イベント前のAppleストア

Appleのイベントが今日未明(9/11)に開催されますが、新製品の紹介に伴って、Appleストアも品揃えを変更するので、いつものように「しばらくお待ちくだい」になっています。

 

 

あ、「少しだけお待ちください。」か。

 

数分の差で、1世代前の製品を買うのも悲しいですもんネ。

 

ちなみに、以前切り替えのタイミングの時に、知らないで「eMac」を買ってしまった時は、後にストアからメール連絡が来て、「新しいモデルに注文変更したら如何でしょう」と提案してもらったこともあります。もちろん、同じ値段で新しいモデルに変更してもらいました。

 

しかし、1ヶ月くらいの開きだと提案してもらえず、悲しく旧製品を使うことになります。FCPの6を買った後ですぐに7が出て、優待割引も何もなくてキツかったなあ‥‥。

 

 

 

今回は何が出るんでしょうかね。Apple Watch 5と、iPhoneは噂されてますが、他はどんなかな。

 

作業しながら中継を見ることにしますワ。

 

 

 

 


自虐ボケ

「自分はコミュ障で」とかツイッターで度々目にしますが、自称する人の多くは本当に「障害」と呼べる深刻なレベルなんだろうか?‥‥と思います。「死んでやる!」と喚き散らす人間ほど、実は「死なない・死にたくない」人間だ‥‥なんて話はそれこそ昭和の昔から語られます。「コミュ障」で本当に苦しんでいるのなら、軽々しく口にしないと思いますけどね。

 

「コミュ障気取り」は、本当に病状としてコミュニケーション障害によって深刻に悩んでいる人にも迷惑かも知れませんしね。

 

日頃の自虐ってカジュアルなので、当人はその「害」に気づいていないことが多いんじゃないでしょうかね。特にアニメ業界は貧乏なので、自虐ネタに走りがちです。

 

私は男なので、男視線でしか語れませんが、アニメ業界作業者にありがちな自虐志向の論調は、いったん「業界の外」にでると、他者、特に異性(女性)にとって、かなりのマイナス印象なんだな‥‥と感じます。

 

自信を持ちすぎて中身がないのもカッコ悪いですが、自信を持て無さすぎても他人から関心や好意を得られないのも事実でしょう。「モテない、モテない」と連呼することで、リアルにモテない自分が出来上がります。

 

20数年前のことですが、「アニメ作画現場にありがちな自虐ボケ」を「一般」の男女の前(ファミレスでの食事の際)で雑談がてら話したら、場が軽く凍りついた‥‥という実体験があります。プラス方向に俗世離れしているのではなく、マイナス方向に俗世離れしていることを、ふと実感して‥‥なんだか、惨めだったなあ‥‥。

 

自虐ボケの習慣は自分の文章の隅々にこびりついて取れません。自分で意識していなければ余計に、また、日頃意識していてもつい‥‥という感じに、卑屈な気質が言葉に表れるのです。

 

 

 

「どうせ自分はXXだから」「自分なんてXX程度だ」「自分なんてカス・ウンコみたいなもんだ」なんて言うのを「謙遜」「謙虚」とか「面白い言い回し」と考えているのなら、それは自分ひとりで善がっているだけです。

 

自虐という手段で自分を表現している当人の状況を、他者は結構冷静にジャッジしているものですし、他人と比べて「なぜこの人はそんなに自分を貶めるのだろう」と、ある種の当人の異常な状態を感じ取ってしまいます。

 

「どうせ」とか「自分なんて」とか「ウンコ・カス・底辺・ボロい」とか、へりくだった気持ちで自分を表現しても、その気持ちは相手に伝わるどころか、「自分に自信がないわりに、かえって承認要求だけは強い」みたいな悪い印象を与えます。決して「かわいそう‥‥自分が助けなきゃ」などと、相手の中で母性・父性が発動されることはないです。

 

自虐ボケになりがちな思考を明確に自認し、きっぱりと決別しなければ、いつまでたっても「コミュ障気取り」からは脱し得ないでしょう。卑屈な態度は相手を辟易させることを知るべきです。

 

私の20代の頃は「コミュ障」なんて言葉はなかったですが、安い金で作画の仕事をしているからって、ココロまで安さに落ち込んで、自虐で自分を慰め続けていたら、その後に状況が上向くことはなかったと実感します。

 

自虐ボケは、当人の運命すら虐げます。

 

 

 

自虐ボケに走るのは、何よりも自分に自信がもてないからでしょう。

 

自分に自信がないからといって、色んなものに手を出してどれも中途半端で、そうした挫折感からさらに自信がなくなって自虐ボケが強くなっていく‥‥なんていう人々を、アニメ業界の中で何度も目にしてきました。自分もそうした人間になりかけたことがあります。

 

アニメ業界はさあ‥‥。凄く絵の上手い人・技量の優れた人で溢れているんですよ。他人を羨んでばかりいたら、いつまでも自虐からは逃れられませんよ。

 

覚悟しましょう。今、138億年に一度だけ存在している自分の命なんですから。

 

「これだけは他人に負けない」「天才にはなれなくても、奇才になってやる」「自分は転んだり遠回りばかりしたが、転ばず近道してきた人に比べて、より多くの経験と知識はある」‥‥みたいな、「自分のココロのよりどころ」を「自分の実体験から研ぎ澄まして」形成するよう努めれば良いのです。

 

 

 

アラウンド40の男が「結婚できない」とか日頃からツイートしてて、その「できない」という思考がどんどん自分から自信をそぎ落とし、「自分に自信がもてない頼りない人」オーラを女性にも発散して「対象」から外される‥‥なんてこともあると思いますヨ。

 

泣いてわめけば、母親がかまってくれるのは小学生までです。

 

金も能力もキャリアもなく、自信がないことでウジウジしているアラウンド40〜50のオトコに、女性が母性本能だけをMAXに発動させて歩み寄ってきて「あなたはダメな人。是非、私と結婚しましょう」‥‥なんて「あるわけないじゃん」です。

 

 

 

それにさ‥‥。自信がない‥‥なんて、誰しも抱えていることです。

 

自分を信じる? ‥‥誰しも、自分が死んでしまったら、自分を信じることなどできないですよネ。

 

人には「死」という絶対的な「自信喪失」の運命が待ち構えているのですから、生きているうちは「自信を否定」するより「自信を肯定」して、肯定するためにどんどんアクションすれば良いと思いますけどね。

 

 

 

自虐ボケは、極めて近しい人に、オフラインで、たまに「弱音」を吐いて甘える時だけにしておきましょう。

 

自虐ボケによって、相手に「この人って、ものすごく謙虚な人」と感じてもらえると想定するのは、甚だ、ひとりよがりで無知な行為と思い知ったほうが良いです。

 

自分のできることをどんどん強く逞しく広く増やして、こころのうちに自信を蓄えていけば、いつしか自虐ボケだった過去から離れ、「肯定的に生きていける自分」へと変われる‥‥と過去を振り返っても思います。

 

 


お盆

この10年くらい、お盆休みはとったことがないですし、とりたいとも思いません。あくまで私の心情の話で。

 

夏を休むにしても、お盆は外したいです。なぜかって、道が混むから。‥‥お盆の高速道路は、何十キロも繋がる恐ろしい渋滞を引き起こしますもんネ。

 

それに、やりたいこと、やるべきことが沢山あって、今は全く自分の意思において休みたいと思わないのです。

 

時間って、等価ではなく、ものすごく濃密な1ヶ月もあれば、人生の転換を運命付ける1ヶ月もありますし、一生忘れ得ない1ヶ月もあります。もちろん、スカスカの1ヶ月もありますが、そのスカスカ加減は後で振り返れば、とても意味のあるスカスカだったことにも気づきます。

 

 

 

昨日は「世界の猫の日」だったとか。

 

ぼーっと、何もせず、昼間から寝転がって、ふと、ネコがトストスと歩み寄ってきて、こてんと横に寝転がって、一人と一匹で、ただ時間が過ぎていくだけの日‥‥というのも良いです。

 

不思議ですよね。

 

言葉も通じないネコと、一緒に時間が過ぎ去っていくのを感じ、時が過ぎ去るままに許容して、テキトーになすがままに1日が過ぎていく‥‥なんてね。

 

ネコって、言葉が通じないからこそ、良いんだと思ってます。言葉に邪魔されずに済みます。

 

夏の暑い日に、クーラーをかけて、猫と寝転んで過ごすのは、怠惰なように見えますが、猫が死んで地上から消え去った後では、何にも代えがたい、かけがえのない時間だったと思うばかりです。

 

 

 

お盆で家族が集まるのも良いです。猫とぬぼ〜っと過ごす夏も良いです。

 

その時々で、お盆の過ごしかたは色々あって良いと思います。

 

今の私は、今しかできないことをやるのです。

 

 


自分という境界線

自分の境界線の中にとどまって、外に踏み出さないばかりに、人生の時間を無為に過ごす人はそこそこ存在する‥‥と感じます。「非モテ」とか言う人は、自分の境界線の内側に立ち止まったまま、誰かが腕を掴んで引っ張っていってくれるのを待つだけなので、非モテな男のまま‥‥だということもあると思います。

 

女性の場合はどうかは男性の私が知ったクチを叩くのは傲慢なので言及しませんが、男に関しては、自分の境界線の中、精神的な安全地帯から外に踏み出さないからこそ、非モテだし、絵が下手だし(絵を描く場合ネ)、人のキモチもわからずにコミュ障害に陥るケースが多いんじゃないですかネ。

 

自分の境界線の外側。

 

自分のキモチは境界線の内側です。しかし、他人のキモチは、境界線の外側なので、どんなことになっているのかは解らないです。

 

状況が解らない未知のエリアには踏み出すのが怖い。‥‥なので、いつまでも自分の境界線の内側に留まり続けます。

 

たまに境界線の外側に一歩踏み出すと、なまじ外側を避け続けたばかりに、歩きかたも立ちかたも解らず、数歩でよろけて転んで傷を負います。

 

そんなブザマな自分を慰めるために、境界線の外側を茶化して「どうせそんなもの」と知ったような態度をとります。そればかりではなく、自嘲して自分自身すら茶化して、かすり傷を一生懸命舐めて、キモチを落ち着かせようとします。

 

そうして、いつまでたっても、自分の境界線の外に出れないまま、時間が過ぎ去ります。悪循環です。自分の境界線が、どんどん、どんどん、越えられないもののように思えてきます。

 

 

 

好意を寄せている人に「あなたが好きです」と言って、相手がどう反応するか‥‥なんて、いくら自分の境界線の内側で考え続けても予想できません。

 

「いや。わかっていたよ。自分がフラれるなんてことは。」‥‥と、また知った風なクチを叩いて、自分のキモチを自分で茶化して、自分を慰めるのです。プラスを夢見るとダメだった時にギャップが酷いので、最初からマイナスで考えて、状況を下方予測したり、早々に下方修正するんですよネ。

 

まあ、つまり、自分の境界線の内側に閉じこもって、ひとり遊びを続けているのです。

 

そんな状態で、他人から「あなたが好き」と告白されるのを夢見てるのだとすれば、「恐ろしく破綻した構造」なのです。非合理にもほどがあります。

 

外に出ずに姿を現さないのに、外側から自分の存在を認識してほしい、承認してほしい‥‥なんて、合理的な構造とは言えまい?

 

 

 

自分の境界線の外側に踏み出す‥‥というのは、恋愛に限らず、自分の能力の発展にも大きく作用する、極めて重要な行為です。

 

例えば絵。

 

色んな人の、色んな絵の、色んな描きかたに、ナマで接することで、「ネットで検索」よりも遥かに情報量の多い体験が可能です。どんなにネットで多くの絵が検索できても、どんな速度で描いているのか、どんな表情で向き合っているのか‥‥なんて、メイキング映像の僅かな断片でしか垣間見れないでしょう?

 

自分が「下手くそ」認定されるのは、そりゃあ、ヘコんで傷つきます。恋愛だと、フレらるのと同じです。

 

自分より明らかに絵が上手い人と接して、自分の下手さを痛感するのは、辛いことです。

 

でも、下手な自分、フラれた自分を、自分で再認識して分析するからこそ、上手くなれる自分、フラれないかも知れない自分へと、徐々に変わっていけるのです。

 

外界へ踏み出すからこそ、外界の風土に接し、世界の歩きかたも身についてきます。

 

 

 

これは「デジタル」も同じで、紙の世界ばかりに閉じこもっていると、進化し続ける世界の映像技術にはいつまで経っても踏み出せません。コンピュータによるペーパーレスの世界に踏み込むからこそ、新しい時代のアニメ制作のビジョンも見えてきます。

 

紙の世界に留まり続けて、いつか誰かが、手を引っ張って新しい世界に連れていってくれる‥‥と思っているのなら、それは残念ながら「ない」です。「行くつもりがないのなら、どうぞご自由にそのままで」と放置されるだけです。

 

 

 

自分の境界線を越えることは、誰しも不安で怖いものだと思います。「何があるか、解らない」という状態は、ワクワク以上にガクガクブルブルの恐怖が上回るかも知れません。

 

境界線の内側に留まっても、生きていけるでしょう。ですから、全員参加ではないです。非モテなら非モテのまま人生を送るのも、個人の自由です。

 

しかし、今の自分に限界を感じるのなら、境界線の外側に踏み出しましょう。

 

自分の限界とは、自分の今の境界線そのものです。境界線の外に踏み出して慣らして、境界線を拡張すれば良いのです。

 

一生死ぬまで、自分自身を定義し続ける「境界線」からは逃れられないと思います。しかし、境界線は一切変動のない静的なものではなく、自分のアクション次第でいくらでも動的に拡張できると実感します。‥‥私が20歳のままの自分だったら、今の自分の境界線の遥か狭いエリアに限定されていることでしょう。

 

境界線の外側はツラいことも多いけど、案外、包容力も許容も大きいもの‥‥ですヨ。

 

 

 

考えてみれば、アニメ制作会社、そしてアニメの産業すらも、まさに「過去の境界線」の中でもがき苦しんでいるのかも知れませんネ。

 

今までのエリアから外界へと踏み出し、境界線を拡張すべき時は、刻一刻と迫ってきているように思います。

 

 


お魚クーラー

夏が間近に控えた季節、金魚など、水の中の生き物と暮らしていると、水温の上昇が一番気になるところです。

 

水を温めるのは色々と手段があるものの、冷やすのは中々難しいです。ネットで検索すれば、ペルチェ素子を用いた安価な水槽クーラーなどが検索できますが、ハッキリ言って、大して役に立ちません。水槽周囲の室温が高ければ、あまり温度は下げられませんし、水槽クーラーから排出される熱がさらなる悪循環を引き起こすことすらあります。

 

水槽クーラーは、よほど入念に水槽周辺の換気を考えておかないと、効果が少ないです。熱がこもるような場所では、水を冷やすはずの水槽クーラーの排熱が、さらに周囲の室温を上げてしまい、全く相殺されて効果がでないこともあります。‥‥過去に体験済みです。

 

*もしエアコンの室外機が室内にあったら‥‥と考えれば、想像しやすいです。熱い風は撒き散らすし、うるさいし、最悪ですよネ。

 

中途半端に金をかけても無残に敗北するのみ。1万円以下の水槽クーラーで水温が何度も下がれば安上がりでしょうが、現実はそんなに甘くないようです。

 

安価な対策で確実に効果がでるのは、水面に風をあてて空気を循環させつつ蒸発させて水の温度を下げる方法です。いわゆる「蒸発熱」「気化熱」の効果です。

 

気化熱を利用した水槽用ファンは、2000円くらいで売っておりますが、イマイチ耐久性が低い(=すぐに壊れる)のと音がうるさいのがネックです。水槽に取り付けるためコンパクトさを求めるあまりに、小型で送風力は弱く、小型で高回転で五月蝿いわけです。

 

市販の水槽用ファンは、だいたい1〜2度くらいの水温低下が可能ですが、設置場所の環境によっては、もっと下げたい場合もあります。‥‥私の場合がそうです。

 

最近、LEDライトを消している深夜にも関わらず、金魚の水槽が29度まで上昇したのを見て、水槽用ファンではなく、一般用途の大容量(?)ファンを使った気化熱クーラー効果を試したら、

 

水温を4度近く下げる効果

 

‥‥を確認しました。4度も下がるとはかなり強力です。実際、29.1度くらいあった水温が、25.2度くらいまで下がりました。効果絶大。

 

25度まで下がれば、金魚らだけでなく、水槽のお掃除役の貝も生きていけそうですし、異常な温度上昇を防げれば、マツモの繁殖も旺盛なままで、バクテリアも見えないところで活躍してくれそうです。

 

購入して設置したファンはこちらのクリップファン

 

 

 

ちょうど、置物を飾るのに使っていた100円ショップ製の小棚が水槽の真上に取り付けてあったので、その棚にクリップをかませて、水面の表面に向けて風を送るように設置しました。

 

ポイントは、夏場限定で水槽のガラス蓋を外して(2分割式の片方だけ)、空気の入り口と出口を水面に作ることです。

 

*いざという時に換気できるように、ガラス蓋は1枚全面ではなく2枚構成にしておくと、何かと便利です。

*ファンはUSB給電式なので、余ってその辺に転がっていたiPhoneのUSB電源アダプタで給電しています。各種端末のUSBアダプタは集中型の高速充電器で賄うので、日頃から余りがちなKindleやiPhoneやiPad付属の電源アダプタを、こういう機会に活用してます。USB電源アダプタを別売で買うとそれなりの値段はしますもんネ。

 

 

4度も水温を下げるからといって、じゃんじゃん水が蒸発して減るわけでもないです。私の環境の場合、熱がこもりやすい状況なのか、水槽近辺の空気を循環させることでも、相乗的に効果が出ている‥‥のでしょうかネ?

 

とにかく、「風当て方式」で4度も下がったのは初めてだったので、驚きました。

 

まあ、この方法の唯一の欠点は、2〜3日に一度くらい、水槽に水を補給することです。故意に風を水面にあてて蒸発させるので当たり前なんですが、金魚や貝の命には変えられまい。

 

ちなみに、ファンの風量は、「最小」か「小」で十分です。4段階切り替えの1か2で。

 

日常生活用のファンとしてみれば小型でも、水槽冷却用のファンとしてみれば十分な風量で、最小の風量にすれば風切り音も静かです。

 

 

 

水温の上がりすぎで、金魚が体調を崩したり、貝が一斉に死ぬのは悲しいですよネ。

 

水槽メーカーの冷却ファンも確実に温度を下げてくれますが、設置場所があるようなら一般用のクリップファンでより静かにより大きな効果で、水温を下げるのも1つの手です。

 

クリップファンだと、暑いシーズンが終われば外せるのも便利ですヨ。

 

 

 


9ms、1.5テラメモリ、1000nits、サイドカー(!)

今回のWWDC2019、盛りだくさんですネ。(現在講演中)

 

まず、iOS 13。

 

Apple Pencilのレイテンシーが20ミリ秒から9ミリへ高速化。10ミリを切りましたネ。

 

iPadがますます使いやすくなる工夫もいっぱいで、期待できます。

 

 

 

次に新型Mac Pro。

 

28コアのCPU、最大1.5テラ(でしたっけ?=12スロット)のメモリ。

 

8Kのストリームを3本、4Kだと12ストリーム。

 

大袈裟なように感じますが、未来の映像制作にはこのくらいの性能アップは必要だと、現在毎日、ひしひしと痛感しています。「ProRes 8K(エイトケー)」が演説の端々に聞こえていましたが、実はアニメだと大判が多いので(PANとかでね)、4Kのアニメでは10K超えのProResだって普通に扱う日々ゆえに、ようやくマシンの性能が追いついてきた‥‥と、ちょっと安心しました。お値段は6000ドルからスタートでしたっけ?

 

未来はこのくらいのマシンが普通になると思いますヨ。

 

 

 

次にPro Display XDR。

 

6KのRetinaで1000nits(!)、P3です。値段は5000ドルですが、1000nitsのモニタがようやく60万円で登場してくれた‥‥と、MacPro同様にちょっと安心。

 

でもまあ、画面の見た目が綺麗なだけがリファレンスモニタの役割ではないので、本当にプロのHDR用途に適しているかは、にわかには信用しませんが、まずは市場の良い刺激になればと思います。EIZOさんの60万円帯のアンサーを期待してますヨ。

 

 

 

そ・し・て・・・

 

次期macOS「カタリナ」の「サイドカー」来たー!!!

 

サイドカー、つまりiPadをmacOSのサブモニタにする機能です。もちろん、Apple Pencilも使えます‥‥とのこと。

 

AstroPadを買った私ではありますが、Apple純正のサイドカーがきびきび動けば、それがユーザにとっては一番です。OSでサポートしてくれる安心感と安定感は代え難いです。

 

 

 

その他、今(4時2分)紹介してたARもスゴいネ。楽しそう。

 

今年のWWDCは盛りだくさんでした(って、まだ基調講演は続いてますが)。

 

 

 

追記:

 

SwiftUIはいいなあ。AdobeのESTKでUIを組み立てるのとは段違いの手軽さ。

 

さすがにWWDCだけあって、SwiftUIのデモでは会場が盛り上がってホーホー教の教徒がいっぱいでしたネ。

 

 


美術展とクリムト

クリムト展が来ますネ。東京都美術館で4月23日からとのこと。

 

でも‥‥、多分、私は行きません。最近、この手の美術展で「絵を見た〜〜!」と満足することが皆無だからです。人混みを見にいくようなものです。

 

企画展はいいや。もう期待してない。

 

「あの美術館の、あの絵に会いたい」と、空いている常設展を見に行ったほうが、100倍マシです。人がまばらで静寂な、絵だけが飾ってある空間で、ずっと、好きな絵の前に立って見ていられるから。

 

 

クリムト展は、30年前に見ました。今はなき、池袋の西武美術館(という名前だった気がします。セゾン美術館だっけ?)で「ウィーン世紀末展」と銘打って開催していました。

 

良かったですヨ。今のような人混みはなくて、じっくり見ることができました。

 

私は当時アニメーターの駆け出しの頃で、大泉学園のアパートと埼玉の実家を週一で行き来していましたから、池袋には毎週出ていて、西武の美術館には簡単にいくことができました。おそらく、クリムトとウィーン世紀末展は、4〜5回見たと思います。

 

凄いボリュームで、とても1日で鑑賞できる内容ではなかったです。美術展の図録が電話帳のように分厚かったですしネ。

 

クリムトだけでなく同時代の、例えばエゴン・シーレとかヨーゼフ・ホフマン、オットー・ワーグナー、ココシュカなど、ドイツ系、オーストリア系の作品が山のように展示してありました。オットー・ワーグナーのあの精密なコンセプトデザイン画などは、チラ見だけで見切れるものではないですよネ。ちゃんと鑑賞しようとすれば、自ずと時間もかかろうというものです。

 

下図もナマで観ました。

 

 

 

あまりにもその美術展に馴染みすぎて、何度も来館したにも関わらず、最終日に「最後にもう一度」と閉館間際に行ったを覚えています。今日でもう見れなくなると思うと、なんだか切ないキモチになったのを今でも思い出せます。

 

 

 

人生の中には、生涯忘れることのない美術展や美術館との出会いがある‥‥と実感します。

 

私は80年代中頃の高校時代に鎌倉の美術館にモロー展(「モローと象徴主義の画家たち」)にいきましたが、50歳を超えた今でも、その影響下にあると自覚します。もちろん、ウィーン世紀末展もネ。

 

ダヴィンチの「荒野の聖ヒエロニムス」も強い印象を受けました。絵を目の前にした時の存在感がとにかく異質で、絵の状態もあいまって、ディテールよりも存在感だけが強くココロに刻まれています。

 

 

 

一方、現在の上野の企画展では、忘れることがないのは「すげえ人混みだった」という記憶だけです。画家が絵を見つめていたのと同じ距離で、時間を超えて自分の目で同じ絵を見ている‥‥という不思議な体験など、今の美術館の企画展では期待するだけ虚しいです。

 

上野なんか行かなくても、まだ静かに絵を見れる美術館はありますので、自分の本当に好きな絵を探して見にいきましょう。絵だけではなく、「美術館参り」した道すがらの情景まで、代え難い記憶となって、貴重な財産となります。絵を描く人間ならなおさら、自分の宝物となりましょう。

 

企画展でなければ、上野でも、常設展は見所がいっぱいです。何よりもまず、空いているので、正常に絵を鑑賞できます。

 

松園の「焔」もありますし、モローの「牢獄のサロメ」もありますし、その他、「この絵って、上野にあったのか」と驚くような有名な絵も並んでいます。

 

 

 

 

今度のクリムト展も、もし人混みが空いている時間帯があるのなら、まだナマでクリムト(の絵)を見ていない人は見にいく価値はあると思います。絵が見れずに人混みを見てもしょうがないけど、空いている時間帯があれば‥‥の話ですが‥‥。

 

私はもう、30年前にしっかり刻みつけたので、いいかな‥‥と思います。混んでない時間帯なんてわからないし。

 

 

 

ちなみに、私がクリムトの絵と初めて出会ったのは、中学2年か3年の頃、市の中央図書館の画集でした。何か、イケないものを見てしまった‥‥という背徳の感情がかすかに生じたのを覚えています。まあ、ぶっちゃけ、ど直球でエロいもんね、クリムトは。

 

中学生のウブな小僧が見れば、ドキっとするわな。

 

さらにちなみに、私の母も池袋の美術館に「クリムトとウィーン世紀末展」を見に行ったらしく、当時に感想を聞いたら、「なんかね。気持ち悪かった。」と申しておりました。

 

‥‥‥‥そうね。モネの睡蓮や、ラファエロの聖母に比べれば、たしかに。

*でも私はモネの睡蓮って、「綺麗」だけでは終わらない、魔力というか妖しさを全面に感じるんですけどネ‥‥。なぜ、あんなに、睡蓮の絵を沢山描いたんでしょうかネ。

 

変に通を気取るよりは、とても参考になる、母の率直な感想でした。たしかにコレを見ればな‥‥。

 

*私が見た「ウィーン世紀末展」にもこの複製が来ていましたが、今回も恐らく同じ複製が来ると思われます。(詳細は未確認です)


光の円盤

電子とデジタルの混同に似た話題ですが、たまに見かけるのが、光ディスクが全てデジタル信号の記録媒体だと思っているケースです。

 

レーザーディスクを「デジタル映像の幕開けだ」とか書いている記事を見たことがありますが、レーザーディスクをリアルに買ったことがない人が、「光はデジタル」と思い込んでいるのでしょう。

 

VHSと比べれば綺麗でしたが、明らかに苦手な色の時に絵が乱れる様子は、「これぞアナログの映像信号!」と言わんばかりでした。アニメのベタ塗りは特に民生アナログビデオ信号の弱点が出やすかったです。私はそれなりにLDをコレクションしていたので、DVDとの絵の差を今でも思い出せます。

 

レーザーディスクは光ディスクをレーザーで読みとりますが、信号はアナログビデオ信号です。非圧縮‥‥という言葉が適切かはわかりませんが、アナログビデオ信号がそのまま記録されているようです。専門的な原理はネットで調べてみてください。

 

なので、思い込みやイメージというのは、中々に悩ましいです。私も、自分の苦手なジャンルでは、相当に思い違いをしているでしょうし。

 

 

 

ちなみに、原理や本来の意味でいえば、紙のタイムシートのコマの欄は「デジタル」といえます。

 

8.652498コマ目なんて存在しないですもんネ。1,2,3,4,5,6...と非連続に整数でカッチリ区切られてコマを表記する時点で「デジタル」なんですよネ。

 

デジタルはコンピュータの同義語でも何でもなくて、「非連続」「離散」を意味するので、結構世の中、生っぽいものでも「デジタル的」です。

 

デジタル英語digital英語発音: [ˈdiʤətl]ディジタル)とは、整数のような数によっていて、離散的である(とびとびの値しかない)ということ。

 

 

お医者さんにかかって、「どのくらい痛いか、ちょっとか、そこそこか、かなりか、」と聞かれるのも、何だかデジタル。痛みを3段階に区切って表現するのは、中々難しいと思いますが、かと言って、聞く方も聞かれる方も、痛みをアナログ階調で表現するのも難しいですネ。

 

似たような意味で、「デジタル腕時計」の製品表記も今でも見かけます。単にアラビア数字で表記する、どこでも見かける時刻表示ですが、電力を一切使用しない機械巻きの時計の仕組みと動作と違って、「1,2,3,4,5,6...」と割り切った「非連続」の表示を、かつて「デジタル表示」と呼んだのでしょう。懐かしい言い回しですネ。

 

 

自分はアナログ人間と自認する人が、もし何かの機会に、

 

お前の意見はどっちだ! 白か黒か! YESかNOか!

 

…なんて言ってたら、アナログどころか、1ビットのデジタル人間と呼ぶのもアリかも知れません。

 

 


雑談

今日は休みだったのか。‥‥春分の日。

 

アニメーターは、絵と動きにとてもこだわりますよネ。だから、上手くなるのは、ある意味、必然と言えます。アマチュアで「なぜ絵が上手く描けないのか」とか言う人がいますが、上手い人は絵に注ぎ込む熱量が段違いですもんネ。

 

似た話で、お金を稼ぐ人って、お金にとてもこだわる人だ‥‥と聞いたことがあります。‥‥納得ですネ。アニメーターはお金そのものをどう稼ぐかについて熱量も低いがゆえに、お金に関してアマチュアレベルにとどまるのではないでしょうか。

 

上手い絵、上手い動きを描ければ、無条件にお金が稼げると思い込んでいるフシがありますよネ。でも、実は別ジャンルなんだと思います。

 

車庫入れがどんなに達人級に上手くても、駐車料金は割引にならんもんな。

 

自分の技能を、ビジネスに変換する、もうひとこだわりが必要なんでしょう。技能が高いだけだと、「難しいカットを引き受けてくれる、ありがたい人」でおしまいです。

 

学校を卒業して、そのまま業界入りして、ビジネス感覚を身につけることもなく、まるで学園の部活のように「頑張れば成果がでる」とばかりに、いつまでも「学園気分」でいることが、アニメーターを窮地に陥れる「身から出た錆び」を生み出しているようにも思います。戦争論や行動経済学をビジネスに応用することなど、全く視界の外。

 

アニメーターの業界団体が存在するなら、クロッキー会も良いけれど、フリーアニメーターのための青色申告集中講座のほうが、よほど身のためになると思うんですけどネ。

 

結局、絵を描くことだけしか指南しないのでは、自分たちの得意なジャンルしかやらずに、わからないものはめんどくさくて手をつけない体質のままじゃん。

 

アニメーターの「絵に対して純朴で誠実」な部分=少年少女時代から継続する感情を、「子供のように手玉に取りやすい」と扱われる側面もありましょう。アニメーター自身が、単価だけに反射的に反応するところも、お小遣いをもらう子供のようだと、軽くあしらわれる原因かも知れません。

 

でも、それじゃもう、ダメなんだと思います。2020年代にアニメを作り続けて生きるには。

 

もし、何らかの団体が存在するなら、アニメーターを学園気分から卒業させるための「社会を生き抜く実践的戦術論」みたいなことを浸透させる役割のほうが重要かと感じます。クロッキー教室やパース講座でいくら技術を学んでも、ビジネスに繋げられないんじゃ、やっぱり「学園の部活ノリ」のままですもんネ。

 

 

 

私は、予定していた4月を待たずに、クラウドベースの会計ソフトを使いはじめました。

 

家計簿ソフトのゆとりちゃんが消滅し、マムレターへの乗り換えもうまくいかず‥‥で、数年「家計簿レス」でしたが、家計簿より難易度の高い会計ソフトを流用して、自分のお金周りを把握し、引き締めたいと思っております。

 

クラウドというのが、何よりもの決め手です。マシンにインストールする会計ソフトでは状況的限界が低すぎます。

 

‥‥で、やっぱり、家計簿をつけてないと、「どんなに自分ではソコソコ把握しているつもり」でも、全然ダメダメです。

 

やりたいこと(=自分の事業的に)の風呂敷を広げたものの、あちこちに手が回らず、停滞している様子が、会計ソフトで象徴的かつ「容赦ない数値」として表れております。

 

例えば、取得したドメインの維持とレンタルサーバ料金は、結構な額に達してますが、そのドメインとサーバをほとんど活用できていません。

 

大戦略でいうところの「難易度の高いマップ」を見るようです。最初は防戦一本槍で、状況の把握と整理、再編成、その後にようやく攻勢開始‥‥ということになりましょう。はぁ‥‥。

 

でも、頑張ります。数字がリアルに突きつけられるのは、家計簿ソフトで慣れていますしネ。

 

自分の人生をダメなほうへと導く、何か重く気だるい流れのようなものに打ち勝つためには、まずは「お金の統率」を自分の中で図る必要がありましょう。やさぐれてイジけてたって何も解決しないもんな。

 

*追記)

以前私が撮影監督をやっていたころ、「atDB」というコンポジット周りのデータベースを自作して運用し、全体の集計だけでなく、各カットの種別(絵コンテ撮〜本撮)やリテーク率なども集計して、「撮影作業が完了するまでの予測」をコンピュータを活用して把握していたのは、もしかしたら、家計簿ソフトの「ゆとりちゃん」の影響も強かったかも知れません。偉大なるゆとりちゃん‥‥。

また、あの可愛いコアラのお母さんに会いたいです。

 

 

 

その昔、私の母にも、家計簿ソフトのゆとりちゃんを購入してセッティングしたことがあるのですが、しばらくした後、母曰く‥‥

 

お金もないのに、家計簿ソフトなんて辛くて

 

‥‥と言っていたのを思い出します。お金で苦労していることを自動計算や各種グラフでありありと直視することになるから、家計簿ソフトは嫌だと。

 

母は、郵便局で働いて定年して、お金の数字には見慣れていても、いざ自分のこととなると、お金が余裕があるならまだしも、色々と悪い問題があると、直視したくないんでしょうネ。

 

キモチはわかるんだけどさ‥‥。それを言ったら、先には進まないですよネ。

 

アニメ業界のお金の問題を語るのなら、自分自身のお金の運用・会計についても逃げずに語らないと、片側の車輪だけでは前に向かって走れません。両輪、できれば、2輪ではなく、4輪で。

 


松の勢力

私が三鷹に初めて行ったのは、おそらくスタジオぴえろでの作打ち、その次はアトリエ戯雅での作打ち、そしてまだJCスタッフが三鷹の駅近くのジーンズ屋さんの背合わせにあった頃です。30年前以上前のことか。

 

私が「吉野家ではない牛丼」を初めて食べたのも、下図の「B」の松屋です。どんどん店舗が入れ替わる世知辛い世の中で、私がフリー原画マン駆け出しの頃=30年以上前から存在し続けるのは、凄いですよネ。

 

 

松屋は追加料金なしに味噌汁がついてくるので、吉野家に慣れきった私は驚いた記憶があります。当時、今は亡きわたなべぢゅんいちさんと夜中に食べにいったものです。

 

ちなみに、知っている人には有名な「えぐち」というラーメン屋も斜向かいの地下にありました。今は名前も店主も変わっているみたいですが、味は健在と聞きました。

 

 

 

私は現在、南口ではなく北口で仕事をしていますが、松屋の勢力は「牛丼の松屋」の真横に「とんかつの松乃家」が並んでおり、三鷹の「松関連の勢力」は中々なものです。

 

そして、最近は「ステーキ屋松」まで出来たとか。

 

「屋松? 誤字?」と思いましたが、多分、狙った上での「ステーキ屋 松」なんでしょうネ。遊び心がありますネ。

 

 

 

壁に耳あり、松屋に目あり。

 

阿佐ヶ谷に「作り手と受け手のコミュニケーション」を謳ったモールが数年前に出来て消滅したようですが、三鷹の安く飯を食わせてくれるところにいけば、業界人の滞在率は相応に高く、プチコミュニケーションすら可能かと思われます。三鷹でなくても、吉祥寺とか荻窪には相当多いですネ。

 

松屋グループではないと思いますが、

 

壁に耳あり、トリキに目あり。

 

‥‥とも言えます。トリキにいくと、どう考えてもアニメ現場の内容を話している人がいますわな。メガハイボール!

 

青梅街道沿いの馬車道で作打ちみたいなのをしているのを見かけたこともありますし、以前葦プロと7スタ(記憶が曖昧)があった交差点のデニーズも、作打ちの光景がよくみられました。上井草のアオヤギで今でも作打ちしてるのかな?

 

 

 

そう言えば、三鷹の南口には、もう30年以上前から「カントリーファーム」という店があって、よく行ったものです。まだ健在らしいので、今度、ご主人の姿を見に昼食(ポークジンジャーかチキンジンジャー)でも食べにいこうかな‥‥。

 

あの頃は三鷹にも映画館があってねえ‥‥。喫茶店「ドリゴ」の「どですか丼」も懐かしい‥‥。

 

昔話に耽るようでは、私もジジイになった証拠ですネ。

 

 

 



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