向き合うことになりましょう。特に、技術の入れ替わりが起こり得る時期においては‥‥です。30年間中庸で過ごせた事実が、未来20年を保証する担保では決してないことを、自覚すべしです。

 

どんなにネットを検索しても、毎日ツイートを気にしても、講習やイベントに参加しても、「いい勉強になったなあ」だけで終了して、実際に自分・自分たちで実践しなければ、何も始まらんよネ。ただ単に「耳年増」になっていくだけ。腕を組んで「現状はどうしたものか、困ったものですね」と世間話をするだけに終わります。

 

やりゃあ、いいんです。やりゃあ。

 

やらなければ、なーんも始まらん。

 

情報だけ見聞きしても、自分らの現状は変えられない。

 

自分たちが実際に動くから、物事も動く。

 

 

現在・現状が中庸だとしても、当人たち次第で、突破口は切り開けるものです。

 

何かしら行動を起こして、それを少しずつでも日々の「中庸さ」の「許容範囲」の中で実践していって、それが多少なりとも効果を発揮すれば、その次にすぐには反映されなくても、巡り巡って「次のオーダー」へと繋がります。当時は「徒花」と思えた特質的な技術でも、その後に徐々に芽吹かせて自分たちの武器となっていきます。「どうせ、やっても無駄だ」という人もいますが、無気力な人間に同調する必要はありません。他人からは「狂ってんのか?」「何かに取り憑かれているのか?」と揶揄されようが、「これはモノになる」という技術を1度や2度の失敗で心なんか折れてないで、継続し続ければ良いのです。

 

実際、自分のこなした作業が、次の仕事へと繋がっていく実感は、多少なりとも誰もが感じているはず。

 

その「仕事の繋がり」を、仕事の依頼がきて中庸にこなすというスタンスで用いるのか、未来の新しい「機会」への「橋頭堡」として次々に築くスタンスにするのか。

 

行動の選択は、当人らの自由です。どうすべきかは、自分たちのビジョン、ロードマップ次第でしょう。

 

「誰でもどこでもいいから」という仕事と、「あなたがたに是非」という仕事は、次第に、そして確実に、状況の明暗を分けていきます。いやらしくは「金額」として‥‥です。

 

水面下で様々な野心的な取り組みが進行するのを目の当たりにする中、「舵取り」がまさに未来の行き先を大きく変えていくのを、ひしひしと実感し続けています。

 


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