村を出て世界へ出る

私はアニメーターとして最初の10数年を過ごし、その次はコンポジット〜いわゆる「アニメの撮影」としてまた10数年を過ごし、その次はアニメや実写の枠を超えてさらに10年過ごしてきました。‥‥で、今はまたアニメの作画を中心にしていますが、旧来ではなく新しい技術に基づく作画で日々を過ごしています。

 

自分自身のこうした経緯は、「視点が凝り固まらない」という点で、有利だと感じています。いわゆる「作画村」「撮影村」「アニメ村」に束縛されず、異なる視点でものごとを思考したり判断することができるようになったからです。作画だけに従事していた昔の自分の思考の狭さを、つくづく思い出します。

 

特に、作画と撮影に従事したのは、アニメ作りの中で大きな収穫でした。1カットごとの、絵が生まれる一番最初と、絵を作り上げる一番最後を、作業上でまさにリアル〜現実の日々として作業して生きてきたからです。

 

どんなにグローバルな視点を心がけても、村から一歩も外に出たことがなければ、村全体の景観、村を包み込む世界全体の様子は、肉眼で見ることはできないでしょう。村を一歩も出ない人にとって、外部の全ては伝聞で人聞きの情報であり、実際に自分が体験できるのは、村の中での出来事だけです。

 

とても危ういことだと思います。視野、視界、視座が狭く低すぎます。

 

例えば、「紙はどんな部分が有利だと思うか」の問いに対して、

 

 

とある村の村人「紙と鉛筆は、使いこなす技量が高ければ、素晴らしい絵を描く事ができる」

 

とある村の村人「紙と鉛筆による今までの制作技術を踏襲する事で、既知の生産速度・生産量で作れる」

 

とある村の村人「運用コストを低く抑えられる」

 

とある村の村人「現物がそこにある‥‥という安心感」

 

 

‥‥のような様々な答えが返ってくるでしょう。村人それぞれがどの村出身かは、答えた内容を読めば、だいたい見当はつきますネ。

 

では次に、最初の村人が語った「紙と鉛筆は、使いこなす技量が高ければ、素晴らしい絵を描く事ができる」ということに対して、実際のアニメ作品の完成物において、どれだけその素晴らしさが反映されているかを聞き直すと、

 

 

とある村の村人「頑張って作業したのだから、ちゃんと反映されているはず」

 

とある村の村人「二値化しているから、紙と鉛筆である品質の差というよりは、紙の現場の速度のほうが大事」

 

とある村の村人「素晴らしい絵はペンタブでも描けるけど、紙ならではの低コストは確実に貢献している」

 

とある村の村人「確実なデータさえ揃っていれば、オリジナルが紙でもペンタブでも大差ない」

 

 

‥‥と、「村ならではの立場」が一層明確になるでしょう。

 

これを聞いて、作画村の人間は、外部の村人が以下のように思っていることに少なからずショックを受けるかも知れません。

 

 

紙の素晴らしさより速度のほうが大事なんだ

 

紙の素晴らしさより環境コストのほうが大事なんだ

 

紙の素晴らしさよりも画像データのほうが大事なんだ

 

 

しかし、これは一歩外に出て、世界を歩いてみれば、やがて察してわかることでもあります。自分の打ち込んでいる物事に対して、周りがどれだけ冷めて見ているか、世の残酷さを、村から出ることで叩きつけられ打ちのめされるのです。

 

打ちのめされて立ち上がれなくなるような場面から、次の「自分」がスタートします。村から外にでることで、かつて住んでいた村の様々な問題点も見えてきます。他の村の価値観や方法論も吸収します。

 

そして「村の特産物」の何が有効で、何が無効なのかを、改めて冷静に判断できるようになるでしょう。守り抜く点、改善して変えていくべき点など、村から外に出なかった当時は見えなかった事が、面白いほどに見通せるようになります。

 

 

 

まあ、村から一歩も出たくない人を、無理に引き摺り出す必要はないでしょう。

 

村に通じる道を閉鎖して「新しいこと、お断り。昔のままでいきます」と立て看板を立てるのも、村人全員がそう思うのなら、無理にブルドーザーで看板をなぎ倒す必要もないです。

 

 

ふるさとは遠きにありて思ふもの

 

そして悲しくうたふもの

 

よしや

 

うらぶれて異土の乞食となるとても

 

帰るところにあるまじや

 

 

村を出て、新しい世界を渡り歩いたのちに、もう村には戻れなくなっていたとしても、それはそれで受け入れるべきことです。だって、もう昔の感覚や価値観で済まない自分が、いまここにいるのですから、自分で自分を閉じ込める必要はないですよネ。

 

村から一歩も出ず、村の価値観だけで生きて行こうとする人に、どんな言葉をかけられるでしょうか。

 

村を出るのも自由だし、留まって最後まで生きるのも自由。

 

 

 

それに作画の村は1つではないです。作画を含めた全体の視野でアニメを作る、新しい村だって作れるんじゃないですかネ。「作画」そのものは、古き村だけが占有する特産物じゃないですからネ。

 

最近リバイバル上映した「999」のゴダイゴの主題歌でも「古い夢は置いていくがいい。再び始まるドラマのために。」ともありましたよネ。

 

 


デジカメの未来

デジカメ、いわゆるデジタルカメラの出荷台数はどんどん減少し今や、7〜10年前の1/5だそうです。

 

出荷台数は7年で5分の1に、デジカメ各社は撤退か新開拓か

https://newswitch.jp/p/13164

 

これは凄く納得。

 

だって、私も10年前くらいは、毎年のようにデジカメ(コンデジ)を買っていましたが、最近数年は全く買わなくなりましたし、たまにアマゾンで検索しても「欲しいものがない」ですもん。

 

これはデジカメの「製品としての魅力」が乏しくなったからです。「カメラをデジタルにすれば売れる」時代はもう完全に終わったわけです。

 

カメラメーカーさんには悪いのですが、消費者としての率直な感想です。

 

むしろ、今欲しいのはコレ。カメラメーカーではないBlackmagic社の「ポケットシネマカメラ4K」です。

 

 

撮影スペック:4K60p

ファイルフォーマット・コーデック:CinemaDNG RAW、CinemaDNG RAW 3:1、CinemaDNG RAW 4:1、ProRes 422 HQ QuickTime、ProRes 422 QuickTime、ProRes 422 LT QuickTime、ProRes 422 Proxy QuickTime

交換レンズフォーマット:マイクロフォーサーズ

 

 

スペックでカメラの性能が想像できるのなら、このカメラがいかに期待できるものか(期待=まだ発売前なので)、お判りでしょう。

 

こういうカメラがさ‥‥、カメラメーカーではなくBlackmagic社から、しかも15万円台で発売される状況を、カメラメーカーは対抗馬もなく指を咥えて傍観するに至る状況こそが、私がカメラメーカーから遠ざかっている大きな理由の1つです。

 

 

今、デジカメを買うに至る理由が見つかりません。未だに4K60pには対応できないコンデジ。恐ろしいほど高価な上級機種

 

iPhone7があれば4K30p、iPhone8以上なら4K60p、しかも新しいiPhoneXはスマートHDRまで搭載です。

 

なぜデジカメが売れないかって、解りきっていますよネ。

 

デジカメが「いらない」からです。

 

大した性能的アドバンテージをもたないコンデジを持ち歩いて手荷物を増やすくらいなら、最新のiPhoneに買い換えた方がマシなのですヨ。

 

わざわざカメラにお金を出す。持ち歩いて使う。‥‥そのためには、大きな理由が必要です。そして今の日本のカメラメーカーには、その大きな理由が決定的に欠けているのです。

 

 

しかし、私はカメラが今でも好きです。私がもしコンデジを買うとしたら、理由は簡潔です。

 

iPhoneと同じ撮影スペックを持ちつつ、レンズの性能が高い

 

‥‥これだけで、私は買いたいと思います。

 

やっぱりね‥‥、iPhoneのレンズはどうやったって、あのレンズ口径の性能を脱し得ないのです。しかも素人誤魔化しの「ウソ被写界深度」ですしネ。iPhone8 Plusを今使っていますが、「相変わらず、レンズはチープだな」と思います。

 

しかしiPhoneにはレンズのチープさを補ってあまる色々な要素で盛りだくさんです。4K60pは撮れるし、2Kで240fpsの撮影も可能、iCloudやAir Drop、Mail添付、Air Playで様々な共有も可能。

 

でも、そのiPhoneならでは利点が、実が最大の弱点でもあります。

 

昔のiPhone6 Plusは今やSIMカードを抜かれて「iPod」のようになっており、デジカメとしても使えます。しかし、デジカメとして持ち歩いて使おうとは全く思いません。ネットワークから切り離されたiPhoneはいきなり魅力を失うからです。使わなくなったiPhoneを屋外でスタンドアロンでカメラとして使うくらいなら、今使っているiPhoneで十分です。

 

ですから、カメラメーカーのコンデジが中途半端にネットワーク機能を有したところで、iPhoneには惨敗しますが、レンズの基本性能でiPhoneがどうしても追いつけない部分は圧勝できます。‥‥まあ、問題は、その「圧勝部分」が、一般の人にとっては、地味で魅力の乏しい点です。

 

手元にEOSしかないので、コンデジではないですが、iPhoneとデジカメの画質を比較してみましょう。

 

*2枚の写真とも、撮ってそのままの状態です。撮影後の補正は一切しておりません。

*後ろに写り込んでいるのは、作りかけの1/35のエレファント、ZoomのiPhone用マイクとウィンドウジャマー、iPhoneのグリップです。

 

一目瞭然。

 

いくらなんでも、iPhoneとEOSではアンフェアか。手元にコンデジがないので、スミマセン。

 

測光方式や色温度を抜きにしても、そりゃあまあ、レンズの口径が段違いなのですから、EOSの圧勝です。あえて、どちらがiPhoneで、どちらがEOSかなんて、書く必要もないくらいです。iPhoneのほう(一番目の写真)は、概して粗雑。明部から暗部へのグラデーションはザラザラ、ボケ味もザラザラ、トーンは不自然でノイジー、被写界深度のコクもへったくれもないです。

 

一方、EOSは、まずトーンが滑らか、ボケ味も滑らか。サプリの印刷ラベルの印字のカッチリ感も段違い、そらジローの毛並みの質感も繊維の毛羽立ちまで描写し、様々な部分が圧勝です。露出が多少アンダーな部分も、元のデータに余裕があるので補正でいくらでも「いい感じ」にできます。画像をクリックすると画像だけの表示なりますので、拡大して細部を見れば、そのあまりの品質の差に驚くでしょう。

 

*色温度を自動補正して、細部をほんの少しシャープにするだけで、より一層、端正な描写の写真になります。この「地味だけど細部のキレがある」画面はiPhoneでは難しいです。特に光量の乏しい場面では、モロに差が出ます。

 

iPhoneの描写感は、基本的に「QuickTake」の頃から変わってないよネ。iPhoneで撮った雰囲気のあるムービーがYouTubeでも見れますが、実はかなり「アングル」「レイアウト」が工夫されていて、iPhone内蔵カメラの弱点が目立たないようにしているのが解ります。何かとレンズ近くにものを配置してナメこむのは、iPhoneの被写界深度の欠点を補うレイアウトの工夫だよネ。

 

iPhone8で撮影した「ナメぼかし」のレイアウト。レンズのかなり近い位置にそらジローを置いてみました。こうすれば、被写界深度の深めなiPhoneでも「深度の浅い感じ」の画面を作れます。レイアウトの工夫がキモ‥‥というわけですネ。ちなみに色はPhotoshopで細部を調整しています。金属光沢をアオったりとか。つまり、見せ方で工夫しないと、基本性能の低さがバレるわけです。拡大して見れば、相変わらずの粗雑なボケ味。

 

でもねえ‥‥カメラ基本性能の大きな差があっても、皆はもう、カメラを単体では中々買わんのよねえ‥‥。iPhoneをはじめとしたスマホのカメラ機能で済ませています。私だってそうだし。‥‥実際、アプリでイジれば、雰囲気のある画面はiPhoneの写真でも作れますしネ。

 

つまり、カメラメーカーが誇りに感じている部分と、購買層が魅力として感じている部分に、ものすごい断層ができているんじゃないですかネ。

 

カメラメーカーが、「カメラの性能、ここにあり!」とアピールするのなら、相当なiPhoneとのカメラ性能の格差が必要です。それはレンズであり撮像素子であり、記録フォーマットであり、操作性です。

 

少なくとも私なら、

 

  • iPhoneや従来コンデジと同等の小ささ、薄さ(バッグに気軽に入れられる)
  • 絞りやシャッター速度を即座に操作で変えられる(ボケ味や残像を自在にコントロール)
  • iPhoneより描写性能の高いレンズと撮像素子(カメラメーカーの製品を買う意味・意義)
  • 4K60pHDRの動画撮影機能(iPhoneと同等かそれ以上のムービー機能)
  • バッテリー容量と効率の改善(バッテリー周りの悩み解消)

 

‥‥のような性能がコンデジに欲しいです。そして、

 

  • 4KHDRテレビで見て良し
  • iPadやiPhoneに転送して見て良し
  • パソコンのモニタで見て良し

 

‥‥の画質を誇ることで、

 

やっぱりカメラだけのことはあるわあ。綺麗に撮れて良かったね。

 

‥‥と思いたいです。特に子供さんがいる家庭や、四足歩行の同居生物がいる人は、写る絵や映像の「ツヤ」が違ってきます。

 

 

とはいえ、今、特にコンデジに言えるのは、

 

愛好家にも訴えかけず

一般層にも訴えかけない

 

‥‥のような中途半端な性能の状態が続いていることです。

 

だから、私も買わないし、実家の父母もデジカメなんて全然使わなくなったし、デジカメを持ち歩いている人もほとんど見なくなったのでしょう。

 

デジカメの失速は、iPhoneをはじめとしたスマホの台頭と決して無縁ではないでしょうネ。明らかにスマホ普及の打撃を被ってますよネ。ほとんどの人がスマホで写真を撮るようになりました。

 

2020年代の4KHDRのテレビが各世帯に普及した時に、デジカメはどれだけ「その状況を活かせる」でしょうか。「前例がない」とばかりにカメラメーカーが安全牌路線を採る中で、再びスマホに先手を取られて後塵を拝するのでしょうか。

 

長年のカメラ愛好家として、日本のカメラメーカーの普及価格帯製品に、今後も期待し続けます。

 

 

 

 

 

 


悟るだけではどうにもならぬ

悟るだけなら、ぶっちゃけ、生きてれば誰でもできます。悟りを蓄積して、自分の能力が高まったと誤認することもありましょう。いわゆる「その場に居合わせただけで、できる気分になった」という「耳年増」の典型です。

 

要は、悟りを蓄積した後に、「理」のフェイズに進み、自ら実践して再構築・体系化に取り組まなければ、悟りは悟りでしかなく、自身の能力向上にはほとんど結びつかない‥‥と、最近は熟思います。

 

誰かが実践している様子を見て、自分もできるようになったと錯覚するのは、何とも愚かしいものです。他人が毎日何枚何十枚も絵を描いて苦闘している様子を見て、「なるほど、絵を毎日描いて格闘するとはこういうものか」と悟ったところで、当人の画力は全く向上していません。

 

悟るだけではどうにもなりません。むしろ、悟ったと思うことで思考や分析力が固定化され、以前の自分より劣化していくことだってあり得ましょう。

 

昔の哲学者たちが、ある意味、悟りに対して攻撃的になったのも、なるほど、今では頷けます。

 

以上のことから、「理解」という言葉は相当重いです。簡単に「理解」なんていう言葉は使えないです。‥‥まあ、口をついてポンと出がちな言葉ではありますけどネ。

 

感性、悟性、理性。‥‥若い20代ならともかく、40代以降になったのなら、その3つの性質は毎日噛み締めて生きて行きたいと思います。

 

 


ソープオペラ

「ソープオペラ」という言葉は、日本ではあまりにも馴染みがない聞き慣れない言葉ですが、調べてみると、

 

Wikipedia「昼ドラ」

アメリカでは、石鹸メーカーがスポンサーになることが多かったため、昼に放送された「通俗的な連続メロドラマ」をソープオペラ (soap opera) と呼ぶ。

 

‥‥とのことです。おそらく、制作費を抑えるために、フィルムではなくビデオで収録したので、絵のルックが「映画的」ではなく「低予算のビデオ的」な内容なのでしょう。

 

ゆえに、テレビのフレーム補完技術によって、実写映画の持つ24コマフィルムの質感が「ビデオ風」になると、ハリウッドの映画人の、特に技術畑の人々は、違和感と嫌悪感を禁じ得ないのでしょう。フィルムの質感に深い愛着を持ち、光学レンズの特性を愛してやまない人々の感情は、想像に難くありません。

 

私はムービーフィルムカメラを覗いたことはないですが、フィルム一眼レフカメラと共に色々な情景と巡り合ってきました。記憶に残る映像が、フィルムの銘柄越しの質感ですらあるほどです。私が好きだったのは低感度系で、ネオパンF(ISO32)、パンサー50は特に好きでした。若い頃‥‥なんて書くと、ジジイになったなあ‥‥と思いますが、がむしゃらにバイクにのって写真を撮って、作画に明け暮れた20代の日々を思い出します。

 

 

ハリウッドやヨーロッパのフィルム映画人が、フィルムにまつわる要素を愛してやまない感情は、果たして、アニメ業界人の24コマシート依存感情と等価と言えるでしょうか?

 

私は全く、そうは思えません。アニメ業界の多くの人々は、使い慣れた24コマシートにおける技法上の慣習が全てであり、決してフィルムそのものを大事にして愛しているわけではないです。「そんなことはない」と言うのなら、フィルムにどれだけ愛着を感じてるか、フィルムそのものについて色々とお話を聞きたいです。「写るんです」でたまに撮ってました〜‥‥という人が、どれだけフィルムを愛していたかを語るなんて、無理でしょ。

 

アニメ制作現場の24コマ(で3コマ打ち)依存を、実写畑の「フィルム愛」に便乗して正当化するのは、少々見苦しい気がします。「自分は24コマさえ守られ続けばOKだけど、この際、「フィルムが大好きでした」ということにしちゃえ」なんて、あまりにも小狡い行動です。

 

私は、フィルムが現役だったころから、コンピュータのデジタルデータの世界に自分の足場をシフトする決心をしました。フィルムそのものと、フィルム撮影台と現像プロセスによって完成形を成した多くの愛すべき作品群と、自分の中で明確に別れを告げた上で、「デジタルアニメーション」を選択したのです。前世紀末のことです。

 

一方、アニメ業界の多くの人はどうだったか。フィルム撮影スタッフはもちろん、学生時代に写真部・映画部だった作画その他スタッフは、フィルムへの愛着は相応のものがあったでしょう。しかし、多くの制作や演出、作画にとっては、フィルムそのものは「厄介者」のようにすら扱っていたのを、私は忘れません。クロス引きの制限、現像所への行き来、タップ穴のやりくり、ラッシュチェック時の16mmフィルムの扱いの手間が、「デジタル」によって払拭された時、「フィルムとオサラバできた。万歳!」とばかりに、愛着もへったくれもなく、多くの人があっけなくフィルムを捨てましたよネ。

 

3コマ打ち作画だって、すべての作画スタッフが「3コマのタイミング感覚」を研ぎ澄まして作画しているわけではありません。むしろ、「3コマの低コスト性」「作画上の慣習・定型」が3コマを支持する理由のほとんどでしょう。タイムシートをみれば、その3コマ打ちが、タイミング感覚ではなく「惰性」「習慣」によって記入されたのは、一目瞭然です。

 

確かに、タイミング感覚によって3コマを使いこなす上級者は、日本のアニメーターの層は厚いので、相応にいます。それもやはり、タイムシートをみれば、惰性ではなく明確なコントロールのもとに、3コマを使いこなしているのがわかります。巧くて有名な人の担当カットで、「究極、こうなるものか」と、ものすごい3コマのタイムシートを見たこともあります。

 

しかし、現場での多くの場合、24コマ、3コマ作画は、エコノミー=経済的理由、そして、今までの定型パターンを踏襲し続けたい運用上の理由です。ぶっちゃけ、24コマじゃなくなったら、「食えなくなる」と思っている人がほとんどだと思います。そこを誤魔化して、日頃惰性で作業している人間まで「タイミングセンス」にすり替えるのは、何とも姑息なことです。そうした姑息さが、余計、自分たちの状況を危うくしていることに気づくべきです。

 

 

 

実写映画人の心情。

 

テレビが、とにかく何でも色を鮮やかにして、詩情もへったくれもない画面に変えていたのは、まだ何とか我慢できた。しかし、時間軸にも介入して何でもかんでも60〜120fpsに変えてしまうに至り、もう我慢の限界を超えた。自分たちの作っている「映画」は、「ソープオペラ」ではない!‥‥と。

 

ゆえに、ハリウッドの映画人が抗議する準備を開始した‥‥というのは、心情的には思い遣れます。実際に実写畑でムービーカメラに関わっている人間ではないので、「理解できる」などと傲慢なことは言いませんが。

 

でも、アニメの場合は、ハリウッド映画人のソレとは違うでしょう。フィルム愛はないでしょう? 言うとしても「24コマ愛」であって、かつてのフィルム要素の限定的な部分だけでしょう。しかもアニメは濫作乱造が激しくて、24コマの現在ですらソープオペラのような様相であって、映画とは別物です。

 

というか、おかしいよね。‥‥映画ではまったくなく、テレビ放映オンリーなのに、今でも24コマベースなのって。‥‥つまり、昔を引きずり続けているだけなのが、よくわかります。

 

 

ちなみに、ブラビアには「オート(24p)」というモードがあって、24pのコンテンツの場合は、自動でフレーム補完をOFFにする機能が、結構浅い階層にあります。ただ、工場出荷時だと24p優先モードにはなっていないので、その辺りが争点になるのかもしれません。

 

また、今の若い層は、ゲームのモーションに目が慣れていて、120fpsの補完に違和感を感じない‥‥なんていう話も耳にしました。実は私も、どんどん120fpsのテレビ補完に目が慣れてきて、24コマは随分とモーションがカクカクとして見えるようになってきました。

 

 

 

ハリウッドのいう「ソープオペラ」化の「怒り」は、せっかくかっこよく作った「映画」が「昼ドラ」のように質感が激変してしまうことに対してです。

 

一方、日本のアニメは、そもそもほとんどが映画ではなくテレビアニメであって、「24コマのソープオペラ」とも言える状況です。

 

そのあたりを混同せずに、自分たちにとって「24コマ」を、ある意味「哲学」的=「論理的明晰化」によって、是非を問うべきと思います。制作現場の人間と言っても色々な役割の人間が存在しますし、アニメは現場だけでなりたっているわけでなく、社会的な立場もあります。現場の人間の価値観だけでアニメが成立しているわけではないことを、しっかりと認識した上で、あらゆる角度から思考すべきです。

 

「じゃあ、おまえはどうなんだ」と言われれば、ハッキリと明快に簡潔に答えられます。「24コマでも、60コマでも、120コマでも、アニメはアニメだ」ということです。もう少し付け加えれば、「単一のフレームレートに表現を支配されるなんて、まっぴらごめんだ」‥‥です。

 

24コマなら24コマでのベストを、60コマなら60コマでのベストを、アニメの映像表現で尽くせば良いのです。24コマを絶対神のように崇めることは、少なくとも私はしません。極めて根本的で重要な「絵を描く行為」が侵害されるのなら、断固立ち向かうべきと思いますが、フレームレートが時代によって変わっていくのなら、いくらでも対応しますヨ。

 

 

ライトな話題でしばらく行こうと思ってましたが、やっぱり移行期の常、色々な問題が聞こえてきて反応してしまいます。

 

でもまあ、このあたりの話題がアニメ業界人にとってリアルになるのは、来年、再来年くらいなので、今は抑えめにして、エアファイターとかiPad ProやMac miniの新型とか、ライトな話題にしていきたいな‥‥と思ってます。

 

 


テレビの未来。未来のテレビ。

ハリウッドの映画制作現場の人々が、テレビの補完機能によって改変された映像=「ソープオペラ」を嫌っているのを、とある打ち合わせの話題の中で耳にしました。そりゃそうだ。24コマのフィルムニュアンスありきで作っているのに、ビデオの質感にズタズタに変質しちゃうもんネ。なので、以下のような取り組みも配信会社では考えているようです。1ヶ月前くらいの記事です。

 

 

Netflixとソニー、“制作者の意図通りに表示”できる専用キャリブレーションモード

https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1135946.html

 

ソニー最上位有機EL「AF9」と液晶「ZF9」欧州発表。X1 Ultimate搭載BRAVIA MASTER

https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1135905.html

 

Sony introduce calibrated Netflix mode on new AF9 and ZF9 TVs

https://www.avforums.com/news/sony-introduce-calibrated-netflix-mode-on-new-af9-and-zf9-tvs.15169

 

 

今はまだ最上位機種での実装みたいですが、このような配信側と受信側のネゴシエーションが一般的になれば、映画は映画のニュアンスのまま、ご家庭で最良の状態で楽しめるようになるでしょう。

 

映像の未来は、4KHDRだけじゃないのです。未来に向けて、物事は色々と進行しています。

 

 

 

‥‥で、現在、私らが取り組んでいるスタンス〜新しいアニメーション技術が進む「その道」はいずこにありや?

 

「どちらでもどうぞ」です。

 

つまり24fpsでも120fpsでもどちらでもOKです。どっちで見てもらっても、それぞれのfpsで楽しめるように映像を作ります。テレビに補完してもらっても、補完せずにオリジナルに忠実な状態で見てもらっても、どちらでも楽しめる「1粒で何度も美味しい」技術を考えています。

 

最近は特に、自分が関わる映像ジャンルが「アニメで良かった」と実感しています。アニメ映像は実物と現実に依存しないがゆえに、絵の密度も動きも色も、自分たちの思うようにコントロールできるのですから。

 

 

たしかに、24コマで雰囲気を保っていた実写映画は、最新のテレビ技術で受けるダメージがハンパないです。私も色々と実写作品のブルーレイを買って見て「うわぁ‥‥‥‥」と思いますもん。「テレビドラマになっちゃった」‥‥と。

 

ゆえに、映画タイトルで24コマで見て欲しい時に、配信データのメタデータを家庭のテレビが受け取って、最良の状態に設定されるのは、決して悪いことではないです。家で映画を見る人だって、「うんうん。これが映画だ」と納得するマニア・ファンもそこそこ多いと思います。

 

 

しかし、一方で、テレビを買ってリビングに設置して、そのまま使い続ける人もおりましょう。そういう人々は、「動き」の設定が「滑らかモード」のままでも気にせずに見続けますが、まさか「映画を見るときは設定の階層が深くて変更が面倒でも、フィルムに合わせて設定をちゃんとを変えましょう」だなんて啓蒙するわけにもいくまい?

 

映画はたまにしか見ない。日頃は滑らかなほうが良い‥‥という人だって多いと思いますヨ。実際、YouTubeをテレビで映す時は、綺麗になって、恩恵のほうが大きいですからネ。

 

なので、制作者サイドとしては、「どの状態で見ても楽しめる」内容で作品を作ることだと思ってます。実写は色々と難しいかもしれませんが、アニメはそれができます。もちろん、新しい思考で技術を考え直せば‥‥ですが。

 

思うに、「フィルムの24コマだけが私の(俺の)世界」とか、自分で自分を制限しないことでしょう。まず、そこから、頭の中身を変えていくべきと思います。フィルムの24コマは「映像の絶対神」じゃないんですから。

 

 

私はねえ‥‥。フィルムは大好きですよ。フィルム一眼レフ時代に夥しい枚数を撮影して、一眼レフは自分の体の一部とすら思えたものです。

 

でも、フィルムに縛られることはないです。だってさあ‥‥‥4KもHDRも、60pも120fpsも、もの凄く面白いもんネ。大変だけど、絵を作っていてめっぽう楽しいし、これから先に表現をどんなに広げていけるかを想像するだにワクワクします。

 

昔の牙城を必死に守る人がいても良いです。一方で、新しいことをどんどん実践して、アニメってこんなに面白い!‥‥と次々と新機軸を繰り出す人もいて良いと思います。

 

 

アニメは、実写と違って、実存するものに左右されない、スゴい特徴があるのです。なぜ、そこに気づかないんでしょうかね。その「極めて根本的な原点」に立ち戻ってアニメを考えてみれば、いくらだってやりようはありますヨ。テレビアニメの習慣でしか物事を捉えないから、未来の高品質映像フォーマットに対して「何もできない気分」になってくるのです。

 

テレビ製品の状況は、今後どんどん面白くなっていくでしょう。反面、困惑する映像業界人も出てくると思いますが、困惑してブーたれても未来は切り拓けまい?

 

新しい映像技術を楽しむくらいの器量をもって然るべし。です。

 

 

4KHDRの具体的な話というよりは、テレビ機器の現在と未来の話で、いわば日常の話題の1つですから、ちょっと触れてみました。未来は必ず来る‥‥のは、ある意味、ヘヴィな話題ですが、当然の話題でもありますもんネ。

 

 


りんごのイベント

iPhoneXのでっかいやつが出ましたネ。ディスプレイのピクセル数は2.7K。もはや、2Kの映像制作のモニタ(2560pxとか)よりもピクセル数が多いです。カメラ機能はかなり強化されており、4Kの60p撮影はもちろん、「拡張ダイナミックレンジ」による30fpsの撮影など、スマホの「ホ」の字は「フォン」の頭文字なのをすっかり忘れるようなカメラ機能です。

 

ぶっちゃけ、光量の少ない場面では、汚く60pで撮るよりは、綺麗に30pで撮っておけば、120fpsまで4KHDRテレビで補完しますから、そっちの方が良いのかも。‥‥デモにあった、日の出(日の入り?)の光量の少ない場面で「これだけ綺麗に撮れます」は、どれほど実感として観衆に伝わったのかは微妙ですが(=日頃から色々な撮影をしていないと、光量不足は実感としてわかりにくい)、スマートHDRは日頃の写真撮影には地味に重宝しそうですね。

 

Apple Watchは事前の予想通り、セラミック裏蓋の心電図が計測できるヤツでした。やっぱり、リークするもんなのでしょうかね。情報って。‥‥シリーズは「4」になって、9/21発売。

 

iOS 12は9/18に、macOS Mojaveは9/25に登場。

 

そして、やはりここ数日の予想通り、Mac miniとiPad Proは発表されず‥‥でしたネ。でも実は、今、iPad Proのデカいほうが出ても、すぐには買えないな‥‥と思っていたので、わたし的にはちょうど良かったです。出たら欲しくなるもんネ。

 

アニメの描きの仕事は、今でも初代iPad Proで十分作業できています。今日も一日中、使いました。

 

 

新しいiPad ProやMac miniは、年末か来春の楽しみにとっておいて、今あるiPad Pro初期型と2型で、ずんずん仕事をこなすのだ。

 

 


雑感。

ブログを書いてきて、同じ内容の繰り返しになっているのを感じているのですが、かと言って、現在進行中のアレコレをベラベラここで喋る(書く)わけにもいかず、書けることだけに終始すると、やっぱり同じ内容の繰り返しになります。

 

もう何度も4KやHDRや60pの題材でブログも書いてはきましたが、業界平均の現環境はRec.709がほとんどである状況を鑑みれば、4KHDR60pにおける手法や技法に触れる話題を書いたところで、独り相撲のようにも思えます。

 

来年、再来年と時代が進めば、なるほどと合点が行くことも、2018年の現段階では荒唐無稽にも思えましょう。

 

 

 

1990年代終わり頃もそうでしたし、2000年代中頃もそうでした。新しい技術に対応できない人と集団は消えて去り、新しい技術を使いこなす人と集団が台頭する。‥‥同じことがまた未来も繰り返されます。今回だけ例外‥‥だなんてことはないです。

 

2020年代の4K60pHDR時代に、特にアニメーターはどう生きていくのか。誰かが助けてくれても、それは一時的な救済措置でしかなく、結局はアニメーター自分自身で未来の高品質映像技術に立ち向かっていくほかありません。それができない人間やグループは、過去の存在として忘却の彼方に消え去るのみです。セル画やフィルム撮影台と同じように。

 

すぐにでも新しいことはできます。たとえ個人レベルであっても、そのアクションが未来に大きな発展の原点となります。

 

逆に、古いことに執着して閉じこもることもできます。たとえ集団レベルであっても、です。

 

「どっちの道を選べば良い?」‥‥とか言いがちですが、何故、どちらか2択に固執するのでしょうかネ。移行期に完全にどちらか「だけ」にシフトすることなんて不可能ですヨ。両足を突っ込むしかないです。

 

でも、「未来はかならず来る」ことだけはわかりきっています。だったら、今、何をしつつ、何に手をつけるべきか、事細かく言われなくても判りますよネ。‥‥ということも散々書いてきたことだから、もういいか。

 

 

 

ふと頭をよぎるのは、「シフトできなかった人」「新しいムーブメントに乗り込めなかった人」は、未来にどうなるのか‥‥ということです。引退と同時に年金生活にシフトして、「昔のやりかたのまま」逃げ切れる年齢の人はまだ良いでしょう。そうじゃない人はどうする? アニメは、「若き日の夢の思い出」にして、全く別の職業に転職しますか?

 

以前、ツイッターで「アニメ業界という毒ガスの中にいる苦しみ」という文言を目にして、何だか私の考えている「燃焼効率」というテーマとも妙にオーバーラップして、言い得て妙だと思いました。

 

昔から今に続くアニメ制作現場の「制作エンジン」は極めて燃焼効率が悪いです。制作現場それ自体が毒ガスなのではなく、制作現場を動かすエンジンが毒ガスを発生させやすい構造であることを、目をそらさず、両眼で見据えるべきでしょう。

 

制作エンジンたる現場の「動力設計」そのものが、すでに「反時代的」「反社会的」とも言えるのです。だからブラックブラックブラック‥‥と連呼されるのですヨ。ブラックとは、現場の「毒ガスエンジン」が排出した煤の色でもあるのです。

 

ガソリン1リットルで2kmしか走れないエンジン。パワーを出すために燃費を犠牲にして、真っ黒な排気ガスを撒き散らして走る自動車が、未来社会に受け入れられるでしょうか。アニメ制作でも、全く同じです。大量の人員を使い捨てるような勢いで制作するエンジンをそのまま許容し続けるべきでしょうか。

 

時代の変化に合わせて、エンジンも変わるべきだと、私は思います。人間が内包するエネルギーを、今までの制作技術構造に投入していたら、いつまでも毒ガスを撒き散らすでしょう。人間のエネルギーは、燃焼効率を飛躍的に高めた新しいエンジンでこそ、活用されるべきと私は思います。

 

‥‥と、これも、今まで何度も書いてきたこと‥‥でしたね。繰り返しになってますネ。

 

 

 

未来に何をすべきかは、個人の自由ですし、集団の選択次第です。

 

映像作品作りは技術の塊です。しかし「塊」は「固まり」ではないです。塊を構成する要素は常に変化し続けて、ある一定期間で大きな転換期がきます。フィルムからデジタルデータへの転換期を経験していなくても、30代の多くの人はSDアナログ波からHDデジタル波の転換期の現場を体験しているでしょう。同じような転換期は数年後に確実に来ます。アニメ業界に都合よく2K 24p SDRのままで固まることはないです。

 

個人の自由、集団の選択。

 

その自由と選択によって、自分と自分たちの未来は大きく変わります。

 

 

 

とまあ、繰り返しばかりになるので、しばらくはこのへんの話題は取り上げないで、ライトテイストな話題に切り替えようと思います。ヘヴィなテイストをいくら持ち出そうが、核心に関わる内容やコンフィデンシャルな事柄はここでは書けないですもん。あくまでブログですもんネ。ブログやツイッターには忖度が付きまといますもんネ。

 

AdobeやAppleの新しい何々がどうだ‥‥とか、何々を買ったみたら案外良かったよー‥‥とか、そのくらいがちょうど良いのかな‥‥とも思うこの頃。

 

変わる時がくれば、何を書いても書かなくても、結局は慣性の法則の通りに、変わるんだし。

 

 

 


雑感

「デジタルアニメーション」にアニメ業界が染まって以降、様々な作業上の仕様や作業感覚までもsRGBやRec.709に染まりました。若い世代の多くは、sRGBや709、良くてもApple RGBしか知りません。存在しないものは体験しようがないからです。

 

HDRの時代が到来して、今までの狭い、もはやワーストケースとまで言われるsRGBや709から解放される段階に、アニメ業界も近づきつつあります。HDRを受け入れるか無視するかは、当人たちの判断と感情次第‥‥ではありますが、体験すらできなかった時代とはサヨナラできます。

 

新しいことをする時は、泥縄になることも多いです。

 

というか、知り得ない未知のことに対して、何でも完璧に予測することなど不可能です。知識も経験も存在しない未知のプロジェクトは、あたってくだけて組み立て直すことが必須です。

 

では、誰もが未経験で稚拙な状態にある時、何をして「賢さ」を発揮すれば良いのでしょうか?

 

私の痛烈な実感‥‥ですが、

 

知ったふりをしないこと

無知を隠さないこと

自分の無知を知って、知識と経験の蓄積に努めること

間違っていることを認められること

 

‥‥ですかネ。なんか、道徳の授業みたいでアレですが、ぶっちゃけ、そんなところです。

 

逆にダメダメな行為は、

 

何でも知っているふりをすること

無知を隠して、自分のステータスやプライドを維持すること

自分の無知状態を改善しようとせずに、過去の経験に固執すること

間違っていることを認めずに頑固になること

 

‥‥でしょうかね。

 

知らないこと、未経験なことは、決して恥ずべきことではないと思います。

 

恥ずべきは、「知らない状態を放置すること」「自身では知識の蓄積に努めず、他人の助力ばかりをあてにすること」「知らないことが自分の地位や名誉を傷つけると思い込むこと=何でも知っているふりをすること」です。

 

何か新しい物事につまずいて、周囲のどなたかがヒントや助言をくれた時、「え〜、そういう仕組みだったんですか? 知りませんでした。勉強になりました。ありがとうございます。自分でも掘りさげて研究します。」でいいじゃないのさ。たとえ、ジジババの年齢になっても、何でも知っているふりをする必要はないです。逆に、歳食っても学び続けられる自分に誇りを持つべきでしょ。

 

ベテラン=何でも知っている‥‥なんて言う認識なら、何とも堅苦しいステータスですよネ。

 

学びに制限が設けられるようなステータスなど不要です。

 

どんなに歳をとっても、知らないことはたくさんあって、学び続けるのだ‥‥と思っておけば良いですネ。

 

 


4K8K本放送

ひさびさに休日にテレビを見ていて、NHKで「今年12月1日から、4Kと8Kの放送が始まります」的な宣伝を見かけました。最近は猛烈に忙しくてテレビを見る余裕などなく、自宅の録画機も予約録画が溜まるばかりでしたので、昨日初めて知りました。

 

たしか、去年か一昨年に見聞きした話では、2018年の12月から放送を開始するロードマップでしたから、それが予定通りに実現するのですネ。

 

一方で最近、アニメ業界関連の記事で「3年での離職率が9割」みたいな記事も見かけましたが(今は何かの事情で削除されてますネ。「9割」の情報の信憑性が問われたのかな?)、それと同じくらい‥‥いや、もっと深刻な、「新しい時代の映像フォーマットにアニメはどのように対応するのか」の問題があります。そちらは全くと言って良いほど話題にのぼりませんが、新時代の高品質フォーマットに対応できるスタッフはおろか、会社の体力すら根本的に問われる「大問題」です。

 

そんなアニメ業界の厳しい事情とは裏腹に、4K8Kの本放送開始。

 

そろそろ、根本的な事を考え直す時期です。

 

今やアニメ的なシチュエーションは実写作品で可能になっています。3DCGのセルルックのアニメもどんどん台頭しています。「アニメの表現技術が他の映像ジャンルに食われた」と危機感を抱く人もそこそこ多いのではないでしょうか。

 

しかし私は、実写や3DCGが「アニメを模倣」している時こそ、手描きのアニメのチャンスだと思っています。他の映像ジャンルが「アニメっぽい」ことに寄り道して遠回りしてくれているのですから、手描きのアニメ制作陣営としては新しい技術を確立する時間が稼げます。

 

でもさ‥‥。当のアニメ制作者が、過去のアニメの刷り直しばかりしてたら、そりゃあ‥‥追い越されますよネ。過去しか見てないんだもん。

 

 

根本的な事を考え直す時期です。

 

手で絵を描くことの「本質」を見極めて、コンピュータを賢く使うことです。

 

 

しかし、それは「デジタル作画」ではありません。「紙と鉛筆をペンタブに変えて、今までと同じことを繰り返す」のは、決して賢い方法ではないです。紙と鉛筆ではないコンピュータ関連機器で絵を描くことに慣れる‥‥くらいの効果、移行期における過渡的な手段として認識するくらいがちょうど良いです。

 

「デジタル作画」で得た報酬は? 1カット4000〜5000円?動画1枚200円そこそこ?‥‥だったら、紙作業の単価と同じですよネ。単価に変動がないのなら、効率はどうでしょうか。 出来高で月5万円だった動画マンがデジタル作画に変えたら出来高で25万円稼げるように‥‥はなっていませんよね。 加えて、ソフトやハードの保守費用を補って余る生産効果が「デジタル作画」にありますか?

*出来高ではなく固定給に変えて20数万円の稼ぎ‥‥というのは、デジタル作画の効果ではなく、雇用改善の効果ですよネ。すり替えないで考えましょう。

*もちろん、「デジタル作画」は単なる繋ぎで本命ではないのを重々承知して作業しておられる人もおりましょう。

 

キャンバスが3〜4Kになった時に、今までと同じペースで作業が進みますか? キャンバスが今までの4倍になったのに、昔と同じ絵を描いていて、4Kの効果をどれだけ使いこなせると思いますか? 競合の映像ジャンルはどんどん進化していく中で、どれだけ競争力を維持できると思いますか?

 

たしかに、アニメ制作を取り巻く状況は厳しいです。でも一方で、アニメ制作者当人も、旧来の技術基盤に慢心しきって思考停止しているのですから、より一層厳しいです。周りの状況だけでなく、自分たち本人の技術が危ういのです。その「厳しさ」「危うさ」の象徴がまさに「デジタル作画」です。何か「未来」の話をする時に、旧来の制作フローを大前提で話を始める時点で、既に未来はないです。

 

機関砲陣地に向かって、軍刀をかざして突撃すれば、ミンチ肉と化す未来が待つだけです。軍刀がボルトアクションのライフルに変わったところで、ミンチ肉に変わりはありません。世界の技術が新しく変わろうとしているのに、昔の「必勝パターン」にすがりついて、いくらたて直そうとしても無駄です。2020年代は1970年代ではないです。今のアニメの基本体制を築いてから、50年以上が経過していることに気がつくべきです。

 

 

アニメこそ、4K8Kを活かすべきです。そして、その方法はいくつもあります。

 

もし方法が見えないのだとしたら、旧来のアニメ制作技術の強い洗脳にかけられているのです。若い人間だけでなく、中堅もベテランも。

 

時代は御構い無しに、どんどん高品質映像フォーマットへと進んでいきます。アニメ業界の意思や期待など全く関係ないです。

 

2018年12月の4K8K放送開始は静かな「次世代」の幕開けです。アニメの制作者も、2020年代の次世代を見据えていきましょう。

 

 

 

 


未来は現在

昨日に「明日」だと思っていた未来が、今日は現在。‥‥そんなの、あたりまえすぎることですが、未来がやがて現在になるのは、日々自覚していなくても、現実そのものです。

 

一方で、過去は絶対に現在にはなりません。過去はどんどん遠く、過ぎ去っていくものです。

 

ですから、アニメ制作業において、過去のノスタルジーに浸って、過去に制作した作品をどんなに懐かしく思い出しても、それは思い出話に過ぎず、たまに「酒の肴」にする程度がよろしいのです。

 

では、リアルタイムに進行する「今を生きる」とはどういうものか。「今だけ」を生きることもありましょうし、「未来に繋がる今に生きる」こともありましょう。そして「過去に生き続けて、今を過ごす」こともありましょう。

 

それは個人の生き方、考え方、価値観だけに止まらず、身の回りの物品、アニメ映像制作ならソフトやハードウェアにも現れます。

 

私は今でもカセットテープを再生可能にしていますが、それは全くの「過去に生きる」趣味です。カセットテープにはノスタルジーしかなく、未来など何も求めていません。カセットテープをラジカセで聴くことが、70〜80年代の私の少年期を思い出す「過去への扉」を開けてくれるのです。

 

 

でも、それは趣味だけ。‥‥仕事では、そういうことは一切しません。

 

仕事に過去のノスタルジーを持ち込むことは、あまりにも「ひとりよがり」だと思います。20代の若いスタッフだっているのです。アラウンド50の懐古趣味を仕事に持ち込んで、若い人間もろとも「過去に引きずり込んで」しまうのは、私としては「とても非道いこと」だと思っています。

 

私自身は、仕事にノスタルジーを持ち込む気にはなりません。本に挟んだ押し花やドライフラワーではなく、今咲いている花、そして未来に咲く花の蕾を、水やりしながら楽しく眺めたほうが、私は嬉しいし幸せだからです。そして、嬉しさと幸せは、現在進行して未来へと進むベクトルと一致しやすい性質でもあるので、私自身の感慨だけでなく、制作現場の技術発展と良い具合にシンクロします。

 

人は自身の不遇を感じる時には特に、過去の追憶に身を沈めます。時間が死んでしまった、決して再び蘇ることのない、思い出の亡骸をどんなに眺めても、ふと現実に戻れば、いっそう悲しみは増すばかりなのにね。今の不遇によって過去の思い出に閉じこもる人が制作現場の主要人物やキーマンだったら、その「悲しみ」を反映する現場にもなりましょう。

 

 

実際、アニメ制作は、結構色んな部分が「過去に生き続けている」ように思います。30代半ばですでに過去の技術だけに生きる人もいるんじゃないでしょうか。

 

旧来のアニメ制作技術が過去の技術の刷り直しばかりなら、そりゃあ、未来は「今だけを生きた延長線上」にしか存在しないでしょうし、気がついたら同じことをし続けて50代になっていた‥‥なんてことにもなりましょう。

 

未来に達成すべき目標がやまほどあれば、不遇を感じている隙間もないです。未来がどんどんやって来て、どんどん現在になっていく逼迫感と強迫観念に打ち勝つためには、過去のノスタルジーに囚われている暇もないですし、同じことを繰り返している余裕もないです。

 

 

未来は刻一刻と現在になります。

 

人間の思惑やキモチなど御構い無しに、時間はどんどんやってきて、過ぎ去っていきます。そんな当たり前すぎることを、改めてしみじみと実感すれば、自分が何をすべきかは個人ごとに見えてくる‥‥と思います。

 

今をのりきるためだけに、今の時間を使い続ければ、今と同じ未来が繰り返されます。自分の肉体だけが時間経過の影響をモロにうけて老いていくだけです。やがて、新しい時代の中で、衰弱して淘汰されるかも知れません。

 

過去のノスタルジーで今を埋め続ければ、未来も過去のループの中に埋没するでしょう。死して再び蘇ることのない過去と同化するなら、本人もやがて死と同化する日が訪れましょう。

 

未来を「新しい現在」とするには、何よりも「新しい未来」をつかもうとする意志が必要です。新しい未来を欲して行動するからこそ、新しい現在にどんどん置き換わります。

 

アニメはまだまだやれることがたくさんあります。新しい技術世代でアニメは作り続けられます。未来だと考えていた事物が、現在の現実にどんどん置き換わっていきます。新しい未来は、新しい未来を掴もうとアクションした人々にこそ、訪れます。

 

 

 

 



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