おじいちゃんの思い出

夏休みの作文みたいな表題ですまんす。今回は思い出話です。

 

私の父方の祖父母は、戦死および終戦まもなくの病死で、私は一度もあったことがありません。私が生まれるはるか昔に死んでしまったからです。祖父が亡くなったのは1945年、祖母は1947年か48年です。

 

一方、母方の祖父母は健在でした。天寿を全うして今は存在しませんが、私が小さい頃は、夏休みと冬休みには必ず母方の実家=祖父母の家に帰っていました。

 

祖父は非常に厳しい人で、私と兄の、ある意味、「恐怖のまと」でした。孫を甘やかすタイプとは真逆で、口数が少なく、怒ることも少ないですが、厳しさが滲み出るタイプの人でした。浅草生まれで、大空襲を避けて疎開するまでは高円寺に住んでいましたから、今にして思うと、喋り言葉が「江戸弁」の語尾だったのを思い出します。

 

私の家系はなぜか教員が多く、祖父も教員で小学校(もしかしたら中学校かも)で教えていた‥‥と記憶します。「曲がった道理には融通しない」性格から、学校の教員仲間からは「偏屈」と呼ばれていた‥‥と母が言っていました。私と兄は「現代っ子」でしたから、「曲がった道理」はともかくとして、夏だとアイスは食べたいし、歩くのはイヤでバスに乗りたいしと、隙あらば甘えん坊を発揮しようとしていましたが祖父は全く動じず、私ら兄弟にとっては、むしろ夏休みに田舎に帰るほうが「厳しい毎日」のような感じでした。

 

そんな祖父の性格でしたから、人にへつらったりご機嫌をとるようなことはなく、「遊び仲間」みたいな人を目撃したこともありませんでした。「友達が少ないのかな‥‥」とか思っていましたが、正月になるとかつての教え子のおじさんたちが年始の挨拶に来て、普段はほとんど笑わない祖父も、教え子たちに囲まれて、自分からベラベラ喋りはしないものの終始笑顔だったのを思い出します。

 

そんな祖父の死後、遺品を整理していたら、数多くの小学校教員時代の自筆による指導用ノートが出て来ました。

 

書道が得意な人だったので、特に習字の書き順や注意点など、指導の実践のような内容が細かく書かれていました。同じノートの中に、クラスの名簿のような名前の羅列があって、何人かの名前に「牛乳」「新聞」‥‥という書き添えを見つけました。

 

おそらく、戦後の苦しい時代、小・中学生でも家計を助けるために早朝に働いている子供も多かったのでしょう。「牛乳」「新聞」のメモは、どの子が登校前に働いているか、事前に把握しておくためだったのだと思います。

 

普通に考えれば容易に想像できますが、早朝にひと仕事を終えて登校した子供と、普通に起きて登校した子供では、すでに朝の1時限目からコンディションが違いますよね。祖父の性格から考えて、むやみに甘やかすことは無いにしても、子供の状況を踏まえた上で、学習指導をしていたのだと思われます。

 

別の話ですが、私のいとこの三姉妹が祖父母の家に遊びに行った時、お昼時に孫たちにインスタントラーメンを作ってくれたそうですが、その際に、3姉妹のラーメンの分量が全て同じになるように計りで計って3つのドンブリに分配していたとか。‥‥普通、そこまでやる? 軽量してグラムを同じにする‥‥なんていうインスタントラーメンの分配。

 

祖父は料理が得意でしたから(浅草で料理人をやっていたこともあるらしい)、目分量でちゃちゃっと分配しても良さそうなのに、3人の孫たちには公平であるべき‥‥との考えだったのでしょうネ。同じく、「牛乳」「新聞」配達の教え子たちにも、「労働の差分を差し引いた上で」公平であろうと心がけたのかも知れません。

 

祖父の死後に見た学習指導ノート、そして私が子供の頃に正月に垣間見た、(かつての)教え子のおじさんたちと祖父の笑顔。三姉妹の孫たちに作ったラーメンの計量。‥‥何だか、全てが繋がったように思えました。

 

実際、私や兄は、祖父の厳しさを恐れていたものの、不信感を抱きようもありませんでした。「じいちゃんだって、ズルしてんじゃん」みたいにツッコめる隙が全くなかったのです。厳しさを自ら体現していた祖父だからこそ、説得力があったのです。

 

 

そんな祖父も最晩年に入院するようになって意識がボヤけてくると、皆が驚くようなワガママを言うようになった‥‥と母から聞きました。

 

私はそれを聞いて、失望するどころか、余計に心を打たれました。祖父は何も天然で=素の状態で、偏屈で厳しかったわけではなく、自分で意識して厳しく行動を律していたのが、改めて解ったからです。意識がボケてきて、律していたものが外れたのでしょう。

 

同じく最晩年の入院中に、兄が病院に見舞いに表れると、たいそう喜んだそうです。確かに、私の子供の頃の記憶をたどると、夏や冬休みが終わりに近づいて田舎から家に帰る時に、駅まで見送りに来てくれていた祖母も祖父も、笑顔で送ってくれていたのを思いだします。

 

厳しいフリして、実は愛情たっぷりの人だったのかも知れません。もう本人に確かめる術はないですが。

 

 

夏が来ると、背筋の伸びた姿勢で立つ、ワイシャツとズボンと帽子の、祖父の姿を思い出します。

 

祖父のような厳しい人間にはなれないけど、確実に影響を受けているのを、今の歳になると実感できます。

 

「あれをやれ、これをやれ」などと細かく言わず、声を荒げた姿など思い出せない、言葉の少ない祖父でした。そう思うと、言葉の多い少ないって、実はあまり関係ないんだな‥‥と思います。‥‥私はこうしてブログでベラベラ喋り(=書き)ますけど。

 

祖父の「その存在自体」がね‥‥。孫たちに色んなことを「言葉ではない方法で」伝えていたのだと、今だと解るのです。

 

 

 

 


今日の日

今日は終戦の日です。‥‥ですが、戦史に興味のある人は、8月15日にキッパリと戦闘状態が各地で停止したわけではないのは、ご存知でしょう。8月20日の真岡郵便局の出来事敦化事件三船殉難事件など、Wikipediaでも検索できます。

 

withnewsの「8月15日=終戦」なぜ定着?法的に別の候補日も 玉音放送の存在」の記事にもあります。

 

 

 

夏になると、戦争に絡む色々なことが特集されるのですが、逆に言えば、夏にならないと多くの人はあまり戦争のことを思い浮かべない‥‥とも言えましょう。

 

まあ、普通に考えて、私らがアニメを作ってられるのは、現在、日本が戦争をしていないからです。「何を言っているんだ。人間社会なんて日々戦争みたいなものだ。」とか広義の意味ではなく、国家の戦争状態そのもの=「ガチで戦争」のことです。

 

戦争になったら、アニメも利用されて、「戦意高揚アニメ」を作る会社も出て来るでしょうネ。私は、このブログでは政治的なことは書かないと決めているので、それ以上の言及は避けますが、世間は自粛ムードが漂い、アニメの話の筋も「戦中の新聞の内容」みたいなのを再演するでしょう。

 

アニメ制作現場、アニメ業界にも問題は山積みですが、なんだかんだ言っても、とりあえず、戦争だけはしてない世の中なので、アニメも作れるんですよネ。

 

 

withnewsの女子挺身隊と思われる写真に写る女性の表情は、悲しみと悔しさと怒りと諦めの、全てが入り混じったような表情のように私には見えます。写真は1枚ですが、そこに写り込んだ人々は、今までの色々な過去の経緯があって、その時系列ゆえの表情の瞬間をカメラは捉えています。

 

The Way It Goesとか言うのは軽すぎるかも知れませんが、実際、国家全体が戦争に包み込まれて抜け出せなくなっていたのですから、いち個人の感情や行動では、その戦争状態をどうすることもできなかったのでしょう。

 

私の父は、陸軍に召集された父親(=私の祖父にあたる)を1945年7月1日付でカンギポット山での戦死で失い、後を追うようにして母親(=私の祖母にあたる)を終戦後まもなく病死で失っています。小中学生だった子供だった父に、その当時に何ができたというのでしょうね。

 

両親を失った父の人生は、大きく、その未来が変わってしまったことでしょう。まあ、同じような境遇にあっても、人はそれぞれだと思いますが、父は2018年の今まで、両親の墓地に墓石を建てようとしません。

 

 

「悲しみと悔しさと怒りと諦め」。‥‥今のアニメ制作の実情も似たようなものですよネ。

 

でも、70数年前の日本の大戦争と違って、自分たちでちょっとずつでも状況は変えられます。反逆罪に問われることはないのです。

 

なのに、なぜ、限界アリアリの旧来制作システムに「ギャラが安い」と言うだけで、自分たちで技術とシステムそのものを変えていこうとしないのですか?

 

原動仕の流れはアニメ作りの「宿命」では「全く無い」ですよ。原動仕の極めて重大な問題点にメスを入れることは、自分たちが主導となって可能です。

 

「親方日の丸」=「業界の総意に従属」なんていう意識はキッパリ捨てられるのです。こと、アニメ制作に至っては、です。

 

 

終戦の日に、何を思うのか。または、思わないのか。

 

まあ、人が何を思おうが自由です。そして、過去の歴史の何を糧とするかも、人それぞれです。

 

滅びる人は滅びる。生き残る人は生き残る。ただそれだけかも知れません。

 

‥‥でも。

 

淘汰のメカニズムは様々ですが、自分で淘汰を生き残る可能性を選択できるなら、その可能性に賭けてみても良いんじゃないですか。

 

死んだら、手も足も、口も出せないヨ。

 

 

 

 


砂城

人は誰しも、「生まれ変わり」とか「死後の世界」とか、大小の差はあれ、どことなく考えているようなフシを感じます。もっと現実的な話で言えば、「自分の遺伝子」とか「相続」とか「家系」とか、自分の生まれる前と死んだ後を、誰しも少なからず考えると思います。私も、自分がどこから来たのか、そしてどこへいくのか、「血」の継承だけでなく、「知」=情報の継承も含めて、自分の遺伝子の行く末に思いを馳せることがあります。

 

でもねえ。‥‥生まれる前のことなんて全く記憶にないし、死んだら手も足も出ないし。

 

思索すると、余計、空虚な心持ちになります。

 

自分の祖先は、どの星屑だったんでしょうかね。1万年後に自分の墓石はどうなってるんでしょうね。

 

遺伝子を遡って遡り切ると、どこまで過去に戻れるんだろう‥‥とか、一生懸命家系や血筋を維持しようと努めても、果たしてどこまで継続するんだろう‥‥とか、冷静に白けて考えると、「そんな果てしないことに思いを巡らせたって、永遠(=自分の人生の期間)に理解できそうもないわ」と観念します。

 

特にね‥‥歴史の浅い商業アニメ制作に関わっていると、「現在と未来をどう切り開くか、それだけだ」と思えてくるのです。アニメ産業は200年300年前には存在しなかった、とても新しい産業ですから、移ろいやすい存在の代表格みたいなもんです。

 

移ろいやすい存在だと自覚せずに、たかだか数十年の期間の出来事を「伝統」「定番」「あるべき姿」とか思い込んじゃうから、話が面倒になるのです。アニメはまだまだこれから先変わっていくでしょうし、下手をすれば死滅もしましょう。

 

自分の存在だって、どんなに長くても100年ちょいでしょう。自分も、自分の遺伝子や家系も、アニメ産業も、そもそも文明や世界全体が、結局は「砂の城」なのかなと思うことはあります。

 

でも‥‥、砂浜に作った砂の城が、たとえ打ち寄せる波にさらわれて崩れゆくものだと解っていても、その砂の城を作るのが楽しいんですよネ。

 

人は、「これで安泰だ」とか「これが決定版」とか言いがちですが、いや〜‥‥‥そんなもん、ないでしょ。全ては変わっていくのだと感じます。‥‥というか、全てが変わってきたからこそ、自分はここに存在するし、アニメも生まれたし、アニメを生業にもできたのです。江戸時代に生まれたら、アニメなんて作れないもんネ。

 

素直に、変わること、移ろいゆくことを受け入れ、今と未来をどう生きるか、です。

 

 

過去のアニメ業界の「カンブリア爆発」をいくら懐かしんで永遠のものにしようとしても、虚しく望みのない悪あがきです。現在のアニメの作り方、例えば、After Effectsで撮影してQucikTimeで出力するのだって、20年にすら満たない「一時期的な仕様」です。全然「普遍」でも「定石」でもないです。ほんの10年ちょいの作業仕様です。

 

アニメ制作にも大きな「変動」の周期があって、日本の事情で言えば、まず「アニメを作り始めた頃」〜戦前でしょうかね。次にテレビアニメを作り始めた1960年代中頃、そして、フィルムを必要としなくなったコンピュータのデジタル映像データ時代〜1990年代後半。

 

で、今度は、そのデジタル映像データの大変革の時期です。四半世紀周期の大波です。どんなに大きな堤防を作ったつもりでも、易々と大波は乗り越えてくるでしょう。その「堤防」の概念自体が過去の基準で古いのですから、防いで防ぎきれるもんじゃないです。前の大変革の時だって、あれだけ長いこと使い続けたフィルムとセル絵具が、あれよあれよという間に実質上消滅しましたもんネ。

 

2020年代に、今までの砂の城は、一旦、波にさらわれます。普遍と思い込んで疑わなかった要素が、あれよあれよという間に実質上消滅する様子を、前回と同じように、リアルに自分たちの目で見ることになりましょう。

 

1990年代には、自分の感慨を容易に書き留めて公開するブログなんて存在しませんでしたから、ごく内輪での認識に留まっていました。でも今は、こうして「ある程度は」自分の考えを公開できます。2020年代を目前にして、四半世紀前と同じ大変動の兆しをひしひしと実感すること‥‥くらいは、このブログでも書けます。

 

でもねえ‥‥、いつでも、多くの人はのんびりしてるんですよねえ。‥‥波が見えても、おもちゃセットを砂の城から取り上げないままで、砂の城が崩れるばかりでなく、色々なおもちゃを波にさらわれて失うんですよネ。砂が波にさらわれるのは仕方ないとしても、自分のおもちゃセットは救い出して、また新しく砂の城を作るときに使いましょうヨ。

 

おもちゃセットとは、すなわち自分の技術です。そしてその技術は生きているうちに活用してこそ‥‥ですよネ。

 

 

 

 

 


夜明け前

今までの役職ありき、今までの工程不動のままで、「デジタル化」を導入するのは、業界にありがちな傾向です。しかし、その「デジタル」の実体=コンピュータ機材やソフトウェアやネットワークの本来の「ポテンシャル」を有効に活用できるか否かは、必ずしも今までの役職や工程を踏襲するだけでは「YES」「TRUE」とは言えません。

 

今まで役職名や作業項目の先頭に「デジタル」を付与する行動、すなわち‥‥

 

デジタル演出

デジタル作画

デジタル美術

デジタル彩色

デジタル撮影

デジタル編集

デジタル制作

 

‥‥なんていう命名は、コンピュータの有効活用の是非よりも、今までの慣習に染まりきって思考停止した人々の姿が浮かび上がります。

 

そのうちに‥‥

 

デジタルカット袋

デジタル作画用紙

デジタルタップ

デジタル修正

デジタル差し替え

デジタルリテーク

デジタル納品

 

‥‥と、何でもお構いなしに「デジタル」を付与するようになるかも‥‥知れませんネ。

 

さらには、子育て家庭で「在宅ワーク」が導入され、サーバにアクセスして作業を開始したログが記録されると‥‥

 

デジタル出社

 

‥‥とか言い出しかねませんし、コンピュータやiPadやスマホで、音声や映像のチャットで打ち合わせをするのを‥‥

 

デジタル打ち合わせ

 

‥‥とか言い出して、さらには、何かをやらかして、サーバにアクセス禁止のパーミッション設定処置を取られたアカウントのユーザは‥‥

 

デジタル出禁

 

‥‥とか言うようになるかも知れませんネ。

 

まあ、安易に「デジタル」を使うことが、どれだけ「幼い」行為であるかが判ろうと言うものです。

 

 

 

私が本格的にコンピュータを導入したアニメ制作に関わり始めた1990年代後半、「デジタルアニメーション」と命名されて紹介されていました。そのネーミング自体が、コンピュータ導入の黎明期、「夜明け前」、「技術が幼い頃」の象徴だったと思います。

 

20年が経過した、2018年の今。

 

まだ「デジタル何々」なんて言ってんのか。長いなぁ‥‥。

 

つまり、いつまで経っても、アニメ業界の「次の日の朝」は明けない‥‥ということでしょう。

 

 

 

別によくないですか? コンピュータを使おうと、「作画」「演出」の素のままで。

 

Adobe CCがあれば、PhotoshopもAfter EffectsもIllustratorもPremiereもAuditionも全部使えますし、無償版のDaVinci Resolveだってありますよネ。それらソフトウェアを使って、映像を作れば良いことです。「デジタル」なんて言葉は、どこにも必要ありません。

 

映像だけでなく音にアニメ映像を合わすのだって、After EffectsやDaVinciに音声データを読み込んでタイムラインに並べて、波形の形と実際の出音に合わせりゃ良いだけだし。‥‥難しいことなんて、何もないでしょ。むしろ、以前より格段に簡単になりましたよ。

 

何でも「デジタル」を語句の先頭に据えたい人って、何をもったいぶって、自らめんどくさく、遠回りしようとしてるんでしょうかネ。

 

 

 

「人の一生は重き荷を負うて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず」

 

コンピュータを主軸に据えたアニメ制作の道のりは、まだまだ未来へ続きます。「デジタル」の語句で事を済まそうとする光景も、淘汰の潮流の中に消えゆく情景の1つだと思えば、それはそれで、傍観してれば良いんだな‥‥と思います。

 

「デジタル」なんていう語句に惑わされることなく、未来への道を一歩ずつ、踏みしめて参りましょう。

 

 


消化試合からの脱出

前回書いた「絵を自分の手の中に取り戻す」ことは、絵を描くこと、アニメーションを作ることを、「消化試合」にしてしまうことへの反発・反動です。

 

えーと、今度のキャラは目の中に何個ハイライトが入ってて‥‥ 虹彩の中心は実線じゃなくて色トレで‥‥

 

本来楽しくて、その楽しさが視聴者を巻き込むはずの、絵作り・アニメ作りが、完全に消化試合と化して、報酬は見合ってない感がすごくて‥‥と、作画を長く続けた人間の「お定まりの失速パターン」は誰しも経験がありましょう。経験が浅いのなら、今後訪れるでしょう。

 

自分のやりたいことを自分の仕事にできたはずなのに。‥‥あれれ? 今の自分のテンションは、自分のやりたいことを仕事にできたと言えるテンションではないな。‥‥‥いつから、そんな自分になった?

 

それが前回書いた、絵を毎日描いていながら「絵を手放した」状態です。

 

もし、そういう消化試合のテンションで毎日が満たされているのなら、やっぱりやることはただ1つ。

 

自分の絵を描いてみる。色も塗ってみる。背景も描く。そして、1枚の絵を完成させる。

 

‥‥です。

 

 

 

アニメ業界の作画は、確かに絵をいっぱい描きます。山のように描くと言っても過言ではないです。

 

しかし、完成した絵は何ひとつ描きません。「線画で終了」です。

 

しかも他人様のデザインした絵ばかり。キャラデザイナーだって、多くは、他人様の絵を元に描くでしょ。

 

綺麗事は無し‥‥で構いません。原作付きでキャラデザインありきの、絵コンテのオーダーを元に、原画を描く。動画を描く。

 

しかし、それ以外、何もないまま、10年近く生きたら、そりゃあ、絵を描く行為だって意識だって、擦り切れますよ。

 

アニメーターだって、ひとりの絵描きなんですから。

 

アニメ産業の兵隊としてだけ‥‥の自分の存在意義に、いつしか強い疑念を抱くようになっても、誰も責める権利はないのです。むしろ、その疑念、危機感は、当然の「絵描きとしての自我」です。

 

 

 

仕事でアニメを作るプロ意識の下に、マグマのように「やりたいこと」がふつふつと煮えたぎっていないと、いつか冷めて休火山や死火山に成り果てます。「かつて在ったやりがいの亡骸」で「消化試合」を埋めて、どれだけの人が心を動かされるか。‥‥まあ、「好きな原作がアニメ化した」と喜ぶだけのファンしかいないわな。

 

プロの地盤の地下深くに、アマチュアリズムの原動力は必要です。それをマグマのように表現しようと、水脈のように表現しようと。

 

アニメの作画の仕事は、俺(私)の絵を描く人生とシンクロする。‥‥と、また再び確信できるように、自分自身で「休火山を活火山へ」変えるのに、「iPad ProとApple Pencil」的なものはとても有効です。

 

 

 

でもまあ、作画の仕事は、作画の仕事。‥‥で、ひとまずはいいじゃないですか。

 

休日に、麦茶とお煎餅をつまみながら、ちゃぶ台にiPad Proをおいて、Apple Pencilで好きな絵を描けば、自分の絵を「作画」から連れ戻せます。いつの間にか遠くに離れて会えなくなっていた「幼馴染み」と再会するかのように。

 

「再会」を果たした後は、いつしか、自分の本業たるアニメーション制作においても、「消化試合」の意識が薄れていきます。再び、自分のやりたいこととアニメーション制作が重なり合うようになります。

 

もしかしたら、すぐには「幼馴染の顔を思い出せない」かも知れませんが、気負うことなく、自分の描きたいようにiPadで絵を描いているうちに、やがて懐かしい顔を思い出してくるもの‥‥ですヨ。

 

 

 


絵を手の中に

iPad Pro、もしくはApple Pencilの使える無印iPadを使うようになって、色々と「絵を描く事」に変化が生じたのを実感します。据え付けのペンタブにはない色々なこと‥‥です。

 

薄くて軽く、そして熱くないので、今までの作画机にすんなり馴染むのは、以前も書きました。Apple Pencilを鉛筆削りに突っ込もうとしたり、1日の仕事はじめに思わず透視台のライトをつけてしまったり、何らかの理由でキャンバスに描画された小さな点を息で吹き飛ばそうとしたり‥‥と、使い始めの頃は紙時代の癖がそのまま出ることも多かったのを思い出します。

 

しかし、ふと冷静に考えてみると、今までの作画作業に馴染んだことだけが、iPadが自分に与えてくれた変化ではありません。

 

iPadで絵を描いていると、「いろんな絵を描こう」という気になります。

 

つまり、

 

絵を描く行為が、自分の手の中に戻った

 

‥‥ということ、なんですよネ。

 

 

 

アニメーターになって以来、絵を描くのは、作画机の上ばかりで、しかも、作画用紙の中で、線画ばかりになっていることに、多くの人が「プロのアニメーターなんだから、そういうもんだろ」と妙に納得して観念しています。

 

机の上にあるのが、鉛筆、色鉛筆、消しゴム、定規、そして「下の絵が透けるのが目的」の薄い紙‥‥しか無ければ、その道具で描けるものしか描かなくなります。まあ、ある意味、当然のなりゆき‥‥でしょう。

 

もちろん、アニメーションの作画技術を体に叩き込むには、毎日、線画線画線画線画線画線画!‥‥という作業経験は必要でしょう。脇目を逸らしてフラフラしてたら、キッつい作画技術なんて習得できないもんネ。

 

でも、それがいつしか、「線画しか描けなくなっている自分」に変わり果て、「自分の絵を描く行為って、何だったんだろう?」と、遠いキモチになることもあるでしょう。何を描くにも「原画基準」で思考し、線画以外を描けない‥‥というか、線画以外を描こうとしない「奥手」「臆病」な人間に、自分自身が変質していることに、「昔はそれだけじゃなかったのになあ‥‥」と半ば諦めるような心情になるのです。

 

 

 

でも、iPadを買って、作画の仕事もしつつ、原画以外の絵の仕事〜コンセプトアートやイメージボード、各種デザインなどを請け負うようになって、ひょいとiPadをカバンの中に入れて自宅に持ち帰って「とりとめのない絵」も描くようになると、自分の「画業」に対する意識が徐々に柔軟なものへと変わってきます。

 

絵を描く行為が、作画作業専用として手元から「取り上げられ」て、絵を描く意識それ自体も「原画」「作監」という型に縛られていた状態が、iPadで「仕事以外の絵を気楽に描く事」で、次第にほぐれていくのです。

 

「俺(私)って、他の絵も描けるんじゃん」

 

‥‥と、当然のことでありながら、「状況によって気づかされてこなかった」ことに、手軽に持ち運んで色々な画具を使って絵を描けるiPadによって、すぅっと気づくのです。

 

作画作業が板についた6〜8年目くらいからは、線画以外の絵も描いてみても良いと思いますヨ。

 

もちろん、「原画だけを一生描き続ける!」と固く心に誓う人はその意思を貫けば良いと思いますから、他者がどうこう干渉する話でもないです。しかし、「線画以外のことを忘れていた」人は、iPadとApple Pencilで、自分の「線画以外の能力」にあらためて気が付いてみるのも良いんじゃないかと思います。

 

 

 

絵を描く行為が、仕事専用として作画机の上に束縛されていた状況から抜け出て、自分の手の中に絵が戻ってくる。

 

他人様のデザインの絵だけを描き続け、線画漬けの毎日を経験したことがなければ、そうした「自分の中に絵が帰ってくる」感覚は意識しづらいかも知れません。自分の絵を「一度、手放した経験」がなければ、ね。

 

iPadでどんな場所でも気軽に絵を描けるようになると、手放したものがふわっと戻ってくる、なんとないニュアンスを感じられるようになります。

 

絵に対する「自分のイメージの幅」を、線画オンリーに狭めていた日々から、iPadとApple Pencilは優しくそれとなく、軽くふんわりと解放してくれるきっかけとなります。

 

 

 

まあ、アニメ業界的には、「そんな余計な要素などいらない。線画を描く兵隊がいれば、それで良いんだ」的なことを考える人もいましょう。‥‥まあ、それはそれで、構いません。運用の方針は色々あって当然です。

 

しかし、その「絵を描く兵隊」を求める管理職の人は、絵を描く当人のライフサイクルなんて、何もケアしてくれません。「除隊」すれば、「自助努力で生きていってくれ」とばかりです。アニメ業界に「自分はこんなに貢献し続けたのに!」と訴えても、恩賞などでません。業界のアニメーター老後基金なんて、どこの誰も積み立てていないでしょ?

 

自分の画業は、自分で成立させるしかないのです。業界に寄り添っていればOKだと思うほうが「平和ボケ」過ぎるのです。

 

だったら、線画だけしか描けないのは、相当ヤバい‥‥と思うでしょ。線画って、あくまで絵の一部でしかなく、未完成形ですからネ。

 

 

 

まあ、iPadでなくても、SurfaceでもMobile Studioでも良いのです。

 

とにかく、手軽に持ち運べるガジェットによって、自分の手元に、自分の絵を連れ戻せれば、それでOK。

 

 

 

絵を描くことが苦痛になってる?

 

それはイケませんね。

 

絵を描くのって、本来、とてもワクワクして嬉しいものなのですヨ。

 

「そんなアマチュアみたいなことを言っちゃって」と悪ぶる人もいましょうが、苦痛の末に描いた絵を売りに出しているのも、どうかと思うよ。

 

自分のワクワク感や嬉しく楽しい感情は、必ずポジティブな要素として外部にも伝播します。

 

可愛い絵だけでなく、悲しい絵、グロい絵でも構わないのです。「描きたい!」と思うポジティブな意志は、かならず絵を通して見る側に伝わるものだ‥‥と実感します。

 

 

 


HTMLのあれこれ

佐川の偽サイトがNHKで報道されて話題になっていますネ。

 

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180727/k10011551201000.html

 

貨物追跡の欄が「インストール」ボタンになっている時点で、「愉快犯?」とすら思えますが、それでもひっかかってしまう人はいるようです。

 

 

 

HTMLでは、例えば以下のようなことも、簡単にできてしまいます。

 

https://www.apple.com/jp/

 

上記アドレスを見れば、あまりHTMLに詳しくない普通の人は、「アップルのホームページへのリンクだ」と思うでしょう。

 

でも、実際は、マイクロソフトの日本語サイトのトップページにリンクしてあります。‥‥これはあくまで「タチの悪いリンク」のテストですヨ。

 

どんなに信頼できる世界的大手の企業のURLでも、その「表面上のURL文字列」にリンクしている実際のURLが全然違うサイト行きなら、何の安全保証にもならないわけです。

 

リンクは、反射的にクリックするものではなく、リンクの内容を確かめてからクリックすべきものです。

 

HTMLの仕組みを知っていると、こうした安易なトリックにはひっかかりません。しかし、HTMLの仕組みなんて、学校の必須項目でもないですし、年配の方は「HTML」というアルファベット略字を耳にしたことすらないかも知れません。一定数の人がひっかかるのは、無理もないのが現状でしょう。

 

時代の技術だけが先行して、人々の一般知識が追いついていない典型と言えそうです。

 

 

 

くわえて、SSL。セキュア。

 

佐川のWebのトップページって、HTTPSじゃなく、普通のHTTPなのね。いわゆる「常時SSL」ではないのは、ちょっと驚きました。

 

大手一般企業なら今や多くが常時SSLで、トップページから、httpsで始まるURLです。なので、ニュースを聞いた時、偽サイトも何らかの方法で公的証明書を入手したのかな?‥‥と思ってましたが、本物の佐川が非/常時SSL(必要な場面のみSSL)だったようで、その点も悪質サイトにつけこまれたような感じがします。

 

SSLは暗号化の技術であって、安全保障とはカテゴリーが違いますが、一方で、公的な機関(CA)に申請してSSL証明書を発行して導入することが、1つの「安全保証ブランド」にもなる風潮が形成しつつあるようです。

 

DV(ドメイン認証)、OV(企業認証)、そしてEV(拡張認証〜すんません、直訳で)の3つのクラスに認証レベルが分類され、その認証レベルがサイトの安全性を段階的に「代弁」するに等しい‥‥というわけですネ。

 

EVはともかく、OVあたりの認証は、大手企業にとって未来の必須項目になる時代が、すぐそこまで来ている‥‥のかも。

 

なので、アニメ会社も「制作会社」格を自負するのなら、SSLは必須になるように‥‥思いますけどネ。

 

 

 

もしかしたら、未来のスマホやパソコンは、サイトにアクセスするたびに「このサイトは安全が保証されていません」とか、「このサイトはCAに認証済みSSL(OV)で接続されています」とか、表示されるようになったりしてな。

 

個人がWebサイトをSSLなしでは作れない時代も来るのかな。

 

2000年前後に「ホームページへようこそ」とか言ってた時代が懐かしいですネ。

 

 

 


気がつけばHTTPS

前回、ホビーリンクジャパンの小池繁夫さんのアートプリントを紹介してて思いましたが、今やWebサイトのほとんどがHTTPS〜常時SSLなんですね。HTTPで始まるアドレスは少なくとも企業のWebでは見つけるのが大変なくらいです。

 

ならば、アニメ制作会社のWebもHTTPSにどんどん切り替わっているか‥‥と思えば、そうでもなさそう‥‥ですネ。

 

まあ、買い物するわけでも、フォームに入力するわけでもないから、今のところはそれでもいいのか。

 

 

HTTPS、常時SSLが、単に「安全っぽい」イメージのために導入されるのであれば、何だかズレてるなとは思います。

 

でも、一方で、HTTPSをデフォルトにしちゃえばいいじゃん‥‥という考え方も、今後のスタンダードにしても良いような気もします。基本的に通信は暗号化する‥‥という考えは、決して過剰とも思いませんし。

 

例えば、昔頻繁に使われていた生のFTPは問題アリアリですもんネ。私はFTPは一切使わず、WebDAVのhttpsでファイルの送受をおこなうのを基本にしています。もしくは制作会社のセキュアによるファイル転送サービスか。

 

今、何のセキュアも付与していない生FTPを使うのって、結構、ギョッとしますもんネ。

 

HTTPに関しても、平文垂れ流しで通信していたこと自体が、未来になって「おおらかだったねえ‥‥」と懐かしく思い出す日も来るのかな‥‥。

 

 

 

個人サイトや個人ブログまで、https://でアドレスが始まる日も、そう遠くはないのかな。

 

Webサービス関係の業界とは無縁なので、セキュリティとかの「トレンド」がわかりませんが、まあ、SSLが常識になるのなら、それならそれで、個人でも対応します。

 

昔流行った「ダイナミックDNSで自宅サーバ」も、今や、家のローカルネットワークを公開すること自体、未知で不測の新たな脅威に晒されないとも限りません。少なくとも、自宅でサーバを公開するレベルで、四六時中、ネットワークを監視して、最新の脅威に対応できるほどのセキュリティは望めないです。

 

 

 

Fetch(1989年に作られたらしい)のワンちゃんが懐かしい‥‥とは思いますけどネ。昔をいくら懐かしんでも、今は今、未来は未来‥‥です。

 

そう言えば、Fetchのワンちゃんのぬいぐるみは、どこかにしまってあるはず。赤いDAEMON君のぬいぐるみもあったような‥‥。

 

 


ネット

昨日今日と休日に、昔のサイトコンテンツを整理していました。今や、自宅でインターネットサーバとか言ってる時代でもないですし、SSLはもはや個人・小規模サイトでも必須の時代にもなりましたし、激安レンタルサーバも競争や淘汰に耐えきれなくなって大幅値上げするサービスも多いし‥‥で、ざざっと整理しました。

 

まあ、今は、よほど腕に自信でもなければ、自宅のマシンを不特定外部に公開するのは避けたほうが良い時代です。10年前とは状況が違います。クラウドサービスやレンタルサーバの充実もあいまって、わざわざ自宅のマシンを危険に晒すことはなかろう。私はもう数年前から外部から自宅へアクセスを閉じていますから、私的には「ダイナミックDNS」のサービスも不要になっております。

 

昔は「ライトプラン」なら無料だったダイナミックDNSサービスも、年間15ドル、40ドル‥‥と値上げを重ねて、今年は50ドルとなり、「もう潮時かな」と判断しました。全く業界とは関係のない友人のWebを10年以上前に立ち上げて、その頃のドメインがダイナミックDNSのドメインゆえに、ずっと維持してきましたが、方針を変えて、統合管理によるレンタルサーバ&独自ドメイン&独自SSLに切り替えることにしました。

*独自SSLとは、レンタルサーバの特定ドメインに適用して証明書を共有するSSLではなく、ユーザ任意の独自ドメインに適用できるSSLを指す‥‥ようです。

 

ダイナミックDNSのドメインに、独自ドメイン&SSLのURLへとWebHop(転送ですね)を設定して、1年の猶予ののち、ダイナミックDNSは使用を終了しようと思います。

 

ただ眺めているだけのWebコンテンツでも、今や「非SSL接続」は敬遠される流れとなり、Chromeではアドレス欄に常時、httpかhttpsかの区別が表示されるようになりました。私のWebは、別にパスワードもクレカの入力も要求しない、平文の通信(データをそのまま送受する)で問題のない「見るだけ」のWebなので、ぶっちゃけ、「SSL必須」の流れは面倒なのです‥‥‥が、まあ、特に抗う理由もないので、対応しておきました。通信のほとんど全てを暗号化しよう!‥‥という流れなんでしょうネ。

 

 

*最近のChromeではこうしたキャプションと共に、URLが表示されるようになった‥‥とのことです。独自ドメインに対する独自SSLを無料で適用できるレンタルサーバも存在するので、今後の運用はその辺の付加サービスも含めて業者を選ぶ必要がありますネ。

 

 

‥‥ちなみに‥‥、このブログはサービス元のJUGEMの方針で、まだSSLに対応できていません。

 

https://support.jugem.jp/hc/ja/articles/115011932247--常時SSL-https-Googleより-保護されていません-という旨の警告が届きました-

 

書かれていることはごもっとも。‥‥SSLが必要がないのに、「安心をアピールするためだけ」にhttpsを使うのって、まあ、「道理が判る人なら拒否したい」ですもんネ。公的な証明書(サーバサイドで作る俺的証明書ではない、公的機関の発行する証明書)だって、タダじゃないですし。

 

SSL是非の話は、成り行きを見守るしかないスね。私はサーバを管理するプロではないので、その辺の「現場の雰囲気や論調」はよくわからないのです。

 

一方、レンタルサーバ業も最近は苦しい状況も増えてるんでしょうかね。私はレンタルサーバを2社と契約していたのですが、そのうちの1社が月額を6倍に値上げしたので(と言っても個人で支払える額ではありますが)、その1社との契約を終了することにしました。固定IPでダイナミックDNSと連携していたサーバですが、方針を変えたので、必要性も薄くなったのです。

 

ダイナミックDNSの終焉、SSL必須の風潮、安さを維持できなければ契約終了のレンタルサーバ‥‥と、私自身の事情が主ではありますが、じみじみ時代の流れを感じます。

 

 

 

ゆくゆくは、アニメ制作に関する新しい技術ムーブメントを、何かの形で「然るべき人々」とWebで共有することも考えています。今更‥‥ですが、SSLによるWordPressを、ちゃんと計画した上で運用すれば有用かも‥‥と考え始めています。野放図に公開すると確実に「新技術を安売り用途に貶める」人々も現れるので、その辺の「セキュリティ」は考えなければなりませんが。

 

2020年代を前にして、現場用途の技術解説書をざわざわ紙に印刷する必要もないでしょうし、制作に必要な全ての情報はパソコンやタブレットPCに集約することを考えれば、アニメ技術の「デベロッパーズサイト」なるものを業界の垣根を超えて形成することも、すぐ先の未来には必要になるでしょう。

 

そのためには、昔の「ホームページ」と呼ばれていたインターネットの常識から知識を更新し、日々の運用でちょっとずつでも試してみるのが良いと思っています。

 

個人でも、独自SSLによるhttpsで始まるWebアドレス、独自ドメイン、HTML5以降のWebコンテンツ作り、CSSやPHPやPythonなどの積極的な活用‥‥など、できることは結構あります。

 

まあ、映像作りで毎日忙しいのは皆同じですが、その忙しい中でさらに何ができて、未来への橋頭堡として何を確立できるか‥‥も、大切なことですネ。

 

私はとりあえず、PythonとCSSを裏で進めようと思ってます。CSSありきの脳に、未だに移行できていない感があるので。

 

‥‥<center>タグは使えなくなったのか?‥‥とか言ってる時期は、もう、とうに過ぎていますもんネ‥‥。

 

 

 

 


橘花

今年も終戦の日が近づいてきましたが、そんなシーズンに思い出すのが、日本人の飛行機好きなら誰もが知っている、終戦間際のジェット機、「橘花」。

 

 

Wikipediaには、こうあります。

 

1944年(昭和19年)8月、日本は高高度を飛行するための過給機付き高性能レシプロエンジンの開発にも行き詰まり、原油生産地のマレー半島と日本本土間の制海権の喪失から燃料事情も悪化していた。海軍は低質燃料、低質潤滑油でも稼動し、レシプロエンジンに比較し構成部品が少なく簡易で高性能なジェットエンジン(噴進機関、タービンロケット)を装備した陸上攻撃機を「皇国二号兵器」と仮称して企図し、同25日、中島飛行機に開発指示を出した。

 

 

44年の8月か。遅い。終戦の1年前にアクションして間に合うわけがないヨ。

 

橘花のお手本となった「Me262」は、41年には機体が完成しており、44年に実戦配備。

 

 

 

Me262の顛末は、戦後の主力となるジェット機の先駆け的存在であったものの、運用上の問題もあって、戦局に対する絶大な効果は発揮しないままドイツ敗戦となりました。

 

ドイツの場合は、先見的な技術を推し進めながらも、総合的な戦略で敗れ、日本の場合は後手に回った技術に甘んじたまま、戦略においても敗れ‥‥と、同じ敗戦国でも状況は大きく異なります。

 

 

技術はさ‥‥、「もうダメだ。あとがない。何か特効薬を!」みたいな段階で開発スタートしたんじゃ、遅すぎるんですよネ。

 

何度も書くけど、起死回生の戦局挽回兵器、決戦兵器なんて、負ける寸前の人間が考えることであって、「決戦」=「戦いを決める」という思想自体が、追い詰められた人間たちの産物であることに当事者こそ気がつかないのです。‥‥いや、気がついていても、「決戦を仕掛ければ、勝てる」と思い込んで自己洗脳するしか、道がないのかも知れません。

 

「戦い」なんて、「決戦」1つで簡単にカタがつく話じゃないのは、わかってるじゃん?

 

いくつもの作戦を地道に仕掛けて実行し、大攻勢の前段階を形成するのが、戦いというもの‥‥だと、私は多くの歴史から学びました。勝利条件の状況をいくつも積み重ねて、満を持して大攻勢を仕掛ける時点で、勝利への道筋はほぼ確定していることを、歴史は証明しています。一方で、寄せ集めの戦力でその場限りの大攻勢を仕掛けても、一時的な勝利は得られてもその後が続かないのも、歴史は証明しています。

 

 

 

戦史を読むたびに、いつも考え込むのが‥‥

 

新兵器の開発は、いつからスタートすべきだったのか

 

‥‥です。

 

日本が終戦を迎えた夏の日に思うことは、「敗戦間際では遅い」ということだけ‥‥は、わかっています。

 

 

 

とはいえ、アニメ業界は70数年前の状況を、奇妙にも全く似た構造をトレースしていますよネ。上掲の一節の‥‥

 

過給機付き高性能レシプロエンジンの開発にも行き詰まり、

 

‥‥は、レシプロエンジンの限界を心のどこかで薄々気づいていながら、終戦の1年前まで「新しいエンジン」の航空機開発に着手せず、固まった思考で重い腰を上げようとしなかった「日本人気質」そのものです。その気質は、全くそのまま、孫の代、ひ孫の代まで、脈々と受け継がれているのを、ひしひしと感じます。

 

上層部だけの問題ではなく、日本のパイロットたちが、そもそも「格闘戦至上」の考えを変えられず、新人パイロットの育成にも旧来思考が伝達され、日本国民も「堪えて忍べば、いつか勝てる」と思い込み、日本人一丸となって、最後は「one-way suicide mission」へ突き進んだわけです。

 

アニメ業界の「レシプロ」エンジンたる手描きで動かす技術。何千何万枚も描く技術。その技術を「高高度化」するために「デジタル」によって「過給器」を付加しても、果たして戦局を挽回するに至ると思いますか?

 

過給器によって強制的に空気を送り込んでレシプロエンジンの燃焼力をアップしたところで、プロペラブレードの限界に達していれば、それ以上の性能向上は望めません。‥‥同じように、どんなに「デジタル」を導入しても、何千何万と描き続ける技術そのままでは、限界は見えているでしょう。

 

 

なぜ、同じことを繰り返すのかな。

 

多くの人は、平和な日々がデフォルトで、日頃から「戦史」なんて読まないし研究もしないがゆえに、無意識に知らず知らずに、同じ道をトレースしてしまうのかな。

 

最近「ダス・ライヒ」のドキュメンタリーを見て、特に「オラドゥール」村の事件には血が凍る思いがしました。でも、そうした過去の事実の歴史を知らずして、平和を所与とするばかりでは、違う場面で同じことを繰り返すばかりです。

 

「橘花」や「火龍」がダメダメなまでに間に合わなかった歴史上の事実を思えば、アニメ制作現場での制作を維持しつつ、一方で何をバックグラウンドで進めるべきかは、もはや明白でしょう。

 

 



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