いつの時代も

いつの時代も、後手に回る時って、ディテールが似るんだよなあ‥‥。

 

昔からの方法を踏襲するのにリソース(時間や金や人力)を割いている集団をよそに、新しい方法で開拓地をどんどん広げていく集団もいるわけで。

 

人と集団。‥‥何が命運を分けていくんでしょうね。‥‥やっぱり、人が集まって物事を動かすから、集団のメンツ=人それぞれの性質が絡み合って、決まっていくんでしょうネ。

 

 

命運はギャンブルにあらず。‥‥しかし、命運、自らの運命を、ギャンブルにしてしまう人や集団は、なぜか存在します。

 

ギャンブルで負けが増えて、その負けを取り返そうとして、さらにギャンブルにつぎ込んで、どんどん負けが増えていく。どうしたら勝てるんだ、どうやれば負けを挽回できるんだ‥‥と。

 

‥‥いや、ギャンブルそのものから、まずは抜け出さないと。

 

自分の進む道を、ギャンブルや勝ち負けに託すこと自体が、最初から破綻の構造を呼んでいるわけです。「イチかバチか」の時点で、既に。

 

 

運ではなく、必然を、自分の足場にすれば良いだけです。

 

では、必然とはなにか。「時間は進み続ける」という万物の法は、必然と呼ぶにふさわしいです。

 

今年は2018年、来年は2019年、その次は2020年。粛々と進み続ける時間に、勝ち負けもギャンブル性もないです。

 

 

進み続ける時間の中、新しい技術で何をしたら良いか判らない。‥‥それがまさに「後手」というやつです。

 

判らないから、昔からの方法の再現や踏襲に時間を費やして、費やしただけの達成感だけ得て、さらに後手後手に回っていく悪循環。

 

未来を切り開こうと思っているのに、未来のビジョンそのものが後手思考の「過去のビジョン」‥‥って、矛盾してますよネ。

 

文字でわかっている気になってもダメで、絵でわかっていないとダメなんですよネ。だって、絵を動かすアニメ作品の未来なんだから。

 

新しい技術で何をしたら良いか、見え過ぎちゃって困る。‥‥くらいの状態がふさわしいです。

 

 

 

でもまあ、何を言ったところで、

 

去る人は去り

 

残る人は残り

 

来る人は来る

 

‥‥というだけなのかな。いつの時代も。

 

 


瑣末ゆえ

タイムシートの枚数表記。ぶっちゃけ、私は、渡されたタイムシートの流儀に合わせています。「枚」「枚目」など具体的な表記がなく斜め線だけなら、分数表記で書きますけど。‥‥それにまあ、枚数表記の場合、分母より分子が大きくなることはないので、大きい数字が総枚数だと一目で解りますしネ。


タイムシートで言えば、もっと大きな話題。‥‥未来の映像技術に対して、今のタイムシートでは対応不可能だ‥‥という局面に、もう数年前から取り組んでいます。

 

枚数表記の問題にあーだこーだ言っている場合ではないのです。瑣末過ぎます。

 

 

思うに、新しい技術体系の取り組みにおいては、瑣末な問題を見分けて、その騒動に巻き込まれないようにするのも、必要なことだと心得ます。

 

そもそもペーパーレス環境では、タイムシートをわざわざ印刷してオフラインにするのはトラブルの元ですし、私らが使う「タイムシート的なスプレッドシート」は、そもそも何枚・何ページという概念はないですしネ。例えば、After Effectsのタイムラインにも何枚目なんて存在しないですよネ。枚数表記がなければ、枚数表記の書式でモメることもないです。After Effectsでタイムラインがページ毎に表示されなくて困ったこともないですし。

 

 

紙もファイルも簡単にオフライン状態〜複製が増える危険性はありますが、それも工夫次第。

 

同時刻オンラインの複数の編集者が表示されるGoogleスプレッドシートを賢く活用しても良いですし、ローカルファイルならば同期を必ず実行する習慣をつけても良いでしょう。iCloudのNumbersを使う手もあります。

 

それ=オンラインドキュメントは、タイムシートに限らず、企画書からキャラ設計書、絵コンテ、集計表に至るまで、もはやドキュメントの基盤と考えても良いです。もちろん、パーミッションはちゃんと設定した上で‥‥ですけどネ。

 

 

まあ、今のご時世、必ず「デジタルデータ」のお世話になっていて、「デジタルデータ」なしでは生きていけない文明になってしまったのですから、紙の書式をどうこう問うて時間を割くよりも、ネットワーク経由の情報技術をアニメ制作でもふんだんに駆使する方法論に、少しでも時間を使ったほうが良い‥‥と私は思います。

 

手持ち無沙汰に、瑣末な事柄に時間を浪費するよりは、もっと、未来に通じる大切な事柄に、多くの時間を使いたい‥‥ですよネ。

 

 


チェーン

バイクのチェーンて、ピンピンに張っちゃうと、走行中のショックで耐えきれずに切れちゃうんですよネ。

 

かと言って、チェーンの遊び(緩みの余裕)を多くしちゃうと、今度はチェーンがスプロケットから外れやすくなります。

 

締め過ぎもダメ、緩み過ぎもダメ‥‥ということです。

 

そうだね、一事が万事ネ。

 

 

現場もなんでも締め付ければ良いってもんじゃないし、緩み過ぎもマズい。

 

適度な緊張感と、適度な遊び心。

 

バランス取りはムズいですが、いつも心に留め置きたいバランス感覚です。

 

 

ちなみに、チェーン連結のジョイント金具を取り付ける方向を間違えると、そりゃあもう、あっけなくチェーン連結部が別れて外れます。力のかかる方向に金具の口が開いていると、簡単に口が広がって外れるんですよネ。

 

力のかかる向きも大事‥‥ということなんですネ。

 


つまらない?

前回取り上げた記事で、

 

「毎日がつまらない」中年男性の72%が回答

 

‥‥というのがありましたが、‥‥‥う〜ん‥‥、少なくとも私や私ら技術集団に、それはないなあ‥‥というのが本音です。

 

映像制作は、世界の技術進化とともに変化していくので、

 

本文抜粋〜

「彼らは、将来の“先が見えない”不安より、すでに結果が出ていてこれ以上の展望が望めない“先が見えてしまった”喪失感のほうが強い。男性は子供の頃から大きな夢を持てと言われて育つため、無限の可能性があった過去を美化してしまい、さまざまなものを“失った”と感じているのでしょう」

 

‥‥なんてことはないです。映像作品制作で「これ以上の展望が望めない」なんて考える人は、それすなわち、単なる本人の限界なだけです。

 

やること、盛り込めること、可能性なんて、そこらじゅうに転がっています。ハードウェアにもソフトウェアにも、自分のココロの中にも‥‥です。むやみに自己啓発的な精神論などに走らずとも、プラグマティックに淡々と冷めてアクションするだけで、こと映像制作に関して言えば、現代は可能性だらけの世界です。

 

ただ、アニメ業界には「アニメはこうして作るものだ」と頭がカタい人が意外にも多いので、ともすれば、「すでに結果が出ていてこれ以上の展望が望めない」と感じる人も相応に多いかも知れません。

 

 

「これこそアニメの作り方」なんて、どこのだれがいつ、不文律にしたのよ。

 

アニメの作り方は、これから先も、山ほど可能性があるよ。それこそ、ゴロゴロと目の前に転がってます。

 

アニメ制作の限界‥‥なんて、自分らが勝手に限界を設定しているだけじゃん。

 

「展望が望めない」なんていう人は、自分で勝手に目を閉じて視界を封じているだけです。そりゃあ、目を閉じれば、展望など望めないでしょうヨ。目を見開けば、うわぁ‥‥‥と「食べる前から胃もたれ」するほど、可能性だらけです。

 

 

私が喪失感的なものを感じるとすれば、「やれることは200年分くらいはあるのに、人間の働ける年齢はどうやったって70〜80歳までが限界」ということです。現在の喪失感というよりは、未来の自分の喪失感が悲しい。

 

実際、この歳になって新大陸を発見してしまって、さて、どうやって開拓するか‥‥と、果てしない気分になっています。ゆえに、若い人間たちとどのように開拓するか、計画をあれこれと思い浮かべています。

 

本文抜粋〜

「若い頃は、能力は低くても挑戦している実感があるが、中年になると能力が上がるぶん挑戦している手応えはなくなり、退屈さが勝るようになります」

 

これもない。

 

中年になっても、挑戦しなければならない、新しい技術ハードルの連続です。

 

映像制作をマンネリ化させているのは、自分自身のマンネリ、組織自体のマンネリに他ならないです。40〜50代で手応えがなくなる‥‥なんて、どんだけチョロい技術なんだよ‥‥と思います。

 

たしかに、この世のあらゆる全ての仕事が延々と可能性が続くわけではないでしょうが、映像制作はその技術的特性・社会的背景によって、未知の可能性がどんどん目の前に積まれていきます。

 

アニメ作品制作だって、どんなに個人や集団の能力が上がろうが、新たな技術ハードルが目の前に出現するのですから、退屈している暇などないのです。

 

 

やりことはいっぱいあります。あり過ぎます。

 

毎日がつまらない‥‥なんて、‥‥‥ないよなあ‥‥。

 

 

 


狼狽えずに

業界貧困と同じくらい、目に入ってくるのは、「独身中年男」の記事ですネ。下記は日刊SPA!の記事です。

 

■「毎日がつまらない」中年男性の72%が回答

https://nikkan-spa.jp/1103724

 

■心が病みやすいアラフォーの特徴――「強迫性タイプ、自己愛性タイプ、回避性タイプ」とは?

https://nikkan-spa.jp/1002054

 

■年収700万円なのに…お見合い18連敗中、40代公認会計士の虚しい努力

https://nikkan-spa.jp/1467284

 

■年収1800万円でも負け組…50代独身の孤独はカネで解決できなかった

https://nikkan-spa.jp/1450304

 

 

何ともよりどりみどりな不幸話。何が幸せで、何が不幸せなんて、結局は個人の性質に帰結するのでしょうが、ネットにはこういう類いの記事が溢れかえっておりますネ。団塊ジュニアの世代が、それだけ、人口的にも突出しているのでしょうネ。

 

加えて、孤独死、突然死、セルフネグレクトの記事も、内容の重さに拍車をかけます。‥‥怖いよね、孤独死。

 

でもまあ、色々と考えて、色々と経験してきて、子供の頃から熱望していたアニメ作品制作を今でも続けている経緯から思えば、「自分がいつか死ぬことへの恐怖や寂しさは、何をもってしても拭い難い」ということでしょうかネ。

 

自分のやりたいことを実践していようが、死が怖いし寂しいことに、変わり無しです。

 

どんなに人を愛そうが、人から愛されようが、お金をいっぱい貯めようが、経験や技術を蓄積しようが、それらを死後まで随伴することはできんもんネ。

 

何かを愛すれば愛するほど、その愛の対象が死するのは想像を絶するほど悲しいでしょう。かと言って、自分が先に死ねば、後に残していく愛の対象へのなごりは、そこはかとないものとなりましょう。

 

例えば、相思相愛のカップルが一緒に年老いて、「せーの、ハイ!」で同時に死ぬ状況なんて、自殺でもしない限りありえないでしょ。必ず、どちらかが先に死んで、どちらかが独りになります。

 

どんなに心から誰かを愛し、幸福感に満ち溢れようと、自分がやがて必ず死ぬことへの絶望感は掻き消せません。むしろ、幸福感に満ちている時こそ、死との猛烈なギャップに恐怖するようにも思います。幸せであればあるほど、死なんて到底受け入れられないでしょう。

 

 

 

私は、20代のアニメーターの時に、同室の仕事仲間(先輩)の突然死と、私自身のセルフネグレクトを経験し、30代、40代にも、ホントに色々な事を経験してきて、今、特に自分自身に対して思うのは、

 

狼狽えんなよ

 

‥‥ということにつきます。ジタバタしたら、ジタバタしただけ、珍妙な消耗をするだけです。

 

20代の頃は、そりゃあもう、風呂敷を広げまくって、ジタバタ足掻いて格闘すれば良いでしょう。

 

しかし、アラウンド40以降は、今までの経験と知識を足場にアクションすべきで、ジタバタ狼狽える年齢ではないと思います。覚悟を決めて動くべき‥‥と思います。

 

 

 

年収1800万円でも負け組」とか、「年収700万円なのに…お見合い18連敗中」とかの記事に共通の「結婚する相手は若い20代がいい」との内容は、「本人のココロがそんなんだから、結局は‥‥」と思えてしまいます。

 

ココロだけでなく、冷静な足し算で考えても、50代の男が結婚して子供を作って、その子供が成人する頃には70代です。簡単に算出できますよネ。まあ、作家画家の中には「はじかきっこ」だった人も作った人もいますが、現実的には難しい話です。記事本文中にもありますが、子供の運動会で60代のパパが30代のパパに混ざって応援‥‥って、親も子も色々と居た堪れないと思うからです。

 

それにさ‥‥、よくまあ、自分の歳を棚にあげて、パートナーに一方的に若さを求められるよね‥‥。その神経が、不思議です。

 

一緒の年代に生まれて、一緒に時代を過ごしてきたパートナーでいいじゃん。自分は歳を存分に喰ってるのに、パートナーの加齢は認めない‥‥なんていう人間は、その邪な心根が見抜かれるんだと思うけどな‥‥。

 

一緒に歳を喰えばいいじゃん。

 

 

男性が歳食ってみて初めて焦って、自分の遺伝子を残す子供が欲しいから‥‥という理由も、女性個人の人格を風下に置いた考え‥‥とも言えますしネ。

 

狼狽えんなよ。

 

‥‥としか思えんです。覚悟を決めろよ‥‥と。

 

残念ながら人間の致死率は100%。有史から鑑みるに、恐らく、文明の破滅・消滅率も100%なのでしょう。もっと言えば、星の崩壊・破壊も100%なのでしょうから、私らは皆全員、星屑となる運命‥‥なのだと思います。「コスモス」の「私たちは星屑から生まれた」という一節は、「やがて星屑に戻る」ということも含めて、圧倒される言葉です。

 

まあ、地球の崩壊は果てしない話だとは思いますが、自分の死の瞬間に思い浮かべるのは、果たして、「自分が愛した何か」なのか、「打算の集計結果」なのか、どちらなのでしょうネ。

 

 

 

死に至る道筋はしかと受け止める‥‥にしても、私が徒然に考えるのは、「居室での腐敗死」をどうやって防ぐか‥‥です。

 

孤独死は十分に想定するとして、では、最悪の腐敗死はどうやれば防げるかは、たまに考えます。

 

「終活」は各個人ぬかりなく進めておくとしても、死の瞬間までは自分では決められないでしょう。ゆえに、今考えているのは、「どうやって自分の死を外部に知らせて、然るべき措置・処理をとるか」です。

 

「だから、結婚してパートナーを」と安易に考える人はそこそこ居るとは思いますが、どんなに幸せな家庭を築いて家族に恵まれたって、自分ひとりで老後を生活する状況なんていくらでも考えられます。子供は独立して離れた土地で暮らし、伴侶には先立たれ‥‥となれば、孤独死&腐敗死の確率は高まります。

 

ましてや、私のような状況の人間は、最晩年の孤独死&腐敗死をデフォルトとして考えておくべきでしょう。

 

であるならば、腐敗した肉汁が床を汚さず、腐敗臭が壁に浸透するのを待つまでもなく、どうやって葬ってもらうかを考えるのが合理的です。

 

私は、同業の「退役軍人」仲間で、「1日1回行動」をネットワークで自動でログするソリューションが良いのでは‥‥と思っています。2日行動がないのはイエロー、3日だとレッドで緊急対応‥‥のような仕組みを仲間うちで作るのです。まあ、まだフワっと考えている段階ですが、PCやスマホ(未来にどんな形態になっているんでしょうネ)のネットワークとソフトウェアで、そんなに難しくなく作れると思います。イエローやレッド通知がなければ、皆、それなりによろしくやってるんだな‥‥と。

 

 

 

だから‥‥です。

 

人のネットワークは、重要となります。

 

現在アラウンド40・50の人間だけの問題ではないです。現在20代の人間でも、たった30年後には50代なのですから。

 

結婚しようが独身だろうが、子持ちだろうが子無しだろうが、各人の生き方をまるっと内包するエコシステムは、実は「アニメ」なんていう趣味趣向の産業にこそ、未来に必要になると思います。

 

物事は皆、繋がっていますネ。

 

 

 


私たちの未来

2020年代以降のアニメ制作事情。色々と瑣末な要素はあれど、最終的には、未来の映像技術世界に乗り込むことができる制作集団と、脱落して消えていく制作集団とで、残酷なまでに二分されていく‥‥と思っています。

 

直近の新しいフォーマットである4Kは、どんな会社が制作するにしても、困難の連続でしょう。ゆえに、4K以前の2Kの現時点で色々な問題に対応できず、ごまかしにごまかしを上塗りしたような方法で乗り切っている集団は、やがて力尽き万策尽きて、脱落するのは必至です。

 

例えば、前にも書きましたが、30fpsに対応するのに1234456788かプルダウンかフレーム合成の3択しか思いつかない時点で基礎技術力は非常に低いと言わざる得ませんし、1.5K8fpsSDRこそアニメだと信じて疑わないような人々はどうやっても未来のフォーマットには追随できません。

 

周囲がどんなに環境を準備しても、本人たちの意思が旧態依然も甚だしいのなら、豪華で大きな器にインスタントラーメンを盛り付けるがごとくです。豪華絢爛な食器でも、中に盛られているのがインスタントラーメンなのは誰でも気づきます。消費者をバカにしてはいけません。

 

業界のアニメの作り方は、映像を真に作りたい本人たちの意思とは別に、あまりにも定型単一なインスタントの道を疾走し過ぎました。新しい映像制作の可能性を脇目で見ることすらできなくなっています。

 

4K60pHDRは、プラシーボ効果でなんとかなる問題ではありません。まあ、60pは時期尚早だとしても、4Kはガチで3840・4096ピクセルですし、HDRには相応の高価なモニタと色彩を自由に操作できる技能者が必要です。思い込みや根性だけで作れるほど、4K時代は甘くないです。

 

つまり、制作母体の体力はどうしても問われましょう。

 

みんなで仲良く、指を咥えて待っていれば、何処かの誰かがケアしてくれて、新しい映像技術の世界へ連れて行ってくれる‥‥なんて都合の良すぎる未来はありません。

 

援助でどうにかなるのは、金銭的な部分だけです。援助してもどうにもならないのは、当人たちの技術力です。制作費を多めに増やしたら、みんなが超一流で先進的な技術者になれるのだったら、そんな楽なことはないですもんネ。

 

4Kフォーマットは形ばかりで、相変わらずの1.5Kのアニメを作ってアップコンで誤魔化していたら、失望されて次は無いです。

 

未来を生きていくには、本人たちも相応に変わる必要があります。

 

変わろう、新しい技術を身につけよう、新しい品質基準を築いていこう‥‥と本気で思うか否かが、当人〜制作集団〜制作会社の軸線の全てに通じているのです。

 

 

近い未来において、様々な明暗が各所で別れていくでしょう。

 

誰しも、暗い方向には進みたくないですよネ。

 

だったら、明るい方向に進むべく、自らアクションするのは当然のこと。ですネ。

 

 


アナログとデジタル

銀塩写真のWikipediaを読んでたら、私が日頃言い表したかった「アナログの誤解」について、「アナログ写真」の項として書かれており、何だかスッキリしました。

 

以下、抜粋。

 

 

アナログ写真

 

「デジタル写真」に対するレトロニムであるが、「アナログ」という語の意味をあまり考えずに「デジタル」の部分をすげ替えただけの語である。

 

「すべて電子的過程である」ということを、電子的であればディジタルである、と信じ込むのは、しばしばありがちな誤解である(あるいは、何も考えていないだけである)。

 

 

「アナログ」のWikipediaにも、「俗用・誤用」の項がありますネ。その中に、「デジタル作画」「アナログ作画」も含まれています。

 

アナログって、「コンピュータで処理しないもの」の総称じゃないですしネ。

 

コンピュータ機材やネットワーク社会に対する反義語は決してアナログじゃないですしネ。

 

アナログっていう言葉を安易に使う人って、「その部分」に関してはあまり深くものを考えない人なんだな‥‥という印象があります。まあ、聞き流せば良いだけですけどネ。

 

 

面白いのは、次の一節です。

 

 

なお一方で、フィルムカメラでも、映画カメラによる映画の撮影は、時間軸方向には不連続であり(連続的に撮影する特殊なカメラも考案され実験されてはいるが、実用的には使われていない)ディジタル的だと言えなくもない。

 

 

たしかにそうですね。

 

映像を断続的なフレームで記録したり表現する時点で、デジタルと言えますネ。実物・現実世界での人体の動きは、決してフレームで分割した動きにはなってないもんな。

 

業界の24コマタイムシートのアニメは、映像を24Hzで段階的に非連続に表現するデジタルタイミングプロセスだ。‥‥と言えます。実際、4コマ目の次は5コマ目で、4.267コマ目とか4.988コマ目とかは存在せず、決して無段階に連続している(=アナログ)わけではないですもんネ。

*ただ、「連続」という言葉も中々曖昧で、使っていてムズがゆいキモチはあります。「連なって続けば」連続だもんなぁ。言葉ってスミをつつけばいくらでもホコリがでるもの‥‥ですネ。

 

 

まあ、アナログ・デジタルなんて言葉に自分の信念や威信など覆い被せず、紙とかiPadとか、実際に扱うツールでサクッとドライに住み分けをすれば良いだけだと思ってます。

 

時代やニーズに合わせて、両方使えば良いんじゃん? ‥‥という事に尽きますよね、結局は。

 

 

 


なのでネオパン

生産中止間近。‥‥ということで買いました。

 

記念に。

 

 

「ACROS 100」は初めて買う銘柄なので、使ってみたい気もしますが、現像に出すとパトローネが戻ってこないので、これはこのまま未開封で飾っておきます。フジの最後のモノクロフィルムとして。

 

私としては、馴染み深いネオパンFあたりを飾っておきたいところですが、まあ、それはいいや。コレクターというよりは、自分の思い出なので、ネオパンFやミニコピーは心の中にあれば良いです。

 

 


黒白フィルム終了

前回、自身の色々な終了の話を書いた矢先、ニュースでフジフィルムが白黒フィルムの生産を終了する話を知りました。

 

白黒フィルム 販売終了へ 富士フイルム〜NHKニュース

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180407/k10011393911000.html

 

そうか。モノクロフィルムも終了か。

 

私は20代頃のアニメーター時代に、取り憑かれたかのようにフィルムカメラで写真を撮りまくっていました。年間何千枚撮ったかわからないほどです。

 

ネガカラーがメインでしたが、モノクロも、リバーサルも使っていました。モノクロは低感度の品番が好きで、ミニコピーフィルム(HR II)やネオパンFはかならずストックしていました。今も未使用ストック品がどこかに眠っているかも知れません(もう使えないと思うけど)。

 

作画なのになぜカメラを?‥‥と思われるかも知れませんが、20代の若造の当時から、マンガやアニメの惰性で描く予定調和の構図や画面作りに限界を感じていて、他人はともかく、自分はもっと色々な画面のアイデアを想起するべきだ!‥‥と思っていたのです。まあ、当時は今以上に思い込みの激しい性分でしたからネ。

 

線画だけで絵を描き終えた気分になりやすいアニメーターですが、実際は明暗や色がついてこそ画面足り得ます。私はその「線画だけ」の意識から抜け出る、実際に手応えを得る手段として、一眼レフフィルムカメラを毎日携行して、情景の写真〜アニメ工程でいう「レイアウト」〜を撮りまくっていました。

 

その費用は、月5万円。‥‥金のかかる時代でしたな。今の物価にすると、月8万円くらいにはなりましょうか。

 

今だとフィルムの制限枚数のない「デジカメ」時代なので、1日に千枚撮るなど大したことではありませんが、24か36枚撮りのフィルムはそうはいきません。私の場合、どこか小旅行に出かけた場合(=今日はいっぱい撮るぞー!‥‥と意気込んだ場合)、36枚撮りで1日に20本以上は撮っていましたが、36枚撮り1本200〜600円、リバーサルフィルムだとさらに高価なこともあり、フィルム代だけで相当な額を出費していたと‥‥思います。バラ買いなので金額は思い出せませんけどネ。当然、現像代も相当な額となり、現像代だけで月平均3〜4万円を出費していました。

 

「1シャッターの重さが、フィルム時代は重かった」わけです。

 

そんな私がコンピュータをメインに使うようになり、1996〜2000年頃にこだわっていたのは、フィルムグレインの雰囲気というか「叙情の継承」でした。粒状性の再現、すなわち、グレインのRGBや輝度の拡散、グレインのフォルムやシャープネスなど、色々と研究して取り入れていました。‥‥まあ、今だと過渡期の思想そのもの‥‥なんですがネ。

 

今では、フィルムの影響から離れ、考えを新たにして、映像作りに取り組んでいますが、思えば、そうしたフィルムへのこだわりを通過したことで、新しい映像品質や素地を強く意識できるようになりました。

 

「フィルム時代は良かった」なんて軽く口にする人は多いですが、実際はどれだけフィルムそのものに関わっていたのか、フィルム撮影スタッフだった経緯でもない限り、ただの「懐かしい雰囲気」のようなもの‥‥だと思います。「フィルム時代」というよりは「昔」は良かった‥‥と言いたいのでしょう。

 

とことんフィルムと付き合って、フィルムの良さも欠点もわかれば、甘っちょろいノスタルジーになんかには浸りません。フィルム作品のソフト化に立ち会うこともあれば、フィルムスキャンデータを細かく見ることもありますし、自分でもアホほどライカ判で写真を撮っていた経験からすれば、フィルムには良い部分と悪い部分があって、悪い部分が時代についていけない原因となった‥‥と、素直に思えます。

 

 

ゆえに、白黒フィルムの生産中止は、ものすごく感傷的に、心に響きます。

 

愛して止まないフィルムですが、愛するものが時代と共に歩み続けられるか?‥‥は別の話ですもんネ。

 

今は亡きじいちゃん・ばあちゃんの田舎の家が、今や誰も住む人がいなくなって朽ちて、やがて売りに出されて、もう二度とあの家には戻れない‥‥という気分、「だからってどうしようもないじゃないか」と自問自答しながら感傷に浸る気分‥‥でしょうか。

 

私の初代機のEOS100QD、そしてEOS1と共に、フィルム時代は遠くなるばかり‥‥です。

 

 

 

ちなみに、昔はヨドバシやビックカメラの地下で200円台で売っていたモノクロフィルムですが、今は生産数の少なさゆえか、結構いい値段がしますネ。

 

そりゃあ、一体何百枚撮れるのか容量が膨大な32GBのSDカードが1400円で買える時代に、モノクロ36枚撮り3本組が1600円以上すれば、みんな、デジカメに乗り換えるよね。

 

 

 

 

 


現場

現状の限界を突破する時、最後は自分だけが頼りなのは言うまでもないことです。そこは誰にも甘えられません。

 

しかし、限界を突破して自分のポテンシャルを拡張する経過において、経験者や年長者がアドバイスや助言によって果たす役割も重要なファクタとなりましょう。ひとりでどんなに悩みぬいても、思考の死角は必ず存在しますからネ。

 

現在のアニメ制作工程の各現場に、そうした技術や経験の交流や継承の機会って、どれだけあるでしょうか。

 

ただ単に、個人単位で、黙々と作業をこなしてたって、決め型の作業工程の手際がよくなるだけで、映像表現力が高まるわけではないです。

 

だからって、交流会を開催したところで、単なる酒の肴どまりで、技術や思想に感じ入って体の中にじんわりと浸透することはないです。技術や思考の手ほどきは、日々徒然に何十・何百時間もかかるものです。

 

 

私は20代の頃に、作業現場で同僚や年長者の方々から、毎日、本当に色々なことを学びました。方々の中には、既に他界した人もいますが、私の中で技術や思想として生き続けています。

 

そういう繋がりって、今の現場にどれだけあるんでしょうね。

 

 

まあ、他の現場は、どのような気風であれ構いません。

 

自分らの現場を、技術や思考、経験の継承や交流の場にすれば良いのです。

 

当座の作業進行の即物的で近視眼的な視野だけでなく、先人から伝わったこと、自分が今までに得たこと、色々を伝えつつ、年少者の考えも興味深く受け入れる‥‥という知的コミューンは、未来に何かを生み出そうとする現場に形成されて然るべしです。

 

 

現場は仕事を消化する場所であると同時に、アイデアの発生エリアでもあります。

 

ゆえに、現場は大切に育てるべき‥‥だと思っています。

 

 

 



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