彩る仕事

何やら、「動画単価は安いから、彩色も一緒に作業して単価を上げる」みたいな話を、随分前から聞きます。

 

え? 計算できない人なの?

 

動画の作業費と彩色の作業費を合わせれば、当然ながら合計額は増えます。

 

そういうのは、「単価が上がったとはいわない」でしょ。合計額が上がっただけでしょ。‥‥マジで、計算ができない人の言い分だよな‥‥‥‥。

 

 

 

私は、以前からこのブログでも書いているように、彩色の仕事は、彩色のプロがやるべきだと思っています。

 

数々の作品経験に裏付けられた、作業の「品質」「精度」が段違いに優れていますから。‥‥私は自費の自主制作でもない限り、彩色を自分でやることはありません。自費の開発研究自主制作だって、本当は知り合いの色彩設計さんに頼みたいところです。

 

色彩設計さん、彩色スタッフさんは、それこそ毎日、彩る仕事をしているのです。

 

線画描きがにわかに、ソフトをちょっとイジってみたからって、太刀打ちできるわけないでしょ。普通に考えてわかるはず。

 

 

 

またこれも、以前から書いていることですが、色彩設計さんには衣裳デザインも担当して欲しいと考えています。もちろん、衣裳デザインの報酬は別途、ですよ。

 

色彩と組み合わせて、最適な衣装を考えられるのは、色彩設計さん以外に思い浮かびません。もしくは美術監督さん。

 

なので、将来的には、色彩設計さん兼衣裳デザインさんには、iPad Proを供給して、日頃からデザインと配色をイメージしていただけるよう、制作現場を整備したいと構想しています。

 

 

 

彩る仕事、なのです。

 

私はこのブログでは彩色の仕事のことをほとんど書きません。なぜなら、私は彩色をプロとして作業した経験がないので、知った口を叩くわけにはいかない‥‥と思うからです。

 

しかし、色彩設計さんや彩色さんは、ものすごく頼りにしています。彩る事を毎日のように考えて作業している人に、まさに仕事をお願いしたいのです。

 

色だけではありません。線の成り立ち、線の最終ルックに関しても、彩色スタッフさんは重要な役どころを担っています。

 

色と線を扱う、数々の経験と知識があるがゆえに、様々なケースに対応し、しかも作業の手がとても速いです。

 

 

 

彩色作業をもし、動画スタッフさんが兼任する場合、当然のことながら、彩色の本職の人と相応の技術を有している場合のみ、です。

 

‥‥嫌な話を聞いたことがあります。

 

簡単なマスク塗りだけデジタル動画で塗って仕上げ料金を請求、塗るのに手間がかかるキャラのセルだけ彩色スタッフさんに押し付けた‥‥みたいな、とんでもなく酷い悪質な事例。

 

あ〜あ、こんなことをしだしたら、デジタル作画もおしまいだな‥‥と思った次第です。極めて稀な悪質な例‥‥だと良いですが。

 

 

 

まあ、とにかく、私は今後もアニメ制作に関わり続ける以上、色彩設計さん・彩色スタッフさんに色彩関連をお願いし続ける所存です。そして衣裳も。

 

「映える色」を「絵のチカラ」にするためには、やっぱり、「色のプロ」に頼みたいですもん。

 

 


未来は。

4Kはとかく解像度ばかりに目がいきがちですが、アニメ業界的に何よりも重要な点は、4Kをきっかけにして今までの現場の体質を大幅に改善できることです。

 

4KHDRでアニメを作ることは、単にペンタブを導入して画像ファイルの寸法をUHDに合わせるだけでなく、4Kで作るために「作画受発注の1番の元凶」だった「作業報酬のあまりの低さ」が根本から見直される点にあります。

 

制作現場にとっては、何よりもソコが重要なのです。

 

4Kなんて過剰なスペックだ、4Kなんていらない、アニメは今の解像度で十分。‥‥つまり、そういう論調は、回り回って現実として、作画のあまりにも酷すぎる作業単価をそのまま黙認して未来も作り続けろと言うのと同じなのです。

 

2Kの今の時点でも、相当過酷です。

 

女の子を可愛く装飾するために、髪の毛3色ぬりわけでノーマルと影色、ハイライトを足して、合計7色、目の中には様々なディテールが描き込まれ、髪の毛の中は透けて目が描き込まれている‥‥と、その過剰な線の多さを1枚200円ちょいで動画を描く時代です。可愛いキャラのアニメに関わろうものなら、そのディテールの多さから、出来高でカウントしたら散々に低い報酬額にとどまります。

 

「今のままの単価で作り続けろ」とは言ってない。いつか改善したい。

 

‥‥と言うのでしょうが、じゃあ、それはいつ? そして、おいくらに改善するつもり?

 

「いつか」とは、実質的には永遠にやってこない未来

 

‥‥です。憂慮するふりだけみせて、今の制作体制に従順に加担するだけ‥‥なんて、まだ続けるのでしょうか。

 

憂慮する人、「いつか」と言う人は、単価や報酬が「ちゃんと見合う」ように、何かしら向上する取り組みや改善活動をしてますか???

 

ツイートするだけじゃ現場は変わらんのですよ。

 

 

 

タブレット完全移行と4KHDRとハイブリッド作画。この4Kとカットアウトの組み合わせ以外に作画の現場の改善案を思いつきません。

 

紙で2Kで数千数万動画枚数の作画方式は、既に「今までその金額で作ってきたよね。今後も同じ金額で続けてくれ。」と言われてしまう過去の前例を、各社各人、夥しく大量に作ってしまいました。2Kはもう手遅れです。2Kで作り続ける限り、カットアウトでも従来現場の状況は挽回できません。

 

 

 

正直、私は今、カットアウト作画技術を有する作業者がいなくて、酷く苦労しています。物量のプレッシャーに押しつぶされそうになります。

 

しかし、それでも乗り越えようと、気概は充分にあります。だって、その先には未来があるからです。

 

カットアウトを扱えるアニメーターが日本にも増えたら、状況は大きく改善できることを確信しています。カットアウトで作画部分の70%を賄いつつ、残りの30%を旧来技術で作業する作画スタッフには、格段に向上した報酬額を設定できるでしょう。効率の良いカットアウトと技術蓄積に優れた従来技術のハイブリッド方式なら、未来のそろばんも弾けます。

 

そのためにも、今は事例を増やすことに専心します。

 

 

 

逆に。

 

今までの何千何枚枚と描く旧来技術だけで4Kでやろうものなら、確実に破綻します。お金も時間も手間も、何もかも足りなくなるでしょう。これはキッパリと予告・予言できます。4Kの動画単価を今までのテレビの単価で引き受けたら、それはまさにアニメ業界の「終わりの終わり」を意味します。最悪最凶(最狂?)の業界に成り果てるでしょう。

 

私はそんなこと=旧来技術だけで4Kに取り組むことは絶対にオススメしません。新技術と4Kはペアで導入するのが必定です。

 

 

 

今後のアニメの制作現場、およびアニメ産業について、未来をどのように思い描いていますか?

 

2Kの現在においても、色んな状況を目にしますし、実際に過去に関わったこともあります。

 

後動検、二原動仕、拡大作画の乱発、仮本撮、複合組み・多重組み、ゼロ原から4原、一話につき十数人もクレジットされる作画監督。

 

これらはみな、明るい未来の希望を感じる、発展性の豊かな現場が取り入れたことでしょうか?

 

私はそうは思えません。どんどん、なし崩し的に作業体制が変質したに過ぎないでしょう。この流れのまま、いつしかまともに制作現場を運用できる人間が僅かになって、自滅するように思うのです。

 

自滅して消え去った産業は他にもありますよネ。

 

 

 

自滅したい人間なんていないはず‥‥と思います。ヤケクソにでもなっている人以外は、未来も生き続けたいと考えるでしょう。

 

だったら、生き続けるため、作り続けるために、考えて考えて、たとえ最初の一歩は小さくても、実践しましょう。私の4Kの取り組み開始は、2014年当時の10万円のMac miniとA4の廉価スキャナとAdobe CCでした。

 

「できる手応え」を自分・自分たちで掴むほか、きっかけは得られません。

 

他者が手を差し伸べるにしても、自分たちで作り出す未来の可能性の発露は必要です。そもそも当人が諦めて見込みのないものに、他者は関わろうとしません。

 

当人が可能性を見出して、何らかの結果物を成すからこそ、その次、そしてまた次へと繋がっていくのです。

 

 

 

どうせできるわけない、どうせダメだ、どうせ無駄だ‥‥なんて言い続ける人は、死ぬまでそう言い続けていれば良いのです。そんな「ダメ、無駄、不可能」を思考のベースにしている人と、未来に一緒に仕事しようと思うのなら、ご自由にどうぞ。

 

私は、できそうだ、やってやれないことはない、うまくいく方法はある、扉の鍵は必ずみつかるはずだ‥‥と思う人々と、一緒に仕事をしていきたいです。

 

 

 

 


思い立ち

思いつくことは、実現できる可能性が高い。‥‥と、私は経験上でしみじみ感じます。

 

逆に言えば、思いつかないことはできません。

 

普通に考えて、自分の脳内で想像できないことは、やらないし、できないですよネ、

 

しかし、想像できることは、できそうな予感がします。さらには、今の時代を生きる世界のどこかの人間は、同じことを考えていて、それが「同業者の共時性」みたいな状況となります。

 

10年以上前に、カットアウト(当時はそうは呼んでいませんでしたが)に取り組み始めて、個人所有の性能の低いPowerMac G4で格闘していた頃、海の向こうの欧米で会社規模で作ったカットアウトの短編を観た際、「‥‥やっぱり、同じことを考える人はいるよな。だって道具はあるんだもんな。」と驚くと同時に、日本のアニメ業界の「内弁慶」な状況に悲観したものでした。日本は個人規模の研究、あちらは着実に会社規模でコマを進めてビジネスの機運を伺っており、日本はいつも「こうなんだよな」と悲しくなったのを思い出します。

 

でもまあ、日本人の特性を恨んだところで何のプラスにもなりません。夜はなぜ暗いんだ!‥‥と叫んだところで昼になることはないです。合理性や先進性よりも精神性を重んじる「お国柄」を嘆いたところで、アニメ業界がどうこうなるものでもなし。

 

むしろ、「思い立てた」こと、「想像できたこと」を純粋に喜ぶべきでしょう。「できそうだ」と発想できたことを、今までの経験の積み重ねゆえと、感謝すべきです。

 

 

 

ただ、人間の人生は短いです。思い立ったことを全て実現して完成させられるほど長くはありません。

 

また、人間には「旬」と「熟成」ともいうべき、「実行するには良い時」が確実にあります。思い立ったら吉日とは、昔の人はよくいったものですネ。

 

人生100年の時代とは言われますが、その100年の間の時間は等価ではありません。楽器や絵画を覚える時、身体能力を身につける時、思考能力を身につける時‥‥と、自分の中の「最適」な「旬」の時期は確実にあります。「旬」を逃すとうまくいかないことも多々あります。

 

しかし、「旬」を過ぎても、実は「熟成」の時期が一定期間の後にやってくるので、その時も「チャンス」なのです。

 

そして、自分の中の多様な要素は、それぞれ旬と熟成の時期が時間差で波状で到来します。春に咲く花もあれば、冬に咲く花もあり、夏野菜もあれば、秋野菜、冬野菜、春野菜もあります。唐辛子は収穫したのちに熟成させることで旨味と辛さが増す‥‥そうですヨ。

 

 

 

一番マズイのは、

 

26歳の時に、「自分が16歳の頃にやってみたかった‥‥」と後悔し

36歳の時に、「自分が26歳の頃にやっておけばよかった‥‥」と後悔し

46歳の時に、「自分が36歳の頃にやるべきだった‥‥」と後悔し

56歳の時に、「自分が46歳の頃にやらずのままだった‥‥」と後悔し

結局、自分自身の無難路線の枠から一歩も出ずに、66歳を迎えて「自分の人生は何だったのか‥‥」と呆然とする

 

‥‥ようなことです。後悔が10年ごとに繰り返される人生。

 

過ぎ去った時間に未練だけが残り、結果に後悔してばかり‥‥という状況は、まるで自分が乗るべき電車を間違えて、予定とはまるで違う場所にたどり着いて途方にくれるが如く‥‥でしょう。その時々の自分の「旬」と「熟成」を懸命に見つけようとしなかった結果を受けて、さらに今の自分の「旬」を見失う最悪のループ。

 

もし電車を乗り間違えたのなら、見も知らない場所で、逆に何かを獲得すれば良いのです。

 

皆が同じレールで同じ目的地に向かっているのですから、考え方によっては、自分の想定外の到着場所は「皆が知らない物事が盛りだくさんで豊富」とも言えるわけです。私は一時期、アニメ制作現場から干されたような実質の期間がありましたが、今思えば、アニメ制作現場では得難い貴重な体験と知識を得ました。実写作品に関わって、本当に良かった‥‥!

 

人生って、少なからず、フォレストガンプみたいな話‥‥です。

 

 

 

思い立つ‥‥ということは、何らかの片鱗が見えている証しだ‥‥と、嬉しく感じるべきなんですよネ。

 

今、思い立つことを、いろいろと調べて研究して実践してみて、すぐにはモノにならなくても、何かが何かに繋がるように思います。

 

私自身、「普通そんなことはやらない」みたいな言葉ばかりに準じてたら、「普通の枠」に収まり続けて何も新しいことはできなかったと思いますし。‥‥アニメ業界のプリズン・セルに閉じ込められたままだったと実感します。

 

会社や政府に期待して、それで未来に返ってくるのなら良いですが、そんな他人任せよりも、「自分が、自分自身に「旬の収穫」を返してくれる」のを期待した方が確実なように思います。自己同期が一番結果を出しやすく、その結果が新たなフェイズへと導いてくれます。

 

アニメーターなら、iPadなどのタブレットで、自分の絵を、自分のために描いてみましょう。アニメ業界のためだけに絵を描くのではなく。

 

まずはソコから。

 

 

 

 


令和、2020年代の、影のかたち

旧来、そして現在のアニメ制作現場の状況ゆえに、例えば親戚から「子供がアニメーターを目指している」と相談されたら、「それは良い。安心して飛び込んで来てください」とは絶対に言えない業界の現実があります。自分の在籍する業界や職種に対して「来ない方がいい」としか言えないなんて、考えてみれば「とても悲しい」ことです。

 

しかし、カットアウトが導入されて飛躍的な効率化と、従来作画の大幅な報酬増強を実現できれば、周囲に対して「ちゃんとお金をもらえる業界です」と言えるようになると思っています。そのくらい、カットアウトの導入効果は劇的です。

 

‥‥が、簡単に習得できるものではありません。従来の作画を学び、さらにコンピュータの各種ソフトウェアを学び、さらにはスクリプトなどの簡単なプログラムを作れるように、10年規模の習得プログラムを体制側が構築する必要があります。

 

しかし、そうした専門技術の数々を習得し、作品作りにおける代え難い存在となるからこそ、正当で正常な報酬を得られる存在になるのです。

 

これはキビしいことでも何でもなくて、「技術を習得し、経験を積み、自分の技量がアップすれば、報酬もアップするんだ」と「頑張れる希望」があるということです。

 

今の作画の現場で、色々と経験を積んだ上で、さらに頑張れる希望を持っている人って、ほんの僅かなひと握りだけでしょう。いわゆる「売れてる作品のキャラデザか総作監」です。しかし、あんなに売れた作品の作画監督が今はわびしく過去の人で、老いぼれたら出来高で稼げなくなって、安いアパートで単身で孤独死で特殊清掃のお世話になって‥‥なんていう未来を予想する人だって、決して少なくないはずです。

 

ほんとに、今のままでいいのか? ‥‥って思います。

 

‥‥え? 思わない? ‥‥‥そうなんだ‥‥。なぜ?

 

私は今のままではダメだとはっきり思いますヨ。

 

おそらく、作画の現場から一旦離れて、コンポジットや実写などの作業もして、業界の作画の現場を客観視していた時期があるので、余計に対比で解るのです。

 

 

 

手で絵を描くことを辞めるわけではないのです。カットアウトはむしろ、自分の描いた絵を直接動かせる技術でもあります。背景とペイントを自分で作業するのならば、個人規模で数分のアニメを最後まで作りきることも可能になります。

 

それはどういうことか?‥‥というと、色んなアイデアをどんどんカタチにできるということです。

 

たとえ自主制作とは言え、個人が千枚規模の動仕を完結できますかね? 相当な困難と相応の金(=自腹)と時間が必要になります。1カットではなく1分、3カットではなく3分ならば、従来の原動仕システムを一人で賄うことは実質無理ですよネ。もちろん、止め絵のPANではなく、ちゃんと動いて‥‥ですよ。

 

カットアウトならば、まずは自分で1分くらいの映像を自宅制作で作り、そこからプレゼンなどをして広げていくことも可能です。20分、1時間となれば、やはり「軍団」は必要となりますが、アイデアの出発点ならば1人や数人で可能になります。

 

 

 

切り口が一辺倒なのを打開したいとは思いませんか。

 

今までだってそうだったんだから、未来も同じで「仕方ない」のでしょうか。

 

口では改善したいと言っても、実践が伴わないのでは、窮状を容認しているのと同じです。

 

変えていく意志を本当にもっているのなら、ネガティブなキモチに支配され続けるだけでなく、変えていけることの1つ1つを実践して行動しましょう。

 

 

 

欧米のカットアウトは凄いことになってきています。くるりんと360度回転して、あっちこっちを走り回って、‥‥マジか、と思います。

 

「日本のアニメは最高!」と賞賛される一方で、日本のアニメ業界全般で新しい技術開発と若い世代の育成を怠ってきたツケが溜まっています。

 

ツケが溜まっている? ‥‥だったら、払って返して、2020年代はプラスにしていけば良いです。借金は返さないとゼロには戻りません。新たなスタート地点にまず立ち直ることを考えるのです。借金やツケを残したままで、自画自賛に酔いしれてばかりを2020年代に繰り返すのではなく、築き上げた高い技術をもとでに、新しい戦い方を意識的に畳みかけて実践しましょう。

 

なまじ「最高。もう改善する余地がない。」なんていう伸びしろが見当たらない状況よりも、色々と改善すれば良くなることが解っている成長段階のほうが、未来に夢を託せます。

 

 

 

アニメが好きなんですよね? アニメを作り続けたいんでしょ?

 

私はアニメが大好きなので、色んなアニメを作って寿命を全うしたいです。一部の趣向や日本の地域的な流行にとどまらず、色々な表現の可能性を、世界的な視野で商業的な現実へと変えていきたいです。

 

だったら、旧来の方式に縛られることばかりでなく、新しい「実現方法」を実践しましょう。

 

やり方・作り方を「増やせば」良いのです。

 

可能性を感じられなくなって状況に甘んじるだけが令和の時代なのだとしたら絶望の時代です。

 

老若男女問わず、可能性をリアルなカタチにしていきましょう。

 

 

 

アニメ業界はいわば、制作現場で働いて作品を作る人々の「影」のようなものだと思います。決して、アニメ業界が絶対的に支配して君臨しているのではなく、単なる「人々の影」です。自分たちの影を見てモンスターだと恐れる必要はないのです。

 

ですから、人々の動き方が変われば、影の形も変わります。

 

現在の「影の形」には嘆きも絶望感もありますが、決して人そのものに絶望しているわけでないです。人々の動きが変われば、影の形も必ず変わると確信します。

 

最初に新しいことを始めれば叩かれるのは毎度のこと。20年前の「デジタルアニメーション」だって全く同じで、「フィルムと違ってキモチ悪い!違和感が凄い!」なんて言われたのを昨日のように思い出します。そりゃあもう内外から色々言われたもんですが、逆にそれが新しさのバロメーターにもなります。

 

今でも16ミリフィルムでアニメを作りたければ作れば良いのに、技術が浸透して定着した後は、昔吐いた罵詈雑言は無かったことにしてますよネ。

 

私は可能性を信じて一緒に仕事をしてくれた人々を忘れませんし、ニュートラルな位置を貫いた人々も信頼しますし、都合に合わせて日和見して主張をコロコロ変えた人々も記憶しています。

 

そうした人々全員の影が、まさにアニメ業界。

 

令和、そして2020年代において、日本のアニメ業界は、どんな影の形を社会に映していくのか、自分の目でしっかり見つめていこうと思います。

 

 

 

 


未来と、動画と、

私が欧米のカットアウトを積極的に導入しようとするのは色々な理由がありますが、表現内容ではなく制作現場的に言えば、従来の動画の作業費=単価が、あまりにも現実の生活水準と乖離しているがゆえに、新しい動画技術の導入が必須だと痛感するからです。今のままのアニメ業界の業態では、「人が働く産業」として成立しにくい性質がどんどん色濃くなるだろうと予測します。

 

動画という工程がなければ、アニメは画面に絵を表すことができません。よほどの特殊な処理でもない限り、動画の工程を経て、ペイントされコンポジットされて、映像として具現化します。

 

アニメ業界全般の動画単価は、テレビシリーズ(1.5〜2Kの解像度)でだいたい200〜300円台です。たまに400円台を設定する作品もありますが、平均では200円台です。

 

一方、数年のキャリアを持つ動画作業者は、1日に何枚描けるか?‥‥というと、作品の絵柄にもよりますが、いまどきの可愛く装飾された女の子キャラ(髪の塗りわけが7色とか)ですと、10〜20枚がやっと‥‥と聞きます。簡単な内容のカットが混ざれば枚数が稼げますが、基本的にはどの作品も線が多く繊細で、たとえ2Kであってもコンスタントに何十枚も描ける内容ではありません。

 

例えば、1日15枚としましょう。単価を250円としましょう。

 

250x15=3750円

 

一方、日曜は必ず休むとして、1ヶ月25日とすると、

 

3750x25=93750円

 

‥‥という出来高になります。

 

1日15枚描けない日もあるでしょう。理由は明白で、カットによって内容の重さが大きく変わるからです。作品によっては、7〜8枚平均になってしまう場合もあります。5枚に満たない日もあるでしょう。どんどん手取りの額は下がっていきます。

 

会社によって、ベースの料金を設定して、出来高を上乗せするところもありますが、根本的な単価の設定額の低さは、明らかに重大なアニメ制作産業の欠点です。それこそ、20〜30年も前から‥‥です。さらに近年は絵柄が細かくなったがゆえに、異常さに拍車がかかっています。たまにツイッターで流出する月ごとの支払い明細の額面(1ヶ月の支払額が6万とか8万とか)は、まさにアニメ業界の変わらぬ現実を示しています。

私の動画時代(30年以上前)は「月1000枚を目標とせよ」という時代でしたが、単価は120円前後で「完全出来高制」だったので、1000枚描いても12万円(マイナス源泉徴収で10万円切り)でした。私は10日で300枚以上描けたこともありますが、面接や紹介時に「メカが好きで得意です!」と変なことをアピールしたために線の多い動画が回ってくることが多く、コンスタントに1日30〜40枚など描けるものではありませんでした。当時に手取り20万円を動画で稼ぐには、2000枚くらいは描かなければならず‥‥、まあ、ありえませんでした。1980年代後半でドカンとアニメの線の量が増えた後でしたからね。

同じく30年前の当時、よく言われたのは「以前は2000枚が目標だったんだ。もっと前は3000枚描く人もいたぞ。」という「前の時代はもっといっぱいできた」という文言です。私は純粋に「そんなに描けるのは凄いなあ」と思ったものですが、宇宙大空母とか、巨大メカが二人乗りで巨大バイクに乗るとか、大量に線のある細かい絵を描くことがなければ、枚数もいっぱい上げられるだろうとは今はクールに判断できます。事実、簡略化した簡素な絵柄なら、動画も原画もいっぱい描けるんですよ。今のアニメの可愛い女の子キャラは昔のメカ並みに線が多いです。線の量は直接的に、動画も原画も、作業効率に対して痛烈な打撃となります。だからと言って、未来のアニメは作り手の都合でみんなノラクロのような絵柄にしますか?‥‥できないですよネ。

 

 

つまり、今の一枚ずつ動きを追って描くアニメ技術は、こうした動画作業の苦しみの上に成り立ち続けています。中堅からベテランアニメーターは「動画時代はみんなが通ってきた道だ」とその動画の報酬の異常さを、同じ作業区分の作画の人間でありながら、事実上、容認し続けています。

 

もうほんとにぶっちゃけ、「みんな、一緒にアニメの作画をしようよ」と若い人たちに声をかけられないのです。

 

作画作業に誘えないのです。テレビアニメの動画単価1枚200〜300円で、どうやって、アニメ作りの現場に誘えるというのでしょうか。

 

それとも、動画工程は下積み時代の作業項目とでも言うのでしょうか。‥‥違いますよね。動画はれっきとした必要不可欠な工程であり技能者が必要な部門です。

 

さらには、そうした単価が安くて内容が大変な現状を、大きく改善して打開するアイデアもない‥‥ですよネ。今までのままのアニメ作画技術を踏襲し、今までのままの制作費ならば、未来に大激変して飛躍的に動画の単価が向上することは、普通に予測してありえそうにないでしょう。

 

 

 

手描きで1枚1枚動きを作ることを「美徳」と考える人は、制作者側にもファン側にもいます。たしかに1枚1枚動きを描くのは、楽しいし面白いし痛快で、描く側も見る側もアニメに魅了されます。

 

しかし、その魅力の「内実」は、どのような状況の上に成り立ち続けているのか。‥‥その美徳は、まるで生体から皮を剥ぎ取って毛皮のコートにするかごとくの、残酷な美とは言えませんか?

 

手描きの動きを賞賛するのは悪いことではないですが、他のアニメの技術〜手描きの絵を他の方法で動かすカットアウトも導入して技術を発達させないと、マジメに、業界の未来は危ないと思います。

 

未来の映像産業の技術進化と共に歩み、手で絵を描くことをやめずに、動かす技術を進化させるには、タブレットへの移行とカットアウトの導入は必然です。

 

4Kをまさか、何千何万枚もの動画単価200〜300円の延長線上で作ることになったら、いよいよ崩壊します。でも、4Kに限らず、2Kのままでも、1日10枚も描けないような作品の動画単価が200円台なのは、もう大破綻ですよネ。

 

それとも、従来アニメの「美徳」を主張する人は、安い単価で何千何万枚も描く方式を未来も受け入れろと言うのでしょうか。お金が稼げなくても文句を言うな‥‥と?

 

 

 

カットアウトの作画技術は、動画枚数で作業をカウントしません。手描きで描いた絵を動かす際は、Toon BoomなりAfter EffectsなりMohoなりで作るのですから、動画枚数でカウントすること自体が難しいです。カットアウトは、ラフや線画清書やリグやアニメーション(=モーション)などの新しいジャンルで作業が分類されます。

 

では、全てをカットアウトに乗り換えるのかというと、そんな簡単なことではありません。1枚1枚動きを追って描いた方が良い内容ならば、無理にカットアウトで何でもかんでも処理する必要はないです。

 

要は、従来作画とカットアウトのハイブリッドです。

 

カットアウトでカット数を稼ぐ傍で、従来の作画が向いているカットは動画作業も並行しておこないます。カットアウトによる高効率化の恩恵を、従来作画の報酬増強に充てるのです。

 

枚数でアニメのものごとを測る方法は、もう未来はダメです。枚数ではなく、作業内容の重度軽度で測る方法に切り替えれば、1枚1枚動きを描く作業の「大変さがはじめて評価」されます。

 

動画スタッフが「こんなに技量を高めて、こんなに働いているのに」という実質を、作業体制側がちゃんとお金に表して評価していくことが必要です。それが今までのアニメ制作ではできていないからこそ、アニメ制作に絶望する人が後を絶ちません。私も若い頃に絶望しかけてダメになる寸前までいったことがあるのでネ。

 

 

 

カットアウトは絵柄を選びません。いわゆる萌え系のキャラだって動かせますし、リアル系のかっこいいキャラもイケますし、私はラッカムやデュラックのような絵柄で日本限定よりは世界に向けて作りたいとも思っています。

 

表現の広がりに加えて、産業としてのアニメ制作を発展させるには、まずはカットアウトを日本に広めつつ、従来の動画の価値を正当に評価した金額にアップすることです。

 

動画スタッフを20万円台の月給で雇用している会社は、その動画スタッフの「動画1枚単価換算」はいくらなのか、月々の集計で簡単に算出できますよネ。相当良い額になりますよね。‥‥なのに、外注に出す時は、まさか200〜400円? ‥‥あんまりですよネ。

 

 

 

今のままのアニメ制作現場の状態で、動画単価を10倍近くも跳ね上げる「策」をもっているのなら良いですが、‥‥実際どうでしょう?

 

動画を請け負うちゃんとした技量を持つスタッフが最低でも10万円台後半、普通に考えて20万円台以上の月額報酬を得る秘策をお持ちでしょうか?

 

私は今ままでの制作技術では無理だと思います。新しい制作技術を導入しない限りは、単に日々の不満と状況を受け流し続けたアニメ業界のままで停滞するのは、目に見えています。

 

なので、カットアウトをやりましょう。

 

日本人の素晴らしい性質である「可能性を各所から見いだし、オリジナルよりも発展させる」能力を、カットアウトでも発揮するのです。

 

アニメ制作現場を、「アニメ好きゆえに、貧乏を我慢して関わり続ける」現場から、「専門の技術に対して正当な報酬を与える」現場へと、明確に変えていきましょうよ。

 

 

 

今までの技術のままが良い‥‥というのは、つまりは、今までの貧乏のままで我慢せよ‥‥ということと同義である現実を直視しましょう。

 

世界の映像技術は、今までがそうであったように、2020年代も進化し続けます。進化の潮流の中でアニメ制作を続けるためにも、カットアウトと従来技術のハイブリッドは必須だと確信しています。

 

 

 

 


単体かソリューションか〜液タブの存在

AppleやAmazonが強いのは、いまさら言うことでもないですが、やっぱり、単品ではなくソリューション〜商品の周囲をまるっと含めた「環境」を売っているからでしょう。iPadやiPhone、Apple Watch、そしてiMacなどのMacは、単品ではなくApple IDやiCloudなど、ハード&ソフトのネットワークの相互関係が形成できるのが売りです。

 

iPhoneで撮った写真をiPadやiMacですぐに見れるのがあたりまえになると、デジカメでいちいちデータを吸いださなければならない手間は、ものすごくドンくさく感じます。データは端末の垣根など気にせずシームレスに扱えて当然の時代です。

 

AirDropでファイルを簡単に受け渡しできる環境に慣れると、

 

USBメモリを用意して、空いているUSBのクチに挿して、データをコピーし、アンマウントして、持ち運んで、別のマシンのUSBのクチに挿して、データをコピーし、アンマウントして

 

‥‥と、段取りを書くだけでも辟易してきます。

 

サーバを使う運用はアニメ会社でも一般的ですが、サーバを使う人間の自助努力頼みなのは基本方針として古めかしさが否めないですし、実際に操作次第でどこに何でも置けてしまいます(ソフトウェア上の操作の制限が実質無い)。単にサーバを設置してファイルサーバとして各端末にマウントするだけですから(まあ、百単位の端末に整然と、ファイルの送受をサービスするだけでもスゴいことではあるのですが)、「ライブラリ」「プロジェクトマネージメント」の意識がソリューションとして根本的に存在しません。アニメ会社では「ファイル共有」程度の運用意識で停滞しているところも多いんじゃないでしょうか。

 

2009年と2019年では色んなことが大きく変化しています。自分も10年歳をとったし、社会も10年進化しました。プライベートや仕事も、10年分の進化が知らず知らずのうちに盛り込まれていて、それがいつのまにか「大前提」となって物事は進みます。

 

 

 

アニメ業界も社会と歩まなければならない‥‥と、度々このブログで書いてきましたが、具体的に言えば、アニメ制作現場の「ソリューション」をガラパゴス状態から脱皮させることと言えます。

 

アニメの作画で言えば、紙作画からペンタブ作画‥‥ということになりますが、何よりも液タブの進化速度が遅いので、なかなか思うようにいかない現実はあります。

 

液タブはさあ‥‥。19〜21インチでUHDの薄型が必要ですよ。切実にネ。

 

ペンタブが単体で存在感を出している今の製品ではなくて、作画の環境全体にフィットする、「丁度良いカタチ」が求められていると痛感しています。

 

16インチじゃ小さいですよネ。24インチはでかいです。20インチでもFHDでは性能不足。

 

私は自宅にも仕事場にも両方に液タブを導入しようと製品を定期的にチェックして、たまに実機でテストもするのですが、どうしても買うに至りません。

 

現行の液タブが帯に短し襷に長しで、液タブに作業環境が引きずられるのです。

 

作画作業の「ソリューション」として、構成要素にピッタリはまる液タブが欲しいのです。それは、前述のとおり、ズバリ、「19〜21インチでUHDの薄型」です。

 

 

 

製品が、単体で魅力をアピールする時代ではないです。パソコンもタブレットもスマホもサーバも、すべては環境の構成要素であり、何が主役というわけではないです。

 

主役。別格。

 

私の小さい頃は、牛肉のソテーは「ビフテキ」と言って、他の料理を寄せ付けない存在感があり、別格の待遇でした。「トイレット博士」でビフテキ1枚をメタクソ団員で争って食べる話がありますが、お下劣なデフォルメはともかく、たしかに特別の存在感があったものです。

*スナミちゃん。Procreateで、スタジオペンというプリセットをそのまま使って描きました。小学生の頃、「持ちキャラ」(手本を見ないで描けるキャラ)だったんよ、スナミちゃんは。‥‥今はもう覚えてないので、見ながら描きましたけどネ。

*人生50年いまだに、少女時代にトイレット博士やメタクソ団が好きだった‥‥という女性に一度も会ったことがないです。糞尿が飛び交うストーリーでしたから、まさに男の子の漫画‥‥でしたね。少年漫画と少女漫画が分類されていたのは、必然というか必至というか。

iPad ProとApple Pencilで数分で描いて、AirDropでiMacに送って、ハイ、ブログに掲載。‥‥これがソリューションで絵を描く「本域」です。フットワークの軽さはバツグンです。

 

 

 

スナミちゃんはともかく。

 

2019年の今、まさかビーフステーキを特別な存在として扱う人はいまい。「ビフテキ」という言葉を聞かなくなって久しいですしネ。

 

コンピュータの映像制作で言えば、ひと昔前は、PC本体やプリンタや液タブやディスプレイがそれぞれ「ビフテキ」みたいな存在でしたが、今は「健康と趣向に合わせて、自由に献立を考える時代」、つまり、Mac本体ですら「日々の環境の1要素」でしかないです。

 

アニメの作画環境で、唯一と言って良いほど、環境から逸脱しているのは「液タブ」かも知れません。他の要素は、いい感じに馴染んできて、単体を意識するよりも全体のソリューションとして捉えることができますが、液タブだけが‥‥‥まだ外れたところに居続ける存在です。

 

ぶっちゃけ、来年には自分で自腹で自宅に液タブを買いたいのですが、ほんとに‥‥頼むよ‥‥メーカーさん‥‥。私だけじゃなくて、他のアニメーターさんも「24インチはでかい、16インチは小さい」と言ってますよ。

 

液タブが「ビフテキ」のままでは、アニメーターの次世代移行は停滞し続けます。ビフテキ状態から脱して、日々馴染む要素として使えてこそ、作画のソリューションは令和にふさわしく進化するでしょう。

 

 

 


アジア

私は、アニメの仕事で知り合った国外国籍の方々を何人も知っています。台湾、中国、韓国、イギリス、カナダ。最近は、ブラジル国籍の方ともカットアウトを通じてお知り合いになれました。

 

全然、社交辞令でも何でもなく、悪い人とは出会ったことがありません。‥‥自分の人生を、「アニメという作品制作」に注ごうと決意し、しかも海を越えて日本にやってくるのですから、東京近郊の人間が電車通いでアニメスタジオに出入りするのとは状況も心情も異なることは想像できます。

 

アニメって、アニメが好きじゃないと選択しない職業ですよネ。中には調理師など全く関連のない職種から転向した珍しい人もいますが、基本的には何らかアニメが好きな人が、制作現場へと入ります。

 

最近、国と国との関係がギクシャクする中、何だか使い古された言葉ではありますが「アニメ好き・映画好きに国境なし」と肌身で実感します。

 

私は島国日本で生まれ育ったからこそ、日本の風土や歴史を意識しますし、アジア大陸の端に位置する、海に囲まれた日本も認識します。昔、アジアから海を渡って、色んな文化が日本にもたらされました。であるならば、日本のアニメの新しい技術は、日本に閉じ込めるのではなく、アジアや世界に相互に交わっても良いと考えることがあります。

 

 

 

私は自分の1000年前の祖先の名前を知りません。1万年前の祖先は全く想像もできません。しかし遺伝子は受け継がれ、今ここに私が存在しているのは、まあ‥‥特に難しくもない、納得できる事実でしょう。

 

一方で、地球の人類の文明は、いつか消滅すると思っています。祖先どころの話ではないです。科学説を信じるのならば、地球そのものが太陽に呑み込まれる日が来るんだとか。そうなれば、遺伝子もへったくれもないです。先祖の墓も砕けて星屑です。人類の遺産も文化も、家系も財産も、何もかも。

 

番組「コスモス」ではないですが、私たちは「星屑の子供たち」なのでしょうネ。星屑から生まれ、やがて星屑に還っていく。

 

それに私は、‥‥みなさんも同じでしょうが、「死」を実体験として知りません。ですから、的確にわが身をもって死を知ることは永遠にないですよネ。生きているのですから、死んだらどうなるかなんて、わかりません。

 

であるなら、子供を残そうが、財産を残そうが、自分の死後に対して自分はまったく関与できないわけで、今生きているこの時間こそ、自分の感覚の有効期間です。

 

じゃあ‥‥。アニメを作り続ければ良いじゃんか。覚悟を決めて。

 

東京だけでなく、日本だけでなく、アジアもヨーロッパも、「自分の生きていられる期間に、アニメや映画を作りたい」‥‥と思う人が集って。

 

 

 

なので、このブログも、

 

ezura.asia

 

というドメインにしています。ぶっちゃけ、「earth」や「world」ドメインでも良いんですが、ドメインを検索した当時は年額が高くてな‥‥。なので、アジアで。

 

自分の容姿からして、アジア直系だし、asiaドメインは出自としてちょうどいいです。

 

私の最初の祖先は、水中をぷやぷや泳ぐ原始的な生命体だったかも知れませんが、それがどういうわけだか、生き延びて今に至って、なんとMacやiPadでアニメを作っているという、何とも不思議な話。‥‥それだけで果てしない気分になります。

 

私は自分のナマの遺伝子を残せそうもないですが、無形の遺伝子はもしかしたらアニメ技術という文化のなかで継承されるかも知れません。でもまあ、残っても途絶えても、それでいいです。

 

ただ、詫びるとすれば、

 

自分の代で、太古から続いた1つの系譜が途絶えてごめんな‥‥ぷやぷやしたクリオネみたいなヤツ。

 

くらいでしょうかネ。

 

 

 

半世紀を生きたことで、最近はアニメに結構フラットに付き合えるようになったのです。

 

国の境よりも、そこで生きてアニメを作ろうとしている人、かつて一緒に仕事をした人、知り合った人々のほうが大切。

 

やれないことよりも、やれることを1つずつ実現していくことのほうが大切。

 

‥‥と、8月最後の日に、ふわっと現実から乖離する私。

 

あ〜‥‥ノルマを確実にこなさねば。

 

 

 

 


決戦思想ではなく

アニメ(を含めた映像一般)での「自動中割り」機能が、ある程度機能するようになるのは、どこかの研究発表でもあったように、8〜12fpsくらいの分解能くらいまで細かく描写された後のことです。原画のように基点しか描かないラフな分解能では、自動中割り機能は期待する動作をしないのは、モーフィングやピクセルモーションや画像補完など様々な技術を見てきた経緯から頷けます。

 

もし、原画から動画を自動生成できるのなら、絵コンテとキャラ表だけで原画も自動化されるんじゃないの?‥‥自分の担当する原画工程だけは聖域だと考えている人々のなんとのんきなことよ。

 

だいたい、自分が研究にも関わっていない、単なる伝聞だけで、よくもまあ「未来の重大な要素を預ける」気になれると思います。自分が描いた原画を、自動中割り機能を持つソフトウェアが目の前でどんどん中割りしていくのを目撃したわけでもないのに、なぜ「未来は自動中割りに」とか言えるんでしょうかね。

 

全てがタップ割りでできるような平行移動の組み合わせによる動画なら、線一本をオブジェクトとして扱って、「線のカットアウト」として動かせるとは思います。「できる」「動かせる」には理由があるわけです。TBHのカットアウトでマスターコントローラーを使った縦横無尽なXYZ回転は、高度なソフトウェア技術ではあるものの、理屈や構造はわかります。

 

しかし、「自動中割り」の言葉に踊らされて、こともあろうに「動かすプロ」「アニメーションの専門家」が、理由もわからず「コンピュータだから上手くいくんだろう」と構造理解や技術知識を放り投げて、「自動中割り頼み」にダイインしてしまうのは、いかがなものでしょうかね? 「動きのプロ」としてのプライドを放棄したのか。

 

 

 

でもまあ、そういう「形勢挽回の決戦兵器」的思想は、負ける国こそ求めたがるものです。勝つ国は、畳み掛けるように、新兵器をどんどん繰り出して勝ちますが、負ける国は、ジリ貧に追い詰められて、「これさえ完成すれば一気に形勢逆転できる」と決戦兵器・救世主思想に凝り固まっていきます。

 

自動中割り機能で動画マンの代わりになるというのなら、それはいつ完成しますか?

 

いつ完成するかは判らない? ‥‥はい。敗戦確定。

 

完成しない決戦兵器に運命を託す時点で、敗けることが確定しています。歴史から学びましょう。

 

 

 

自動中割り機能とは全く違う、カットアウトは、すでに欧米での実績が豊富です。紙芝居と言われていた時期からどんどん成長して、こんなことまでカットアウトでできるようになったの?‥‥というくらい、技術が発展しています。

 

今のアニメ業界は江戸幕府のようなもので、カットアウトという黒船が来る前の鎖国時代の日本社会のような感じです。

 

私は日本の武士的・職人的気質と、欧米の生産合理性が合体した時に、2020年代以降のアニメ制作は新たなフェイズを迎えられると考えています。

 

日本的作品志向は失わず、欧米の合理的制作技法に学ぶのです。日本の強みとは、進め1億火の玉でも、竹槍でも、特別攻撃でもないはずです。道具をとことん活かしてこだわり抜く性質と、変化を乗り越えた後の柔軟性と順応力こそが、日本のお家芸だと思います。

 

変化を一度受け入れてしまえば、その変化の中から様々な発展の要素を見つけ出し、元よりも高度に発達させてしまう。‥‥日本の強みの最たる特徴です。

 

しかし、日本のアニメ業界は、そうした強みを最大の弱み=忍耐による頑固さに変えてしまっていますよネ。竹槍自爆攻撃が日本の強みと思っているのなら、何と愚かなことか。今一度、「ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を」と記して74年前に散った命を思い出しましょう。

 

逃げも隠れもできない狭い島国日本だからこそ、大陸とは違った発想が可能なんですよ。‥‥それを最大限活かさなくちゃ。

 

 

 

自動中割りなんて一切あてにしなくても、未来は切り拓けます。

 

今手元にある道具を、今までとは違う発想で使いこなせばネ。

 

日本の先人たちが成したことを、令和の日本のアニメ業界でも実践すれば良いのです。

 

突破口は案外すぐ近くにある‥‥のだと思います。

 

 


自動動画マンという幻想

日本はカットアウト後進国。カットアウト未開の地。

 

ゆえに、自動中割りの「曲解」が今でもはびこっているのを、ツイートで見かけます。

 

確かに「自動中割り」と表現しても良いような機能はあります。しかしそれは、ちゃんと自動中割りできるようにリグを組むからです。‥‥リグですよ、リグ。

 

旧来日本国内方式の「いつものやりかたの原画」を描いて、その後で「AI」とやらが自動動画マンとなって、無人で動画を作業する‥‥なんてことを、2019年の今でも考えているとしたら、相当認識が遅れています。

 

そんなのないからさ。

 

あきらめてよ。

 

グーチョキパーの手の3枚だけ原画で描いて、AIがちゃんと中割りできると思う? 色んな角度で自発的に美意識を発動させて、AIが描けると思う??

 

カットアウトでそれが可能なのはリグを組むからです。AIでは全くありません。人の知能の産物です。

 

そして、カットアウトではやりきれない難しい作画内容は、今まで通り、血の通った人間の知を活かして動画を描きます。ゆえに私ら4KHDR制作集団は、相当高い単価を、未来の動画作業に想定しています。ここでその金額を書くと問題が色々とあるので敢えて書きませんが、かなりの金額設定に跳ね上がり、さらには変動単価が通常になります。

 

難しい作画に対して、高い報酬を設定するためにも、カットアウトの導入は必然であり必至なのです。なんでもかんでも、今まで通りの作画方式で全てまかない、その全てに高い単価なんて設定できません。ちゃんと、全体のバランスがあってこそです。欧米の8:2という数字は、さすがにカットアウトの経験が豊富な現場ならではの実感でしょう。

 

手間がかかるがゆえに生産効率がある程度までしか上がらない作業は、ちゃんと、その通りに相応の対価が必要です。1枚400円の動画単価で「ウチの会社は結構出している」みたいな顔をされても失笑ものです。技能者が1日5枚しか描けなければ、400円でも日給2000円なんですよ???

 

原画や作監は、動画の報酬の事情や作業環境を直視して、全ての技術を総合して未来をジャッジしてください。「自動中割り」なんて言葉に惑わされるのではなくてネ。

 

 

 

アニメーターのツイートでは「自動中割り」という言葉はちょいちょい見かけますが、「カットアウト」を実際に研究したり作業に取り入れている‥‥なんてツイートは一切見ないですもんネ。つまり、そのくらいの認識レベルだということです。

 

いつかAIが全てうまくやってくれる

 

そんな希薄な世間の雰囲気だけが、自動中割りという言葉使いから匂います。具体的なソフトウェア名ではなく、あくまで「AI」という呼び名で。

 

自動中割りが実用化されれば‥‥って、「されれば」という言葉に過大な期待感が表れています。内情も知らず想像だけを膨らませている様子が伺えます。

 

自動中割りの実用化を望むのなら、まずアナタが実用化に関わってください。ツイートだけして待ってるだけじゃなくて。‥‥そうすれば「自動中割り」という幻想に気づくはずです。

 

カットアウトはちゃんと「自動中割り」的なモーションができるように、リグを組んでいるのです。決して、今まで通りの原画を描いたら、あとはおまかせ‥‥なんていうソリューションではないです。

 

いい加減、次の意識へとステップアップしましょう。

 

原画の描き方や考え方、作監の在り方を、根本から問い直して、2020年以降にアニメ制作現場が技術的にも環境的にも労働的にも改善するのを目指すのです。戦後から生まれたアニメの産業の「戦後」にピリオドを打って、令和から仕切り直すのです。

 

原画マンだけは昔の原画マンのままでいられる‥‥なんて特権階級意識ではなく、原画や作監も「新しい未来に向けて、自分も変わっていくんだ」という意識を持ちましょう。

 

 

 

もし一緒にカットアウトをやりたい!‥‥と飛び込んで来てくれるのなら、私は今まで蓄積してきた知識をいくらでも共有したいと思いますけどネ。‥‥でもまあ、全然いないわな。日本には。

 

話が通じるのは、海外のアニメーターだけ。日本は極めてひと握りの数人のアニメーターだけ。‥‥悲しくもなりますヨ。

 

 

 

日本人の竹槍思想を美化したい気持ちもあるでしょうが、それでは未来は生き抜けません。数百円の動画単価でこの先何十年もやり続けるつもりとは、誰も思っていないわりに、何ら新しい技術を模索しようともしていません。「自動中割り」という幻想だけを口にする程度で。

 

欧米のカットアウトの技術進化は凄いことになっていて、頼もしく感じると同時に、焦りも感じます。‥‥日本は後進国だからさ。

 

竹槍思想。自分たちの技術に自信を持ちすぎて新しきを受け入れられない心情。‥‥鬼畜米英とか言ってた戦時中の日本人と全くかわらぬ精神構造を感じますが、国策ではなく自分の思い込みからの脱却で済むのですから、皆で新しい技術をどんどん開発して挽回しましょう。

 

技術を共有したくても、竹槍思想で進め火の玉では、如何ともしがたいです。

 

 

 

動画の存在意義を高い価値として再設定し、カットアウトなどの新しい技術もふんだんに取り入れる。

 

4KHDRを通して見えた、2020年代の目標です。

 

 

 


作業、その後に。

もしかしたら、紙で作画している結構多くの人は、「描いた後のアーカイブ」に対して、「どのように保管されるか」を思いやったことがあまりない‥‥かも知れません。どんどん溜まって場所を占有していく「強烈すぎる紙の存在」に、あまり意識が及ばないのは、自分の周辺に「作業終了した紙の束」が積まれていかないから‥‥とも思えます。

 

紙時代のかつての私がそうでしたから、容易に想像できます。実際、原画を返却してくれたのは、S社だけでしたから、自分が紙で描いた原画や設定は、コピー機でコピーしておかないと目の前から消え失せます。

 

紙と鉛筆はコストが安いと思われがちですが、本当にそうなのかな?‥‥と、作業終了作品のダンボールの山を見かけると考え込んでしまいます。

 

 

 

私は、1996年に描いたゲーム攻殻機動隊のイメージボードを今でも保持していますが、それは媒体が画像データからです。PICTという今ではほとんど忘れ去られた画像フォーマットのものも多いですが、使われていないだけでちゃんとMacで画像ファイルを開いて表示できます。JPEGやTIFFにおいては、今でもディファクトスタンダードと読んで差し支えないほど良い意味で枯れていますから、iPadですら20年以上前のデータを開くことが可能です。

 

もちろん、紙においては、パソコンなどなくても閲覧可能です。数年前に、実家の大掃除をしてたら、18〜19歳の駆け出しの頃に作画していた某巨大ロボの設定とかが出てきて、タイムスリップしたようなキモチになりました。

 

データも紙も、保存状態が良ければ、20〜30年経過しても閲覧できることには変わりないです。

 

一方、保存状態が悪ければ、データは表示すら不可能、紙はカビたり黄ばんだり破れたりしてコンディションは悪くなります。

 

データは複製したり記録メディアを乗り換えればオリジナルと寸分違わぬ状態を保存できますので、地震や火災などに強い面があります。紙は燃えたら何もかも喪失します。紙ではないですが、クリムトの三部作はナチスによって没収されたのち保管場所ごと焼かれて焼失してしまいましたよネ。

 

 

 

 

よく言われるフレーズで、

 

データは時代とともに読み出せなくなる

 

‥‥というのがあります。

 

しかし、私の感慨で言えば、

 

データを放置するからだろ?

 

‥‥と思います。

 

そりゃあ、フロッピーの中のデータをそのまま20年放置したり、MOの中に入れっぱなしだったら、読めなくなるのも当然。

 

前述の通り、私は1996年にQuadra650で作ったイメージボードを今でも開くことができますし、そればかりか、98のマルチペイント(知ってる?)で落書きしたドット絵の画像まで残ってたりします。

 

私にとって問題は、

 

ちゃんと面倒を見るにしても、その期間の置き場所のコスト

 

‥‥それが最重要です。

 

日本の、東京などの都市部では、なんだかんだ言っても、一番コストがかかるのは「空間」だからです。車をちょっと停めておくだけでも、お札が消えていきますよネ。

 

 

 

私は良いところのおぼっちゃまではないので、子供の頃から決して広いとは言えない家で育ちました。アニメーターになってからも同じです。60歳になる頃にはもう少し広い家に住んでみたいものですが、少なくとも今はモノでいっぱいです。

 

なので、作った絵や映像がデータであることは、必須の条件です。

 

おそらく、私が1990年代から今までWinやMacやPC98で作った画像や映像のデータをすべて集積しても、カラーボックス1段にも満たないです。6TBのHDDをカラーボックスの棚に何個詰められるのか、考えたこともないですが、30個以上=200TBは1段で格納できましょう。

 

しかも、その6TBのHDDは一万円前後で買えます。同じバックアップを2つ作成しても6TBx2で二万円で済み、2箇所に分散して保管しておけば、地震や火事で両方が同時にヤラれることは考えにくいです。

 

紙はそうはいきません。とにかく、場所を取ります。

 

個人レベルでの話になりますが、私は倉庫を借りているので、その年間コストは肌身で知っています。ぶっちゃけ、毎月6TBのHDDが余裕で買えるほどのコストは支払っています。

 

都市部において、空間をどれだけ活用できるかは、切実な問題です。

 

 

 

これがもし、アニメ制作会社となると、個人どころの話ではないです。整理整頓して管理するスタッフの賃金、保管場所など、年間のコストは相当な金額になるでしょう。紙を保管する量は、テレビシリーズのペースならば、どれだけ膨大な物量となるか、考えるのも目眩がします。

 

紙を使って何千何万と作画しまくる制作体制が、2020年代の未来に、どのような「アーカイブ事情」を抱え込んでいくのか。

 

今まで発生した紙も膨大に蓄積している上に、昨今のアニメ制作ラッシュで、鬼のように紙がかさんでいきます。紙は物理空間をどんどん占有していきます。

 

紙の一時的な面だけでなく、制作が終了した後のことまで、ライフサイクルコストとして考えると、決して紙は「安いコスト」とは言えません。

 

本当に、紙を使い続けて良いのか、アーカイブの永続的なコストも視野に入れて考えてみても良いですヨ。

 

 

 

アニメーターにとって、紙で描いた原画や動画は、回収されれば目の前から消えて、自分の近辺の空間を占有し続けることはありません。‥‥なので、紙の低コスト面だけを実感しがちです。

 

しかし、アニメ制作会社が産廃としてどんどん廃棄でもしない限り、アニメ制作会社は紙の結果物を抱え込み続けることになります。もちろん、タダではなく有償の保管場所で。

 

紙で保管してあるからといって、いつでも見れるとは限りません。管理がズボラだと、何がどこにあるのか、わかりませんよネ。遠い場所の倉庫に保管してある場合は、すぐには取り出せません。結果、スキャンをしてデータ化することになるでしょうが、オリジナルの紙とスキャンデータの二重管理になります。

 

 

 

アニメ制作各社は紙媒体を、中央図書館レベルの管理と保管によって、永続的にコストをたっぷり支払い続け、2020年も2040年も2100年も継続してアーカイブするのでしょうかね?

 

アニメ制作会社は独自の博物館や記念館を開館するのか。TDLみたいに「アニメ制作会社リゾート」なるテーマパークを、各社が開園するのか。‥‥で、その収支にどのような見込みがあるのか?

 

それとも、単に「捨てられない」という理由で、明確なビジョンもなしに曖昧な価値基準で維持し続けるのか。

 

アニメ制作会社が廃業したら、膨大なアーカイブの紙媒体は、どこに引き取られるのか。それとも、焼却されるのか。

 

 

 

何もコンピュータのデータにすれば何もかも安泰と言いたいわけではなく、保管と管理がずさんであれば、紙もデータも使い物にはなりません。ZIPやJAZZドライブなんて死んだも同然ですよネ。カビて黒ずんで湾曲した原画や原稿は、捨てるのも維持するのもためらいます。参照したい時に良好な状態で容易に取り出せるからこそのアーカイブです。

 

キッチリ管理するとして、紙とデータのどっちが良いか‥‥を考えています。ぶっちゃけ、維持コスト=金の話です。

 

2020年代の来年以降。

 

私は、作る時からデータのほうが良いと考えています。ありていにいえば、作画からペンタブで描けば良いです。

 

データは受け渡しの性質上、複製が常ですから、私の30年余のアニメ制作現場の経験から言えば、「紙は残らないが、データは残る」と感じます。

 

データを保持するのは当人の管理でなんとかなりますが、紙は置き場所の問題ゆえに抱えきれなくなって管理がままならなくなります。

 

私は、どこかの倉庫の片隅で死蔵されている紙媒体よりも、昨日のように絵が蘇るデジタルデータ媒体が良いと実感します。

 

何度も言うけど、データを損失するのは、記録メディアやファイルフォーマットを過信して放置するからです。曖昧に過信せずに「こわれもの」として扱えば、20年以上前のデータも昨日のようにフレッシュに蘇ります。

 

クリスタのClipファイルやAfter EffectsのプラグインやAEPファイルが、20年後に開ける保証はないですが、アーカイブしたい画像や映像は、「枯れた」フォーマット〜JPEGやPNGやTIFFで保存しておけば、20年後でも開けるでしょう。20年前のデータはAPFSやexFATで今でも保存できますし読み出せますもんネ。

 

2004年に作った、とある作品のOPは、当時のテレビ作品としてはハイスペックな16bit/1280px(当時のテレビの規格サイズはD1=720pxで、8bitが一般的でした)で作りましたが、TIFFの連番で保管しているので、今でもAfter EffectsやCompressorに読み込んで再生できますし、1フレームごとに画像を閲覧することも可能です。ダウンコン&プルダウンする前の1280px・24pで保管しているので、状態は最良です。

*本編はどうなっているかは知りません。あくまで私らがメインで関わったOPの話です。

 

 

 

アニメを日本の未来においても、文化として自認するのなら、過去を懐かしんでフィルムだセルだと言うだけでなく、どのようにして「未来に作り続けるか」、そして「記録媒体」「保管の方式」を今一度、考えてみるのも良いと思いますヨ。

 

 



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