利害と未来

未来、十数年以内に引退を考えている人の多くは、できるだけ今までの自分のやり方が通用し、かつお金を現状維持かそれ以上に獲得して、自分の人生における仕事を締めくくりたいと思うでしょう。未来社会がどのように変わっていくかはあまり関係なく、十数年のスパンで現状維持しつつ報酬額をアップできれば、引退後の生活の「蓄え」「保証」にもなる‥‥という考えです。

 

一方、現在20〜30代の若い人は、自分の技術と経験が通用し、お金をもっと稼ぎたいと考えているでしょう。その部分は、50〜60代の中高年と同じです。しかし、十数年で引退など考えてはいないし、未来社会の変化にも歩調を合わせて、自分の技術と経験を更新しつつレベルアップを図ると思います。

 

自分の技術と報酬に関する利害だけは一致していますが、それ以外の要素は大きくズレていると言えます。

 

ぶっちゃけ、どの世代にも共通しているのは、お金の話だけ。

 

例えば、技術に関しては、

 

全く新しいことでも、未来の自分の糧になるのなら、習得したい

 

‥‥と、若い世代が思うのに対して、

 

全く新しいことは、今の歳から習得は困難なので、しないほうが良い

 

‥‥とベテランは思うかも知れません。

 

これはすなわち、

 

自分の未来のスケジュール

 

‥‥を各人が計算しているからですよネ。未来が50年あるのと、20年未満とでは、計算も大きく変わってきましょう。

 

場合によっては、人生のスケジュールの違いが、技術発展に対する思考において、真逆の方向性を示すこともあります。

 

自分の未来を考えて、新しい技術開発を推進すべきだ。古い技術は更新すれば良い。

自分の未来を考えて、古いままの技術で維持すべきだ。新しい技術は補助程度で良い。

 

‥‥と、自分の未来における「技術の取り扱い」を考えるだけでも、各人の状況によっては正反対になることすらあります。

 

 

 

ただし、「未来」ということについて、今一度、重要なポイントを思い起こしましょう。

 

自分の個人的な思惑では直接手の届かないところで、社会の未来がどんどん決定され続ける‥‥ということを。

 

エンタメの世界、趣味娯楽の世界は、社会の様々な要素の移り変わりによって、その姿を変えていきます。「時代に合わせて新しく変わり続ける」特性があります。それは製造業におけるマテリアルやエレクトロニクスの進化、地域に張り巡らされるインフラの進化と、決して無縁ではないでしょう。

 

社会の技術が進化すれば、社会の価値観や速度感も変わり、やがてはエンタメ・娯楽の世界にも影響を及ぼす‥‥というのは、今に始まったことでなく、昔からの性質です。

 

どんなに自分の思惑で「古いままがいい」と考えても、新しい機運と契機を常に追い求めて産業を活性化させようと動く社会構造は、変えられないですよネ。

 

 

 

まあ、各人がどのような人生を歩むかは、当人が決めれば良いことです。

 

しかし、「古いまま」をさもアニメ制作の一般論や通論、アニメ業界の総意にするのは、やめた方が良いですよ。‥‥マジで、ベテランの引退とともに、「古いままの構造」が破綻します。「ベビーブーム流」の作り方は、未来にはベビーの少ない日本には通用しなくなってくるのは、理屈で考えれば誰でもお判りでしょう。

 

ベテランの心情は、アニメ制作現場が晒される未来の状況とは、一致していません。ベテランの心情に合わせて、若い人間まで新しい可能性に目を向けないのは、極めてマズいです。

 

ベテランの慣習に沿って、旧式な装備と技術で2020年代も続けてしまって、いざ、

 

「俺ら、引退するから。今までありがとう。後は勝手にどうぞ。」

 

‥‥と、ベテランが去った時に、未来社会の技術レベルから深刻な遅れをとっていることに今更ながら気付いて、再構築しようにもベテランに引きづられて古い慣習で生きてしまったので「開拓の方法論」を知らず、資金調達も一度には難しく、進退窮まる‥‥なんてことも、容易に想像できます。

 

別に思惑や目論見は個人それぞれでいいです。問題は、世代を超えて共依存してしまうことです。何を言うても、世代ごとに思惑や目論見は違うのです。完全一致させようとすることに無理があります。

 

 

ベテランはベテランで、「旧来の技法で作り続けて、売り物になる方法」を本気で必死に模索すべきでしょう。「どうせアニメはこういう作り方でしょ」とあぐらをかいているばかりでは、自分が走りきるまでに息切れ・期限切れすることもありましょう。

 

若手や中堅は、世界規模の「新しい技術世代」を意識して、自分らのアニメの作り方に積極的に取り込んでいくバイタリティが必要です。ベテランの価値観に染まりきって、自分らの未来を忘れるべからずです。

 

そうした世代ごとの思惑の違いを踏まえて、何が共通で共用できて、お金だけではない他の要素も含めて利害一致する部分を探しだせるかを、明確に意識して考えていくのが、2020年代、そして令和の未来です。

 

 

 

ベテラン‥‥ということで考えると。

 

旧来の技術が自然とダメになるわけではなくて、あくまでその旧来の技術を扱う人間の問題です。旧来技術に慢心して、未来での「技術のありかた」をほとんど考えなくなる、いわば「技術のセルフネグレクト」〜自分らの技術に対する自己放任が大問題なのです。

 

中高年や老人のセルフネグレクトは、ゴミ屋敷だけでなく、自分の仕事の技術にも及ぶように思います。

 

旧来技術だって、その技術の本質を改めて細部まで見直して、旧来技術のアドバンテージが活きる制作現場を再構築できれば、じゅうぶん、4KHDRの時代にも生き残って存在をアピールできるでしょう。‥‥まあ、今のままの延長線上では難しいですけど、一旦細部まで分解清掃した上で、2020年代のインフラを導入して、「ネオクラシカル」として様式を確立すれば、新方式には真似のできない領域を獲得できると思います。‥‥でもそれは、それがやりたい当事者の情熱でしか成し得ないでしょうけどネ。

 

一方で、単純に「今の方法で逃げ切り」だけを考えるベテランは、‥‥まあ、未来の運命に任せて、うまく逃げ切れればそれはそれで当人は良しでしょうし、ダメだった時は後悔してピンチに立たされて悪しでしょうし、当人の選んだ現在と未来の選択肢であり、他人がどうこう言うこともないです。

 

 

 

私は、やろうと思っていることが、未来社会の技術進化なしでは成立しないことですし、それによって報酬も獲得できると目論んでいますから、若い世代の未来の指針と一致する部分が多いです。別に若い世代に合わせたり媚を売るつもりはなくて、単純にベクトルが一致しているだけの話です。

 

まあ、未来を指向すれば、年齢に関係なく誰でも行動は似てくると思いますけどネ。未来に背を向けると行動が似てくるのと同様で。

 

それに私は、制作集団活動と個人活動の2系統で自分の人生を設計する方針へと、近年は変わっています。自分の世代だけでなく、自分の立ち位置についても、フリーも会社員もおしなべて「皆アニメ業界の社員」みたいなマインドセットから離脱すべきと考えます。

 

まあ、20代の頃から、もっと明確に、集団と個人の活動の切り分けをすべきだったと思いますが、私が20代の頃は、パソコンもネットも未発達で、iPadのような本格的な絵を描けるタブレットなんて皆無(PalmやNewtonは絵を描けると言うよりはメモ)でしたから、それも「時代=社会」の宿命と考え「恨み節」など吐きません。逆に、経験も知識も備わった今、iMac 5KとiPad Proがあるだけでも、ラッキーだと思います。

 

「扉の鍵」は見つけようとしなければ、いつまでも見つからず、鍵を開けて扉を開かなければ、向こう側には行けません。アラウンド40〜50のベテランでも、扉の鍵を見つけることは可能でしょう。扉の鍵を見つけようとする若い世代と、行動が一致することもありましょう。

 

自分らの保身のために、若い世代が扉の鍵を見つけられないように隠す‥‥というよりは、扉があることすら隠すようなことは、ベテランはすべきではない‥‥とは、私は思いますけどネ。結局は、保身にはならず破滅に繋がると思いますから。

 

世代で限定せず、扉の鍵を開けて向こう側に進んで、そこから先は、年相応に引退するなりペースを落とすなり、どんどん進みまくるなり、それぞれが未来を進めば良いと思います。

 

過去に留まるのではなく、未来を目指して‥‥が、私の考えです。

 

 

 

昔のロボットアニメで、

 

決められた道をただ歩くよりも

 

選んだ自由に傷つくほうがいい

 

‥‥なんて、グッとくる歌詞が主題歌だったアニメがありましたヨ。(今はあまり顧みられないアニメですけどネ)

 

傷つくのが怖くて過去に留まって日和って生きるのと、生傷が絶えずとも未来を目指して日々戦って生きるのと、どっちを選ぶかって言えば、私は後者だよなあ。

 

 

 


カットアウト雑感

日本のカットアウト技術者の人口は極めて少ないです。私が苦労しているのは、まさにソコで、誰にも仕事を分配して頼めないという点です。

 

中国のカットアウトの記事を見たり、カンフーパンダの10年前のカットアウト短編を見たりすると、日本の状況に悲観したくもなりますが、一方で、各国もかなり苦戦はしているようで、それはそれで「自分だけではないんだ」と妙にホッとしたりもします。動きの知識がまず必要で、さらにカットアウト用に「動きと造形の分解・再構成」を行う技術ともなると、技術的なハードルが高いのは事実ですから、技術者人口も通常のアニメーターの数には全く及ばないのは、現実として受け入れざる得ません。

 

カットアウトと同内容の手法は、日本でも昔から使われていて、ローリングやスライドでキャラに動きを加味するのはカットアウトの一番基礎的な手法です。Flashで動かすのもカットアウトのカテゴリに分類できます。王蟲のゴムマルチも同種の技術ですネ。

 

ではなぜ、さらに進化したカットアウトが日本に出現しないかというと、そうしたローリングやスライドやFlashの表現内容が、手描きの動きと同等かそれ以下のクオリティで、手描きで動かすアニメを凌駕していないからです。

 

これはとても重要なポイントです。

 

10年以上前に、Flashのアニメを見て思ったのは、手描きで動かすアニメの品質簡易版という印象でした。「Flashでもアニメが作れたよ!」なんていうのはアマチュアの言い分であって、「Flashで今までのアニメ以上のことができた!」というレベルに到達しなければ、失笑のうちに終わります。

 

 

 

実はこの状況、「デジタルアニメ」でも黎明期には存在しました。Retasでペイントしたキャラの色がどぎつくて、コンポジットした完成映像はデリカシーのかけらもなくベタッと平面的で、透過光の代替処理はお世辞にも光っているとは言い難い表現でした。

 

私はそうした極初期の業界の「デジタルアニメ」を見て、「こんなふうになるくらいだったらフィルムの方が全然良い」と思っていました。私は最初の頃、コンピュータで彩色してコンポジットしたアニメを全然評価していなかった‥‥のは、自分の今の状況を見ると我ながら意外です。

 

しばらくした後に、故わたなべぢゅんいちさんに「江面君のイメージボードをPhotoshopに取り込んでみたから、見に来いよ」と呼ばれて見たら、質感も豊かな画像データとして表示されており、しかもトーンカーブ1つで色々な表現が次から次へと作れることに、「デジタル=ダメダメ」という意識が180度反転したのです。「これなら、今までのアニメではできずに諦めていたことが、どんどん実現できる」と認識が大きく変わりました。

 

つまり、使い方次第だった‥‥ということです。新しい道具と手段を用いるのなら、今までと同等は当たり前、さらに凌駕するくらいの内容が必須なのです。

 

要点はコレ。

 

従来の代用品ではなく、新しい表現の手段として用いる

 

言い換えますと、

 

今までできなかったことを、可能にする技術

 

‥‥が極めて重要なのです。

 

実際、Retasだけでは無理でした。Retasは「従来のペイントと撮影の代用品」から脱し得ず、アニメの映像表現に新風を吹き込むツールではなかったのです。ただの「コンピュータ移行製品」でした。しかも撮影に関しては、明らかに劣化していました。フィルムの麗しい透過光には全く及ばず、のちにAfter Effectsとの組み合わせが必須となりました。

 

 

 

カットアウトも同じです。

 

今までのアニメと同じデザイン(キャラなどの省略技法)、同じモーション(2コマ3コマの動き)、同じ画面のクオリティ、つまり、今までと同じアニメの内容をカットアウトで作っているだけでは、カットアウト独自の意義を広く問うことは不可能です。

 

代用品、代替品の意識でカットアウトを使うのではなく、カットアウトでしかできないことをどんどん実践しましょう。

 

「こんなの、絶対手描きじゃ動かせねえ‥‥」

 

‥‥と誰もが感じる一方で、

 

「これは3Dにも見えるけど、3Dなのか? 2Dなのか? 手描きなのか?」

 

‥‥と思う「手描き」のニュアンスも必要です。

 

‥‥まあ、Bloodのパイロットフィルムを作った時もそうでしたが、今までのアニメでは不可能な表現を見ると、特に通ぶった人はすぐに「これは3Dだ」とか言うんですよネ。理解不能なものは全て「3D」って、映像表現の技術者としてはかなり恥ずかしい反応なのですが、そうした手合いは放っておいても、せっかくの手描きですから3Dとは違った表現をいつも心に留め置くべきでしょう。

 

 

 

ちなみに、カットアウトは手間がかかります。

 

カットアウトだと楽に動かせる‥‥というのは、「言い方」次第ではありますが、半分当たっていて、半分外れています。

 

動かす効率が抜群なので、従来の送り描きの動かし方に比べて、未来の映像フォーマットとの相性が優れています。そういった意味では「楽」とは言えます。24コマフル、60フレームフルのモーションなんて、なかなか手描きでは効率的に難しいですが、カットアウトなら可能です。

 

しかし、効率こそ優れてはいますが、動きの知識と技術が「猛烈に必要」なのは、手描きとなんらかわりません。特に、60フレームフルモーションは動かす表現そのものがかなり難しいです。

 

むしろ、感性だけで絵を動かしている人は、その自分の感性を分解して体系化してカットアウトに利用できるように再構築しなければならないので、余計手間取って難しいかも知れません。なので楽ではないです。

 

カットアウトは、楽になる部分もありますが、手のかかる大変な部分も増えます。

 

しかし、そのハードルを超えれば、自分の手で絵を描くだけでなく、コンピュータまでも自分の分身のように使いこなせるようになるので、‥‥まあ、いやらしい話、稼げるようにはなるでしょうネ。今は希少な技術でもありますし。

 

 

 

現代のカットアウトは、コンピュータのソフトウェア上で実現します。

 

つまり、「切り紙」ではないです。「カットアウト」と呼び続けているのは、今でも「セル=セルロイドフィルム」「ログ=丸太」と呼び続けているのと同じで、慣習の名残りです。

 

コンピュータのテクノロジをふんだんに導入できる現代のカットアウトは、もはや、切って動かすだけのカットアウトではありません。三角メッシュ、ボーン、グリッドのメッシュ、トランスフォーム、XYだけでなくZ軸、必要とあらばパーティクルやフォームやポリゴンメッシュなど、あらゆるコンピュータの映像表現手段を盛り込んで、「カットアウト」できます。

 

 

 

足りないのは、実際に使える技術者。ホントに少ない。身近にいません。

 

ぶっちゃけ、弊社では私一人だけ。御社はどうですか? ‥‥なんとかならんもんですかネ、この技術の立ち遅れは‥‥。

 

コンピュータを所有しているアニメーターはやまほどいるだろうに、なぜ、カットアウトをやらんのか。

 

カットアウトができるようになれば、商業作品では難しい自分オリジナルの作品を短編とはいえ、フルに動かして作れるようになりますよ。

 

カットアウトを習得すれば、新たにアニメーションを作るチカラを自分の手で掴めるのに、プロダクションの助けがないと10秒のアニメすらすぐには作れない弱い自分に留まり続けます。

 

他人の原作で、他人のデザインしたキャラで、他人の執筆したシナリオで、他人が考えた演技で、他人に色を塗ってもらって、他人に背景を描いてもらって、他人に編集してもらって‥‥と、線画しか描かないアニメーターが「何の著作権を主張する?」のか、そもそも無理があるでしょ。冷静に考えればわかることです。

 

だったら、アニメプロダクションの仕事はそれはそれで引き受けつつ、「この映像は自分の著作である」と完全に言い切れるものを作れば良いです。その際に、何百何千何万と手描きで描くのは不可能ですよネ。

 

それにアニメプロダクションの商業作品にしたって、今後4Kに移り変わって、今まで通りの手描きで何千何万も描く路線で、本当に上手くいくと思ってます? だとしたら、相当計算に弱い人です。

 

一方で、アニメは1.5Kくらいで十分だ‥‥というのなら、それもまた相当、情勢に疎い人です。

 

NABINTER BEEの情勢を見れば、2Kなんてもはや過去のもので、4Kは当たり前になっています。アニメプロダクションはそうした世界的な情勢に目と耳を塞いで2020年代も経営していくんでしょうかね。4Kのビジネスチャンスを延々と逃し続けて。

 

アニメプロダクションのプロデューサーも監督も、NABやINTER BEEくらいは気にしておいても良いと思いますヨ。玉手箱を抱えた浦島太郎にならないためにも。

 

 

 

ペーパーレス、4K、HDR、手描きモーションとカットアウトのハイブリッド。

 

ごく普通に見通せる未来のビジョンです。

 

私はアニメを古典芸能にはしたくないです。現代とともに歩み続け、未来を生き続けていくのが、テクノロジーの申し子たるアニメ制作の姿だと思います。

 

近代のテクノロジー〜産業革命以後の科学の発展があればこそ、アニメも誕生したことをお忘れなきよう。

 

人畜無害路線で自然とともに生きる‥‥といったって、アニメは工業と産業の申し子ですヨ。野原で動物と戯れていたって、アニメを見るのはガチガチの工業製品ですからネ。

 

なので、アニメーターといえども、映像の技術進化は気にかけるようにしましょうよ。描いている線画が1カットごとのスタート地点になって、やがてアニメの完成映像となり、映像制作分野の1ジャンルをなすのですから。

 

線画の殻に閉じこもらず、外界の映像技術にも目を見開いて直視すれば、アニメーターが未来にどのようなチカラを手にすべきか、実感も湧いてくるでしょう。

 

 

 

ぶっちゃけて言いますが、

 

描きもカットアウトも、両方使えりゃいいじゃん。

 

‥‥ですよネ。

 

せっかく現代に生きて現代のテクノロジの只中にいるのなら、両方使えるのが色々とツブしが利きますヨ。

 

 

メモ

最新で商用の映像は掲載できませんが、古くは10年以上前に作ったカットアウトサンプルを再掲します。

 

*パーツの分割が大雑把なので、動きが少々カタいです。背景(実物を撮影)も含めて4〜6時間くらいでゼロから完成しました。全弾撃ち尽くして、スライドが後退して止まるのは、もちろんスライドを別パーツにしているから出来るのです。

 

*実際に本番でも使いました。2008年くらいの作品だったと思います。いきなり発生するように見えますが、手前にBOOKが乗りますので、コレで大丈夫です。煙の作業自体は数時間で、原画動画仕上げの所用時間と比べて劇的に効率的な上、割りミスは構造上絶対に発生しない強みがあります。

*手でも同じ煙は動かして描けますけど、とにかく大変ですよネ。割りミス・送りミスの巣のようなシチュエーションですし。

 

*作業の合間に、気分転換に遊びで作ったものです。2006年か2007年くらいだったような記憶があります。遊びが転じて、いつかこういう簡素な絵柄のアニメをオリジナルで作ってみたいと思っています。

*故意にクマの動きを3コマにポスタリゼーション(3コマのタイムシートの動き)しています。カットアウトの場合、素だとフルモーションなので、任意に動きを停止させて旧来の2コカ3コマの動きを作ります。

 

*3コマ動き+1コマPANの「ガタ」を説明するために、最近作ったサンプルです。背景もパスで作って、2〜3時間で作りました。10年前と比べて手際も慣れてきたので、このくらいの内容なら「お手のもの」になっています。

*シンプルなデザインなので簡単に見えますが、実際にコレを普通のアニメ制作でやろうとすると、24コマフルモーションなので結構大変です。

 

 

最新のカットアウトによる映像は、そのうち公開される運びとなりましょう。ベースのフォーマットは4KでHDRですし、技術も10年以上の試行錯誤の積み重ねを投入して作っています。‥‥技術の積み重ねは重要ですよネ。作画の技術なんてまさに地道な技術の積み重ねなわけですが、カットアウトも全く同じです。

 

私は「デジタルアニメ」が普及するまでの長い道のりを、リアルタイムで直に関わって経験しましたが、同じような状況を4KHDR、そしてカットアウトにも感じます。

 

最初はごく少数の人々だけが「確信」して夢中になって、他の人々は傍観して日和るだけだったのを思い出します。

 

せっかくアニメーターで絵を動かせる技術を持っていて、しかもパソコンまで使えるのなら、新しい技術をまずは体験してみることをお勧めします。日和ってたって、何も得られないばかりか、日和見層の中に居続けると結局はレッドオーシャンに飲み込まれる運命が待つだけです。

 

After EffectsでもLive2DでもMohoでも、できるところから始めてみてはいかがでしょう。

 

 


勘違い

ドイツの戦車で、パンター(俗にいうパンサー中戦車)はエンジンで発電機を回してモーターで車軸を動かす‥‥と何となく思っていましたが、ふと何かの拍子にパンターの諸元を見ると「モーター」のモの字もなく、‥‥‥‥‥‥‥あれ、ソレって、エレファントか。‥‥と今さら再認識することもあります。どこで覚え間違いをしたのか、ナゾです。

 

 

というような勘違いは、半世紀生きても、私の中にまだ相当残っていると思われます。

 

パンターの初陣の「ツィタデレ(クルスク)」戦では、故障車が続出した‥‥というエピソードが、いつのまにか「エレファント重駆逐戦車」のモーター駆動での故障車の話にすり替わったのかな‥‥と推測するばかりですが、理由はなんにせよ、単なる思い違いです。しかも、エレファントは自重の過大に使えてモーターの故障で役立たず‥‥という従来のイメージも、近年の研究では、特殊な動力部のイメージが一人歩きしただけで、当時の前線からの報告書を分析すると、従来のイメージとは随分と相違があって、実はドイツとソビエトの双方に評価されていた‥‥との報告もあります。

 

 

 

 

 

思い違い。勘違い。

 

アニメ制作現場で、3コマなどのタイミングを言う時に、

 

3コマうち〜コマ打ち

3コマ落ち〜コマ落とし

 

‥‥という呼び方が混在しており、私は両方耳にしたことがありますが、どちらが正しい‥‥というか好ましい使い方なんでしょうネ。明らかに、同じ意味の内容を、上記2つの言い回しで聞いたことがあり、現場それぞれの慣習に基づく思い違いや勘違いが含まれていると感じます。

 

そもそも、

 

シートを書く

シートを打つ

シートをつける(「つける」の漢字は不明)

 

‥‥という3種類の言い回しがあります。‥‥なので、私の勘違いかもと思いつつも、このブログでは、

 

シートを打つ 〜 3コマ打ち

 

‥‥という書き方をしています。

 

 

 

勘違いだと思うのなら、確認すれば良いじゃないか。

 

‥‥と思う現場部外者の人はいましょう。普通はそう思いますよネ。でも、業界で複数の現場で経験を積んだ人なら、

 

どこに? ‥‥どこの誰に確認しても、「正しい用語」の出どころなんて曖昧なままだろ。

 

‥‥と感じることでしょう。ぶっちゃけ、その現場のリーダー、チーフ的存在の言い回しが、その現場だけの標準に「なんとなく」なっているだけで、明示的な「アニメ制作用語規定 勧告2000.1」みたいなドキュメントは存在しません。

 

そんな曖昧な状態でも、何十年も作業力を融通しあってアニメを制作してきた日本のアニメ業界に代表される日本人の性質には、驚くばかりです。それゆえに、そうした「無規定」「標準無し」の状態が、報酬などのお金の面にも色濃く影響しているんでしょうネ。

 

 

 

「付けPAN」の「付け」とは何を意味するのか、色んな説を聞いたことがありますし、作画の内容に関する「普通の価値観」も実は現場ごとでバラバラです。

 

付けPANの「付け」とは、これこれこういう意味で正しい。

 

出典はどこですか?

 

昔、先輩から聞いた。

 

その先輩は、何かしらの規定書・規約に基づいて、発言したのですか?

 

当時先輩が撮影監督から聞いたと言っていた。なので、撮影用語として定着しているのは確かだ。

 

では、その撮影監督さんは、何を基準・規約として、撮影用語を扱っているのですか?

 

それは知らん。

 

ぎゃふん。

 

 

何か、古代の神話を紐解く思いですネ。

 

なので、誰がどう考えても計算しても合致する内容、‥‥たとえば、「(100+50)x2=300」とか「RGB画像をアルファチャンネル画像で透明部分を切り取る(マスクする)」とかいうことでもない限り、アニメ業界の用語や技術は、勘違いや思い込みや出どころの怪しい伝聞で成り立っていることを大前提として許容し、その許容を意識しつつ話すことが肝要でしょう。

 

実際、今の若い(20代〜30代前半)のアニメーターは「第1&第2原画があって当たり前」と思い込んでいる人もそこそこ存在するようで、「レイアウトの時は動きの大まかなアタリをピンポイントで1〜2枚描いてくれれば良いです。レイアウト作業時にシートを書く必要もありません。」と言っても、どうしても「背景の原図、ラフ原画(第1原画)、シート」を描いてきてしまう人もいるようで、そうなってくると、もはや「作業様式」すら「世代ごとの方言」が存在すると言っても過言ではないでしょう。

 

私は新しい技術をどんどん実用化する取り組みを、「用語辞書」を書きながら進めています。自分で決めたことでも、記述してデータベースにしておかないと、簡単に記憶違いをするからです。自分で決めたことなら完璧に記憶している‥‥なんてことは、どんなに記憶力に自信がある人でも、10年の歳月が経過すれば細部は怪しくなるものです。

 

旧来の現場はどうでしょうか。基本的な用語を策定しようなどという動きは全く聞こえてこないですネ。道交法が施行されてなければ、交通事故が多発するのは当然のことですが、なぜか道交法を決めずに「皆の自助努力と機転で事故を回避しよう!」と言い続けるだけです。

 

「この用語はこういう意味だ」とツイッターで書いて呟けば、どんどん規定が進めば良いですが、そんなことはないですしネ。単に自分の雑感を述べているに過ぎません。しかも、ツイッターの言葉の寿命は極めて短く、個人がバラバラで呟くがゆえに、読み返そうにも散逸して読めません。

 

どんなにケーブルのコネクタがHDMIやUSBの形状をしていても、信号線の規定を守らなければ、それはHDMIでもUSBでもなく、単に「接続コネクタ」でしかありません。

 

工業では誤差まで規定しますが、アニメ業界は誤差どころか基礎的な規定すら怪しいです。「そんなの、毎回テスターで測ればいいじゃん」といいつつ、テスターで測る習慣は根付いておらず、各所で事故や行き違いが頻発します。

 

でもまあ、旧来の現場の規定はもう無理かな‥‥とも思うのです。皆それぞれ主張がありますし、今から規定しても規定を終了する頃には次の技術や勢力に転換している可能性も高いです。令和に元号が変わり2020年代を迎える今さらになって、フィルム撮影台の用語を標準化してどうすんの?‥‥という話です。

 

次世代の技術では、こうした業界の経緯を踏まえ、用語などの規定は同時進行で構築して、ある程度のタイミングで勧告をおこなえばよいと思います。

 

「勘違い」かどうかを確認する「よりどころ」さえあれば、混乱せずに済みます。

 

何でも取り決めれば全て良いとは思いませんが、基本的なことだけでも取り決めておけば、右側通行と左側通行が錯綜して正面衝突する大事故は事前かつ明示的に防げますよネ。

 

 

 


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