ウイルス、ウィルス

今さらながら気がついたんですが、

 

ウイルス

ウィルス

 

の、どっちが日本語表記として推奨されているのかな‥‥。

 

私はVirusの綴りの雰囲気から、ウィルスと書いてました。

 

でも、さっき、グーグルさんに「もしかして ウイルス?」と正されてもうた。

 

 

そもそも発音だと、

 

ヴァイルス(ルは、ルとラの中間の音)

 

みたいに聞こえますので、かなり違うんですが、まあ、いいか。

 

 

私の子供の頃は世間では、

 

ヴィールス

ビールス

 

‥‥と呼んでたしの。

 

 


非モテの打算

40代の高校生‥‥で思い出したけど、自分を非モテだと思い込んでる男性を、高校の頃から今まで、何人か見てきました。思い込まなければ道も広がっていくのに、思い込んじゃうから、どんどん卑屈の罠にハマっていく構図。

 

モテる男を意識し過ぎなんだよね、モテない男って。他人のことなんて「アイツ、モテんなあ」でいいじゃん。自分と比較して必要以上に卑屈になるから、どんどんドツボにハマって、卑屈さが顔や言葉の端々に出ちゃうんですよね。

 

過去に見た非モテを気にし過ぎの男たち。ステータスや外見にこだわり、勝手に自分の中で格付けをして、それらがないから、自分はモテないんだと思おうとする点が共通しています。昔、「ピアノとギター、どちらを演奏できると凄いか(モテるか)」と聞かれた時には、困ってしまったことがあります。「上手く演奏できるんなら、ピアノもギターもどっちも凄えよ」と答えましたけどネ。まあ、誰でもそう答えるわな。

 

自分をダメ人間と表現する人もいますが、実際のところ、自分がダメな理由を列挙しながらも、決して自分の中身は否定しません。自分がうまくいかない理由を、自分の持続力や集中力ではなく、道具や環境や教育法に見ようとする点も共通しています。絵を描く行為でいえば、ソフトウェアやTIPSばかりを気にする類いの人ですネ。自分の平衡感覚や観察力はそっちのけで。

 

自分は過去にこんな辛い思いをした、不運がきっかけでうまくいってない、自分は正当に評価されず、女性とも縁がない、どうせ俺はダメだとイジける一方で、自己弁護には躍起になる。

 

でもさあ‥‥、そんな話を聞かされ続けて、「あなたの話、もっと聞きたいわ!」と思う女性なんて、いるのかな。‥‥ということが冷静に判断できないから、非モテ人生なんだと思うのです。

 

非モテの反対は、モテ‥‥ではないでしょう。モテ男になる必要はなく、「普通」で良いのです。

 

気取らず楽しく会話ができたり、共通の趣味で盛り上がったり、非共通の聞いたことのない話でも盛り上がったり、話して聞いて、励ましあったり、褒めあったりと、「普通」にコミュニケーションできれば良い‥‥と感じるわけですが、非モテと思い込んじゃった男は、その「普通」を今までの積年の思い込みが邪魔するんでしょう。

 

ネットの非モテ記事を読むと、理由はハッキリ解ります。アラウンド40〜50男の「結婚するなら若い女性で、最低一人は子供を産ませて」みたいな男の論調は、こんな打算まみれを全面に押し出してモテるわけないわな‥‥と思うのです。打算と欲が服を着て歩いているような男を、良い人だわ、面白い人だわ、もっと会って話してみたいわと、もし自分が女性なら思うでしょうかね。お互いの一生の時間を預け合う結婚ともなれば、なおさら。

 

自分は年齢で値踏みされるのを嫌がって年齢を度外視してほしいくせに、相手の女性には年齢基準で品定めして値踏みするなんて、いかにもダメだわなあ‥‥。酷いヤツだよ、シンプルに‥‥。自分がして欲しくないことを、女性には平然とやってのける時点で、非モテというか交際不可能が事前確定です。

 

もっと言えば、歳の差があり過ぎる女性と付き合おうと思うこと自体が、無理なんじゃないですかね。若い人間は若い人間同士で未来を築けば良いのです。画伯ルノワールみたいに若い嫁さんを貰おうなんて思うなや。

 

 

 

まあ、モテるモテないを気にしているあたりで、自信の無さが表面に滲み出て、「頼りなさそう」「楽しくなさそう」「幸せにならなそう」と引かれてしまうこともありましょう。

 

「今まで可哀想だったわねえ。頼りなくても気にしないから安心してね。よちよち。私が全部面倒みてあげまちゅからね〜」なんて言ってくれるのを、女性に対して期待してるのだとしたら、それはほぼゼロの可能性だわな。

 

 

 

なぜモテないのか、モテるようにするにはどうすれば良いか、脳内で打算を繰り返してると、さらにモテから遠くなるんじゃないですかね。

 

まあ、歳をとれば、打算一切なしなんてありえないかとは思いますが、では、打算だけで恋愛ができるかと言えば、それもありえなさそうですよネ。

 

特攻兵の遺書で「会いたい、話したい、無性に。」という一文があります。‥‥本当に好きになって、相手を求めるとは、そういうものだと思います。

 

40代の高校生‥‥というワードを記事で読んで、ふと以前読んだ40代の結婚願望男の記事も思い出して、「高校生の男とは結婚しないよな。普通。」と感じ、珍しく恋愛関連の記事を書いてみました。

 

覚悟を決めりゃいいんだと思いますよ。ジタバタせずにネ。そうすれば、自ずと覚悟を決めた潔い自信が、表にも滲みでると思うのです。

 

まあ、あとは‥‥、女性とも普通に話せて付き合えて、結婚できるのにしない男もいるけど‥‥、それはまあ、本人の好きに勝手にやってください‥‥としか言いようがないですネ。非モテじゃないけど結婚しない男、女ね。

(^_^)

 

 

 

非モテ三原則(非モテ予防三原則)、「卑屈は、作らず、持たず、持ち込ませず」ですね。ちと、古い例えかな?

 

 


書き8年

このブログを開始したのは、2013年ですので、今年で8年目に突入します。文章を書くのは苦手な私が、よく続くもんだと思います。まあ、寂しがり屋なんだよね、実際。

 

最近はどう言うわけか、月のアクセス数が20万を超えることがあります。一日で4万‥‥なんて日もありました。ツイッターではなく、芸能人でもなく、単なる制作現場の内側の人間が、客受け度外視で専門的なことを書いている孤島のブログなのに、月に20万‥‥とは何か理由があるんだろうなとは思いますが、あまり気にせずいつも通りにマイペースで書いています。

 

 

 

最初の頃はね‥‥、1日(1時間じゃなくて)に100〜300アクセスなんていう月日もありました。でも、1日で100アクセスもあれば、100アクセスが100人‥‥じゃなくても、数人でも読んでくれる人がいるだけで、赤鬼気分(寂しがり屋が嬉しくなる)でした。アクセス数目的ではないので、それは今でも変わりません。

 

最近はアクセス数が多いですが、実のところ、昔から立ち寄って読んでくれて、今も読んでくれる人って、そんなに数は変わっていない気もします。アクセス数が急に落ち込んだ時は、昔ながらの数字ですもん。

 

ツイッターでは「バズる」とか言いますが、バズると何か良いことでもあるのかな? 本当に共感してくれる人って、一気に何千人何万人も増えるとは思わないんだけど‥‥。

 

 

 

一念発起して、ブログを立ち上げても、その勢いが続くのって2年くらいですよネ。

 

私はこのJUGEMで8年目、以前のジオログの頃も数年(4〜5年くらいかな‥‥忘れた)は続けてました。日記なんてとても書く人間ではなかったのに、我ながら不思議です。

 

じゃあ、なぜ続いているかと言うと、このブログに関しては「一念発起しなかった」からでしょうネ。

 

私に限らず、ブログに限らず、ツイッターなどのSNSを長く続けている人は、過度にSNSに期待して一念発起して始めたわけじゃないからこそ、気楽に続けていけるんじゃないですかね。

 

思い詰めちゃうと、早々にバテて息継ぎが必要になりますもんネ。

 

「アニメ業界とは」みたいな題材のブログも複数存在しますが、中にはもう半年以上更新されていなかったりで、一念発起して行動すると、やがて息が切れる時はくるのでしょう。「一念」に任せてしまうと、サイト全体の寿命が短くなりがちです。

 

考えてみれば私も、一念発起した物事で、尻切れトンボになっているものが、いくつもあります。恥ずかしながら。

 

 

 

実際、このブログで書いていることって、現場での雑談や立ち話みたいな内容ばかりです。何か切実な一念や怨念感情で縛られているわけではないからこそ、続けてこれたとも思います。

 

おそらく、JUGEMがブログのサービスを停止するまで続けることになると思います。以前使っていたジオログも結局、大きな仕様変更があって(内容は忘れましたが)、JUGEMに引っ越してきただけのことですしネ。

*2020年の今は、ジオシティーズもYahooブログも消滅しましたな。

 

私は新しもの好きな一面とは正反対に、なが〜く使い続ける一面もあります。‥‥さすがに50年以上生きてれば、自覚してます。

 

今こうしてブログを書いているiMac 5Kが置いてある机は、アニメーターとして自立して2年くらい経過した時(20歳頃)に、お祝いとして買ってもらったビクター(音響機器メーカーのビクターのインテリア事業部で、今はバルバーニの机です。一見、普通の机なのに、製図台のように角度が付けられる珍しい机で、私が死ぬまで使い続けると思います。木材が劣化して壊れた部分は、自分で補強したり木材部用パテで補修して使い続けています。‥‥たとえ今後半壊しても、自力で修繕して使い続けるでしょう。

 

家具と違って、ネットのサービスは運営する会社の方針ひとつ‥‥ですが、その辺は気楽に利用していこうと思います。もしJUGEMがいきなりサービス停止をアナウンスしても、それはそれで、きっぱり諦めます。ネットに普遍性を求めるのも滑稽ですしネ。

 

「桃栗三年柿八年」とは言いますが、このブログも8年目か。

 

2020年代の日本社会の変化とともに、まったりと徒然に、書き続けていく所存です。

 

 

 

 

 


臭いチーズが食べたい。

チーズは基本的に高いですよネ、お値段が。

 

なので、ベビーチーズとかスライスチーズとかを食べがちですが、カビの生えたチーズもたまには食べたくなります。

 

最近、雪印の安いブルーチーズを店頭で見なくなったのですが、やめちゃったのかな?

 

 

 

チーズは通販だと難しいですよネ。いくらクール宅急便があるとはいえ、配送手数料がバカにならないので、自分の足で探して買うことになります。

 

最近、三鷹北口の東急ストアでゴルゴンゾーラのピカンテとドルチェの150gが600円少々(税込)で売っていることを知って、たまに買うようになりました。IGORというイタリアのメーカーです。

 

 

IGORというメーカーは、チーズや乳製品の総合メーカーではなく、ゴルゴンゾーラ専門らしく、日本では考えられないスね。日本だと、納豆や豆腐の専門メーカーみたいなもんでしょうかね。

 

150gで税込600円は、チーズの相場からすれば安いです。「高ッ!」とか言う人は日本でのヨーロッパチーズの相場を知らぬ人。1つ2000〜3000円でゴロゴロ売っている状況に比べれば、相当安く手に入るチーズです。

 

ゴルゴンゾーラを試すのなら、まずはドルチェから入って、「もっと刺激を!」と思うようになったらピカンテ(辛口)を試すのが良いですネ。

 

私は20代の頃に、青カビチーズを何度も買っては、最後まで食べられなかったことがあります。今、思い返すと、あれは「ピカンテ」系だったんでしょう。まだお子ちゃまな味覚だった私は、ピリッとした独特の絡みと青カビ特有の匂いに「負けて」たのです。

 

今は、ゴルゴンゾーラにしてもウォッシュにしても、できるだけ「臭い」のが良いです。どろどろのエポワスは最高ですが、熟成した個体はあまりにも高くて(1つ(250g前後)で3000〜5000円)、なかなか食べる機会を得ません。最後に食べたのはずいぶん昔‥‥。

 

パスタソースを作るのなら、私は刺激的で匂いの強いピカンテベースが好きです。今度、ペンネグラタンを作ってみようと思います。

 

 

 

三鷹のごく普通のスーパーでIGORのゴルゴンゾーラが買えるのは、それはそれで、ラッキー。まず、価格が安くなければ、食べようって気にならないですもんネ。

 

とはいえ、世界には色んなチーズがあります。

 

ストラッキーノというゴルゴンゾーラの原型と伝えられるチーズも食べてみたいですし、三大ブルーチーズと言われるゴルゴンゾーラの他の2つ、「ロックフォール」と「スティルトン」も食べてみたいです。‥‥スティルトンは昔なんとなく食べた記憶もあるのですが(パッケージに見覚えがある)、改めて食べ比べしてみたいです。

 

しかしなあ。

 

チーズ道楽は金がぶっ飛ぶからな‥‥。

 

チーズ専門店に行く時は、5000円どころか、10000円くらいは使う覚悟が必要です。よほどお金が余っていない限り、1年に1度くらいがせいぜいです。

 

まずは、お手頃なロックフォールとスティルトンを探してみようかな‥‥と思ってます。

 

 

 

 


danse

音楽をiPadで聴いてて、ふと、「Danse」というスペルが目に飛び込んできました。

 

「あれ? Danceじゃないの?」とふと思ったのですが、まさかAppleやAmazonのMusicにおいて、簡単な単語のスペルミスがあるとは思えず、気になって調べてみたら。

 

‥‥フランス語でした。

 

Danse Macabre:死の舞踏

 

英語はDanceで合っています。

 

あー、驚いた。まさか何十年も間違って覚えて生きて来たかと動揺しました。最近、「Colour」の話もあったので、なおさら。

 

 


逆走車

最近、逆走車の事故が関越道で発生しましたが、追突された自動車の乗員は軽症だったそうで、不幸中の‥‥でしたね。私は今まで2回ほど逆走を目撃したことがありますが、2回とも60〜70歳以上らしきオジさんでした。戦中生まれ、団塊世代の高齢化がより一層加速する未来に、逆走はさらに多発する予感がします。

 

逆走遭遇体験で一番怖かったのは、片側1車線の道、つまり相互1車線ずつの道で、何を思ったか爺さんのセダンが対向車線に車線変更して、信号待ちをし始めた時です。「片側2車線の一方通行の道」と勘違いした様子でした。

 

道はこんな感じ。

 

 

 

図の左下。私の車は緑。爺さんのセダンは赤。

 

 

 

この後、爺さんセダンは、よろよろ〜〜と、いかにも歯切れの悪いルーズなアクセルワークで、対向車線に躍り出ました。

 

一瞬、「信号待ちをしている車を追い越して一番前に割り込む、スゲぇワルい奴」かと思いましたが、予想を遥かに超えて、なんと、対向車線で停止し信号待ちを始めました。

 

 

当該の合流の側道は、大型トラックが頻繁に入ってくる道で、もし 大型トラックが爺さんセダンに突っ込んだ場合、私の車が巻き添えになるのは「ビリヤード」的に容易に予測できました。道は上り坂で合流するY字路なので、見通しが悪く、運が悪ければ「正面衝突&巻き込みの大事故」になりそうなシチュエーションでした。

 

‥‥で、案の定、いつものように、対向車線から大型トラックが進んできましたが、大型トラックは座席の位置が高く、見通しが普通乗用車より良いので、トラックの運転手さんが早期に気づいて、すぐに減速、事故には至りませんでした。

 

 

 

その後、しばらく睨み合い(?)を経て、爺さんセダンはいかにも戸惑った様子で、信号待ちしているこちら側の車線の先頭に割り込んで、避けていました。‥‥まあ、それしか退避の方法はあるまい。

 

 

 

みんな優しいもので、クラクションなど誰も鳴らさずにオトナの対応で事故なきを得ました。

 

‥‥で、事はこれでは済まず。

 

こちら側の信号が青になっても、信号待ち先頭に割り込んだ爺さんセダンは中々走り始めず、頭の中が混乱して処理能力が明らかに低下しているようでした。

 

やがて、のろ〜〜りと走り始めたと思ったら、交差点の中途半端な位置で停止してしまいました。合流の信号なので対向車はおらず、ただ進みたい方向に進めば良いのですが、もはやパニックになって思考停止して、進退窮まった‥‥のでしょうかね。

 

 

 

ここでもみんな優しい‥‥というか、もう勝手にしろとばかり、交差点のど真ん中で停止していた爺さんセダンを尻目に、どんどん追い抜いて自分の進むべき道へと去っていきました。

 

 

 

爺さんの今までの人生がどんなものであったかは露知らんですが、少なくともその時は人里に現れた野生の獣。爺さんにどんな功績があろうが、どんなに人が良かろうが、どんな人格者だろうが、ただの「運転破綻者」であり、鉄の塊に搭乗した野放しのケモノでした。

 

運が悪ければ大事故になってたでしょうネ。対向車線のトラックの運転手さんの咄嗟の対応に感謝するばかりです。

 

 

 

日頃のおこないとか、どんな立派な人生を歩んできたとか、「運転破綻者」には何の酌量にもならんス。

 

運転が破綻するような処理能力まで低下したのなら、免許を返納してください‥‥としか言えないです。本人の老化はどうにもならんでしょうから。

 

しかし、セダンを所有・維持するような老人ほど、自分の運転を過信しがちで、返納を拒むかも知れませんネ。

 

ちなみに、若い人間でも逆走はします。単に標識を的確に理解する能力が不足している場合は、年齢に関係なく逆走は起こり得ます。実際に、20代の男性が運転する乗用車がインターチェンジを逆走して正面衝突して死亡した事故がありましたね。

 

 

 

身内ごとで恥ずかしながら、私の父が普通車免許を所有しオマケ免許で原付バイクに乗っていた頃、父が「一時停止不停止」で違反したことがありました。もちろん、罰則金とともに。父は「あんなところ、止まる人のほうが少ない。弱いものイジメだ。」などと恨み節を吐いていました。止まる人が少なければ一時停止を無視していいわけがなく、弱い原付に限らず頑丈なベンツ(に乗るような年収の人)でも違反は取られるので、まさに感情的で冷静さを欠いていますわな‥‥。

 

その他、いきなり駐車場から安全確認もせずに車道に合流したり、ほとんどブレーキが効かなくなっても乗り続けたり(整備不良)と、問題行動が多かったので、家族で詰め寄って免許を返納させました。

 

一人で自爆して死ぬぶんには、ぶっちゃけ構いませんが、他者を巻き込んだ場合、とんでもないことになりますよネ。

 

 

 

ちなみに、違反。

 

一時停止は完全に止まって、サスペンションの沈み込みの反動を確実に感じるまで、しっかり止まらないと、違反を取られます。ほぼ時速0Kmまで徐行しても、一時停止とはみなされないので注意。完全に車体が停止し、奇妙な話ではありますが「警察がいないことを確認するようにして」右左を見渡し(3秒程度)、再発進するのが良いです。

 

また、横断歩道での歩行者妨害は、違反ホイホイなので、特に都市部や駅前の「中々、人が途切れない横断歩道」は注意しましょう。白バイが影で張ってますヨ。完全に人が途切れるまでは、横断歩道に進入しないようにしましょう。

 

私はどちらも違反で切符を切られたことがあります。街中の「違反ホットスポット」で捕まっている車もよく見ます。

 

罰則金は地味にイタい出費ですし、免許書き換えの際に免許センターまで出向かないと(違反者講習のため)手続きできないのは結構面倒です。免許センターって、交通の便が悪いところにありがちですよネ。

 

 

 

今月からスマホ操作(やカーナビ操作)に対する罰則が厳しくなりましたネ。

 

メールを読んでなくても、単にiPhoneのiTunesを操作してても捕まる確率は高いです。ハンズフリー通話もダメだとか(ほとんどの都や県でNG)。

 

信号待ちの停止時であっても、スマホ操作はアウト。信号待ちは停車ではなく走行中(走行の流れの一環)と見なさるのは昔からです。停車ではなく停止なんですよね。駐停車が許されている路肩に寄せて完全に停車させないと、スマホ操作はNGだと思われます。

 

スマホ操作は今後「違反ホイホイ」の1つになりそうな予感。

 

Apple WatchでSiriに「次の曲に飛ばして」と命令するのは、さすがにOKだとは思うけど‥‥‥。まあ、違反事例の今後の様子を見届けましょう。

 

 

 


イベント前のAppleストア

Appleのイベントが今日未明(9/11)に開催されますが、新製品の紹介に伴って、Appleストアも品揃えを変更するので、いつものように「しばらくお待ちくだい」になっています。

 

 

あ、「少しだけお待ちください。」か。

 

数分の差で、1世代前の製品を買うのも悲しいですもんネ。

 

ちなみに、以前切り替えのタイミングの時に、知らないで「eMac」を買ってしまった時は、後にストアからメール連絡が来て、「新しいモデルに注文変更したら如何でしょう」と提案してもらったこともあります。もちろん、同じ値段で新しいモデルに変更してもらいました。

 

しかし、1ヶ月くらいの開きだと提案してもらえず、悲しく旧製品を使うことになります。FCPの6を買った後ですぐに7が出て、優待割引も何もなくてキツかったなあ‥‥。

 

 

 

今回は何が出るんでしょうかね。Apple Watch 5と、iPhoneは噂されてますが、他はどんなかな。

 

作業しながら中継を見ることにしますワ。

 

 

 

 


自虐ボケ

「自分はコミュ障で」とかツイッターで度々目にしますが、自称する人の多くは本当に「障害」と呼べる深刻なレベルなんだろうか?‥‥と思います。「死んでやる!」と喚き散らす人間ほど、実は「死なない・死にたくない」人間だ‥‥なんて話はそれこそ昭和の昔から語られます。「コミュ障」で本当に苦しんでいるのなら、軽々しく口にしないと思いますけどね。

 

「コミュ障気取り」は、本当に病状としてコミュニケーション障害によって深刻に悩んでいる人にも迷惑かも知れませんしね。

 

日頃の自虐ってカジュアルなので、当人はその「害」に気づいていないことが多いんじゃないでしょうかね。特にアニメ業界は貧乏なので、自虐ネタに走りがちです。

 

私は男なので、男視線でしか語れませんが、アニメ業界作業者にありがちな自虐志向の論調は、いったん「業界の外」にでると、他者、特に異性(女性)にとって、かなりのマイナス印象なんだな‥‥と感じます。

 

自信を持ちすぎて中身がないのもカッコ悪いですが、自信を持て無さすぎても他人から関心や好意を得られないのも事実でしょう。「モテない、モテない」と連呼することで、リアルにモテない自分が出来上がります。

 

20数年前のことですが、「アニメ作画現場にありがちな自虐ボケ」を「一般」の男女の前(ファミレスでの食事の際)で雑談がてら話したら、場が軽く凍りついた‥‥という実体験があります。プラス方向に俗世離れしているのではなく、マイナス方向に俗世離れしていることを、ふと実感して‥‥なんだか、惨めだったなあ‥‥。

 

自虐ボケの習慣は自分の文章の隅々にこびりついて取れません。自分で意識していなければ余計に、また、日頃意識していてもつい‥‥という感じに、卑屈な気質が言葉に表れるのです。

 

 

 

「どうせ自分はXXだから」「自分なんてXX程度だ」「自分なんてカス・ウンコみたいなもんだ」なんて言うのを「謙遜」「謙虚」とか「面白い言い回し」と考えているのなら、それは自分ひとりで善がっているだけです。

 

自虐という手段で自分を表現している当人の状況を、他者は結構冷静にジャッジしているものですし、他人と比べて「なぜこの人はそんなに自分を貶めるのだろう」と、ある種の当人の異常な状態を感じ取ってしまいます。

 

「どうせ」とか「自分なんて」とか「ウンコ・カス・底辺・ボロい」とか、へりくだった気持ちで自分を表現しても、その気持ちは相手に伝わるどころか、「自分に自信がないわりに、かえって承認要求だけは強い」みたいな悪い印象を与えます。決して「かわいそう‥‥自分が助けなきゃ」などと、相手の中で母性・父性が発動されることはないです。

 

自虐ボケになりがちな思考を明確に自認し、きっぱりと決別しなければ、いつまでたっても「コミュ障気取り」からは脱し得ないでしょう。卑屈な態度は相手を辟易させることを知るべきです。

 

私の20代の頃は「コミュ障」なんて言葉はなかったですが、安い金で作画の仕事をしているからって、ココロまで安さに落ち込んで、自虐で自分を慰め続けていたら、その後に状況が上向くことはなかったと実感します。

 

自虐ボケは、当人の運命すら虐げます。

 

 

 

自虐ボケに走るのは、何よりも自分に自信がもてないからでしょう。

 

自分に自信がないからといって、色んなものに手を出してどれも中途半端で、そうした挫折感からさらに自信がなくなって自虐ボケが強くなっていく‥‥なんていう人々を、アニメ業界の中で何度も目にしてきました。自分もそうした人間になりかけたことがあります。

 

アニメ業界はさあ‥‥。凄く絵の上手い人・技量の優れた人で溢れているんですよ。他人を羨んでばかりいたら、いつまでも自虐からは逃れられませんよ。

 

覚悟しましょう。今、138億年に一度だけ存在している自分の命なんですから。

 

「これだけは他人に負けない」「天才にはなれなくても、奇才になってやる」「自分は転んだり遠回りばかりしたが、転ばず近道してきた人に比べて、より多くの経験と知識はある」‥‥みたいな、「自分のココロのよりどころ」を「自分の実体験から研ぎ澄まして」形成するよう努めれば良いのです。

 

 

 

アラウンド40の男が「結婚できない」とか日頃からツイートしてて、その「できない」という思考がどんどん自分から自信をそぎ落とし、「自分に自信がもてない頼りない人」オーラを女性にも発散して「対象」から外される‥‥なんてこともあると思いますヨ。

 

泣いてわめけば、母親がかまってくれるのは小学生までです。

 

金も能力もキャリアもなく、自信がないことでウジウジしているアラウンド40〜50のオトコに、女性が母性本能だけをMAXに発動させて歩み寄ってきて「あなたはダメな人。是非、私と結婚しましょう」‥‥なんて「あるわけないじゃん」です。

 

 

 

それにさ‥‥。自信がない‥‥なんて、誰しも抱えていることです。

 

自分を信じる? ‥‥誰しも、自分が死んでしまったら、自分を信じることなどできないですよネ。

 

人には「死」という絶対的な「自信喪失」の運命が待ち構えているのですから、生きているうちは「自信を否定」するより「自信を肯定」して、肯定するためにどんどんアクションすれば良いと思いますけどね。

 

 

 

自虐ボケは、極めて近しい人に、オフラインで、たまに「弱音」を吐いて甘える時だけにしておきましょう。

 

自虐ボケによって、相手に「この人って、ものすごく謙虚な人」と感じてもらえると想定するのは、甚だ、ひとりよがりで無知な行為と思い知ったほうが良いです。

 

自分のできることをどんどん強く逞しく広く増やして、こころのうちに自信を蓄えていけば、いつしか自虐ボケだった過去から離れ、「肯定的に生きていける自分」へと変われる‥‥と過去を振り返っても思います。

 

 


お盆

この10年くらい、お盆休みはとったことがないですし、とりたいとも思いません。あくまで私の心情の話で。

 

夏を休むにしても、お盆は外したいです。なぜかって、道が混むから。‥‥お盆の高速道路は、何十キロも繋がる恐ろしい渋滞を引き起こしますもんネ。

 

それに、やりたいこと、やるべきことが沢山あって、今は全く自分の意思において休みたいと思わないのです。

 

時間って、等価ではなく、ものすごく濃密な1ヶ月もあれば、人生の転換を運命付ける1ヶ月もありますし、一生忘れ得ない1ヶ月もあります。もちろん、スカスカの1ヶ月もありますが、そのスカスカ加減は後で振り返れば、とても意味のあるスカスカだったことにも気づきます。

 

 

 

昨日は「世界の猫の日」だったとか。

 

ぼーっと、何もせず、昼間から寝転がって、ふと、ネコがトストスと歩み寄ってきて、こてんと横に寝転がって、一人と一匹で、ただ時間が過ぎていくだけの日‥‥というのも良いです。

 

不思議ですよね。

 

言葉も通じないネコと、一緒に時間が過ぎ去っていくのを感じ、時が過ぎ去るままに許容して、テキトーになすがままに1日が過ぎていく‥‥なんてね。

 

ネコって、言葉が通じないからこそ、良いんだと思ってます。言葉に邪魔されずに済みます。

 

夏の暑い日に、クーラーをかけて、猫と寝転んで過ごすのは、怠惰なように見えますが、猫が死んで地上から消え去った後では、何にも代えがたい、かけがえのない時間だったと思うばかりです。

 

 

 

お盆で家族が集まるのも良いです。猫とぬぼ〜っと過ごす夏も良いです。

 

その時々で、お盆の過ごしかたは色々あって良いと思います。

 

今の私は、今しかできないことをやるのです。

 

 


自分という境界線

自分の境界線の中にとどまって、外に踏み出さないばかりに、人生の時間を無為に過ごす人はそこそこ存在する‥‥と感じます。「非モテ」とか言う人は、自分の境界線の内側に立ち止まったまま、誰かが腕を掴んで引っ張っていってくれるのを待つだけなので、非モテな男のまま‥‥だということもあると思います。

 

女性の場合はどうかは男性の私が知ったクチを叩くのは傲慢なので言及しませんが、男に関しては、自分の境界線の中、精神的な安全地帯から外に踏み出さないからこそ、非モテだし、絵が下手だし(絵を描く場合ネ)、人のキモチもわからずにコミュ障害に陥るケースが多いんじゃないですかネ。

 

自分の境界線の外側。

 

自分のキモチは境界線の内側です。しかし、他人のキモチは、境界線の外側なので、どんなことになっているのかは解らないです。

 

状況が解らない未知のエリアには踏み出すのが怖い。‥‥なので、いつまでも自分の境界線の内側に留まり続けます。

 

たまに境界線の外側に一歩踏み出すと、なまじ外側を避け続けたばかりに、歩きかたも立ちかたも解らず、数歩でよろけて転んで傷を負います。

 

そんなブザマな自分を慰めるために、境界線の外側を茶化して「どうせそんなもの」と知ったような態度をとります。そればかりではなく、自嘲して自分自身すら茶化して、かすり傷を一生懸命舐めて、キモチを落ち着かせようとします。

 

そうして、いつまでたっても、自分の境界線の外に出れないまま、時間が過ぎ去ります。悪循環です。自分の境界線が、どんどん、どんどん、越えられないもののように思えてきます。

 

 

 

好意を寄せている人に「あなたが好きです」と言って、相手がどう反応するか‥‥なんて、いくら自分の境界線の内側で考え続けても予想できません。

 

「いや。わかっていたよ。自分がフラれるなんてことは。」‥‥と、また知った風なクチを叩いて、自分のキモチを自分で茶化して、自分を慰めるのです。プラスを夢見るとダメだった時にギャップが酷いので、最初からマイナスで考えて、状況を下方予測したり、早々に下方修正するんですよネ。

 

まあ、つまり、自分の境界線の内側に閉じこもって、ひとり遊びを続けているのです。

 

そんな状態で、他人から「あなたが好き」と告白されるのを夢見てるのだとすれば、「恐ろしく破綻した構造」なのです。非合理にもほどがあります。

 

外に出ずに姿を現さないのに、外側から自分の存在を認識してほしい、承認してほしい‥‥なんて、合理的な構造とは言えまい?

 

 

 

自分の境界線の外側に踏み出す‥‥というのは、恋愛に限らず、自分の能力の発展にも大きく作用する、極めて重要な行為です。

 

例えば絵。

 

色んな人の、色んな絵の、色んな描きかたに、ナマで接することで、「ネットで検索」よりも遥かに情報量の多い体験が可能です。どんなにネットで多くの絵が検索できても、どんな速度で描いているのか、どんな表情で向き合っているのか‥‥なんて、メイキング映像の僅かな断片でしか垣間見れないでしょう?

 

自分が「下手くそ」認定されるのは、そりゃあ、ヘコんで傷つきます。恋愛だと、フレらるのと同じです。

 

自分より明らかに絵が上手い人と接して、自分の下手さを痛感するのは、辛いことです。

 

でも、下手な自分、フラれた自分を、自分で再認識して分析するからこそ、上手くなれる自分、フラれないかも知れない自分へと、徐々に変わっていけるのです。

 

外界へ踏み出すからこそ、外界の風土に接し、世界の歩きかたも身についてきます。

 

 

 

これは「デジタル」も同じで、紙の世界ばかりに閉じこもっていると、進化し続ける世界の映像技術にはいつまで経っても踏み出せません。コンピュータによるペーパーレスの世界に踏み込むからこそ、新しい時代のアニメ制作のビジョンも見えてきます。

 

紙の世界に留まり続けて、いつか誰かが、手を引っ張って新しい世界に連れていってくれる‥‥と思っているのなら、それは残念ながら「ない」です。「行くつもりがないのなら、どうぞご自由にそのままで」と放置されるだけです。

 

 

 

自分の境界線を越えることは、誰しも不安で怖いものだと思います。「何があるか、解らない」という状態は、ワクワク以上にガクガクブルブルの恐怖が上回るかも知れません。

 

境界線の内側に留まっても、生きていけるでしょう。ですから、全員参加ではないです。非モテなら非モテのまま人生を送るのも、個人の自由です。

 

しかし、今の自分に限界を感じるのなら、境界線の外側に踏み出しましょう。

 

自分の限界とは、自分の今の境界線そのものです。境界線の外に踏み出して慣らして、境界線を拡張すれば良いのです。

 

一生死ぬまで、自分自身を定義し続ける「境界線」からは逃れられないと思います。しかし、境界線は一切変動のない静的なものではなく、自分のアクション次第でいくらでも動的に拡張できると実感します。‥‥私が20歳のままの自分だったら、今の自分の境界線の遥か狭いエリアに限定されていることでしょう。

 

境界線の外側はツラいことも多いけど、案外、包容力も許容も大きいもの‥‥ですヨ。

 

 

 

考えてみれば、アニメ制作会社、そしてアニメの産業すらも、まさに「過去の境界線」の中でもがき苦しんでいるのかも知れませんネ。

 

今までのエリアから外界へと踏み出し、境界線を拡張すべき時は、刻一刻と迫ってきているように思います。

 

 



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