快適は楽じゃない

現代社会をして、よく、「快適さと豊かさを求めて社会は発達したのに、ちっとも生活は楽にならない」という言い草があります。

 

しかし、よ〜く考えてみれば、快適で豊かな日常を作り出すためには、それ相応の多大な労力が必要になるわけです。「快適==楽」ではなく、「快適<>楽」「豊かさ!=楽」なのです。

 

例えば、映像品質に一層の豊かさを盛り込むためには、一層の技術開発と現場の丁寧な作品作りが要求されるでしょう。つまり、豊かさを手にいれるためには、様々なコスト(お金、労力、時間、設備)が必要になりますし、結果的に市場の様々な形態の価格にも反映されるのは、当然至極。

 

安易に「快適で豊かになったから、日々の生活も楽になるだろう」と思うのは、実は甚だしい見当違い‥‥なのかも知れません。

 

私がフリーアニメーターでキャリアをスタートした1986(か1987。覚えてない)年に、1ヶ月に要したインフラのコストは、

 

家賃32000円

電気代数千円

電話代3千円前後

水道代は家賃込み

ガス代2000円前後

 

‥‥とまあ、今から考えると、「なにそれ?」な低いコストですよネ。基本、5万スよ。そこに食費だのを足していけば、生活できたのです。

*その当時の物件には、「トイレ・流し台共同・18,000円」とか、2万円台の物件もありました。状態的に、かなり「げ(下)」の物件でしたけど。‥‥「トイレ・流し台共同」って、「四畳半シリーズ」のノリですネ。

 

しかし、スマホはない、パソコンもない、無論インターネットもない、デジカメはない‥‥というか、デジタルデータの画像すら身近にない、ネットがないからネット通販はもちろんなし、世間は涼しかったからクーラーなし、蛇口からはお湯は出ない、トイレはまさかの和式(水洗でしたけど)、当然ウォッシュレットはない、テレビは14型、ビデオデッキはあったけどSDサイズ、録画できても画質はショボい。

 

今は上記の全てが満たされて「豊か」になっていますよネ。当然、生活維持にかかるコストが増大します。しないほうがおかしい。

 

現代は30年前と比べて「豊か」になりましたが、その「豊かさ」を得るために、より多くの「お金」が必要になったわけです。そして、その増えた分のお金を稼ぐ必要が生じた。‥‥何のヒネリもない、理屈ですよネ。「タダで豊かさが手に入るわけがない」のです。

 

 

とは言え、80年代の私が「不便だな」「貧しいな」と思っていたかというと、全くそうではなかったです。

 

当時の私は、自分のアパートにテレビとビデオデッキと電話があって、ガス水道電気のインフラが整っているだけで、「豊か」だなと感じていました。「電気使いたい放題!」「電話でいつでも友達と話せる!」とウハウハでした。‥‥もちろん対価(電気電話料金)は支払いますけど。

 

ちなみに、私はプッシュ回線だったので、基本料金が1980円だった記憶がありますが、自分専用のプッシュ回線なんて、すごくリッチな気分でした。仕事をするために必要だったがゆえですが、最初に電話加入権だかで8万円前後の金額を支払った記憶もあります。

*でも実は、プッシュ回線の利点で思い起こせるのはほとんどなくて、割り込み通話の「キャッチホン」くらいだったかな‥‥。

 

私の子供の頃は、電話のない家もいくつかあって、「xxさん方」みたいに、ご近所の電話を借りていたご家庭もありました。まさに「三丁目の夕日」の世界。昭和40年代生まれの私ではありますが、昭和30年代の雰囲気はまだ残っていました。

 

そんな少年時代を経て、アニメーターでアパートを借りて、インフラ完備(当時のネ)、自分専用のテレビもビデオデッキも電話もある。まさに、夢のような快適さ‥‥ですが、もちろん、そのインフラのコストと家電のコストは前の世代の人より多く支払っていたわけで、快適さにお金を支払うために稼がなければならない構造そのものは、今と何も変わっていなかった‥‥と思い起こされます。

 

ただ、80〜90〜00〜10年代と時代が進行するに従って、個人の持つお金を引き剥がしていく傾向は強くなっているでしょうネ。どんどんお金が消えていくから、どんどん稼がなければ‥‥というループから抜け出せず、結果、「楽じゃない」という実感が生まれるのでしょう‥‥ね。

 

これは私もしみじみ実感します。私はフリーアニメーターで稼ぎ始めた当時18歳、平均で14万くらいの原画料金の報酬(70カット分、源泉徴収差し引き済み)でしたが、その金額で現代の家賃とインフラ全てを賄うのは、かなりギリギリです。自分の技量を高める美術専門書なんて、とても買えないでしょう。現代において、月5万円で家賃含めたインフラが成立するなんて、ありえんですもん。

 

 

つまり、ぼやくにしても正しくは(ぼやきに正誤があるかはナゾですが)「社会が快適になり、自分の身の回りも快適になった。しかし、その快適さを支えるために、「楽」さはどんどん消えていったなあ‥‥」ということなんでしょうネ。「社会が快適になっても、決して楽にはならない」ということでしょう。「便利」にはなるでしょうけどネ。‥‥「便利」は「楽」の同義語ではないですもんネ。

 

 

社会は否が応でも「一蓮托生」。「快適上昇気流」から抜け出すには、世捨て人になるくらいの決心が必要です。

 

現代社会において、携帯電話をもたず、ネットも契約せず、エアコンもテレビ(モニタ)も買わず‥‥なんて、かなり難しいです。少なくとも、エアコンを使わなければ、熱中症で死にます。窓を開けて風通しをよくしても、その風が熱風なんですもん。住宅が密集している地域は、みんなでがんがんエアコンを使うもんだから、30年前に比べて格段に暑くなっていますよネ。

 

社会の技術進化によって様々な快適さが生まれ、その旨味を享受し、現代技術に支えられた社会システムありきで仕事をしようと思うのなら、「楽にならない」なんて言うのは往生際が悪すぎるのでしょう。

 

スマホを捨て、ネットを捨て、都心や都心近郊から離れれば、今よりグンとコスト消費は抑えられるでしょう。お金がかかる生活が楽じゃないと本気で思うのなら、お金がかからない生活を本気で目指すしかないです。

*ただし、お金のかからない生活を支えるために、どのような仕事を見つけるか‥‥は、なかなか難しいと思われます。

 

 

私は映像制作という現代社会の申し子のような職業を選択しているので、現代社会から脱皮したお金のかからない生活を目指すのは無理です。節約はできますけど、現代のインフラを拒絶することは不可能です。

 

スマホを肌身離さず持っていて、何かというとスマホばかり覗き込んでいるような人間が、「なんで自分の生活は金がどんどん消えていくんだろう」というのは、少々滑稽です。スマホを常用し、スマホのソリューションを成立させるインフラを利用している時点で、潔く、「金のかからない生活」なんていう妄想はあきらめましょ。

 

私はぶっちゃけ、携帯電話やスマホは嫌いなのですが(何か、首に縄をつけられているようで)、そんな私でもスマホはいつも持ち歩くようになりました。「現代の社会システム」と一蓮托生です。私が携帯電話を持っていないと、色んな方面に面倒がでますから、これはもう、「しょうがない」です。

 

その代わり、「金がかかるとわかりきっているからこそ」、コストを抑える取り組みに目が向いていくのです。「金がかかる」と嘆いているだけじゃ何も解決しませんが、「金がかかるのは不可避である。だったら、その金のかけ方を工夫してみよう。」と肝を据えれば、色々なアイデアはでてくるものです。

 

アニメ制作現場の「オールデジタル時代」の未来も、「コストに対する覚悟」が意識を左右し、同じお金のかけ方でも、プアな現場とリッチな現場とを大きく分けていくと思います。

 

 

快適さを捨て、山にこもるか。

 

快適さを求めて、街に住むか。

 

現代人に対する恫喝」とすら思える極論ですが、なんだかんだ言おうが、結局はソコ‥‥だと思います。

 



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