「中割り」意識との決別

あまり声高に書いてはいませんが、4K8K、60p120pをネイティブなフィールドとする新しいアニメーション技術における、極めて重要な意識は、「中割り」という作画意識と完全に決別することだと思っています。

 

全体の動きのイメージを捉え、動きをプランニングする、今まで通りの作画意識は、何ら変わることがありません。

 

しかし、イメージしプランした動きを4K60pレベル以上の本番の映像として具現化する際には、「原画を描いて、その間を動画で埋めていって」という「中割り」スタイルではなく、コンピュータを動かす道具として用いて動きのプランに沿って絵を順次動かしていくという新しい意識・スタイルで可能になることが、もうかなり前から(私の中では)判っています。

 

ここ数年、粛々と準備している新しい技術には、「中割り」という作業自体が存在しません。(そもそも中割り作業が必要なプロジェクトだったら、人足が必要過ぎて、水面下で実行不可能ですもんネ)

 

「中割り」なんていうスタイルを採り続けていたら、24p(秒間24コマ)で打ち止めです。

 

ですから、人によっては、「人手のいらない自動中割り」という幻想が頭をよぎるのでしょう。どんなに中枚数が増えても、人手がかからずにコンピュータで自動中割りできれば問題解決できる‥‥と。

 

しかし、その問題解決の前に、自動中割りをおこなうソフトウェアの問題解決が大きく立ちはだかります。もう開発者の人はわかっていますよね。‥‥人間の動画マンがおこなうのと同等の作画を、コンピュータで自動でおこなうには、極めて高度なAI的なものが必要だということを。

 

‥‥そりゃ、そうだ。人間の代わりをするんだもん。しかも、絵を描く‥‥という領域を、です。

 

単純に時間軸上の線と線の間を埋めるのが、動画作業だと思ってるのだとしたら、とんでもなく「みくびった」認識です。

 

制作現場の門外漢の方々は、「中割り」とか聞くと、「画像と画像の間の補間技術」と勘違いするかも知れませんが、その認識自体が大きな間違いです。

 

 

動画作業は、「絵を描いている」のです。

 

決して、原画の原画の中間の補間画像を生成しているのではありません。

 

つまり、「自動中割り」を完璧にコンピュータが処理するためには、コンピュータが絵を自律的に描けるほどの人工知能が必要になります。

 

 

もし、「そんなことはない。できる。」というのならば、ぜひコンピュータで動画を描いて欲しい原画を持参しますので、それを目の前で「自動中割り」して、「できる」を証明してください。

 

キャラ崩れもなく、割りミスもなく、省略された線から暗黙の立体を捉えてうまいこと線画で描く‥‥という、優秀な動画のスタッフが日常でおこなっている高度な作業を、コンピュータが自律で自動処理できるというなら、目の前で見たいです。それって、コンピュータ処理のかなりの歴史的革新だと思うからです。

 

もし、「コンピュータ自律の自動中割り」ができると、制作現場側の作画経験のある人間までの思うのなら、おそらくその人間は、タップ割りの中割り作業でキャリアを積んでしまった世代の人間でしょう。もしくは、よほど現実を無視して「自分では現物を見たことのない架空の秘密兵器」に期待したい境遇の人か。

 

 

作画を熟知した人なら、必ず言うことの1つに「動画の仕事は中割りじゃない」という言葉があります。

 

原画マンが、動きのポイントを捉えた作画をおこない、動画マンはその動きの流れを実際に整然とした一連の作画として作り出していきます。

 

ですから、動画マンとは、中割りと呼べる作業的瞬間もありましょうが、全てをひっくるめて、動きの最終形態を形作る役職であった‥‥のです。名称がそもそも「中割りマン」ではなく「動画マン」ですからネ。

 

アニメーション制作黎明期の頃、「原画」という役職名を命名した時の意思、そして同じく、「動画」という役職名を命名した時の意思を想像してみれば、「動画」と言う役職名に込めた内容が本来どういうものであったのか、想像に難くないでしょう。

 

しかし、いつしか動きの流れというよりも、絵と絵の間を埋める「中割り」へと作業意識が変質して、現在の状況があります。私が動画の作業を経験した30年前の頃には、既に「中割り」という言葉が動画作業の意識の中心になり始めていましたが、一方では、「動画は動きを作る」という意識もかろうじて現場には残っていました。その気風を知るアラウンド50、60のベテランの人は多いです。

 

そんな中、私が初めて「タップ割り」を知った時(同じく30年前)は、衝撃と共に落胆したものです。それって、絵を描くより、パズルや継ぎ接ぎじゃん。‥‥と。

 

友人がタップ割りで動画を描いているのを見て、「ああ、早く原画マンにならなきゃ」と思ったものです。タップ割りで絵を描いて、絵を動かすのが面白いわけないし、絵を動かすプロとしてのプライドも築けないと、17〜18歳の若僧でしたが、深刻に思ったのです。若くて経験の浅い人間が生意気だったかも知れませんが。

*たしかに、タップ割りは「動きのガイド」の1つにはなりますが、同期の友人が振り向きやZ軸の回転までタップ割りで何とかしようとコネくりまわしているのを見て、「無茶なことを‥‥」と当時思ったものです。当然、タップ割りだけでは動画作業は完遂できません。

 

で、その後に原画を作業するようになった際には、いつしか私も、動画には「中割り」だけを期待して、動きのポイントは全部原画で描いて押さえこみ、動画には「タメ」の部分だけを作画してもらうような意識へと変わっていきました。今考えると「悪循環」そのものですが、実質を考えると、原画を描く人間として動きを良いものにしようとすると、そうならざる得ない状況でした。

 

もちろん、動画の高い技術を有したスタッフは沢山いらっしゃいます。あまりにも美麗過ぎて、今でも克明に記憶している生の動画(紙)もあるほどです。しかし、必ず、その高い技術を持つ人のところに、自分の原画がいく保証がない限り、「下のレベル合わせ」の作業をするしかないのです。完成映像で大恥をかかないためには‥‥です。これも典型的な悪循環的考えですよネ。

 

では、本来「動画」という役職に込めた作業意義が、今後、取り戻されて「技術復興」することはあるのか。

 

私は悲観的なビジョンしか見えません。動画料金が明日からいきなり5倍になるのなら話は別ですが、そんなことはありえないでしょう?

 

 

そんなこんな、業界の現場意識の経緯、制作システムの行き詰まり感、そして未来の高品質映像フォーマットの台頭など、色々と合わせて鑑みるに、「中割り」が支配する思考から脱出して、「絵を動かす」という本来の目的を、コンピュータを道具として、新たに実践して「再発明」するのが、私の考える「本命」の技術です。

 

いいじゃん。 今までのしきたり通りじゃなくても。 絵が動けば。 それで。

 

今のシステムで「行き止まり」なら、そこでずっと立ち尽くしてどうなる? 面倒でもバックして袋小路から抜け出し、他の道を探して走り始めるでしょ。

 

現在、高い技能を持つスタッフは、新しい技術基盤の中でも、得難い重要なスタッフになります。

 

原画、動画という段取り・工程を、「絶対の真理」みたいにして、この先何十年も「絵を動かす技術」と「高レベル技術者」を縛り続ける必要があるのでしょうか。

 

現場の慣習や作法が最終的に重要なのか。それとも、絵を動かすのが最終的に重要なのか。

 

原理主義的な物言いかも知れませんが、実は今って、アニメーションの原理を改めて、思い起こすべき時期なのかも知れませんヨ。

 

旧来の技法を伝統として受け継ぐのは良きことでしょう。しかし、それに縛られ続けて、閉鎖された技術空間に閉じこもり続けるのは、未来を生きていく上で、果たして良きこと?

 

 

70年代に実をつけて、80〜90年代で丸々と実が成熟して、00〜10年代で成熟しきって地面に落ちて腐って、20年代以降は、地面で裂けた実の中の種が大地に根付いて新しい芽を出して‥‥という流れで、新しいアニメーション制作を志しても良いのではないでしょうかネ。

 

紙の作画、原画動画の工程を、コンピュータに移設することばかりに血道をあげないで、何らかの新しい路線を考えて始めても良いんじゃないですか‥‥ね。ぶっちゃけ、そんな簡単に「じゃあ新しい方式で」なんて、切り替えられないですもん。2000年前後の「デジタルアニメーション」がそうであったように、現在の本流とは別に、着々と準備することが肝要だと思います。

 

 

中割りとの決別‥‥なんて、いかにも穏やかではない響きですが、新しい技術が生まれて、新しい仕事が生まれる‥‥のも、未来へ続く道の1つなのです。

 

 


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